何か良い手はないか
可能な限り迅速に帰還したいところだが、今回はインスタントポータルの使用は出来ない。
昨日は初めからトラブル続きだった事もあり、インスタントポータルのマーキングができなかったのだ。
ただ、同じ理由で満足に探索を行えなかったので、入り口のポータルからはそれほど離れてはいなかったのは幸いだったと言えるだろう。
しばらく走り、ようやく入り口のポータルが見えてきた。
一番の懸念事項だった白虎とは遭遇すること無かったが、それでも途中で二回ほど魔物との遭遇は避けられなかった。マリナさんが機転を利かせて光盾を凸型に展開してくれた事で、魔物を押しのけて強行突破を行う事が出来たが、それがなければ足止めされていたかもしれない。
「やっと見えてきた。アリス、もう少し我慢してね」
「……は、い」
耳に届く息づかいはとても弱々しい。恐らく先程よりも更に症状が悪化してしまったのだろう。ポータルさえ抜ければ環境が変わる。これ以上の悪化は起こり得ないとは思う。
……だからと言って安心は出来ない、か。
外に出たからといって、即座に回復するわけではないのだ。悪化はしないかもしれないが、現時点でもかなり重篤に見える。安心出来るとすれば完全な治療が出来てからなのだが、それには魔核汚染に関する情報が少なすぎる。
僕達が慌ててポータルから出てきた事で、少しの間だが一階は騒然とした。しかし、この天獄塔の異界では傷ついた探索者が帰還する事は日常茶飯事な光景でもあるので、事態はすぐに収束を見せた。
どちらかと言えば、事務所を通り抜けた際にシェリルさんに見つかってしまった事で発生した事態の方が、周りの興味を引いたようだ。
以前よりも出没頻度は下がったものの、未だにシェリルさんは探索者ギルド職員の業務を辞めては居ない。何でも息抜きと有望な人材発掘を兼ねているとの事だ。……だったらもう少し楽しそうに受付をすれば良いのに。
ただ、たまに出没しては退屈そうに仕事をしているシェリルさんは、探索者達にとって七不思議の一つになりつつある。
そんな不思議キャラがいち探索者の事を心配し過剰に慌てる姿はなかなか見れるものではない。
急いでいた事もあり、特に説明すること無く走り去ったのだが、あの後シェリルさんが対応していた探索者は八つ当たりを受けていないだろうか? 無事だっただろうか? まあ、あとで押しかけてくるのは間違いないだろうから、その際にでも聞けば良いか。
日も沈みかけ、暗くなってきた研究室に自動的に照明が灯る。普段は静かな研究室の片隅に、大きな魔道具が発する低音だけが響く。
もう聞き慣れた音ではあるが、これだけ長時間動かしっぱなしなのは初めてかもしれない。
特殊な溶液が満たされた円筒状の巨大水槽。周囲には幾つもの管が接続されており、各種機能をになっている器具へとつながっている。
その役目は、自然治癒出来ないホムンクルスが回復に使用する為だ。初期型から何度も改良を重ねたことで運用コストを下げつつも、回復量は格段に向上することが出来たという自信作でもある。
そんな水槽の中には銀髪の女性が一人入っている。特殊な溶液に身を委ねるように脱力して目を瞑っている。一時見せていた苦悶の表情は一切見られない。
「……アリス、調子はどう?」
「はい、おかげさまで身体にはどこにも異常は見受けられません」
アリスが僕の問いかけに薄っすらと目を開けて、柔らかい微笑みを浮かべながら言葉を返す。
……身体には、ね。
外傷は全く無い。セントラルの診断結果によれば、体内にも悪い所は無いようだ。……そう、魔核以外は。
アリスの魔核内で増加していた魔力量に関しては、異界から帰還した時点から減少を始め、現在では通常時となんら変わりはない。ただ、今も毒素が増えたままの状態が維持されている。
魔核内の毒素は微増しているようで外に漏れる。その漏れ出た毒素によって、アリスの身体は蝕まれてしまったという事なのだろう。
この水槽内に居る分には問題ないが、外に出てしまえば、体調はたちまち悪化してしまう。
「早めに何とかするから、退屈だろうけどもう少しだけ我慢してね」
「……はい、申し訳ありません」
「謝る必要はないよ。あれは僕としても予想外だった」
第三十五層においてアリスを襲った不幸。やはり、人体にはまったく影響が無いようだった。恐らくだが、この症状が出るのは体内に魔核を保有しているホムンクルスのみなのだろう。
それは誰にも予測はできなかったと思っている。だから、アリスに非はない。
もちろん、この症状を緩和する方法も無いわけではない。その方法はとても身近な所に記されていた。それはセオドールが残した研究資料である。
セオドールはホムンクルスの研究を始めてから早い段階で、アリスの症状と似たような問題に直面していたようだ。
モノクル越しに見えるメニューを操作して、当該の研究資料を開く。
――魔核透析。
魔核が汚染されてしまった場合、外部から直接浄化する事は出来ない。それでは魔核内の汚染を取り除くことは出来ないのか? 答えは否だ。
資料によると、とある魔道具を利用して魔核から毒素に侵された魔力を抽出して外に出し、その汚染された魔力を浄化、返還することで魔核内を浄化することが出来るらしい。
しかし、魔核透析は何度も行わなければならないので時間が掛かる。可能な限り早めに取り掛からなければならないだろう。
では早速、錬成しよう――と言いたいのはやまやまなのだが、さしあたって魔核透析に使用する魔道具を錬成するための素材が足りない。
大体の素材は市場で揃うと思うし、足りなければ直接異界に乗り込んで調達すれば良い。だが、これまでの異界探索では見かけなかった素材もあったりする。最悪、シェリルさんに頼み込んで調達することも視野に入れておく必要があるだろう。
てっきりシェリルさんが乗り込んでくるかとも思ったが、あちらはあちらで忙しかったようで未だに連絡一つ無い。
魔核汚染や魔核透析に関する情報の整理をしていたら、あっという間に朝を迎えてしまった。
魔核透析でも全快はするが、時間が掛かってしまう。なるべく早くアリスを全快させてあげたいので、何か良い手はないかと模索していたのだ。
気は逸るが、だからと言って研究だけをしていてもいけない。気持ちよさそうに眠るアリスを起してしまわないように、静かに研究室を後にする。
「アリスちゃん大丈夫かな」
「ブリジットか、おはよう」
「うん、お兄ちゃんおはよう」
部屋を出るとブリジットと鉢合わせた。ブリジットとしても心配なのだろう。前向き志向のブリジットから見ても、帰還したばかりのアリスの様子は驚くものだったようだ。
ちょうど良いので、息抜きも兼ねて朝食の準備を行う事にする。
ブリジットを仕事に送り出した後、一息つくために休憩しているとジークとエリーシャがアリスの御見舞にやってきた。
そう言えば、見舞いに来るようなことは言っていたのを思い出す。……でもこんなに朝早く来るとは思っていなかった。
「すまねえな、エリーシャが居てもたっても居られなくてよ」
「その言葉はそっくり返すわ」
よくわからないやり取りをしているが、二人共心配はしてくれたようだ。
そんな二人を案内して研究室へと向かう。
「寝てるかも知れないから、ひとまず静かにね」
「わかってる」
二人が頷いたのを確認してから、静かにドアを開く。次の瞬間――。
「ジーク、見ちゃダメ!」
「は? ぐへ」
ドアの隙間から中の様子を見たエリーシャが、慌ててジークを蹴り飛ばした。
……そっか、そういえば水槽の中のアリスは服を着ていなかったよ。僕も感覚が麻痺しているようだ。




