第十四話・鉄の部屋にこもる男
『どうもー、茨木デパートです。注文の品をお届けに参りました〜』
インターホンが鳴り、ドアの向こうから若い女の声がかかってくる。
「……そこに置いといてくれ」
部屋の中の男は、ソファーに腰掛けたままそうつぶやいた。無線マイクを通じて、男の低い声が外の女に届く。
『そこって、……。あの、受け取りのサインを……』
戸惑うような返事が返ってくる。
(……初顔だな、この女。今までの担当に何かがあって、代理で来たのか?)
男の髪は長く、背中の半分が隠れている。髭は剃ってあるものの、身だしなみは良いとはいえない。男はソファーから立ち上がりかけて、自分の間違いに気付く。
(そうか。新入社員が入って担当が代わったのか。もう、そんな時期だったな)
飾り気のない、質素な部屋だった。いや、部屋と言うよりもフロアと表現するのが正しいのかもしれない。床がアスファルトで出来ていたなら、駐車場に見えないこともない。それほど広い空間である。ソファーやベッド、電話機などのいくつかの生活用品がある他は、本当に何もない虚無な空間だった。
「そこの床に、線でかこったスペースがあるだろう」
男は、唯一の出入り口である鉄製のドアの方を見ながら、そのずっと奥にいるであろう女にマイクで話しかける。
『線……? あ、ありました。この四角いラインですか?』
「そうだ」
コツ、コツ、と男はドアの方に向かう。しかし、ドアの前に立っても女の肉声は聞こえない。マイクとインターホンを通じてのみ、二人はコミュニケーションを取っている。
「そのラインに合わせて、商品を置いてくれればいい。サインは必要ない」
『え?』
「上司に聞かなかったか。ここに商品を届ける時は、相手からサインを受け取らなくていい、と」
しばらくの間、女の声が途切れる。かわりにメモ帳をめくる紙の音が流れてきた。
『あ、ハイ。そうでした。……申し訳ございません』
(……ウソは言っていない声だ。本当に心の底から謝っているな)
ドアの向こうで女が頭を下げている様子が、男の脳裏に浮かぶ。
「構わない。別に迷惑ではないからな」
女を安心させる為か、わずかに口調を柔らかくする。
「そこに置いたら、出来るだけ早く帰ってくれ。まだ他の配達が残っているのだろう」
『は、はい。承知しました』
ドサ、と重いダンボールを降ろす音がする。続いて、遠ざかって行く足音。
(今の女が、余計な詮索をしないタイプでよかった。もっとも、仕事に慣れてくるとどうなるかわからんが)
男は、両手で鉄のドアを開く。その向こうには2、3メートル程の短い廊下があり、その奥もまた、鉄製のドアが道を閉ざしていた。
(月に二回の恒例行事か。今の女とも、これからしばらく付き合うことになりそうだ)
同じような構造のドアと廊下が三回ほど続き、四つ目のドアは、鍵穴が二か所についていた。一つは、通常のドアと同じくノブの横に。もう一つは、膝の高さの位置にあった。そのドアの前で、男は立ち止まった。
(人のいる気配はないな。要求どおりにしてくれたようだ)
ズボンのポケットから銀色の鍵を取り出し、下の方の鍵穴に差し込んで回す。ガタン、と鈍い音をたてて、ドアの下半分が男の方に倒れてきた。そうして開いた空間の奥に、目的のダンボール箱が置いてある。
(金さえ払えば、こんな奇妙な仕掛けのドアもつくってもらえる。……世の中というのは、おかしなところで便利に出来ているな)
腕を伸ばして重いダンボールを抱え、ドアの内側に運び入れる。少々面倒な作業だが、男は慣れた様子でそれをやってのけ、ドアの下半分を元に戻して施錠した。
ダンボールを抱えて、先ほど通ってきた道程を引き返していく。
(春、新入生の季節か。ここにいると全く季節を感じないが、確実に世間は動いているようだな)
ソファーのある部屋まで戻って来たとき、備え付けの電話が鳴り響いた。男はダンボールを床に下ろし、受話器を手に取る。
「どうした?」
相手の名前を聞かずとも、声で分かる。電話をかけてきた相手は、男のよく知っている人物だった。
「ああ、そういえば昼ごろに電話した時、後でかけ直すと言っていたな」
『あい。例の坊主んこつで電話さしてもらいました。一遍、直に話しちもらおうかと』
南九州の訛りがある、独特の話し方。こんな言葉をしゃべるのは、この界隈には一人しかいない。
『どんげすか? ボス。もしよけりゃあ、今すぐ電話かわっけん……』
「……ああ。わかったよ光助。そのナオトとか言う少年とかわってくれ」
「ボス」と呼ばれた男は、受話器を持ったままソファーに腰掛けた。