いや知らない
プリッシラさんは立会いが許されたことに気を良くしているようだ。
しかし、その自信に満ち溢れた笑顔は、最初から断られることを想定していないのかもしれない。
ひとまずプリッシラさんの事は置いておくとして、幾つか聞いて置かなければいけない。
既に僕ではなくプリッシラさんに視線を集中させている若造に声をかける。
「そういえばまだ名前を伺っていませんが、どちら様でしたか?」
「……私を、知らない、だと?」
若造は目を見開き、まるでありえないものを見たような表情をして、こちらを見たまま固まっている。
もしかして有名な人物だったのだろうか?
視界の隅でマリナさんまでため息をついている。
「この異界都市に住んでいて私のことを知らないとは、これだから探索者は……、いいか私はクローツ教の次期司祭候補である副司祭フィリップ・ハリウェルだ」
「フィリップ副司祭ですね、忘れないように覚えておきます」
「はぁ、驚き一つ無いとは、まったく嘆かわしいことだ」
そう言うとフィリップはあきれた様子を隠すことなく、顔に手をあて首を左右に振り始めた。
いや無理だろ。司祭の名前も知らなかったのに、副司祭の名前など知るわけがないだろうに。正直なところ百年前でも当然無理だし、王都に住んでいた時でも無理だ。
マリナさんもどうして知っていると思ったのだろうか。むしろ知っているほうが不思議なくらいだ。クローツ教に毒され過ぎじゃないか?
まあ、考えてもキリがないので話を進める事にする。
「ちなみに時間と場所はどうしますか? 僕は別に今からでも構いませんが?」
「決闘の許可を得るには、領主様への届け出が必要だ。場所も期日も領主様次第だ。貴様はそんな事も知らないのか。無知にも程があるなあきれてものも言えん」
そもそも決闘が認められてること事態知らなかったわけだから仕方がないだろう。
そんな決まりなど知っているわけが無いので甘んじて受け入れることにする。
そう思いつつ、半ば呆れて見ているとフィリップは何かを勘違いしたのだろうか、急に真顔に戻りこちらを睨み付けてきた。
「心配しなくても、すぐに魔術師の力を思い知らせてやる。それまで首を洗って待っていることだ。ちなみに逃げることは出来んからな」
「……別に逃げるつもりは毛頭ありませんが、その言い方だと何か行動に制限があるということですか?」
「当然だ。マリナ、準備をしろ」
「は、はい!」
マリナさんは完全に油断していたのだろう。突然フィリップに声をかけられて跳びはねるように慌てて行動を始めた。
それにしてもマリナさんは教会関係者に対して、いつも言われるままに行動をしているな。
それだけ立場に違いがあるということなのだろうか。例えその経緯には事情があるにしても少々気分の悪い話だ。
一体何を始めるのかと見ていると、フィリップは懐から小さな袋を取り出すと、そのままマリナさんに向かって無造作に放り投げた。
それを慌てながらもなんとか受け取ったマリナさんは、テーブル上の料理をどけると袋からいくつかの道具を取り出して並べ始めた。
羊皮紙にペンとインク、そして魔石。何か書類を作るのだろうか?
マリナさんは道具を並べ終えると、一歩後ろに下がり、フィリップはその道具の前に座った。
テーブル上の魔石を右手に取り、そのまま握り魔力を流し始める。
すると手の中の魔石が音もなく崩れていき、粉状になった魔石は羊皮紙の上に落ちて山を作った。
そのままフィリップが魔力を込めていると、今度は粉状の魔石が羊皮紙の上に薄く広がり、膜のようにコーティングしていく。
そしてコーティングされた羊皮紙は薄っすらと淡い光を放ち始めた。
フィリップは光り始めた羊皮紙にペンとインクで文字を書き込んでいく。
――恐らく準備が終わったのだろう。フィリップはペンを置き、顔を上げこちらを向くと不敵な笑みを浮かべ口を開いた。
「貴様の名は?」
……この羊皮紙に何かの魔術が掛けられたのは間違いないだろう。
先ほどの口調からすれば、決闘の相手を逃さないための何か、ということになるが……。
そう思い羊皮紙を眺めるとモノクル越しに、《契約の羊皮紙》と表示される。
念のため羊皮紙に書かれている内容を読むと、先ほどの決闘に関する条件などが書かれている事がわかった。
一通り読んでみたが、特に危ない条件などは付けられていないようだが、さてどうしたものか?
「どうした怖気づいたか? 今更後悔してももう遅いぞ」
「あ、いや見慣れないものなのでね。僕はバーナード・エインズワースだ」
あまり侮られるのも気に入らないので、フィリップを見据え自分の名前を宣言する。
すると次の瞬間、身体から微量の魔力が吸い上げられる感触を覚えると、目の前の羊皮紙の光が少しだけ強くなった。
「これで決闘の申請書類が完成した。これでもう逃げられんぞ」
「……だから逃げるつもりはありませんから」
それにしてもこの手法なら契約書に別の内容を書いてもまかり通ってしまうのではないだろうか?
逆に書類を作成する魔術師は自分が作る以上、虚偽の内容で騙される心配もない。
随分と魔術師に有利な内容だ。
「貴様のもとに近いうちに通達が届くだろう。それまで最期の時を満喫していると良い」
そう言い放つと若造は羊皮紙を丸めると、意気揚々と店を出て行った。
……マリナさんは連れて行かないのか?
そう思いマリナさんを見ると、フィリップがいなくなったことで、盛大に安堵の溜息をしているところだった。
プリッシラさんも満足したのだろう、さっさと演奏の準備に戻ってしまった。
少し経って一息つけたのだろう、マリナさんは僕の前に立ち、申し訳無さそうに頭を下げてきた。
「バーナード君、ごめんなさい」
「マリナさんが謝るようなことじゃないよ」
特に謝るほどのことでもないとは思うが、よほど気にしてしまったのだろう。今にも泣きそうな顔をしている。
「でも、どうしてあんなに簡単に受けちゃったのよ!?」
「あんな若造に錬金術を馬鹿にされたのが気に入らなかくて、つい……ね」
僕の言葉を聞いて先程まで泣きそうだった顔が一転、呆れた顔に変化した。
「若造って、フィリップ様よりも貴方のほうがよほど若造じゃないの」
「アー、ソウデスネ」
いい加減に答えたのが伝わったのか、マリナさんは少し怒っているようだ。
余り怒らせると後が怖いので話を逸らすことにした。
「そういえば、あのフィリップって人は副司祭であり魔術師でもある、ということなんですか?」
「教会関係者の中にも魔術師はたくさんいるのよ。魔術師とは言っても錬金術に対しては寛容な人たちばかりなんだけどね」
そういえば魔術師なのに錬金術も研究した、みたいな事を言ってはいたが。
「その割に錬金術への理解は浅そうでしたね」
「近代錬金術に関しては情報が全く無かったのだから仕方がないとは思うわ。今も探索者ギルド内では情報公開や研修が進んでいるけど、教会からは何も行動を起こしていないから」
領主側の方が立場が上であることを考えると、シェリルさんとしても教会側から何かしらのアクションが起きるまでは対応しないつもりなのかもしれない。
シェリルさんはシェリルさんで忙しいみたいだから仕方がないことではあるか。
「決闘をする以上は手加減をするつもりは無いけど、やり過ぎてしまわないかが心配だなぁ」
「バーナード君、フィリップ様は魔術師としても一流のお方よ。余り油断していると命はないわよ」
マリナさんは僕の様子を見て、少し怒りながら警告をしてくれた。
油断をしているわけでは無いつもりだが、魔術師と相対するのは初めてというわけではないので、いつもと変わりないだけだ。
……ただマリナさんの口ぶりでは、やはり命のやり取りは発生してしまうのだろうか?
僕としては今日会ったばかりの若造に腹を立てたからといって、命までは奪うつもりは無いのだが……。
当日は忘れずにポーション類を多めに用意しておく事にしよう。
そう思っていたら、後ろから袖口を引っ張られたので振り向くとブリジットがニコニコしながらこちらを見ていた。
「お兄ちゃん、終わったならテーブルに戻って食べよ?」
……先の決闘よりも目の前に強敵が控えていた事を忘れていたよ。




