ようやく黒龍の影
その後しばらくの間、後宮候補生としての日々は、思いの外、目立ったトラブルもなく過ぎた。マーガレットの御大は何もしかけてこなかった。勿論、わたしから手を出すことはない。お互いに丁寧に挨拶を交わす程度で、平穏無事に生活を送ることができた。
授業が終わってからは、部屋でのエレンとのお喋りが日課になっていた。彼女は、こっちの世界の歴史に詳しく、正史から裏話やトンデモ学説に至るまで、いろいろなことを知っていた。
彼女によれば、この世界の黎明期は高度な魔法が支配する文明社会だったらしい。どのようにそんな文明が形成されたのかは不明だが、文献によれば、最初から高度な魔法文明ありきだったそうだ。その社会は、政治の腐敗や民心の荒廃を背景として、直接的には魔法の暴走を経て滅亡したという。
大戦争はこの世界の文明社会を根底から破壊し、しばらくの間、どうにも手の打ちようのない擾乱が続いたが、その混乱を収め天下を平定したのが、今の帝国の初代皇帝で、その際には、ご隠居様のご先祖様も歴史に名を残す大活躍をされたそうだ。ご隠居様のご先祖はエルフでありながら、人の子である皇帝の臣下となり、並ぶ者のない弓術の腕前をもって天下統一に貢献したらしい。
一番の圧巻は、ご先祖様と世界最強の黒龍との対決で、ご先祖様が伝説のエルブンボウでもって黒龍の右目を射抜き、家来にしてしまったという逸話が残っている。この話は、ご隠居様の家で口伝として伝えられていて、代々、爵位の継承とともに、エルブンボウと黒龍マスターの地位の継承も行われているという。これにより、家の当主の地位が完全に移転するらしい。ご隠居様は、何か思うところがおありか、エルブンボウと黒龍マスターの地位を、まだ御曹子にお譲りになっていないそうだ。しかし、いくらファンタジーといっても、黒龍を家来にするとは、非現実の世界の中でもさらに非現実的だが……
「黒龍って、本当にいるの? それとも、伝説?」
「ご隠居様が地下道を通って、黒龍に会いに行かれているそうよ」
「地下道を?」
「それに、お城の隣の湖から、黒龍が首をひょっこり出しているところを見た人もいるんだって」
エルブンボウも黒龍マスターも、この家の当主に一子相伝で伝えられているので、本当のことは、ご隠居様しかご存知ないらしい。何だかマンガみたいな話だが、わたしがこのお城に来たばかりのころ、ご隠居様が地下道の汚れを云々されたという話と何か関係があるのだろうか。
エレンと話をしていると、つい時がたつのを忘れ、いつも夜遅くまで話し込んでしまう。好ましくないのは分かっていても、なかなか止められないのは困ったものだ。
「そういえば、明日はいつもよりも早かったはずだけど……」
エレンが思い出したように言った。明日は野外実習があるので、いつもより早起きしなければならないのだ。「しまった」と、顔を見合わせ、あわててベッドにもぐりこむわたしたちだった。




