いやそれは避けられないだろう
転んだ店員に慌てて近寄り腰をかがめて手を差し出す。
僕の不注意なので申し訳ない思いと、割れてしまった食器等の弁償代が頭をよぎる。
それほど高そうな食器では無さそうなのが不幸中の幸いか。
「クソッ、今日はろくなことがねえな」
え?
一瞬聞き逃しそうな小声だったが、何か今ずいぶんと乱暴な言葉じゃなかったか?
「あの、すみません。お怪我はありませんか?」
「あ゛!? あ、はい! 私は大丈夫です! それよりお客さまは大丈夫ですか?」
一瞬すごく怖い顔で睨まれた気がするが、僕の背後に何かを見つけたような表情に変わった後すぐに営業スマイルに変化した。
……既に先程の悪態を思い出せないくらいの見事な営業スマイルだ。あまりの変化に僕の見間違いだったのかとさえ思ってしまう。
「マキナさん、これは一体何事ですか?」
ふと背後から落ち着きのある声がかけられた。声からすると年配の男性だろうか?
しかし声がかけられた瞬間、店員の身体がビクッと震え何かを諦めたような表情に変わる。いったいどういうことだろうか?
もしかしたら声に似合わず、ものすごく怖い人だたりして。
恐る恐る背後から聞こえてくる声の方に振り向くと、そこには一人の初老の男性がこちらを見て立っていた。
店の奥の方から出てきたようなのでこの男性も店員だろうか?
しかしその見た目は店員というよりは執事といった方がしっくりとくるだろう。
その表情は笑顔を浮かべてはいるが、その佇まいからは静かな怒りと威厳を感じる。
「て、店長……、いやこれは、……その」
……店長なのか、どおりで威厳を感じるわけだ。
女性、マキナさんが先程とは打って代わって、青ざめた表情でしどろもどろになっている。
コロコロと面白いくらいに表情が変わるのでもう少し見ていたい気もするが、この件に関しては完全に僕の責任なのでフォローはしなければならないだろう。
「店長でしたか。騒がせてしまい申し訳ありません、僕が突然席を立ってしまったせいで、この彼女が椅子にぶつかって転んでしまいました」
すると店長は軽く首を左右に振ると、笑顔のまま僕の前で頭を垂れた。
「いえ、お客さまが気に病む必要はございません。椅子が目の前に現れたのなら避ければ良いのです。マキナさん、そうですね?」
「……はい、私の不注意でした」
いやいやいや、さすがにそれは難しいんじゃないだろうか?
鍛えた探索者でもあるまいし、さすがに一店員に避けられるものでは無いだろうに。
しかし、困惑する僕を尻目に店長はさも当たり前のようにそのまま話を続けた。
「私どもの不手際でお客さまには要らぬ心配をお掛けしてしまい申し訳ありません。どうぞそのままお気になされずにおくつろぎください」
「いや、しかし……わかりました」
仕方がない、この店長の真意は読めないがここは彼の店だ。ひとまずは従うほかないだろう。
「マキナさん、片付け終わったら裏にさがりなさい。今日の訓練は倍にします」
訓練? 何の訓練だろうか?
椅子を避ける訓練でもするのか?
店長は必要なことは告げたとばかりに、そのまま奥にさがってしまった。
うなだれながら片付けを終え、重い足取りで店の奥にさがるマキナさんの無事を祈る事しか出来なかった。
それから少しだけゆっくりしてから休憩を終え、店を出ることにする。
当たり前だが、さすがにあの後ではあまり休憩する気にはなれない。
さて、とりあえず先ほどの件は置いておいて、プリッシラさんへの贈り物を作らなければいけないので天獄塔の広場を経由して家に帰ることにする。
この大通りでは満足に錬金素材を手に入れることが出来ない。
ここは多少遠回りになるが天獄塔の広場まで行くべきだろう。
近代錬金術復活以降、今のところ公開されている錬金のレシピは少ないので限定的ではあるが、広場で少しずつだが様々な錬金素材が売り買いされるようになってきた。
普段は探索者ギルドに買い取ってもらうのだが、ギルドへ特定の素材を直接持ち込む事で優先して錬金してもらうことができるようだ。
使い道がわからない素材に関しても、これまでと違い値の付き方が変わってきているので、探索者から見て用途の分からない素材も念のため広場で売られていたりする事もあったりする。
天獄塔の広場につくと、相変わらず活気のある風景が広がっていた。
……やはり僕にはこちらの方がしっくりくるようだ。最近は掘り出し物の素材も売られていたりするから、見て回るだけでもワクワクする。
「あ、お兄ちゃん! おはよー」
声のする方を見ると、ブリジットが露店から手を振っている。
「ああ、おはよう」
今日もブリジットは元気一杯だ。
この持ち前の明るさが探索者達からマスコット的に扱われている秘訣なのだろう。
折角だからブリジットの様子も見ていこうか。
露店に寄ってブリジットの頭を軽く撫でる。
「今日も頑張ってるねありがとう」
「へへ、お兄ちゃんの為に頑張るよ!」
ブリジットは少しくすぐったそうに、でも嬉しそうな表情で元気よく答えてくれる。
ブリジットと広場で接すると、周りから殺気をちらほら感じるのはいつものことなので、最近ではそれほど気にならなくなってきた。
「折角立ち寄ったし少し手伝おうか、アリスも良いかな?」
「かしこまりました」
アリスにお願いするやいなや、周りの殺気が消え所々で歓声が上がり始める。
ブリジット同様、アリスも探索者の間で人気があるようで、時折こうやって手伝いをする時には……ほら、みるみるうちに行列ができはじめた。
小一時間ほどアリスと一緒に店を手伝ったのだが今日一日の予定販売数をあっという間に越えてしまったがそれでは終わらなかった。
直前で買えなかった探索者が血の涙を流す勢いで悔しがっていたので、ついそのまま明日売る予定だった物も売り切ってしまったのだ。
予定外に忙しくなってしまったが、ブリジットも手が空いたので食べ歩きがてら三人で錬金素材の物色を堪能することが出来た。
調子に乗ってのんびりしていたので、夜必死になってプリッシラさんに贈る魔道具を作ることになったのはご愛嬌ということで……。
翌日、昼前にプリッシラさんが僕の家を訪ねてきた。
アリスが作る昼食を期待していたようで、見事に僕達の食事の時間とバッティングした。
「やあ、バーナード君、今日は起きているな」
顔を合わせるなり開口一番プリッシラさんがにこやかに皮肉を発した。
「はは、手厳しいですね。先日は起きられなくてすみませんでした」
「ああ、冗談だから気にしなくて構わない。耳元で大きな音を立てても起きないのは驚いたがね。しかし先日食べさせてもらったアリスくんの作るデザートもなかなか他所では堪能できない水準のものだったよ」
先日はそんなことがあったのか、僕はそのデザートととやらは食べていないのだが……。
アリスに視線を向けると、僕にはまだ内緒にしたかったのか少しだけバツの悪い表情を見せた。
まだ隠しておきたかったのだろう。
「申し訳ありません、まだ試作品でしたのでバーナード様にお出しするのは早いかと思いました」
「怒ってないから謝る必要は無いよ。完成を楽しみにしているね」
「かしこまりました」
アリスが恭しく頭を下げる様子をプリッシラさんは楽しそうに眺めている。
「プリッシラさん、どうかされましたか?」
「いや、君たちは仲が良いな。優秀な従者がいる探索者というのも珍しい」
ああ、確かに魔術師ならともかく、独り身が多い探索者の中で従者を従えている探索者と言うのは珍しいといえるだろう。
「僕には出来過ぎた従者ですよ」
「謙遜する必要は無い。君も十分に優秀だと感じているよ」
あまり面と向かって褒められるのもむず痒いな。
「評価していただいて嬉しいです。あ、そういえば昼食はもう摂られましたか? もしよろしければご一緒にいかがですか?」
「いや、まだ食べていないよ。お邪魔でなければいただこうか」
プリッシラさんは、僕の言葉に待ってましたとばかりにかぶせ気味に返事をした。




