第二話
間渡綾香は普段は、普通の高校生として振舞っている。
友人も居る。勉強もする。部活もする。
だが、自分が魔術師である事を知る人物は居ない。
この事は、誰にも言ってはいけないと、父親からきつく言われていた。
そして、この諫見の街では、魔術師の家系は間渡家だけだと聞いている。
夜は間渡家の魔術師としてやらなければならない。
それはかつて堕ちた魔術師の術の〝残滓〟を消して回る事である。
正直、学校は学校で大変であるが、こちらは自分にしか出来ない事であり、綾香は自分がやらなければいけないと感じていた。
この学校に通っているのも、その〝残滓〟が出るのがこの学校か、或いはその周辺であるからだった。
だから、授業中でも父から貰った羅針盤を机に置いている。
そして今、その羅針盤には一つ魔術がかかっている。
それは、自分以外の人が見てもそれを不思議に思わない、と言う魔術である。
そうでないとこうして堂々と机に置いたりは出来ない。
その為、周りの人はこの羅針盤を見る事は出来ても、『――それが何であるか――』、等と言った質問をする事は無い。
人間は、気にしなければ目に見えても、結構気にならないのである。
その隙を後押ししている、というだけの魔術であるので、綾香でも行使する事の出来る簡単な魔術である。
だが、もちろんそれを悪用すると『非道』と判断され、他の魔術師に捕まったり、下手をすると処刑されるらしい。
しかし、今この街には魔術師は綾香一人だけである。
だから、少しばかりの自分の為に使う事もある。
それは、屋上に行く時に使う。
初めは、〝残滓〟を探す為にその魔術を行使し、本来なら行ってはいけない学校の屋上に行ったのであるが、今ではそこがお気に入りの場所になってきていた。
授業が終わり、放課後なって、部活の前に一度行く。
もちろん〝残滓〟を探す事を行う為でもあるが、それだけならば屋上でなくても良い。
綾香は、魔術を使って屋上の鍵を失敬していた。
そして、屋上に行く前に、そこへ続く階段付近にその魔術を使う。
すると、少しの間だけ、綾香以外はこの屋上が気にならなくなる。
綾香は屋上に出て空を見る。
「はーっ。気持ちの良いお天気。うーんと……」
そして、羅針盤に力を込めるがどうやら今の所〝残滓〟は出ていないようである。
「よしっと。……あー、これから部活かー。……嫌いじゃないんだけどなぁ」
綾香は弓道部に入っている。
それは、綾香の唯一行使する事が出来る、『攻撃が出来る魔術』に併用が出来そうであるからであった。
”聖光弓一線”。
そう呼ばれている魔術であり、これも又間渡家で創り出された魔術であるらしい。
光の弓矢のような術であるので、弓道部に入ればもう少し上手くなるだろうと思ったのだった。
しかし、弓道部に入ってみれば、当初やらされたのは基礎体力作りばかりであった。
綾香はそれはそれで必要であると考えているので、そちらに対しては文句がある訳では無かった。
だが他の人達は、そのイメージと違うギャップからか、別の部活に移る人も多かった。
今では当初入った人数から半分くらいまで減っている。
そして基礎体力作りは今でも延々とやらされているが、それでも少し前にようやく弓を引く事を許されたのであった。
今日もその為に学校周囲を走ってこないといけないと聞いている。
綾香は運動が嫌いなわけでは無いのだが、走るのは少し苦手である。特に持久走はあまり好きでは無い。
「足腰が大事なのも分かるんだけどなぁ」
本当は、もっと的に向かって弓を引いていたい綾香であった。
もうそろそろ魔術の効果が消えそうだと思い、綾香は屋上を出て弓道場へ向かった。
部活が終わり家に帰り、そして又綾香はいつものように鷹城公園に戻ってくる。
「さーて、うーん……」
羅針盤に魔力を込め、学校周辺を回る。
「うーん、今日は無さそうかな……」
周辺をぐるりと一周してきて公園に戻ってくるが、どうやら今日は何の反応も出なかった。
「良かった。それじゃ帰ろ――」
そう思った瞬間だった。
羅針盤が強く光り始めた。
「え? な、何、これ……」
強く光った後、羅針盤がその場所を指し示す。
「上……? 展望公園!?」
今、綾香が居る、鷹城公園は、小さな山の麓にある。
目の前には、小高い山があり、その上まで公園は続いている。
鷹城公園は三段構成で成り立った、少々変わった公園であり、一番上のほうには街が一望出来る展望広場が設置されたいた。
「もうっ、あんな所に出るなんて」
綾香は、急いでむき出しの石作りの階段を駆け上がる。
「……はぁっ、はぁっ……」
部活の体力作りの時にも、何度かここを昇り降りさせられた。
しかし、剥き出しの石作りの階段の石の大きさはまちまちで、上るのも一苦労である。
「はぁっ……やっぱり、上っ」
三段で構成されているこの公園。
綾香が思った通り、やはり一番上の展望公園の所であるようだった。
「もうっ、この階段大変なんだからっ……」
そんな愚痴をこぼしつつ、展望公園に上がると、そこに大量の黒い霧が立ち込めていた。
「……え? ざ、〝残滓〟が……こんなに……」
先程までは、何の反応も無かったはずであった。
これまで、このような事は無かった。更にはその〝残滓〟は、既に肥大化し始めていた。
「さっき出たばっかりじゃ……ど、どうして、こんなに早く……」
そう思いつつも、息を整え、魔術を行使する。
「く、黒き闇、我が身に宿りし、光に滅せよ。”聖光縛呪”」
一瞬光り、少しばかり消えたように見えたが、肥大化した〝残滓〟は、何やらの形に成りかけていた。
「あっ……!」
もう、こうなると、”聖光縛呪”は効かない。
(なら――)
「我が身に宿りし光よ、その闇夜を薙ぎ払え……」
綾香の左手に光が集まり、その光を、右手で引く。
「えぇい! ”聖光弓一線”!」
肥大化している黒い霧は、その光の矢を受けた所だけが丸く消えて無くなる。
しかしまだまだ残っている。
(もう一回っ)
そう思い、もう一度詠唱をし、光の弓を作り出す。
そしてその霧にそれを向けた時だった。
「……あぁっ、形がっ……」
飛散した霧が集まり、形が見えてくる。
この〝残滓〟は顕現した後、肥大化し、それが続くと何かの形を模す。
しかし、それもまだ、〝残滓〟が進化している途中だと聞いている。
それを更に放置すると、それからまた別の何かに変わるらしい。
先程、光の矢を受けた所からは遠くの空が見える。
しかしそこを囲むように、霧が動きながら形になっていった。
「こ、この形……へ、蛇……!? これって――」
その霧は、蛇のような形に、うねうねと変化し始めていた。
「こ、こんな大きな生き物の形をしてくるなんて――」
そして、綾香は蛇が苦手だった。
「――うっ! き、気持ち悪いっ! 蛇っ、ヤダァ!」
黒い霧は、どんどん蛇のようになりつつ、動き始める。しかも大きい。
今、ここには人が居ないだけましではあるが、この場所にはこの街の大事な木がある。
この街の御神木でもある、大きな木。
それを傷つける訳には行かない、と綾香は考える。
そして、綾香は、蛇が嫌いな事も相まって、〝聖光弓一線〟を連射する。
「”聖光弓一線”! えいっ、”聖光弓一線”! はぁ、はぁっ。うぅ、気持ち悪いぃーっ」
”聖光弓一線”は、直接的な物理的な力がある。
それこそ、当たればこの木でも、なぎ倒してしまうかもしれない。
その為、連射すると言っても、慎重に狙いをさだめている。
(こんな、場所だとっ、……撃ち辛いっ!)
しかし、〝残滓〟は更にうねうねと、蛇の形をしていく。
当たった箇所も、再度繋がり、短くはなったが無くならない。
本当なら、頭らしき所に当てたいのだが、そこは今、大樹の前にある。
その上、綾香の魔力的にもこの魔術はあまり多くは撃てない。
「このぉ! ”聖光弓一線”!」
綾香は少し横に寄って、木に当たらないように顔らしき付近を狙う。
「はぁ、はぁっ……! もうっ、早く消えてよぅっ。……うぅっ! ”聖光弓一線”!」
すると、顔らしき部分にかすった。そこに穴が開くがまだうねうね動いている。
(も、もう少し! ううっ! ま、魔力、足りなくなっちゃう!)
そして、顔がこちらを向いた。木からも逸れた。
「あっ、い、今! ”聖光弓一線”!」
そして、光の矢が、蛇の頭を穿った。
(間に合った――)
綾香がそう思ったすぐ後であった。
一度飛散したはずの霧が、再度集まっている。
「えっ! な、なんでぇ!?」
そして黒い霧は、黒い龍の顔になった。
「か、体無いしっ……! え!? これ、完全に……」
〝残滓〟が、霧状から固体化してきていた。
それは顔だけの龍。
綾香にはそう見える。
そして、その龍がゆっくりと口を開ける。
「へ……? わ、私を食べる気!? このぉっ! ”聖光弓一線”!」
言いながら、綾香はその顔だけ龍に”聖光弓一線”をぶつける。
だが、先程までは撃った箇所が穴が開いていたはずなのに、その黒い顔だけ龍は”聖光弓一線”を弾き返した。
「う、うそぉ! ……あ、ま、魔力切れ……」
連射していたせいで、魔力が尽きかけていた。
おそらく弾き返されたのも、光の矢の力が弱まっていたせいだと綾香は感じた。
「きゃ――」
――――食べられる!
そう思った瞬間、その黒い顔だけ龍が、ズドンと言う音と共に突然地面に落ちた。
「――あ…………あれ?」
倒したのだろうか――。
そう思いそこを見ると、霧になり飛散していく顔の中に、人影が見えた。
「あぶねえよっ! 何なんだよこいつ!? バンバン光った矢を飛ばしやがって。……ん?」
「…………へ?」
その人影から声が聞こえていた。