第四十九話
菜穂との話が終わったところで、昼休みが終わりを告げるチャイムが鳴る。
菜穂は二年生の校舎の方へ戻り、彰人と綾香は一年生の教室に向かう。
戻る際に綾香が気が付いたように声を上げた。
「あっ、そうだ。彰人君知ってる?」
「ん? 何をだ?」
「あのね。また転校生が来たんだって。確か三組の所だったかな」
「ふーん」
正直、今の彰人にはどうでも良い話だった。
それよりもどうやってテニと連絡を取るか、最悪どうやって力を変換させるかを考えるばかりの彰人であった。
「あー、そうだ。五時間目ってなんだったか?」
「数学。彰人君、宿題ちゃんとやっ……ってないよね……」
彰人は三日間寝込んでいたので、宿題が出ていた事すらも知らなかった。
綾香も話をしながらその事に気が付いたのだった。
教室に戻りつつ、彰人が外を視ながら綾香に言葉を振る。
「俺さぁ。昔も駄目だったんだよ……数学……」
「そうなんだ。彰人君、全然だもんねぇ」
「……ああ。ついでに化学も駄目だった。国語も歴史も英語も全部苦手だったよ……」
「えっ? それって勉強全然駄目って事?」
「……そうだった」
綾香は彰人が勉強が苦手なのは何となく分かっていたが、こうしてはっきりと言われるのは初めてだった。
「で、でも昔もここの高校だったんだよね?」
「ああ。算数は得意なんだけどなぁ……」
「じゃあ、彰人君――――」
綾香が言いかけた時には、前に数学の担任が教室に入って行くのが見えた二人。
急いで教室に戻ったのだった。
「およ、ぎりだよ~、綾ちゃん。黒川君。昼休みのデートもほどほどにねぇ~」
絵理にそう言われてしまった綾香は、顔を真っ赤にしていたが、後ろの席に座った彰人にはそれは分からなかった。
●●●
数学の授業が終わり、休み時間に綾香が後ろを伺うと、彰人がうな垂れていた。
「だ……駄目だ……さっぱり分からん…………」
「元々苦手な上に、三日も休んでればそうだよね……」
「何々? 黒川君そんなに数学苦手なの~?」
「そうなんだって……」
彰人は疲れた顔をしながらそれに答える。
「さ……算数にしてくれよ……。公式とか……覚える物は苦手なんだよ……」
「って言っても、高校の授業なんて覚える事がほとんどじゃん~」
絵理の言う通りである。
高校の授業は基本覚える事がメインであり、覚えてしまえば後は応用するだけである。
丸暗記してしまえば、ほとんどのテストは点数が取れる。
応用の仕方も大体テストでは決まっているので、それすらも覚えてしまえば、考える事は少なくて済む。
「ねぇ、じゃあ黒川君って、何が得意なの~?」
「…………美術とか、体育とか……」
「大学模試じゃ使わないねぇ~」
「せ、センター試験じゃそれないよ?」
「センターねぇ……それは鉛筆転がして適当に埋めれば……」
センター試験はマークシート。
だから埋めれる事は埋めれる。
が、適当にやれば当然点数は良くない。
まだ一年生の綾香や絵理は知らないが、彰人は知っている。
昔の事を思い出せている今の彰人は、かつて自身が受けたセンター試験の事も覚えていた。
だがそれは、かつて受けた、と言う事のみであり、中身は何となくこうやった、と言う事だけしか思い出せない。
美術が好きだった彰人。
実はセンター試験は適当にしかやっていなかった。
いや、むしろマークシートで遊んでいた。
思い出すのは、マークシートで適当に欄を埋めて、それで人の顔を描いた記憶があったのだった。
「……いや、いいわ。一応今はまだ一年だし、勉強する……」
「うちの高校って、美大とかそんなとこ受ける人居たっけ?」
「う~ん、私は知らないや」
その言葉に、彰人が反応する。
「居たぞ。ちゃんとな。でも美大でも国立や県立だとセンター試験はあるからなぁ。まぁ、普通の大学よりは点数いらんけど……その分、実地試験が二次試験、三次試験とかめっちゃ多いけど」
「黒川君、よく知ってるね~」
「まぁなぁ……」
「えっ……? それって……」
そして、次の授業が始まった。
その間綾香は気が付き始めていた。
綾香は、彰人がかつてはここの高校を卒業し、大学に進み、そして会社に行っていた事まで聞いていた。
だから、気が付いたのだった。
(彰人君って、もしかして――――)
「――――美大に通ってたの?」
放課後、部活に向かう途中に綾香は彰人に問う。
彰人はその問いに肯定する。
「ああ。ここの高校じゃ、かなり珍しかったらしいけどなぁ。一応通った。んで、仕事は結局普通の仕事になった。だからその時思ったよ」
「なにを?」
「別に、普通に社会人したいなら、大学とか勉強とか、あんま関係無いってな」
「えぇ~っ。で、でも一流企業なら――」
「ああ。そういうとこに行きたいなら、しっかり勉強したほうが良いけどな。でも、そこが本当に良いのか悪いのかなんて行ったやつしか分からん事だ。別に高卒でも、コミュニケーション能力が高くて、物覚えが良くて、高い志持ってるやつのほうが優秀な事だってある」
「う、う~ん……」
「学校でな、一番習わないといけないのは、『自分で考える』って力だと思ったよ。あと交渉力とかだな。研究者にでもなるんだったら、高校の勉強は全部いるんだろうなぁ」
「……彰人君って、なんだか大人みたい」
綾香から、正にその通りである感想を言われる。
「みたいというか、今の俺はそん時の記憶も戻ってるからな。実際、どうやれば世間を上手く渡っていけるかなら教えれるぞ」
「う~ん、どうやるの?」
「簡単だ。知り合いをいっぱい作れ。んで、自分はそいつらを上手くコントロールすれば……」
「すれば?」
「社長にだってなれる。自分が別に技術を持つ必要は無いんだよ。金を儲けたいだけならな……」
綾香には、その言葉はどこか寂しく聞こえた。
「うーん、でもそれって良いのかなぁ……?」
「金儲けが一番だと思うなら、それもアリってだけだな。でも、俺は……」
「彰人君は……?」
「金は必要だ。最低限はな。でも、一番必要なのは悔いの無いように生きる事だと思う。ま、結局は自分のやりたい事やって、周りも喜べば一番って事かな」
「あっ、それなら私もそう思うよ。私も皆も、それで楽しめれば良いなぁって。……で、そうするにはどうすれば良いの?」
「…………勉強する…………」
「じゃあ、彰人君駄目だよぉ」
「勉強って学校で習う事ばっかりじゃないぞ。むしろやりたい事やる為に、学校の勉強が役立つ事もあるって感じだな。その内容じゃなくて、学び方みたいな事を学ぶって事だ。何歳になったって、勉強は出来るからな。まぁ、この歳くらいが一番頭に入りやすいのも事実だけどな」
それは、彰人がかつての自分の記憶を取り戻し、感じた教訓でもあった。
何の神様の悪戯か、彰人は色々な経験を隔てて、今はこの歳でここに居る。
しかし今はかつての記憶もある。
それが全てでは無いであるにしても、一個人が生きた一つの教訓。
人は、何歳になっても学びたいと思ったその時が、スタートラインに立てる。
もちろん、若ければ体力もある。
学ぶスピードも違う。
それでも、やりたい事が見つかった時、それこそが本当のスタートライン。
やりたい事が見つかった時に残る物、それはやっていて良かった物。
それは誰にも分からない。
自分しか分からない。
高校の勉強とは、自分のやりたい事を手助けする一つの手段。
その時の事が役に立つ事もあれば、全く約に立たない事もある。
それは、自分がやりたい事の内容によって変わる。
彰人が異世界に飛ばされるその時まで学んだ事は、どちらかと言うと社会人になってから学んだ事の方が色々と役に立っていた。
もちろん、高校や中学で学んだ事も必要ではあったが、それは社会人になってから、再度学びなおした事の方が多かった。
だが、かつて一度学んだ事のある事であると、あの時こうやって覚え学んだ、と言う経験が役に立った。
そして、大学に通った経験は、あの時こう学んだと言う事よりも、あの人と知り合った、あの人のツテで仕事にありつけた、等と言った事の方が大きかった。
「まぁ、なんだ。結局後悔の無い様に生きるのが一番ってな。俺が言えた事じゃないけどな」
彰人は、ある意味再度人生を送りなおしている様なものである。
記憶を取り戻した今では、尚更そうであった。
弓道場の場所に着き、綾香はふと思った事を聞いてみる。
「じゃあ、彰人君はなんで、昔やってた弓道をまたやるの?」
「んー、弓道は好きだった。またやりたいって思ってたんだ。まぁ、異世界で弓使ってたのも本当だけどなぁ。そん時の記憶も、良いことの方が多いからかもな……」
二人は弓道場に入る。
小林が既に仕切っていた。
彰人の思いは本当ではある。
だが、多い、と言う表現は、良くない記憶もあったと言う事を示唆する物であった。
弓で生活をしていた異世界での事。
ある種族の中で、彰人は生きていた。
弓を使うのは、狩りをする為だった。
ある時、事件が起きた。
それが彰人が人嫌いになった発端でもあった。
しかし、その事件をきっかけに、彰人は世界を救う事になるのだった。
(あの時のザンの特製の弓に比べると、弓道の弓って軽いんだなぁ……)
今、あの弓は何処に行ったのだろうか。
大切にしていたあの弓。
その弓は、彰人の今の〝所有物〟では無い物であった。




