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夕陽  作者: 夏冬春秋
2/2

後編

後編です。

4-2


 目が覚めた時、ボクは意識を失ったのと同じ場所でうつ伏せになって倒れていた。いやにコンクリートが冷たかった。ずっと誰にも発見されなかったのかと笑うしかなかった。ボクは上体を起こして、服に付着した埃をはたいた。そうしている最中に辺りを見渡した。閑散としたもの静かな道でボクひとりしか存在しなかった。


 頭はまあまあ痛いがこのぐらいは耐えられる。どっこいしょと、おじさんくさいセリフを吐きながら立ち上がり、現実だったんだなと冷静に物事を捉える。


 ボクはどこかに明るい場所はないかと探す。発見できたのは今にも消えそうな街頭だったが、そこの下に腰を下ろすことにした。そこでボクは弥月から貰った地図を広げた。体育座りで膝元にそれを置いた。気絶していたばかりだというのに冷静に、覚醒した頭を働かせた。


 ボクの意識が消え失せる前に見た一輪の菊の花。その花はこの道のどこにも落ちてはいない。


 見間違いだったか、それはありえない。いくら記憶が混濁していたとしてもそれは明白だ。しっかり記憶に刻まれている。弥月があんなものを持つ理由はない。それに今日手向けた花束には白い菊の花は一輪も紛れ込んでいなかった。そこはボクがよく知っている。


 では、何故落ちていて今はないのか。ボクが倒れているのに野次馬も救急車も来ていないという事は誰も通らなかった事だ。だから、花に足が生えて自らの意思で移動さえしない限り、消えるなんて不可能だ。


 つまりボクを殴り、弥月をさらっていった奴がそれを拾った。そしてそいつこそが今回の騒動の根源たる人物――女性連続殺人事件の犯人しかいない。そう目星を立てるのが正しいだろう。


 もっとも、それだけで決め付けるのも時期尚早だけど。とりあえず、そう考えるのが妥当ではないか。でなければ、一連の行動に不可解さが残る。


 しかし、一つだけ腑に落ちない。なぜ犯人は弥月を狙ったのだろうか。地図を見る限りでは残したかったであろうKの文字が完成しているというのに。それ以上被害者を増やす理由が見当たらない。


 もしかすると、あの図が囮であったのかもしれない。


 その説も加味したいが気分的に却下。そんな私情で一つの可能性を潰してしまうのは駄目を踏む気がする。


 ちゃんとした理由付けをするというのなら、今までの犠牲者のイニシャルに必ず『K』をいれる。さらに地図上で浮上したKの文字。以上の二点を踏まえる。さらに付け足して、ボクが思う犯人像というのは快楽犯ではないかと思う。現実と空想が区別できずに、ゲームの度を越してしまった、そんな人。その点も加味するならば、そのお遊びを崩すとは想定思えない。だからボクは図が囮ではないと考える。


 話を戻し、弥月が狙われる十分な理由は弥月のイニシャルにある。弥月のイニシャルはY・K。『K』の文字が当てはまる。おまけに弥月はちょっとした有名人だ。犯人が彼女の名前ぐらい知っていてもおかしくはない。弥月が六番目の被害者になりうる材料は万端というべきくらいに揃っている。


 まあまず、ボクが考えればいい事はただ一つだけだ。以上のことを仮定して、弥月はどこで殺害されるのか。その推理をすればいい。しかし、犯人の趣向はあくまで殺人だ。すぐに殺しかねない。時間は残されていない。ボクは彼女の友人だ、見殺しにできるわけがない。だから、早急に解く必要がある。


 ボクは昨日のファミレスで弥月と話し合ったこの事件の要点を纏めて推察する。しかし何も出てくるわけがない。これ以上被害者を出してはいけないという気持ちがボクの苛立ちに拍車をかける。


 携帯をポケットから取り出した。ぶらぶらとあの日にもらったストラップをぶら下げた。僕はそれを見て久井恭子のことを考えていた。そしてストラップも『K』だったなとまじまじと眺めていた。


「待てよ」 


 何かが引っ掛かった。地図を開く。あの図とストラップの『K』を交互に何度も見た。そこでボクはピン、と閃くのだった。


 そこから生まれた発想を利用して細かい所を探る。一つの確証を得てからボクは携帯で、ある人物に連絡した。その人物との対話を終えてから、走りだした。暗い夜道を駆け出した。ボクは「あそこ」へ全力疾走していった。



     5



 ボクは雑草をかき分けて暗闇の林の中を疾走する。携帯の光が唯一の標であった。道に迷いそうになるが微かな記憶を辿りに不等間隔に並ぶ木々の枝を払い除けて、ボクは孤立して佇む古びたビルへと辿り着く。廃れぶりが一つのオブジェのように頭角を現していた。


 ボクはそのビルの一階でいくつかあるほのかな蝋燭の火をこの目に見た。薄暗かったが認識は可能だった。そこにボクの推察どおりに二人の影が存在した。


 一つは凶器の刃物を持ちウロウロ歩き回る影。もう一つは椅子か何かに座らされて身動きをとれず、脱力している小さな影。恐らく後者が弥月だ。ボクはビルの入り口から彼女の名前を叫んだ。その声はビルの中に鋭く反響して生き残る。


 二つの影はそれに驚愕するように振り向く。そうして影の正体をハッキリと正確に捉えた。想像した通

りに前者が犯人で後者が弥月だった。ボクは肩で激しく息をしながら、一つの真実に瞠目結舌する事になる。


「あらら。とうとうバレちゃったわ」


 犯人には動揺は見られず、普段の調子であろう口調で淡々と言うのだった。


「女性……?」


 開いた口が塞がらなかった。確証もないのにボクは男性だとすっかりと信じ込んでいた。しかも、その

女性はつい最近見た人であった。


 茶色の短髪で二十代半ばの女性。黒色のダウンコートを羽織って、紺青色のGパンを身につけていた。その人はまさしく、昨日の夕方に弥月と謎解きをする時に利用したファミレスのウェイトレスであった。


 ボクはその事実に少なからず動揺する。まさか身近に女性連続殺人事件の犯人が潜んでいたなんて予想だにしなかった。ボクは昨日の会話が犯人に漏れていた事に、手を滲ませる。


 ボクが身構えていると犯人は静かに笑い、余裕の調子で声をかける。「あなたは確か、この子……弥月ちゃんと一緒にいた男の子よね? 名前はなんていうの?」


 ボクは緊張して固まっていた体を自由にさせる。もう遅いと思うが、余裕である事をこちら側も態度で示す必要性がある。ボクは冷たいコンクリートの上で靴を鳴らす。歩く音が良く聞き取れる。背筋を伸ばし、胸を張って発言する。


「名前ね。別に言ってもいいけど、そっちから先に言ってよ。よく言うでしょ。人の名前を聞くときはまず自分から名乗るって」


「そうね……」


 犯人は凶器を持たない方の手を顎に乗せて考える。それから口を開く。


「私は、加野唯穂(かのゆいほ)よ。君達よりは十歳ぐらい歳は離れているわ。あと、そうね、察しのとおりに某殺人事件の犯人よ」


 などと余分な所まで自己紹介する。


 ボクは相槌を打ってから「ボクは吉野春です」とフルネームで名乗る。それから続けて「そこであなたに束縛されている少女のただの友人です」と、犯人の加野と同じように余計な言葉を付け足す。


「友人だったの? てっきり彼氏かと思っていたわ」何を言い出すんだこの女。


 ボクは愛想を振る巻き、「残念ながら。弥月にとってボクは便利屋みたいなものですよ」と、ここでようやくボクは束縛されている弥月と目線を合わすのだった。思っていたとおり仏頂面だった。そして不機嫌な口調で「違うわよ」と嘘を言ってのけた。


「命に別状はない?」


 暗闇で、ほのかな明かりしか灯されていないために弥月の安否がよく確認できない。椅子に拘束されているのは把握した。椅子の前足と弥月の両足が交互に縛られていた。暗いことが非常に残念だと遺憾に感じたのは人生で初めてであるかもしれない。冗談はさておき、両手は後ろに組まされ、そこを両手首に縛られていると目測する。弥月が動かす事ができるのは頭と口ぐらいなものであった。


 そんな中、弥月は身動きが取れる口を静かに働かせた。「大丈夫よ。今さっき起きたばっかりで何もされていないわ。脅されはしたけど」チラリと目線を動かした。それにつられて加野に目線を流した。


「彼女の言うとおり、まだ何もしてないわ。運がいいわよ、この子。もうすぐ冷たくなくなっていたかもしれないし」


 ウフフとシャレにもならないセリフを喋ってから朗笑をする。笑えないだろ。弥月は心底ホッとしたように力を抜いていた。


「ところで吉野君」


「はい?」


「どうやってここへ辿り着いたか説明お願いできるかしら?」


「そんなことを聞いて何になるんですか?」


「いえ。何もないわ。ただ、自分のお遊びで作ったゲームがどのように解かれたのか気になるじゃない?


 聞かずにゲームオーバーなんてつまらなさすぎるわ」


 少しムッとした。遊び? ゲーム? 自分の身勝手な娯楽の為に五人もの女性を殺したって言うのか?


 ボクはたまらず憤怒の感情を溜める。その感情を堪えきれずに外へぶちまけようとした時、別人の逆鱗が一足先に放たれた。


「ふざけないで!」ビルの中に反響して残る。ちょっとうるさいかな。滅多に出さない彼女の怒りの大声は、外にまで届いていくのだった。加野は呆気に取られたようにポカンとしていた。それ以前に、ボクの方がアホ面を恥ずかしい事に顕示させていた。


「あなたには罪という意識はないの? 殺してしまったという自覚は無く、殺してきた人たちに対する謝罪や購いがないの?」


 弥月の喉が震えていた。怒りに身を任せてやりたいがそれをしてはいけないと自粛させて、狭間の感情に身を渡していた。ボクはダンマリとしているだけであった。


 加野はクスリと微笑すると、「あるわよ」と短く返してきた。


「どこにあるというの? さっきの言葉からはそんな風には到底思えないわ」


「殺した人たちに菊の花を弔っているわ」


 また微笑を浮かべるとダウンコートの横のポケットから一輪の白い菊の花を見せびらかす。


「それがどうしたっていうのよ。まさかそれで購ったつもり? たったそれだけで? そんなものは死者

に対する礼儀でしかない。花を手向ける事が贖罪になんてならないわ。もっと別の形で償うのよ」


 自分の概念を相手にまるで嘲るかのようにぶつける。


「いいのよそんなことをしなくても。贖罪にはなるわよ。弥月ちゃん、君は勘違いしているわ。贖罪の仕方なんて人それぞれなのよ。自分が犯した罪は、何を代償にして償えるか、天秤にしてつりあうように考えれば良いのよ。天秤の触れ方は人様々。何でつりあうかを思考して、自分に見合った購い方が理想なの。そこでね、私が思い至った贖罪は……」


「うるさい!」


 加野の最後の言葉は弥月によって掻き消されてしまう。加野はフッと吐息をはく。そしてボク達に背中を見せて靴を鳴らす。無音な部屋に不気味と響き渡る。加野は弥月の背後へとまわる。


「まあいいわ。理解してもらおうなんて一度も願ったことないし」


 肩をすくめヤレヤレというポーズを取り、はあと嘆息する。


「さて。吉野君。こちらの話は終わったわ」


「まだ終わってない!」と弥月が怒鳴るが、その声は加野の耳を何事も無く通り過ぎていくだけだった。


 弥月を無視する加野は、タオルを取り出す。そして弥月の背後に回りそれを弥月に噛ませた。弥月は物を言えずにうねるだけだった。


「弥月ちゃんは少し黙っていてちょうだい」愛想笑いを浮かべたと思うと、すぐにその仮面を剥がした。そしてボクに「話していいわよ」と促す。


「……」


 顎をさすりながら思考を働かせた。特に無意味な行動ではあったが、間を置くには十分だった。ボクは迷うフリをしてから「うん」と了承した。弥月はなんとかなるだろうと、放任しといて、そして自分の推理を披露させようとするのであった。


「まず、どこから話せばいいのかな。加野さんはファミレスにいたんだから、前半の推理は聞いているか

もしれないよね」


「確かにそうだわ。吉野君たちはKが図示されているところまで推理したんだっけ。そこからでいいわ」


 ふーん、と相槌を打ってから、「じゃあ」と言って、ボクは最初の方から推理を順序良く述べていった。もちろん、手早く簡潔に。



 ボクと弥月がファミレスで話し合い、行き詰った所は、図にKを浮かび上がらせて、それからだった。犯人はイニシャル『K』、それからの殺害場所。それらの二点を踏まえることにより、図が汲み取れる。


 この場合に考えられる犯人の意図は、一つ、犯人は以上のようにして遊んでいた。二つ、『K』という文字に執着しなくてはならなかった。この二つといった所だろう。もしも、次の犯行が行われたのなら、必ず『K』が意図に篭められるのだ。


 今回は弥月であった。弥月はY・Kのイニシャルである。おまけにボクは加野さんが弥月に抵抗を受け、ひょんなところから落としてしまった一輪の菊の花を見た。それを決め手に、女性連続殺人事件の犯人だと仮定した。まずそこはいい。


 そこからの謎は三つほどあった。


 一つ目は、図のどこに「Y」を挿入するのか。つまり次の犯行場所。


 二つ目は、関係が無かったかもしれないが『K』以外のイニシャルをどう使用するのか。


 最後に三つ目は、これは疑問といえるようなものではないが、図のKの文字を何故逆さまにしたのか。


 とにもかくにもそれらの三つが謎として残っていた。


 これらの謎は一つ解けてしまうととんとん拍子によどみなく解けてしまった。


 まず重要だったのは、五点で十分Kを描けていたのにもかかわらず、六点目を使用した。そこから考えられる事は二つある。あのK以外で描ける文字または無関係の図の作成。しかし、後者はこの犯人の心理状況を考えると却下。よって前者が正しいと考えられる。それは、六点目を使用する事で同じ『K』を作れる、という思案だ。


 それをじっくりと考える事で自然とその理にかなったKがまるでかすんで目の前が見えなくなった霧が晴れるようにハッキリとあたりを見渡せるようになる。


 今までの五点を使用した図は、地図を北向きにさせた状態で、そして今までの殺害順にA~Eと置いて、まず点Aを中心に置き、その北に点D、南に点B。あとは点Bから西に点C、点Dから同じく西に点Eをシンメントリーもどきにするように点を置く。それらをうまく線で結ぶと、Kの図が完成する。それが五点で作成した図だ。そこから六点目、点Fと置こう。点Fをどこに書き加えれば別で新しい『K』が成り立つのか。


 一つだけある。というか一つしかない。それは点Aから点Cから引いた線分に点Fを書き加えることによってようやく成り立つ。そうして逆さまにすれば、本当の『K』が完成する。


 これは、久井恭子に貰ったストラップで思いついた。このストラップの『K』は六点で構成出来る『K』だったからね。


 こうして、一つ目の疑問がつぶれた。そこからはトントン拍子に二つ目と三つ目がつぶれていく。


 弥月を「Y」として、その「Y」はどこにいくのか。完成した『K』が答えを導いてくれる。図から見て、線の結び方は逆さまにしてから点Bから点D。点Cから点A。点Fから点E。その順列にイニシャルを並べると、IRUOYKの六つの順列になる。これで二つ目。


 最後に三つ目は、図を逆さまにすること。


 ボクはただで逆さまにとはまず考えなかった。つまり、図を逆さまにする=イニシャルも逆さにすると考えた(これを思いついたのは弥月だけどね)。詳しく言うなら、図で『K』という‘文字’を逆さにするならば、イニシャルの順列の‘文字’も逆さにするということ。


 弥月が憶測で言っていたことだ。そうすると、I、R、U、O、Y、K、が逆さになり、K、Y、O、U、R、I。そのまま読むとキョウリ。つまり、橋里町を示唆しているのではないか。ちょうど橋里町は線CAに位置する。


 『K』は六点がベストな図示だ。それ以上はない。だから、『K』の最後の点は橋里町のどこか。この町は過疎地だから廃屋は多い。しかし、人影のないところは一つしかない。つまり、ここのビルだ。



「すばらしいわ。寸分も違わないわ」


 パチパチと賞賛の拍手をもらう。不思議と、褒められても嬉しくない。長くしゃべりすぎてしまったため喉が疲れた。咳払いをして、その拍手を流そうと試みた。


「あーあ。簡単だったかな。こうやって場所も突き止められて、犯人だとバレちゃったし」


「悪いけど、もし加野さんが弥月を襲わなければ、ボクの力では場所もあなたも突き止めることは無理だった」


「なにそれ。つまり、自爆したってこと?」


「平たく言えばそうだね」


 ボクは嘲笑した。なるべく犯人を刺激しないように少しは緩めたが、どうしても犯人を嘲りたかった。弥月は喋られない状態であったが、興味深そうに納得した声を上げるのであった。またフッと笑う。


「加野さん。自首してください」


 ボクはこの期に及んで犯人にどんな期待をしているのだろうか。警察から逃げ、それにもかかわらず被害者を増やし続けているこの犯人になんて淡い期待を篭めているのだろうか。


「すると思っているの」フッと鼻で笑った。


 ボクの全身の毛が逆立った。憎悪ともいえるくらいに強い感情が湧き出た。激昂のあまり顔が強張らせ、歯をギシギシさせる。


「いい顔ね。そんな風に睨まれる目つきは飽きないものね」うふふとさらに不敵に笑った。


 加野は弥月の肩に双方の掌を添えた。弥月の右側に暗いのにもかかわらず銀色に光り存在感を主張しているナイフが彼女の横で執拗にチラついていた。それに目線を上擦らせて恐怖に脅え、ボクにSOSを求めていた。


「自首してください」


 懇願するようにもう一度言った。「は?」加野は呆れた声で張った。眉をひそめ、ボクの言葉に何を思っているのか判断しかねるが、一旦ボクから目線を外して、はあとため息をついた。


「あんたねぇ。私はさんざん人を殺してきて、さらには逃げ続けてきたのよ。そんなやつが「自首して」と他人に言われて「自首します」なんていう? そんなご都合どおりにいく別けがないでしょ。いい加減に現実に戻ってくれば?」


「それでも……ボクは、あなたに自首をして欲しいんです。罪を、償って欲しいんです」


「…………」中々言葉を引かないボクに言葉を失わせる。「甘いわね」髪を掻き上げて冷淡に言う。ボクはなんと言われようとも決意を曲げる気は無かった。「弥月ちゃん」話す相手をボクから弥月へと移す。


 ひんやりとするだろう、加野は不気味な刃先を弥月の綺麗な首筋に押し当てる。


「君はさっき、罪はしっかりとした形で償わなくちゃいけないって言ったわよね」


「……」弥月は無言だった。首を盾にも横にも振らず、硬直する。


「吉野君」そしてまたボクを呼ぶ。「私ね、今回のことでね、一つだけ決意していた事があるのよ。ここまで、六人目まできた時に備えて」


 唐突に何を言い出すのだろうか。訝しく感じた。加野からはどこか不穏な空気が吹き出されていた。


 スッと弥月から身を離す。弥月はホッと安堵していた。後ろを気にして、両肩をガタガタと揺らす。


「今回、誰かがここをちゃんとした根拠の元で突き止めてやってきたなら、自分なりの覚悟を示そうって考えていたの」


 目線がボクから弥月へと移る。


「贖罪は、形で表すのよね。大丈夫よ。吉野君が来たからしっかりと示せるわ」


 フフと優しい微笑を見せる。何かを決意した表情だった。


「何をする気なの?」


 加野は右手で深く握り締められたナイフを自分の首筋に押し当てた。床を点々と灯している蝋燭がゆらゆらと風に踊らされる。まるで彼女を迎える輪舞のようだった。


「私もY・Kよ」


 ボクはその直後にある五文字の言葉を加野の口に聴いた。


 その言葉は次の轟音によって掻き消される事になる。


 赤黒く綺麗な鮮血が夜のビルを色飾る。加野の高笑いと共に流れる血しぶき。耳を突くように執拗に奏だれるそれは、哀しき鎮魂歌のようだった。




 エピローグ



 ボクと弥月が遭遇した事件は何とも言い難い結末を迎えるのであった。


 ボクは加野が自らの首を引き裂いた光景が目に焼きついて離れなかった。そして、あの不気味な笑い声も。何度も頭の中で反芻される。必死に耳を塞いでも、必死に目を瞑っても、あの光景が目蓋の裏に映りこむ。手から音がすり抜ける。


 加野はボクたちにそれぞれ違う言葉を残していった。弥月に言った言葉、それが引っかかっていた。加野は贖罪をした。自殺という形で。自決した。そこはいい。だけど次に言った言葉。――ボクが来たからそれを示せる。それはつまりボクが来なければ示す気はさらさら無かった。そういうことなのかな。だけどボクは来た。


 ――ボクは……。


 ストラップを取り出す。それに久井恭子の姿、声を連想させた。無念は果たせただろう。だけど煮え切らない。ギュッと握り締める。ストラップは掌の中にうずくまっていく。それを額にくっつけて、その格好をずっと取っていた。


「そう落ち込むなよな」


 薄暗い警察署のロビーの椅子の一つに腰掛けてうずくまるボクに一人の男性の刑事が声を掛けてきてくれた。だけれどもナイーブなボクにはその気持ちが届かない。


 その男性の刑事は知り合いだった。ボクだけではない、弥月も。出会ったのはボクよりも弥付きが先だ。そいつの名前は江藤(えとう)。下の名前は知らない。まだ二十代だというのだが、どうみても三十路を過ぎたただのおっさんのようだ。髪は寝癖のままでボサボサとしている。嫁もいないのか、シャツもよれよれである。非常にだらしがない人だ。


 ボクはそんな人に励ましの言葉をもらえる。だが、こんな人にだけは励まされたくはなかった。というのが本音だが、それを心のうちにしまって、「大丈夫です」と無理やりに愛想を振ったのだった。


「弥月は?」


「まだ取調べを受けてるさ。お前と同じようにすぐ終わるだろ」


 タバコを取り出し、口にくわえる。ボクの横だったと気付いて、ライターはすぐにしまったが、タバコはまだ口でくわえていた。口元でそれを遊ばせながら背もたれに寄りかかる。


「しっかし、驚いたな。突然電話してきたと思ったら、弥月が誘拐されたの一言だったからな」


 電話というのは犯人と弥月の所在地が判明した後に掛けた電話の事だ。ボクは江藤の電話番号に通話をした。そこで走りながら、弥月が女性連続殺人事件の犯人に誘拐されたことと、そこの居所が解ったと連絡したのだ。


 そして、そこへ江藤さんたちを走らせたのだ。ボクが先につくようなタイミングで電話をしたから来るのが遅かった。それと合わせ、夜道の林の中で道に迷っていたという不始末な点も含め、やってくるのが、加野が息絶えた後であった。


「犯人はまあ、アレだったが、よくやった方だ。表彰もんだぞ。おまけに、過去にも事件を解決してんだ。いいじゃねぇか」


 落ち込んでいるボクを励まそうとしているのは解る。だけど逆効果だとは向こうは気付かない。そういう人だと把握しているからボクはため息一つですむのだけど、ボク以外の人だったら、慰められないよ。


「江藤さん……」


 ボクは顔を上げた。そして天井を仰ぎ見る。


「あ? 何だ?」


「ボクって――人殺しなのかな?」糸が切れた人形のようにダランとさせながら言った。脱力したボクの目は恐らく生気は宿っていなかっただろう。


 江藤さんは言葉を詰まらせていた。


「あの人は、ボクが謎を解いて来たから、自殺しちゃったんだ。ボクが来なければ死なずにすんだんだよね。だからさそれって……」


「皆まで言うな」ボクの中で確言した言葉を喋る前に江藤さんの言葉が制した。「馬鹿な事を考えてんじゃねぇ。いいか、お前が来なければ自殺せずにすんだって言ったが、もしもお前が来なけりゃ死んでいたのは弥月の方なんだぞ。春にとっちゃどっちが大事だ」


 下唇を強く噛み締めながら手を組んだ。


「それでも、また殺した事には変わらないよ。これって、罪なのかな?」


「違うな。向こうが勝手にやったことだ。今回の件はどうあがいても自殺だ。自分で起こした不祥事は他人に火の粉がかからねぇようになってんだ。今回の場合はな。卑屈になるのはよしときな」


 ボクは無言のままその言葉を噛み締めていた。


 目を瞑ると、やはりあの光景が鮮明に浮かび上がってきた。



「「ありがとうございました」」


 弥月の事情聴取が終わり、家へ帰される事になった。ボク達は警察署の門の前で横に並びながら江藤さんに挨拶をした。どうせだったら送ってくが、と言われたのだが二人してそれを拒否した。家は近いし、何よりも二人で帰りたかった。


 見送りをしてくれて、それを背中に感じながら、街灯や家の明かりに照らされただけの寂しい夜の下で、車がちょくちょく通るだけの二車線の道路の横を黙々と歩くだけだった。


 気まずさが漂う帰路。重たい空気に耐えかねたのか、ボクは何かを話さなければいけないなと頬を人差し指で掻く。ざっと言葉は浮かばなかったが「あのさ」ととりあえず言葉を発した。そして後悔した。弥月はこちらを覗くのだが、話題が一切なく、しどろもどろな言葉となってしまう。


 弥月はフッとやさしく微笑んだ。風が流れ彼女の髪が風になびかれる。それを押さえるように髪を掻きあげて、風に逆らいそれを受け流していた。「春」そしてボクの名前を静かに呼んだ。「?」両手をポケットにしまった。すると弥月はボクの目を見て言った。


「ありがとう」


「はい?」まさかの言葉に面を食らった。思わず聞き返してしまった。


「……」また言うの? と嫌そうな顔をした。


 ボクは慌てて「え、いや、どうしたの突然に」と言った。苦笑いだった。弥月はややふくれっ面になり嘆息する。口元をぴくぴくと震わせて何かを言いたげな表情をする。


「キミからそんな言葉を聞くのって慣れてないからさ」


 微苦笑で後ろ髪を掻いた。


「さっき江藤さんに言ったじゃないの」


「そうじゃなくて。ボクに言うのは珍しいじゃないか」


「そうかしら?」


 自分では言っていないという実感はないようだ。少なくとも弥月が礼を言うのは江藤さんにするような社交辞令を除くと極めて稀なケースである。


 ボクは一笑した。よくわからない。どうして自分が笑ってしまったのか本当によくわからなかった。ただただ、笑みがもれだすだけだった。弥月は不思議そうな顔をした。「なんでもないよ」と崩した表情を元に戻した。


 冷たい夜風を体に感じる。ボクは夜空を仰ぎみた。美しく弧を描く三日月が瞳に映る。それを感慨深く見つめてから、目線を下ろして弥月の細く肌白い首筋とそれに描かれる一筋の線をなぞる様に目で追っていく。


 「弥月」とボクは声をかけようとする。しかし運の悪いことにトラックがボクたちの横を騒音とともに走り抜けていくのだった。彼女はボクが声をかけたことには気づかずになんともない顔で歩を進めていた。


「春」主導権を取られた。「これで被害者は報われたのかしら?」弥月にはめずらしく萎れた様子だった。


「……そう、じゃない」


 ボクはそれだけしか言葉で言えなかった。


 弥月は「そう」と、無理やりにはにかんだ。彼女はボクよりも前を歩いていたので顔だけを振りかえさせた。


「ねえ、弥月」


 今度はボクから話しかけた。邪魔もなく彼女の耳に声が通った。


「単刀直入に聞いていい?」


「何を?」


 様子がおかしいと嫌疑された。指摘されてもボクは優柔不断者のように言い渋っていた。


「どんな内容でもちゃんと答えてくれる? いや、やっぱいいよ。答えたくないならそれでいい。無言でも構わない。ただとにかく、キミに訊きたい事や言いたいことがあるんだ。キミがそれを聞いても動じないなら越したことはないけど、キミにとって嫌な話だとしてもとりあえず聞いてほしいんだ」


「くどいわ。ハッキリ言って」


 若干イライラしていた。眉をひそめて言葉をうかがっていた。ボクは吐息を吐いて、覚悟を決めたように彼女に問う。


「キミは何か大きな罪を犯したことがあるの?」


 弥月はピクリと反応しただけで特に目星の付く反応はしなかった。


「本当にどうしたの? いきなり」


「加野いただろ」


 その名前を聞くと弥月は気まずそうに目を伏せた。


「あいつ、ボクが殺してしまったんだよ」


 ここで弥月の足が止まる。ボクは彼女を追い越して表情を窺う。狼狽した表情であった。


「あの人は罪をちゃんと償ったのよ。それは春とはまったく無関係よ」


 やっぱり、そういう考えなんだ。


 弥月はさらに言葉を続ける。


「それで? その件は私が罪を犯したことがあるというのに何か関係があるの?」


「特に意味は……ないかも。ただ、弥月の話をするための口実がほしかったからかもしれない。言う言葉を変えるけど、キミが自殺するのは贖罪のため?」


「……もう遅いし、早く帰りましょ」


 違うとは言わないんだね。


 弥月は止めていた足を動かし始めた。


「キミと被害者のお墓参りをしに行ったときにボクはキミになぜこんなことをするのかと尋ねた。するとキミは購いだと言った。そして犯人を捕まえたい理由を尋ねたときには贖罪すべきだと答えた。同じような言葉を加野にも言った」


「だから私は大きな罪を犯したというの? 根拠はないじゃないの」


 ハハ、と口元を綻ばせる。しかし目は笑っていない。


「根拠はないよ。だけど証拠ならたくさんある」


 ボクは言い張った。


「キミがボクを事件に誘うとする前にキミは自殺をしている。過去二回もそうだった。自殺して病院から

退院した後にボクのところへやってきて事件の解決を呼びかけた。キミは加野に罪を犯したら何らかの形で償わなければならないと言い張った。加野はそれに自殺という形で答えた。それにキミは満足している。それってつまり、キミにとっての自殺は贖罪の証の一つじゃないのかな?」


 彼女は黙々と歩き続ける。構わず言葉をつづった。そして多分、とどめの一言を丸腰の彼女に向って刺すのだった。


「キミが何度も何度も何度も何度も……失敗しようともめげずに自らを断とうとするのは、弥月が過去に何か大きな罪を犯して、それの贖罪のために自分を罰しているのではないのかな?」


 図星……かどうかは判断しかねる。しかし弥月にはハッキリとした狼狽を示した。


 わかったよ。弥月。


「私、家こっちだから」


 声が少しばかり震えていた。動揺を見せまいと平常を取り繕い自分の家の方角を指差した。黙さんとして非常に静かな商店街の道だった。昼間に人が賑やかに通っていたとは思いもよらない。


「待って。一つだけ言わせて。ボクは贖罪の方法が自殺だとは決して思わない」


 止まらず、大股で立ち去ろうとする。


「キミは自殺が夢だと言った。その夢、キミの贖罪方法を否定することになるかもしれないけど、ボクは本当の贖罪っていうのは、生きることだと思う。それを負い目に、忘れずに生きること。そうじゃないのかな?」


「……」弥月はまた足を止める。そして「知らないわ」と小さな声で呟いた。


「ボクは生きて購うよ」


 ボクの瞳には曇りなどなかったと思う。素直な気持ちをぶつけた。


「自分の意見を人に押し付けないで」


「……でも」


「さようなら」


 弥月は振り返らずにボクの言葉を遮り、言った。そして、小股でゆっくり歩を進める。


「そう、だね」


 なにも追求をしようとは思わなかった。


 ただボクは、弥月の背中に「またね」という言葉を投げようとした。しかしこの時、不意にも久井恭子

と交わした言葉と場面が重なった。ボクはハッと気づいて、その言葉を飲み込んだ。


 弥月は寡黙にその道を歩んでいく。帳が下ろされた閑寂の夜道と同化するように。足早と暗闇の中に身を沈めるように潜り込み消えていった。


 ボクは加野のある言葉が頭に反芻していた。


 --「贖罪の仕方なんて人それぞれなのよ。自分が犯した罪は、何を代償にして償えるか、天秤にしてつりあうように考えれば良いのよ。天秤の触れ方は人様々。何でつりあうかを思考して、自分に見合った購い方が理想なの」


 確かに、人の考えなんて千差万別だ。目の前にいる相手と自分の考えが必ず合うわけがない。人は自分だけの考えを持ち、それを信念として持って生きる。


 ボクは弥月の考えは賛同できない。そして弥月もまた同じである。


 それは、ボクと弥月が他人だからなのかな。


 少し寂しいな。


 ただ、ボクは弥月に生きて欲しいだけなんだ。弥月に自殺が贖罪だなんて思ってほしくないんだ。普通に生きてくれるだけでいいのに。


「死なないでね、弥月」ボクは消えた彼女の人跡を目でたどりながら、それに言葉を掛けた。



 ――弥月からの返事はなかった。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

 


 

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