百年後の世界
「ここは……どこだ?」
外に転移した僕の目の前に広がるのはのどかな農村――ではなく街中、それも広場のような場所のど真ん中だった。
足元は石畳で舗装され、多くの人で賑わっていたが皆一様に多くの荷物を背負っており、街中にもかかわらず武装している。
王都までは転移陣で移動できる為、研究塔は錬金素材を集めやすい場所を探し結果的に王都から離れた農村に建設したのだ。当然の事だがつい先日、外出した時は確かに農村だった。
もしかしてポータルの故障で知らないところに繋がってしまったか?
そう思いモノクルで現在位置を確認したが、塔の場所が変わった訳ではなかった。どう言うことだ?
困惑しながら辺りを見渡していると、一人の女性がこちらに走り寄ってきた。年齢は十代後半くらいに見える。赤いショートカットに割りと整った顔立ちで、王都の人混みで見かけたとしても印象に残るだろう。
この女性も周りと同様に帯剣しており、鎧は白銀のライトプレートでまとめている。背中に背負っている大きめのバックパックが体格にしては不釣り合いに見えるが……。
アイテムポーチは持ってないのだろうか?そういえば周りの人達もアイテムポーチを持って無さそうだ。その辺は田舎のままだろうか?
なんだかわからないが、まずは少しでも情報を集めて状況を整理しないといけない。
「少し聞きたいことが――」
「あ、貴方、今そこの塔からひとりで出てこなかった?」
質問に質問を被さないで欲しい……まあ、良いか。自分の家から出てきただけなのだが、周りの変化からすると、そのまま答えるとすごくマズイような気もする。
「ええ、一人ですけど。ここは相変わらず凄く賑わってますね」
初めてだけどね。
「それは、この天獄塔はここ異界都市アミルトの象徴だから当たり前じゃない。あ、わたしはマリナっていうのよろしくね。それにしてもよく無事だったね」
知らない名前ばかりでさっぱりだ。まあ、言葉が通じただけでもよしとするか。でも……。
「僕はバーナード。ところで無事? ってどういうことですか?」
「言い方が悪かったかしら? ソロでしかもそんな装備で、よく異界から生きて帰ってこれたわね」
もしかして魔術師様なのかなと、マリナの眼差しが少し期待しているように変わった気がした。
魔術師に様付けなんて久しぶりに聞くな。
「ハハハ、う、運が良かっただけだから……魔術師じゃないよ。ところで天獄塔っていうのは?」
「え、知らないで挑んでるの? この天獄塔は昔バーナードっていう悪い錬金術師が建てたらしいんだけど、って貴方、同じ名前なのね。今から百年くらい前に異界化したのよ」
「ちょ、ちょっと待って、百年前!?」
思わずマリナの両肩を掴み、大きな声を上げてしまった。
「い、痛いってば……それに近いんだから、そんなに大きな声出さなくても聞こえてるわよ」
「あ、す、すみません……」
まさか、あれから百年以上経ったということか?クローツが去り際に言ってたのはこの事か?気になることが多すぎる、今は少しでも情報を集めなければ……。
「で、その悪い錬金術師がなにか怪しい研究してたらしいから、その影響じゃないかって言われてる。けど、異界化してからその錬金術師を見た人はいないから、本当のところはわからないんだけどね。百年前の錬金狩りの時も見つからなかったらしいから」
また知らない言葉が増えたぞ。
「錬金狩り?」
「……はぁ、まさか錬金狩りも知らないの? どこの田舎出身なのよ」
いや、王都出身だけど……。
「すみません、あまり詳しくなくて……」
「まあ、いいわ。錬金狩りっていうのは、百年前に錬金術師セオドールが起こした大量殺戮を発端に始まった、五十年弱にも渡る長い政策のことよ。これによって多くの錬金術師が処刑されたの。錬金狩りが終わってから五十年くらい経つけど、錬金術師の話をまったく聞かないから、もう錬金術師は一人も残っていないのかもしれないわね。ってこれだけ説明させておいて……ちゃんと聞いてるの?」
「セオドールが……大量殺戮?」
「な、なんか凄く顔色が悪いけど、宿に行って休んだほうが良いんじゃない? 私はこれから天獄塔に――」
――あまりに衝撃的な話に頭が追い付かず、気が付いた時には、僕は広場の端に座り込み塔を眺めていた。すでにマリナの姿はどこにもない。
無意識に移動していたらしい。頭の再起動に時間がかかったようだ。とはいえ、現在進行形で大混乱中なことには変わりないが……。
先ほどから何組もの武装した集団が塔の扉を出入りしている。時折ポータルから疲弊はしているものの、何か達成感を得たような様子で出てくる集団もいる。
皆、当たり前の様に塔に出入りしてる。僕の家なんだけどなあ……。先ほどマリナが言っていた異界化が関係してるんだろう。
それにしても百年か……、セオドールの事もそうだが、とてもじゃないが素直には信じられない事ばかりだ。でも……夢ではない……ということか、ってあれ? 僕はどうやって家に帰れば良いんだ?
これだけ多くの人が塔を出入りしている、にもかかわらず僕が起きるまでの百年間、研究室に人が出入りした痕跡は一切見受けられなかった。つまり容易に帰れる状況には無いことを意味する。
帰れないだけではない。ポータルから人が出てきているということは、どこかの階の外出用のポータルが使われてると言うことだ。であれば、いずれ誰かが、研究室にたどり着く可能性も十分考えられる。
研究室には貴重な錬金素材や魔道具が多数保管されているし、最上階にはセントラルもある。と、盗られる訳にはいかないぞ。
調度品や寝室の枕や布団だって、僕の技術の粋を込めた魔道具だ。あれがなければ、睡眠の質は非常に悪くなる……。
セオドールの事は気になるが、すでに百年も前に終わってしまっている事だ、今さら急いだところで、何かが変えられるわけでは無い。まずは資産の回収を最優先にするべきだろう。
ひとまずの方向性は決めたので、立ち上がって塔を見上げる。目の前には天に届かんばかりの塔がそびえ立っている。これが天獄塔……僕の家だ。
普段はポータルで上層階に上がるため、冗談みたいな高さに作ってしまったわけだが、幸か不幸か容易に研究室には到達されるということはないだろう。まずは取っ掛かりとして塔の入口に向かうことにする。
扉の前に着くと一つ深呼吸をし、扉を開け中を見渡す。
一階は大きなホールになっており、上階に上がる為のポータルの横には警備らしき兵が数人待機していた。入り口付近にはカウンターが設けられており、カウンターには女性が座っていた。とりあえず、知らない振りをして通り過ぎよう。
受付を素通りしポータルに向かおうとすると、やはり呼び止められた。
「あっ、お待ち下さい! 受付をお願いします」
「受付?」
「はい、こちらの受付で探索者証の提示をお願いします」
首をかしげていると、女性はカウンターを指差しながら、極めて事務的に探索者証の提示を要求した。
「え、探索者証なんて持っていませんけど」
当然の事ながら、僕は探索者証などという物は持ち合わせていない。
「塔の中は大変危険ですので、探索者証をお持ちで無い方は、これより先に入ることは許可されておりません。まずは探索者証を取得して頂く必要があります」
「危険でも構わないので、中に入ったらダメですか?」
「許可なく入られた場合は、国家反逆罪で処罰されますが宜しいですか?」
……よろしくないです。マジかよ。
どうも、塔に入るためには探索者証なるものが必要らしい。反逆罪という事は、現在この塔は王国の管理下にあるということになる。
この塔は自分の物だ、と主張したところで、とても信じてはもらえないだろうし、それこそ偽称や王国への反逆行為で処罰されかねない。参ったな。
しかたがない、まずは従うしか無いか。
「その探索者証というのはどこで発行して頂けますか?」
「探索者証は塔の探索者ギルドで管理されています。広場へ入る際に、通られた建物が探索者ギルドになり、その二階が探索者証の発行業務を行っておりますので、そちらで取得をお願いします」
もちろん、そんな建物通ってないけどな。
これ以上怪しまれても、ろくなことにはならなさそうなので、適当に相づちを打ち、礼を言うと、管理事務所に向かう事にした。
塔から出て改めて見渡すと、受付で言われた建物はすぐに目についた。
先ほどまでは塔にばかり目がいっていたので気が付かなかったが、広場にいる探索者達は探索者ギルドのある建物から入ってきていた。
管理事務所に入り、探索者証発行の受付に向かったが、すぐに探索者証の発行を受けることは難しそうだ。受付に行列ができてる。凄い人気だな僕の塔は。
仕方ないので大人しく並ぶことにした。それにしても、人間だけではなく亜人や獣人も探索者になるのか……。
そういえば、広場にも色んな種族の探索者がいたな。と思っていると、列の半ば辺りで大きな怒声が響いた。
「いったい、いつまで待たせるつもりだ!」
声につられて視線を向けると、大きな体をした獣人が列を押し退け、受付に詰め寄っていた。
受付の女性と比べるとまるで大人と子供みたいだ、獣人は体格も良く、腕の筋肉もはち切れんばかり、その顔は黄色に黒い縞模様で獰猛そうな顔つきをしている、見た感じ虎人だろう。
獣人は人間に比べ短気で好戦的な者が多い。彼も多分に漏れず短気なようだ。
「この程度の決まりを守れないような脳筋では、探索者は務まりませんので、どうぞお帰り下さい」
受付の女性は獣人に詰め寄られたにもかかわらず、極めて冷静に煽りながら返答を返している。煽るなよ……。
「ふ、ふざけやがって! ぶっ殺してやる!」
大丈夫か?あれに襲われたら、怪我くらいでは済まないぞ。さすがに助けた方が良いか?
受付に殴りかかる虎人を見て動こうとすると、受付の女性はこっちに目を向け手で制した。僕の動きに気づいた?たまたまか?
直後、魔力の高まりを感じ……
バンッ!
破裂音と共に虎人の体から真紅の炎が爆ぜ、そのまま後ろに倒れた。
……魔術師だったのか。しかも詠唱していたようには見えなかった……、なぜこの人は受付なんかやってるんだ?
受付の女性はそのまま虎人を壁際にどけると、何事もなかったかのように受付を再開した。
その後は割りと順調に列が流れていく、さすがにあれを見た後で文句をつける者はいないようだ。
小一時間待ち続けていると、ようやく僕の順番が来た。
「次の方どうぞ」
「先ほどの魔術は無詠唱ですか?凄いですね」
「あれくらいならば、大したことはありませんよ。正確には無詠唱ではなく詠唱隠蔽です。魔術学院では基礎教育に含まれているものですが、ご存知ありませんか?」
なんと!百年の間に魔術は進歩していたようだ。詠唱は使用する魔術が相手に分かってしまうという、対人戦闘において致命的な弱点だった。
以前にはそのような技術は存在しなかったが、今では基礎教育レベルでも出来るらしい。
「そうですか、魔術には詳しくないもので驚きました」
「え、その身なりで魔術師ではない? 見たところ魔力も高めですし、素養は十分にありそうですが……ああ、失礼しました。このような詮索は不躾でしたね」
「いえ構いませんよ。あ、探索者証の発行をお願いしたいのですが」
「新規登録ですね、かしこまりました。それではこちらの書類に名前を記入してから、こちらの台に手を置いてください」
受付には、石のような物の上に手形が描かれた台が置かれていた。書類に名前を書いて、台に手を乗せる。
書類に目を通した受付の女性が、ちょっと残念な人を見るような目をしているけど、気のせいか?
受付の女性が台に黒いカードを挿し、魔力を流し始めると魔力が少し吸われた感覚があり台がうっすらと光り始め、光が収まるとカードが排出された。
排出されたカードにはこのように書かれていた。
名前 :バーナード・エインズワース
ランク:0
「驚いた、本当にこの名前なんですね。これまでエインズワースを名乗る方は数多くいましたが、全て偽物でした。この台は名前の確認をするためのものなんですが、偽物が後を絶たないのですよ。あ、でも天獄塔は自分のものだ! とか言わないで下さいね。即座に偽称の罪で捕縛されますから」
ああ、それで残念な人を見るような目をしていたわけか。街が作られるくらいだから、塔が産み出す利益は相当な物なのだろう。錬金狩りが行われていない現在であれば、子孫を名乗って主張する輩がいてもおかしくはない。
「そうですか。ちなみに、この探索者証があれば塔に入れるんですよね?」
「入れませんよ?」
「そうですか、良か……って、え? 先ほど塔の受付で、探索者証が無いと入れないって……」
「はい、探索者証は必要です。ただし、探索者ランクが1になるまでは、塔に入ることは出来ません」
何だそれは?あ、この探索者証のランクがそうか。これ、どうしたら上がるんだろうか?
「このランクがそうですか? どうやったら上がるんですか?」
「はい、それが探索者ランクです。探索者ランクを0から1に上げるためには、トライアルを突破して頂く必要があります。ご存知のように塔の中は非常に危険ですから、相応の力が無い方を弾くためにこのような形を取っています」
異界化した塔の中が、どれ程の危険を孕んでいるかはわからないけど、確かに最低限の力が無ければ自殺しに行くような物だろう。当然といえば当然か……。
そういえば広場にいた輩も、それなりの実力があるようだった。
「それでは、そのトライアルという物に挑戦してみたいのですが、どうすれば良いですかね?」
「トライアルは二週に一度、管理事務所主催で行われます。前回のトライアルは先週行われましたので、次回は来週になります」
「え! すぐに挑戦出来ないんですか?」
「トライアルとはいっても危険ですからね。新規探索者がパーティーを組みやすいように、ある程度の人数が集まるように期間を置いて行ってるんですよ」
む、むう。仕方がない、今日のところは出直すしかなさそうだ。
まずは宿を探さないといけないな。塔に入っても、すぐに家に帰れるわけでは無いだろうし、活動拠点は必要だろう。
「すみません、塔とは関係ないのですが、どこか宿を知りませんか?」
「こちらは宿の斡旋所ではありませんので、紹介はできかねます」
……ですよね、とりあえず街に出て聞いてみるか……はぁ……。
「おい、早くどきやがれ」
おっと、時間を掛けすぎてしまったらしい。後ろがしびれを切らしてしまったようだ。すみませんと声をかけ、受付を離れる事にした。
管理事務所から出て、街を彷徨いてみたが、当然ながら農村の面影はなく、記憶にある王都と比べても遜色ないくらいに栄えていた。ただ、街のどこを見ても近代魔道具が使われている様子はない。
やはり錬金狩りの影響だろうか?量産品の近代魔道具には、基本的に自己修復がついていない。長く使用するためには、どうしても錬金術師のメンテナンスが必要となる。しかし錬金狩りで錬金術師そのものが絶えてしまった。
――気がつけば、僕は涙を流していた。
セオドール達との、あの研鑽の日々は一体何だったのだろうか。
僕達の錬金術は世界を変え、皆の生活に確かに潤いをもたらした。それは間違いない事実だ。しかし百年後の今、その痕跡はまともに残っていない。
そもそも錬金狩りとは何だ?たとえ仮にセオドールが、大量殺人を起こしてしまったとしても、それだけで全ての錬金術師を皆殺しにするなど、正気の沙汰とは到底思えない。
錬金術師を絶えさせるということは、世の中から有用な魔道具が消えるということだ。どう考えてもデメリットしか存在しない。
……いや待てよ、魔術師なら。錬金術師が居なくなることで、唯一魔術師だけが得をする。近代錬金術の魔道具さえなくなれば、再び魔術師が重宝される時代に戻らざるを得ない。
魔術師は近代錬金術による魔道具が量産されるまで、長い歴史の中で常に重宝されてきた。その信頼性は疑いようはない。
あの時、確かにマリナは魔術師《様》と言った。ということはつまり、再び魔術師の立場は復権していると見て間違いは無いだろう。
もしかしたら、セオドールが起こしたという大量殺人も、錬金術排斥派の魔術師の謀略なのかも知れない。少なくとも僕の知るセオドールは大量殺人を起こすような狂人ではない。
……ダメだな、今となっては確かめようもない。今の状況を受け入れるほかないだろう。
その後、時間をかけつつなんとか宿を見つけたものの、無事部屋を取るまでにまたもやトラブルが発生した。
手持ちに宿代が無かったのだ。いや、正確にはお金は持っているのだが、この百年で通貨が変わっていたらしい。
幸いアミルトには骨董屋があったので、古い通貨を売ることで、当面の宿代を手に入れることができた。ただ僕の様子を見て足元を見られてしまったのか随分買い叩かれてしまった……。
とはいえ、このままでは二ヶ月も持たないだろう。家に戻らなければお金を補充出来ないので、早いところ何かお金を稼ぐ方法を確立しないといけないな。
宿で夕食を食べた後、部屋のベッドで仰向けに寝転びあれこれ考えるがこれといってよい考えが浮かばない。
最初は近代魔道具を作って売ろうかと思ったが、突然近代魔道具が持ち込まれれば、魔術師に命を狙われる危険性もある。
少なくともある程度の基盤が出来上がるまでは近代魔道具は公にしないほうがいいだろう。
そうなると、トライアルや塔にはパーティーを組まずに一人で挑戦しなければならない。
魔道具はなるべくわかりにくい物を使うべきだな。状況次第では目立つものも使わざるを得ない事態も想定はしておくべきだろう。
幸い現在の魔術師は、詠唱隠蔽が可能であることがわかっている。魔術と勘違いしてくれる可能性に期待しよう。
塔にある資産も、当然山分けなど無理な話だ。どこの誰にも渡すつもりはない。そう考えれば、元々誰かと組むことはあり得ない話か……。
少し考えていたが、今日一日色々な事が起こりすぎて疲れていた事もあり、眠気に誘われすぐに寝てしまった。
――翌日の目覚めはひどいものだった。枕や布団が変わることでここまでひどくなるとは……。
気だるい身体をなんとか動かし座ることはできたが、頭と身体が十分に起動するまで一時間近くかかってしまった。
トライアルまでには期間が空いてしまったため、今日の所は特に用事があるわけではないが、これからのことを考えれば早く慣れないといけないな。
少し遅かったのもあり、朝食を頼んだら結構嫌そうな顔をされてしまった。宿側からすれば朝から仕事は多いので嫌そうにするのも仕方がないか……。
嫌々ながらも食事が出てくるあたり良心的な方だろう。宿によっては食事抜きになることも珍しくはない。量も味も十分に満足できる。
さてと、トライアルまで何をしますかね……。
会話で説明させるのって難しいですね。
マリナは後でまた登場する予定です。