魔核汚染
想定外のトラブルで再び戦略的撤退を余儀なくされたが、何とか白虎に遭遇する事は無かったので満足しておくべきかもしれない。
とはいえ、続けざまにこれだけ走ることになったことで、肉体だけではなく精神的にも大幅に疲労してしまった。
そんな訳で、まだ日が沈むまでには時間があるが、今日の探索を終えることにして野営の準備に取り掛かる事にしたわけだが……。
「これで最後だな。やっと終わったぜ!」
「ジーク、お疲れ様。これでも飲んで休憩して」
「お、ありがとよ」
野営の準備を終えたジークに、ねぎらいの言葉を掛けつつ疲労回復用のポーションを手渡す。額に汗をにじませたジークはそれを一気に飲み干して笑みを浮かべた。
「かー、キンキンに冷えてて美味えな!」
「何も一人で準備しなくても良かったのに」
「さっきは迷惑かけちまったからな。これくらいはどうって事はねえよ。ははは」
「あれは、皆に注意するように呼びかけなかった僕も悪かったよ」
「いや、俺以外は皆言われなくても理解してたからな。バーナードのせいじゃねえよ」
この第三十五層において、魔鉄の近くにいれば気にならないが、魔鉄から漏れている魔力が及ばない所には、毒が充満していることが予想される。
そして、白虎はその毒の乱れを察知しているのか、侵入した輩の元へと正確にたどり着いていた。これは想像だが攻撃の余波でも察知できるという事なのだろう。
つまり第三十五層の探索において、派手な攻撃手段は極力控える必要があるだろうし、普段よりも気にしなければならない事が増えてくるだろう。実に面倒だ。
ただトラブルのおかげと言ってはなんだが、ジークが野営の準備を強引に始めた事は良かった。走りすぎたからなのか、精神的なものなのかはわからないが、アリスがかなり疲労しているようだったのだが、ジークが押し切らなければいつものように一仕事していたかも知れない。
アリスの方を見ると、申し訳無さそうな顔をして座っていた。
「……申し訳ありません」
「謝らなくて良いから。今日はゆっくり休んで、また明日からの探索に備えなきゃね」
「はい」
とは言ったものの、実際のところアリスだけではなく、皆の表情にも疲労が感じられるのは確かだ。ひとまず強めの疲労回復ポーションを盛っておく事にしようと思う。
朝になり、テントから顔を出すと眩しい太陽が見える。一つ背伸びをしてから身体を捻りながら周りを見渡す。
「今日こそは、しっかりと探索を進めたいところだなあ」
そう独り言を漏らしながら、モノクル越しに表示されている地図情報に目を通す。
昨日は早めに探索を打ち切ったが、近代魔道具はしっかりと仕事をこなしてくれたようだ。既に未踏地形探索魔道具による地図作成は十分なレベルで完了している。
「ふぁ、おはよ」
「おはようございます、マリナさん」
後ろからの声につられて、地図から目を離して横にずらす。眠たそうな顔をしてマリナさんがテントから顔を出していた。
すると、マリナさんは一旦周りを見渡した後、不思議そうな表情で首を傾げる。
「どうしました?」
「え、ああ、珍しくアリスちゃんが朝食の準備をしてないなあって思って」
指摘を受けて僕も周囲を見渡すと、確かにアリスの姿はどこにも見つけられなかった。恐らくまだテントで寝ているのだろう。
普段であれば、早い時間に目を覚まして朝食の準備を終わらせている時間帯だが、昨日は随分疲れていた。アリスには特製の疲労回復ポーションを盛っておいたので、起きた頃にはすっかり元気になっている事だろう。
「ああ、まあ昨日は疲れてたみたいですからね。もう少し寝かせてあげても良いですか?」
「もちろん構わないわよ。ふふ、アリスちゃんよりも早く起きるの初めてかも」
そう言ってマリナさんが嬉しそうにしている。それだけアリスがいつも頑張ってくれているという事に申し訳なく思う。とは言っても、単純に仕事を取ってしまうとアリスは落ち込んでしまうので、僕に出来ることは少ない。
皆が朝食を取り終えた後、そろそろ起こしても良いかもしれないという話になった。確かにあまり長く寝ていると、アリスが失態と感じて落ち込んでしまうかもしれない。
腰を上げてアリスのテントへと近づく。
「アリス、そろそろ起きて」
声を掛けてみるが、まだ寝入っているのかアリスからの返事は無かった。申し訳ないとは思いつつもテントの入り口から中を覗くと、予想通りアリスは寝ていた。
――しかし、その表情は予想とは異なり非常に苦しそうだった。
「アリス!?」
慌ててテントの中に入り、アリスの様子を確認する。……やはりとても苦しそうに見える。
「セントラル、アリスの体調がおかしい。詳細にスキャンして」
『かしこまりました。スキャンを開始します――スキャン中です――スキャン中です』
セントラルのスキャン中も待ちきれずに、アリスの額に手を当てる。……すごい汗だ。顔には大粒の汗が現れている。いや、服も汗で濡れている。何かの病気だろうか?
「急に大きな声を出して、アリスちゃんに何かあったの?」
「マリナさん、アリスの様子がおかしい。ひとまずテントからは離れて下さい」
「え、アリスちゃん大丈夫なの!?」
僕の様子に異常を感じたようで、マリナさんだけはなく皆が慌てて駆け寄ってきたが、テントに近寄りすぎないように注意喚起をする。
心配してくれるのは嬉しいが、もしアリスが何かの病魔に侵されてしまっていた場合、二次感染が発生する可能性がある。それは避けるべきだ。
僕は長年かけて装備を充実させているので十分な耐性が確保できている。皆の装備も少しずつ改善はしているが、まだ十分とは言えない。
皆が集まってしまうと、感染のリスクは大幅に高まってしまう。皆には悪いが、最低限診断が終わるまでは自粛してもらおう。
そうやって考えを巡らせていると、セントラルから解析完了の応答があった。モノクル越しに表示された症状、それは――。
「……魔核汚染。知らない症状だけど、それが解析結果ならまず間違いはない、か」
セントラルには膨大な情報が蓄積されており、その全容は既に僕にもわからない。その膨大な情報から導き出された結果であれば、間違えているという可能性は非常に低い。
急いで表示されている情報に目を通すと、幾つかの数値が特出して伸びていた。
「魔力と毒性値、か」
普通に考えれば、魔鉄から漏れている魔力と中和されているはずの毒素が影響しているのだろう。であれば、僕達にも何らかの影響があるのかもしれない。
念のために自分のスキャンも行ってみるが、特に数値の伸びは見受けられなかった。テント越しに外にいる皆を解析した結果からも兆候は見受けられない。
「……ホムンクルスだから? 何にしてもこのままここに居てはいけないな」
魔鉄から漏れる魔力が影響しているのなら、ここに居続けると悪化の一途を辿る事になる。
苦しそうな声を漏らすアリスをおんぶしてテントを出ると、皆が心配そうに待っていた。
「すみません。アリスの体調が芳しくないので、一旦街に戻りましょう」
「そうね、わかったわ。皆で手分けして撤収しましょう」
エリーシャが考える素振りも見せずに返事をして片付けを始めると、他の皆も手早く動き始めた。
僕も手伝おうとしたが、アリスをおんぶしているので皆に止められてしまった。皆を待っている間、最短距離でポータルに戻れるようにモノクル越しに見える地図を確認することにする。
「アリス、少しだけ我慢してね」




