御曹子来る
地下道で迷子になってから数日が過ぎ、この日、執事さんはそわそわして、落ち着きがなかった。仕事の報告をしても、全然、聴いていない。どうしたのか不思議に思って、廊下で会ったメイドにきいてみた。すると、
「今日は御曹子がご隠居様に会いにいらっしゃるのです。ご隠居様と御曹子は顔を合わせれば喧嘩ばかりなので、執事さんは気が気でないのでしょう」
ご隠居様は御曹子にお会いになると、ものすごく不機嫌になって、いつも無理難題をふっかけてくるので、執事さんは大変らしい。なるほど、執事さんは、仲の悪い上役の間に挟まれて神経をすり減らし、さらにサディスティックなフラストレーションのはけ口にされるという、非常に損な役回りを演じているのだ。
わたしがそのメイドと油を売っていると、メイドみたいな一団が廊下の向こうからこちらに歩いてきた。ただし、メイドといっても、純白のシルクのメイド服だ。わたしたちとは明らかに違う。
「ちょっと、カトリーナ、頭が高いわ」
話をしていたメイドが、いきなり、わたしの頭を押さえつけた。わたしは、わけが分からないままに、挨拶の研修みたいに、腰を直角に曲げた。顔を下を向けながら、横目でちらりとそのメイドを見ると、同様に、深々とお辞儀をしている。
「もういいわ」
と、そのメイドが言ったので、わたしは頭を上げた。純白シルクのメイド服は、遠くに歩き去っていた。
「あの、純白シルクのメイドって、何者?」
「あの方々はメイドじゃないの。『後宮候補生』といって……」
「初めて聞く名前だけど……」
「いずれは皇帝陛下のお妃様になれるかもしれない人たちよ。わたしたちには縁がないけど」
「ふーん」
「執事さんなら、よく知ってると思うわ」
何だか要領を得ないが、今度、執事さんがヒマそうな時にきいてみよう。
わたしがそのメイドとさらに油を売っていると、執事さんが大慌てで廊下を駆けてきた。
「御曹子がお着きになりました。お出迎えしなければ。とにかく、急いで来て!」
「行きましょう。お出迎えよ」
そのメイドに促され、わたしたちも玄関に急ぐ。いきなり「急いで」と言われても、通常は、そんなにすぐにできるわけがないのだが。こういうことは、事前に段取りをつけておくものだ。執事さんの事務処理能力はゼロ。これでも執事なんだから、わたしでも、メイドとして勤まっているのだろう。
やがて、けばけばしく飾り立てた馬車が到着した。キンキラキンで派手派手で、わたしなら願い下げの趣味の悪さだが、ともあれ、御曹子がいらっしゃったのだ。ご隠居様相手に、どんな修羅場を見せてくれるのだろう。




