第三十五話
菜穂は、先程の杭を回収していた。
その菜穂に、彰人は質問する。
「なぁ、この街には綾香と、緑さん以外にも、魔術師は居るのか?」
「今は居ないわ。私の知っている限り、だけれどね」
ペン程の大きさの鉄の杭。
それは銀色で、月明かりを反射している。
無骨なその鉄の杭には、魔術の文字が刻印されている。
菜穂は先程飛ばした、無数のその杭を一つ一つ地面から抜きながら答える。
「この世界、そういう術師はどんぐらい居る?」
「私も詳しくは知らない。けれど多くは無いわ。こんな小さな街に、二人居るほうが珍しいはずよ」
「ふーん」
そして、菜穂は彰人を横目で見ながら、言葉を追加する。
「貴方はもっと珍しいようだけれど」
回収を終えた菜穂が、綾香に近づいていく。
「綾香。他に聞きたい事もあるのでしょう? でも、本来はこの〝残滓〟の事を、あの『鴉』の事を一番よく知っているのは、間渡の人間なのよ」
「は、はい。でも、お父さんには、そんなに詳しくは……」
綾香も、ようやく落ち着き始めつつ、菜穂と会話する。
「そうね。こんな事になるとは思ってなかったのでしょうね。けれど、今はこんな異常事態になっているのだし。早く戻って来てほしいわね」
嘆くように菜穂は言い、彰人は少し不思議そうに綾香に質問する。
「なぁ。綾香の親父さんも、同じ術を使えるんだよな?」
「うん。私より、すごく上手だし、”聖光弓一線”も強力だし」
「一体、何処行ったんだ?」
「うん、ヨーロッパだって聞いてるけれど……」
しかし、それから連絡は無い。
今、何処にいるのか分からない。
それに、菜穂が答える。
「おそらく、別空間に居ると思うわ」
「……別空間?」
「ええ。魔術師が集うところがあるのよ。私の母もそこに行って居る。そこは、特殊な魔法陣の中にあるらしいわ。そこからだと、連絡が出来ないのよ」
「なんかあったんか?」
「らしいわ。こことは関係無い事だと思うけれど、詳細は私も知らない」
「何処の世界も、なんだかんだと事件があるんだなぁ」
彰人は、さもありなん、と言った感じで答える。
そして、綾香と彰人に向けて菜穂が言う。
「ともかく、この事はもう少し調べる必要があるわ。でも、私が出来るのはこれくらい。最終的に鴉の魔術を消すのは、綾香。貴方になるわ」
「ふーむ、どっか別の所でなんかあった、っと」
「そう。だから、まだ魔術を覚えて一年足らずの綾香に、この事を託して、そちらに向かったのよ。けれど綾香はまだ、完全にはその継承を終えていない」
「けど、こっちも異常事態だ、と」
「貴方に聞いて、更にそう確信したわ」
その言葉の後、彰人は少し考える。
「ふむ。面倒だが、少し的が絞れて来たな」
「的が絞れた? 彰人君、それってどういう事?」
「ああ。ここの堕ちた魔術師、『鴉』だっけか。そいつは未だ存在し続けていて、何かの画策をしている。そして、それに異物も利用しようとしている。なら、その鴉を見つける。そこに残りの異物も居るはずだ」
「けれど、その鴉が何処に居るのか分からないわ」
「多分、さっきあんたが言った、別空間とにでも居るんだろ。おそらく、異物もそこにな。だから感知できない」
――だが、問題はある。
それは、その別空間が探し出せない事。
異質な魔術なのか、彰人にも感知が出来ない。
そして、彰人の”聖光力”は残り四割弱。
先程のように格闘でどうにかなれば良いが、抑える事は出来ても、力を抑えた状態では消す事は出来ない――。
「問題だらけだ」
「ええ、貴方の事も含めてね」
「あ、彰人君は、そんな人じゃ――」
綾香は、そう言おうとして、先程の彰人の人間離れした動きを思い出す。
そして、あの顔。
あの、黒い人に変化した〝残滓〟を相手に、彰人はどこか愉しそうだった。
「黒川君。私は貴方を信用していない。それに未だに聞けていない事も多すぎる」
「だろうな。そんな俺をなんで見逃す?」
「少なくとも、綾香は貴方を信用している。いえ、もしかしたら、もう違うかもね。先程の貴方のあの動きは、普通じゃないわ」
「ん。そうだな」
「綾香。あなたが望むなら、今ここで、始末をつけても良いのよ」
「こえぇなぁ」
「……あ、彰人君は……彰人君は、そんな人じゃ、ない。そう、だよね?」
「先程、ずいぶんと愉しそうだったわね。敵を消すのが楽しいのかしら? それとも格闘するのが楽しいのかしら?」
「後者だな。格闘するのは嫌いじゃない」
「それだけかしら。先程の、貴方の眼。まるで獲物を狩る獣のようだったわ」
「それも、否定しない。昔、狩をしていた時期もあった」
「先程の黒い男が、獲物だったと?」
「異物だけなら、俺の獲物だ」
「やはり、貴方は危険かしら」
「さて、どうかな」
そうして、またも、彰人と菜穂が対峙する。
少しの沈黙。
その沈黙を、綾香が破る。
「……あ、彰人君はっ。ここの、世界の。ここと同じところが出身だからっ。そ、それに、まだ少しだけれど、一緒に、居て。わ、悪い人じゃありませんっ」
「けれど、使う術は異質。そして、その存在すらも、異質」
「そうだな。否定はしない」
「で、でも彰人君っ。これまで、私を沢山助けてくれたし、教えてくれたし……」
「そう。綾香がそう言うなら、まぁ良いわ。今は、ね。それに、あの魔術が、あんな風に変化するならば、貴方は利用できる」
「はっきし言うなぁ。ま、いいけど」
やはり、いつも通りの彰人。
だが、菜穂は明らかに彰人を敵視していた。
「ともかく。今日はここまでにしましょう。もう帰らないと、綾香のお母さんも心配するでしょう?」
「……あっ……」
「そうだな。帰るか」
「ねぇ、二人とも。明日、いいかしら」
明日は土曜。学校は無い。
「部活に来いってか?」
「それも良いわね。じゃあその後で」
「……えっ? 緑先輩……」
彰人は冗談のように言ったが、菜穂はそれに同意した。
綾香はまだ、分からない。
「帰るか。綾香」
「……あ、えっと……」
「ええ、お休み。綾香」
菜穂に見送られ、彰人に促され、綾香は後ろ髪を引かれつつも、その場を後にした。
●●●
家への帰路。
綾香は、彰人に何を言って良いか分からなかった。
菜穂が魔術師であった事も、当然驚いている。
だが、もっと驚いた。
彰人のあの動き、そして、あの黒い男。
綾香は、そんな彰人を見遣る。
先程、あの次元の違う、戦いをしていた彰人。
彰人が、違う世界の人間であると、初めて心から思えた。
だが、彰人の話が本当ならば、それは、異世界へ飛ばされたから。
本当なら、ここの平行世界で、極々普通の一般人であったはず。
そんな人が、あんな、普通じゃ考えられない動きをして、魔術でない術を扱って。
一体、どんな経験をしてきたのだろうか。
あんな、相手と対峙しても、菜穂と対峙しても、彰人は、少しも焦ることなく、いつも通りであった。
そんな事を考えている綾香に、彰人からの言葉が聞こえた。
「教えないつもりは無かったんだが。驚いたのか?」
「……う、うん。〝残滓〟が、あんな風に変化して、彰人君は、あんな動きを出来て……」
「そっちかよ。緑さんの事じゃなくて」
「あっ、そっちも、うん。驚いたけれど……」
少し、彰人は考える素振りをしてから、綾香に言う。
「……んー、緑さんのあの聞き方良いな」
「……え?」
「なあ、綾香。俺に、聞きたい事はあるか?」
「…………うん。いっぱい」
「そうか。何から聞きたい?」
そう言う彰人の声は、どこか優しい。
「じゃあ……彰人君は、ここの……平行世界の出身なんだよね?」
「そうだ。ついでに、この街が俺の故郷だ」
「そこは、ここと、どう違うの?」
「ほとんど変わり無い。今の所、俺が分かってる限りじゃな。けどな、魔術が存在するなんてな、知らんかたはずだ」
「普通、だったんだね」
「そう。普通だった」
「……じゃあ、あんな、さっきみたいな動きは、出来なかったの?」
「ああ。どっちかって言えば、運動は苦手だったかもしれん」
「出来るようになったのは、異世界に飛ばされたから?」
「そうだ。随分、鍛えられたぞ。めっちゃ大変だった、かもしれん」
「そっか」
「ああ」
綾香は、何故だか、その彰人の言葉を全て信用出来た。
「ねぇ。彰人君は、異世界で、狩りをしてたの?」
「ああ。最初の頃な。そん時に、弓を使ってた」
「……それは、……楽しかった……の?」
「そうだな。大きい獲物を仕留めると、誉められた。称えられた。だから、楽しかった」
綾香は、彰人はきっと、嘘は言っていない。そう感じている。
彰人が言うその異世界がどんな所だったのか、それは綾香にはよく分からないが、彰人は本心を言ってくれている気がしていた。
「……じゃあ、格闘が、……その……好きだって……」
「そっちか。そっちはな。その後に経験した事なんだが。そういう大会みたいなのがあったんだよ」
「……その、異世界で?」
「ああ。違う国だったけどな。ちゃんと、ルールもあって、審判も居て、普通の試合だ。それは、楽しかったかな」
「だから、さっき、……あんなに、楽しそうだったの?」
「まぁ、少し、それも思い出した。後は、ああやって異物を排除する事は、俺の、存在する理由だからだろうな」
「存在する、理由……?」
「ああ」
自分が此処に存在する理由。
綾香は、そんな事は、これまで考えた事が無かった。
彰人は、そんな事を考えているのだろうか。
その受け答えの頃には、もう、家の所まで来ていた。
●●●
遅く帰った、綾香と彰人を、沙智子は心配して迎えた。
怪我などは何も無い、心配は無いと言う綾香であったが、やはり、そんな綾香を、母、沙智子は心配していた。
綾香は、風呂上りに、次に浴室に向かう彰人に、廊下で一つだけ質問をした。
それは、菜穂と彰人が最後に話していた事。
「明日、部活に行くんだよね……」
「綾香は行かないのか?」
「行くけれど……緑先輩、部活の後にって、言ってたよね」
「ああ。言ってたな」
「その後に、何を、するのかな?」
「ん? 分かんなかったか? 情報交換だよ」
「え? 情報?」
「俺は、異物と、俺の事。多分、異世界の事もかな。んで、あっちは、『鴉』とやらの事。それから魔術師の事だろうな」
「……じゃあ、私は、話せる事が無いよ……」
「綾香は、それを聞く。そして知る事だ。緑さん、異常事態って言ってたろ。そんで、それに対処出来るのは、ほれ。綾香だ」
それを聞いて、綾香は逡巡する。
本当に、自分で良いのか。
そんな大役が出来るのだろうか。
いや、これまで、やってきた。
まだ、魔術を覚えて一年足らず。
それでも、やってきた。
この諫見の街の魔術師として――――
「う、うん。分かった」
「あー、それとな。一個だけ、明日俺も言いたくない事がある。から、今言っとくけど」
「な、何?」
「俺、力が残り四割くらいしか無い」
「…………え?」
「回復もしない。今んとこな。それは、あの人には言わんでくれ」
「えっ。回復、しない? よ、四割……? な、何の力がって、もしかして、術の?」
「還元、上手く行かんかったわ。”聖光法術”の術の力な」
「も、戻らないのっ? どうするのっ?」
「どうしよか……俺も、困った」
さらりと答える、彰人の顔は、あの、勉強に頭を悩ませていた時と、同じ顔だった。




