2.歓迎と先輩と
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「それでは、新入生の皆さん。改めまして、ようこそ、グースベリー館へ!」
フィノラの明るい乾杯の音頭に、マリネットを始め集められた新入生の面々はそれぞれ手にした飲み物のコップを掲げてみせる。
(千早さんは……あれ? いない。さっき見かけたような気がしたけど)
「それじゃあ、自己紹介していきましょう。まずは、私達からね。フィノラよ。女子部屋の寮長もやってるから、女の子はきっと話す機会も多いわね。それから……もう、起きなさい。エルス」
「……だるい。まだ陽が完全に沈んでない」
猫よろしくフィノラに後ろ首を掴まれてテーブルの影から引きずり出された青年は、のっそりと立ち上がった。
制服の上に羽織った灰色パーカーのフードを被っていて、猫背の所為でわかりにくいが、細身の長身。
上背よりも脚が長く、フードの下には白銀の髪。眠そうな菫の瞳と対照的なすっきりとした輪郭。冬の空気みたいに澄んだ声で彼はなおも言う。
「眠い……あと三時間」
「今日ぐらい起きてなさいよ。このド夜行性」
「自然の摂理には、逆らえない……」
「えーと、この夜行性が男子部屋の寮長……。だ、大丈夫よ? こう見えてもわりと当てにできるから!」
物凄いフォロー感が漂ってますが。とは流石に言えないけれど、集まった新入生の顔に浮かんだ表情を見る限り、心は皆一緒だ。
「物凄く不安だ……」
案の定、すぐ近くにいた金髪メガネの男子がぼそっと呟いた。
「ともかく、男子は何かあったらこのエルスに連絡ね! ほんと、やる事はちゃんとやるから!」
「何事も無いのが、一番……」
集まった男子は、一様に自分の部屋の鍵なんかを確認している。恐らく、頼りになるのは自分だけ、と心に刻んだのだろう。
「……女子、は、あまり、暗くならないうちに、帰ってくる、のが良い」
「うとうとしながら言うんじゃないわよ……」
フィノラは呆れたようにエルスを小突き、両手を腰に当てて溜め息をついた。
「今のは女子だけじゃなく男子もね」
「何故です?」
男子の一人がその言葉に問い返す。
「最近、夜間に変質者……というより、通り魔が出るらしいのよ」
「それ、随分程度が違いませんか」
片や変態で片付けられるような気がするが、片方は命の危機を感じそうだ。
「まぁ、大丈夫よ。警察の見回りも強化されたし、すぐ犯人も捕まるわ」
だからそこまで深刻に考えないで大丈夫。フィノラがそう請け負って、寝ぼけた面持ちでエルスもかくんと首を縦に振った。
この時、部屋に集まっていた新入生の心は見事に一致する。
(自分の身は、自分で護ろう)
「さ、さぁ。とにかく今夜は歓迎会よ! いっぱい食べてね」
フィノラの声に新入生の間に笑顔が戻り、各々が皿を手にして好きなものを盛り始めた。
「マリネットさん」
「千早さん!」
どれにしようかと迷っている所で掛けられた声に振り返ると、先程分かれた知り合いがにこにこと笑顔で片手を振っている。
「どこに居たんですか? いつの間にか姿が見えなくなってたから」
「ふふ。ごめんなさい。ちょっと身内の面倒を見ていたから」
「身内……?」
「ええ。後で紹介するわ。あら? 男子寮長」
「……どうも」
のっそりと眠たそうな面持ちで先ほどまで皆の不安を増大させていたその人が、音も無く近くに居た事に内心マリネットはびっくりしていたのだが、どうにか表に出す事は堪え、問い掛けた。
「何か御用ですか?」
「…………いや、ただの挨拶。よろしく」
非常に眠たそうだ。
「はい。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
しかし、ただの挨拶と言ったその人は何故かその眠そうな眼でマリネットを凝視レベルで見つめてくる。
「えっと、な、何か?」
「……ううん。悪い。気のせい」
え。何が? とは思ったのだが、どうにもよくわからない相手は苦手で、マリネットはとりあえず気にしないという選択を選んだ。
「それにしても、すごい隈ですね」
とは隣の美少女から目の前のよくわからない先輩への言葉。
「あー。これ……。うん。今日はあと三時間眠れなかったから」
いやいやいや、それでそんな隈出来ませんよね? そうツッコミた気持ちが喉元まで競りあがったものの、マリネットはぐっと唇を引き結び堪える。
近くで見れば結構な美形なのに、エルスの両眼の下にはくっきりとアザかと思うほどの隈が出ていた。
「挨拶、終わったら寝る……あと一人……で、かん、りょう」
既にそのまま眠りそうな様子で、ヨロヨロとエルスはまだ挨拶をしていないという相手を求め、さ迷うように離れて行く。
「あの先輩、転びそうね」
「うん。ヨロヨロしてるしね」
あと一人だと言う相手を求めて新入生の群れに消えたエルスを見送り、マリネットは気を取り直して飲み物のグラスに口をつけた。
「どう? 楽しんでいるかしら。二人とも」
「あ。フィノラさん」
エルスと違いしっかりとした足取りで、フィノラはニコニコ笑顔でやって来る。
「うふふ。今年はいつもよりこの寮に入る子が多くて、賑やかで嬉しいわ」
「いつもは少ないんですか?」
(寮案内でも、そんなに悪い所には見えなかったけど)
寮に入る時に見た入寮案内と外観に落差はないし、不人気の理由は特に見当たらないのに何故だろうと、内心マリネットは首を傾げた。
「そうねぇ、他の寮に比べると少し学院から遠いし、街外れで面白くないって言う子もいるわ」
「そうなんですか」
ここが遠いって普段どこに住んでた人? と思うのは、自分が片道徒歩で一時間の学校に通っていた庶民だからだろうか。
勿論、雨の日以外は自転車使ったけど。そう思いつつ、マリネットは相槌を打つ。
「でも、街外れだから楽器の練習も遅くまで出来るのよ。ふふ。すぐそこに森もあるから、音を吸ってくれるし」
楽しそうに言うフィノラに同意したのは、意外にも隣の美少女。
「あの森、良いですね。私も舞いの練習に良く森へ行くので」
「まあ。御哉季さんはそれだと舞踏科になるのかしら」
「そうですね……私がなった方が向いてるかなと」
「舞踏科?」
耳慣れない単語に首を捻ると、フィノラは柔らかい笑顔のままサラリと言った。
「ええ。入学試験は音楽科と普通科だけで行うけれど、入学したら三日以内に専攻する科を決めるの。そうしないと退学になっちゃうから」
「は?」
「もしかして、マリネットさん知らなかった? 今日私達が受けさせられた曲披露が、それなんだけど」
いやいやいやいや、何それ何それ聞いてない!
「あらあら。知らなかったのね。それならなるべく早く決めた方が良いわ。大丈夫よ。入学式で披露出来なかった子の為に、明日や明後日で披露会が開かれるでしょうから」
「ひ、披露、会?」
「ええ。入学式で披露出来なかった子は、披露会で集められて再度披露するの」
何その晒し首の拷問みたいな儀式!
「避けられないけど、大丈夫よ。一曲だもの。ファイト」
どこまでも朗らかなフィノラの声が、マリネットには遠く聞こえ、意識は余りの衝撃にブラックアウト寸前だった。