前編
オマージュです。
途中、わかりづらかったらすんません。
プロローグ
「こんにちは」
「あ、うん」
放課後。ボクは夕方の中学校の図書室で、何か面白い本がないか、と小説コーナーをウロウロ彷徨っていた。そうすると、他のクラスの同級生の女子にいきなり挨拶された。ボクは思わず素っ気のない返事を返してしまった。それでも彼女は陽気に「何ソレ」と笑うのだった。
特に言い訳も何も必要もないので、生返事をまたしてしまう。でも彼女は相変わらずの笑顔だった。八方美人というのだろうか。少し意味は違うか。まあどうでもいい。
「今日は一人なの?」その質問に冗談をほのめかして答えた。すると彼女はアハハと昂揚と笑った。それ
から「何してるの?」と質問を重ねて小首を傾げた。
「ちょっと暇だから本でも読もうかなって」理由を淡々と短く返した。
「本なんか読むんだ、以外だな」余計なお世話だよと文句を言いたくなったがここは抑えた。
彼女を無視し、本探しに熱中する。目で本の題名を追いかけていく。ボクは題名で選んでしまうのが主だ。大抵そうかもしれないけど。ピンと来るものがあったらそれを手に取り、あらすじがあればそれを読み、それから数ページ読む。そして面白そうだなと感じたら借りる。いつもそうやっている。しかし、あまりピンと来るものがない。
「これなんか面白そうじゃない?」
未だに決まらず、難しそうな顔をしているのを察してか、彼女が一冊の本をとり、ボクに突きつける。迷惑そうに顔を歪ませ、それを手に取り、あらすじを読む。よくある話って感じだった。さほど興味は示すことはできずに、ほい、とぶっきらぼうに返却した。
「私は面白かったよ」
「あっそうですか」こういう人のことを木で鼻をくくるというんだったかな。どうでもいいけど。
「なんかさ、悲しいお話だよ」ボクに言われても困るんだけどな。「ところでさ」彼女はボクの反応があまりにも乏しかったため話題をさらりと変えてきた。
「あんたの誕生日っていつ?」いきなりベタな質問に入ったな。
ボクは怪訝な面持ちで「四月二日だけど」と言った。
すると彼女は驚いたように「そうだったの? もう十四歳なんだ。四月二日だと一番に成長しちゃうね」
本当、陽気に笑うのだった。
「私は来週だよ」ふーんと相槌だけは打っといた。だからなんだと言いたい。
「そうだなぁ、もう誕生日がきているんだったら、何かプレゼントあげなきゃ」
「いやいいって」
手を横にぶんぶんと振って全力で否定する。それにもかかわらず彼女は自分のバックから誕生日プレゼントを模索している。
「そうだ」彼女は閃いたようにストラップをぶらぶら下げている赤色の携帯を取り出した(スマートフォンではない)。そして、その携帯に取り付けているストラップの一つを取り出す。『K』の文字で作られたビーズのストラップだった。すべて銀色のビーズで統一されていた。
「これをあげる」
「なんでよりによってこの文字なの?」
「いいじゃん。私のイニシャルはK・Kなんだから。私だと思って大事にしなよ」
しばらくうーんとうねってからしぶしぶ受け取った。『K』のストラップを。
ボクはどうもと礼を言ってから踵を返すようにして帰ろうとした。
「帰るの?」と尋ねられ、「まあね」と通学用の手提げバックを持ち替えながら言った。
「お返し期待しているからね」それが目的か。苦笑が漏れた。「またね」彼女は帰り際にそう言って手を振った。
ボクは照れ隠しにすぐ顔を隠して「またね」と言って手を振り返した。
それが、最後にボクが見た久井恭子の姿だった。
ボクは基本的に朝に弱い人間だ。目覚まし時計を掛けたとしても呼び鈴を止めて、すぐにまどろみの世界へと陥る。なので、ボクは毎朝、小学校五年生の双子の妹達にわざわざ起してもらうのだ。あいつらの起こし方はいろいろな意味で凄いので、すぐに目が覚めてしまう。今日も命があっただけでもありがたいぐらいだ。
洗面所で顔を洗い、歯を磨く。そのあとに妹達が用意してくれた朝食を食べに食卓へつく。毎朝、食卓にはボクと妹達の三人しか座らない。別に親がいないわけではない。父親は朝早くから仕事に行くのでいない。母親は寝ている。多分今日もお昼時に起床するだろう。おおよそ、ボクが朝に弱いというのは母親からの遺伝なのだろう。
ボクは味噌汁を一口すすってから、テレビをつけた。朝のニュースを見るのが日課なのである。妹達から「つまらない」と批判が来るがそんなものは気にしない。
テレビには毎朝おなじみのニュースキャスターが、渡された原稿を淡々と読んでいた。大変だなと勝手に同情しながらその声を聞いていた。すると、信じがたいニュースがボクの下へと舞い降りたのだった。
『今朝、四時ごろ、I町の雑木林の奥から女性の惨殺死体が発見された模様です。遺留品のなかから身元が判明し、橋里中学二年生の久井恭子さんだと判明しました。手口の相互関係からして、女性連続殺人事件の犯行と類似している模様で、現在警察は……』
ボクは初め耳を疑った。初め、同姓同名の別の誰かかと思った。だけど中学校の名前、なによりも顔写真から、昨日の放課後に話していたあの久井恭子に間違いなかった。
ボクは背もたれに寄りかかった。何も言葉が出なかった。
「あいつ、か」
妹達は不思議そうにボクのほうを向いた。自分でも誰を差したかわからなかった。「あそこにいれば来るかな?」そう呟いた。今の心情は自分でも何なのか把握できていなかった。
1
だいぶ日が傾いてきた。ボクは誰もが存在を忘れた廃れたビルにいた。そこのビルは林に囲まれ、その中で静かにたたずんでいるのだ。そしてそこの屋上で赤みが一層増すだけの夕陽を眺めていた。
さびが制服の白いシャツに付着してしまう事を恐れずに手すりへ腕を置く。そして指を組み、赤く染まった橋里町という名称の土地を感慨深くひたすら遠望していた。
「やっぱりこんな所にいたの?」
見知った声に、ボクはさほど驚きはしなかった。ボクはその声の方向へ顔は動かさずに適当に返事だけをした。
「綺麗よね。ここからの景色って。町を一望できるって素晴らしいわ」
ボクに目線を同じにし、並ぶように立った。自分の感懐をボクに伝えてくる。ボクは黙ったまま彼女の話に耳を傾けるだけだった。
「私はここの風景が大好き。夕暮れ時しか見栄えのない儚い町だけれども。そんな儚い時間が濃密で、心を暖かくするんだわ」
手すりを弱く掴んだ。背筋をピシッと伸ばして嬉しそうに感懐を述べた。ボクは、はあと深いため息をつくのだった。
「くどいよ、弥月」
「あらら。春にはお見通しだったようだわね」
ボク達はお互いの名前を呼び合い微笑しあう。もっとも、ボクの場合は微苦笑であったが。
「一週間ぶりに会って言う言葉がそれですか。あれの調査でもしてたの?」ボクはあれに対して興味津々なのだが、あえていつも通りのノリで彼女の前置きに付き合う。
ボクは目線だけを弥月に移す。彼女は「それは別の用事よ」と呆気なくボクの言葉を否定する、彼女は口元の端だけを少し吊り上げ、形だけの笑みを顔に描いた。ボクはそれに対して特に感情を抱くことはなかった。ただ身体の位置を変えて、手すりを背もたれへと変えただけ。
「あなたに協力してもらいたい事があるの。久井恭子って知ってる? ウチの学校の生徒らしいんだけど」
「らしいって……まあ知ってるよ」
「最近噂の女性連続殺人事件。その五番目の被害者なのだけど」それも知っているよ。「私たちでそれの
犯人を一緒に捕まえましょう」笑顔の仮面もどきを取り繕いつつ、怪しい口調で相談を持ちかけた。
普通だったらここで「ボクは普通の中学二年生だ。探偵じゃない。キミも多分ただの中学二年生。子供が首を突っ込んじゃダメでしょうに。犯人を見つけるのだって容易じゃないんだから」と断るはずだ。だがしかし今回はそうもいかない。
「わかった」素直に答えた。弥月は目を見開いていた。言い出しっぺのくせに。
「てっきり断ると思っていたわ」
「やらないとは言わせない気だろ?」
弥月は笑って受け流すだけだった。
「私たちは中学生だけど、もしもの時は江藤さんに協力を仰ぐわ。警察でしょ? あの人は」
「まあいつもの通りにってことだね」
「そうよ。それじゃ、早く捕まえましょう。これ以上野放しにしておきたくないわ。このまま放っておいたら被害者がまた出ちゃうわ」
ボクは深いため息をついた。別に犯人探しが嫌なわけではない。今回はたまたま利害が一致するから。
だけど、もしも何もなければまた彼女の奇行に巻きこまれているだけだったんだな、そう考えると落胆してしまう。
彼女はこうと決めたら最後まで遣り通す少女だ。例えボクが何と言おうとも、無理やりにボクを引き込ませようとする。迷惑な話だが、どの道この道、選択肢は「うん」のひとつしかないのだ。
「それで? 解決の糸口になる重要な情報は手に入っているの?」
「いいえ。特に。春も知っている事ぐらいだけよ」
ボクはもう一度深いため息をついた。これは自分にも落ち度はあるが、それでもこれから先、こんな調子でやっていけるのかと調査開始早々、暗雲が立ち込めるのだった。
女性連続殺人事件とはおおよそニュースを見る者なら耳にしたことがある、極めて有名な事件である。地域は狭く、橋里町の近くにある町の数々で犯行が行われている。それの被害者が運悪く久井恭子だった。ボク達とは無関係だとは非常に言い難い。規模も小さいのかどうかもわからないが、少なくとも五人もの女性をほぼ似た手口で殺害している。
その手口とは山奥やどこかの人気の無い所へ女性を連れて行き、そこで殺害するというのだ。そして死体の傍らには被害者への弔いつもりなのか一輪の白い菊の花が手向けられている。犯人は依然として捕まってはいない。
そんな危険極まりない犯人を捕まえたいと弥月は豪語するのだ。もちろんボクも。お互い変わっているなと思う。とはいってもボクの場合は今回だけだが。
「ここじゃあ肌寒いわ。近くのファミレスにでも移動しましょう」
五月の半ばといっても、やや寒さを感じるときがある。だから移動するのは賛成だが、よりによって家族連れや友人と歓談している人たちが多く集まるファミレスへ行くのはどうかと思う。しかし、面倒くさいという気持ちもあるので、後者の気持ちを優先させて廃ビルから立ち去ろうとする。
弥月は町の景色を小さな背中で見つめ屋上の出口へと足を運ばせた。弱い風が吹き、弥月の一つ縛りの長い髪の毛が踊った。そこで弥月の肌白い首筋が露出する。ボクはその細い首筋に見惚れてしまう。もちろん首筋の違和感にも。
ボクは彼女と肩を並ばせて歩く。顔は前の一方しか向かず、さぞどうでもいいかのように彼女に尋ねた。
「その首筋に刻まれている一線って、アレなの?」
「見えちゃった?」平常に構え、その傷痕を擦る。「そうよ。自分で切ったわ」隠すつもりはなく、堂々と言ってのけてしまう。
「だからか」ボクは呟く。そして察する。突然弥月がこのようなことを言い出したのかを。日も落ち、暗くなり始めた空を仰ぎ見て吐息をはいた。「どうしてまた?」ボクは投げやりに聞いた。すると弥月は妖しく笑い、「夢だからよ」と言ってのけた。
2
神谷弥月というのが彼女のフルネームだ。少し大人びた風貌をお持ちになっている。かわいいという表現では似合わずに、どちらかというと美しいと表現するのが正しいだろう。
ちなみにどうでもいいけどボクは吉野春という。なんとも平凡な名前だ。容姿も頭脳もこれといったとりえのない。悲しくなるぐらいに一般的な中学二年生だ。
ボクと弥月が出逢ったのは最近だ。確か二ヶ月ぐらい前だ。ちょうどここのビルで。このビルが嬉しいのか悲しいのか無縁だったボクと弥月を引き合わせた。運命だったのだろう。それとも別の力が働いたのか。ボクはせいぜい運命でいいと思う。もしくは天命だったと。
たまたまボクがこのビルを見つけ、散策していると、屋上で身投げを行おうとする弥月と直面してしまった。気まずかったな。あの時は。お互い硬直してしまい身動きが取れなかったのをよく憶えている。彼女の名前だけは知っているのに、改めて彼女の顔を拝むのはあの時が初めてだった。
弥月は学校でもっとも浮いている存在である。ボクは目立ちすぎずかつ目立たな過ぎずと、両立した立場を均衡して保っている。弥月はそれに失敗してしまった。
いじめとかではない。何も知らない三者が見ればそう受け取れるが、実質違う。彼女を避けているのだ。彼女もみんなを避けている節があるがそれは置いといて、どうしてみんなが弥月と距離を置くのは結論を言わずとも分かるだろう。
原因は弥月の自殺癖。多分新参者ではない限り、橋里町で彼女の名前を知らない人はいないだろう。別に彼女は死のうとすることに快楽を憶えるマゾヒストではない。純粋に死にたいだけらしい。
だけど死ねないらしい。
不老不死という非現実的な話ではなく、自殺をしようとするとどこからか邪魔が必ず入り、生き延びてしまうようだ。
首筋の件もそう、頚動脈を切ったらしいのだが結果的に横槍を入れられて助けられてしまった。そしてまた病院のお世話になってしまったらしい。ある意味、死のうとするよりも、生き延びることのほうに脱帽してしまいそうだ。
ボクが弥月にこのように探偵らしきものを誘われるようになったのは出逢ってからだ。今回で三回目となる。初めて出逢ってから数日後に一回。それから一ヶ月して彼女がまた自殺を繰り返し、退院してから数日後に一回。そして今回。薄々来るなとは感づいていた。案の定来た。
そして見事、大型連休が明けて一週間後に新たな事件へと首を突っ込むことになった。
チリンチリンと店内に入ると同時に鈴の音が鳴った。ボク達の来店を快く迎えてくれているようだった。人の雑談の声で賑やかだった。そこまで騒がしくはなく、うるさいのか静かなのかと極端に聞かれると後者だろう。時間帯もあるので客は少なく、すんなりと禁煙席へ通される。
二十半ばぐらいの茶髪で短髪のウェイトレスが二、三喋って、店内の奥へと姿を消していった。
さてと、とボク達はようやく腰を落ち着かせて議題について対談を始めた。
まず何から話すかなと一通り考えた。すると弥月がなにやら折りたたんだ地図を取り出した。広げると、テーブルの二分の一ぐらい独占していた。彼女の配慮か、地図の向きは正しかった。
「それがどうかした?」
「これに被害者が発見された所を印つければ見えてくるかもしれないでしょ」とフフンと自慢げに鼻を鳴らした。
どうかな? 第一印象はそれだった。まずボク達の真の目的は犯人逮捕だ。仇討ちなんて弥月はこれっぽっちも思っていないだろうけど。だがしかし、こんな少ない情報で犯人逮捕まで導き出せるのだろうか。非常に無理難題だ。
「懸念しないで。殺害現場は記憶してあるから」
「そういう心配はしてないって」
たくもう、と嘆息していると、さっきと同じウェイトレスがお冷をトレイに乗せて運んできてくれた。怪訝そうに広げた地図を見つめていたが、営業スマイルは絶やさなかった。地図の上には置かず、丁寧に空いた机のほうに乗せてくれた。
いい人だなと感心しながら去る後姿を見送ってから本題へ意識を戻す。
弥月はボールペンも取り出し、地図の上にそのまま書き込んでいった。
「まず、一人目の被害者だけど、上山碧海さん。わかっていると思うけど、被害者は全員女性よ。S山の廃屋で発見された」
弥月は順序良く説明しながら地図上に黒丸で印を書き示していった。そしてその横にAとアルファベットを記す。
「これは、殺された順番よ」
つまり、A~Eまで書くと言いたいのだろう。
「二人目は、菊野泉美さん。A地点から南に三十キロぐらい離れたN町の病院の跡地」
黒丸を書き、その横にBと書く。南は、ボクから見て下にいく。
「三人目は小中海さん。Bから西に五十キロ離れたT町のどこかの廃屋、そこをC地点。四人目は片山涼子さん。A地点から北に三十キロ離れたU山の廃屋、そこをD地点。最後の五人目はわかっていると思うけど、久井恭子さん。D地点から西に五十キロ離れたI町の林の奥、そこをE地点。以上よ」
そう言うと、ボールペンに蓋をしてそこらにポツンと置く。ボクはお冷を一口頂いてから思考を巡らせた。どうも何か引っかかるのだ。
違和感は何か頭を捻らせる。見た限りだと、犯人は犯行を遊んでいるとしか思えなかった。そしてそれがボクをイラつかせる。人の命を何だと思っている。これに怒りを覚えないでいつ覚えるのだ。非常に腹立たしい。
「春、分かったかしら?」
顎を擦りながらうーんと捻る。「距離とかも一定感覚として保っているし、こういうのって確かシンメントリーっていうんだっけ。いや、点Aを含めるとそうでもないか。でも犯人は何かを図示したいのかな?」
「その可能性もなくはないわね。ひょっとすると点を線でなぞるとか?」
閃いたように人差し指を立てる。それも一理あるなとその推察を受理する。しかし、それはそれで新たな問題に直面する。
「どこをどうつなげればいいのか、よね」
わかっているように自分の意見の欠点をあげる。確かに、繋げ方によっては全くと言っていいほどに形が異なるのだ。おまけに、Aの地点だけが他の地点と異なっている事からその謎をいっそう深めていく。
「殺された順に繋げてみたらどうかしら?」
「だけど、それじゃあどんな図なのか解らないよZとは微妙に違うし。でも、点Cと点Eの間に新たな点をつければ「H」にみえなくないし」
うーんと早くも行き詰る。それから思いついた案を述べるのだがいまいちピンと来ない。時間だけがただただ悪戯に流れていくだけだった。手詰まりになったボク達の周りには薄黒い負のオーラがさぞかし漂っている事だろう。
ボクはここに来て最悪な可能性を連想してしまう。
「もしかして、別に意味なんかないんじゃない?」
「あるわよ。きっと必ず」
根気よく彼女は地図と格闘していた。諦めが悪い人ってある意味いい性格しているな。とつくづく思った。
たとえ仮に関連性があったとしても所詮そこまでだ。未だに捕まっていない犯人がいくら遊びだからといって、自分が犯人だと確固たる証拠をはたして残すだろうか。答はNOだ。しかし、遊びとして証拠をわざと残すかもしれないし。でもそうすると、警察も嗅ぎつけるだろう。
犯人の意図が掴めず、ボクは憔悴していくだけだった。
「観点を変えてみよう」ボクはそう提案した。煮詰まったら着目点を他にすればいいと聞いた気がする。色眼鏡で見ても大事なものは見えない。「地図に囚われているばっかりじゃなくて、他の視点に移そう」
「分かったわ」困窮した彼女は思いのほか、頷く。「だけどどこに?」難しそうに顔を歪ませて小首を傾げる。
「もしも図にも関連性があるとすれば、もう片方は被害者の共通点だよ。そこから探していくのが賢明な判断だと思うよ」
最初の被害者の上山碧海さん。二人目の被害者の菊野泉美さん。三人目の被害者の小中海さん。四人目の被害者の片山涼子さん。五人目の被害者の久井恭子。この五人に合致する共通点は一体何なのだろう。
「全員が女性だってことは分かりきっている事だし別にいいわよね」
「特に意味はないんじゃないかな。解るとして、もしも次の被害者が出たら女性の可能性が高いってことぐらいだしね」
弥月はまさかの難易度に苦慮していた。これは自分でハードルを上げた結果だろう。ある意味、自業自
得だ。その言葉は弥月を止めずにノリで巻き添えを食っているボクにも同じことを言えるんだけどね。
「あー、そうか」ボクは今まさに閃いたと感嘆の声を上げる。彼女は「何? 何?」と興味を示す。「もしかすると、イニシャルなんかじゃないかな」
「イニシャル?」
彼女はそれがどのように被害者の五人に関与しているのかを思惟する。合点とまでは行かずボクの考えに眉をひそめた。
「うん。例えばボクは吉野春だからS・Y。キミは神谷弥月だからY・K」
弥月は相槌を打ってから「それで?」と話を促した。
ボクは確証高いこの考察をキャラ甲斐も無く自信気に披露する。「まず被害者全員の名前をあげると上山碧海さん。菊野泉美さん。小中海さん。片山涼子さん。久井恭子。その人たちをイニシャルに変換すると、最初の人から、O・K。I・K。U・K。R・K。K・K。そのようになるんだ」
「そう……なるわね」
こくん、と一回頷く。ボクが何を言いたいのか意図が解っていないようだ。
「解らないかな? 全員に『K』のイニシャルがつくんだよ」
「そういえば、そうだわ。凄いわね」
弥月はその閃きに賞賛の声を上げる。それから目を閉じながら再び尾の伸びたため息をついた。落胆しているのかなと思い「どうかした?」と尋ねた。
そうすると弥月はその理由を返した。「図の意味も理解したからよ」ボクは思いもよらない展開に驚嘆し、追及する。
「イニシャルの件からそこへどのような関連性がうまれるんだ?」地図に描かれた図コンコンと手の甲で叩く。
「つまり」と説明に入る前に水で喉を閏わしてから口を紡ぐ。ずいぶん焦らしてくる。「細かい所は後で説明するわ」
前置きの一言を述べてからすぐさま本題に入る。
「結び方は今のところ適当でいいわ。まず点Bから点Dまで直線を引く」二人とも線引きを持ち合わせていないのでぐにゃぐにゃの線になってしまう。なるべく不恰好にならないように慎重に線を引いていた。
「それから、点Cから点Aに一線。今度は点Aから点Cへ直線を引くと……」
ペンを無造作に放った。
「『K』の文字が浮かび上がるのよ」
勝ち誇ったように背もたれに寄りかかった。何でそんなにドヤ顔をしているだろう。その辺りは華麗なスルーをして、疑問を投げかける。
「えっとさ、どの辺が『K』なの?」彼女はキョトンとした。何を言っているのかしらと不思議そうな顔を向ける。だけど、すぐに納得して、説明に入る。「逆さまにすれば良いのよ」グルンと地図を百八十度回転させる。
ボクは細目で図を舐めるように眺める。そして「あ!」と不透明だった何かが明瞭となって明かされる。ボクは指を鳴らした。そしてあっさり納得した。
「最初私は点Bから点A。そうしてからの点Aから点Dかと考えていたけど、線BDにするときに点Aは僅かにその線に交わらず、ずれるの。だからその考えを切り捨てて、さっき言ったようにしたわ。点Aがずれていた意味は、線CAと線AEが線BDを二等分線にさせるための中立した点Aだったのよ」
「そして弥月視点、要するにボクから見て地図を逆さまにすると、さっきボクがあげたイニシャルの関連性が見えてくると」
「そういうことよ」
「これで『K』が見えた」
ボクは改めて犯人は遊んでいると憤った。殺害場所をこのような形で利用するという行いははたして人道なのか。娯楽として暇な時に考える程度ならまだしも実行する時点で遊びと現実の境界線を勘違いしている。
捕まえたい、その気持ちが静かに強まった。
「そこからあなたの推理したイニシャルを示唆していると推測できるわ。そして、今度は名前の方のイニシャルを活用するのよ」拍車がかかり、ヒートアップしてきた。
「O、I、U、R、Kを利用するのか。でも、その順番にしたら読めないね」
「だから、この時にあの図を利用するのよ。殺された順番で並べるのではなくて、点を線で結びつけた順番で並ばせるの」
「アナグラムか」顎を指で擦る。
「点BがI。点DがR。点CがU。点AがO。点EがK。それを並べると……」
ごくり、と唾を飲み込む。解明できる期待と緊張などの感情が高まり心臓を刺激し鼓動を早く打たせる。
「IRUOK」
弥月は震える唇を動かした。だが、結果は非常に芳しくなかった。
「何て読むのかしら?」彼女は苦笑する。小首を傾げて照れくさそうに自嘲した。
名誉挽回といわんばかりに言葉を更に紡いでいく。
「Kの文字を逆さまにするんだから、文字も逆から読んでみたらいいのよ。KOURIでこうり。……きっと小売りよ。そう言いたいんだわ。だから次の犯行は小売り店だった場所よ」
「違うでしょ……。人目に付きやすい場所にあるでしょ」
「冗談よ。でも、アナグラムと仮定して、IRUOKをどのように組み立てていけば良いのかしら」
「うん」
別にアナグラム以外にも可能性はある。そもそも、これ自体意味の召さないものであるとも言えなくはない。それに、五件で事件が終わったと決まったわけではない。だけどはたして、こんな単純なものでいいのだろうか……。
弥月はブツブツといろいろなパターンのアナグラムを呟いていく。しかしどれもピンと来るものはなく、低くうねった。いろいろに詰まっている所為か、「点Aと点Cの間に橋里町があるわ。きっと犯人は
ここにいるのよ」と無理やりな推理を言い出す。
段々と弥月が可哀相に見えてくる。ボクはもうここまで来たんだからいったん引いてもいいんじゃないのかなと諦めムードであり、思考を止めていた。弥月にどやされそうであったけど、救いの手が差し伸べられた。
ブーブー……と中学校に進学した時に親が購入してくれた使用期間が二年目に突入している黒色の折りたたみ式の携帯のマナー音がボクの制服のポケットを振動させた。
時間はもう六時をまわっていた。ファミレスにいて二時間もいたんだと思うと嫌な気分がした。というか、二時間も注文せずにたむろしているなんて店側からしたら迷惑極まりない嫌な客だ。
時間帯的に家族からだろうなと想像しながら着信者を覗く。案の定、自宅からだった。もしもしと携帯を耳につけて応える。妹達だった。どちらの方か電話の声でははっきりしなかった。どちらかの妹は、いつ帰ってくるのか、飯はどうするのか、等と怒鳴ってきた。反射的に耳を携帯から遠ざける。非常に短気な妹だ。いったい誰に似たんだろうか。あらかじめ言っとくけどボクではない。
「弥月は夕飯どうする?」携帯を遠ざけたついでに弥月に尋ねた。弥月にだって都合というものがある。ボクが食べていくと妹に伝えても弥月が食べないとすれ違いになったら恥ずかしい。「私は食べていくつもりだったけど?」
うんと頷いてから妹たちに今日は外で食べると言った。その反応に妹たちは、何故かと、しつこく尋ねてくる。ボクは面倒くさそうになる部分は省いて旨を伝えた。しかし、どうやらボクにはもともと拒否権はないらしく、どうでもいいから帰れとどやされた。
最悪だなと電話先の妹に文句を吐き捨ててから電話を切って弥月にもう帰らなければならないと詫びた。
「そう」弥月は頷きながら呼び出しボタンを押した。ここで食べていくと言っているのだろう。ボクはもう一度詫びる。
「春、明日一日暇かしら?」
「明日学校なんだけど」何を言い出すのやら。
「サボりましょう」
「ボクをあくどい道へ誘導しないでよ。いいけどね」
「嬉しいわ。あ、それとこれあげるわ」
弥月は例の地図を綺麗に小さく折りたたんでから差し出す。ボクは物を言わず受け取った。使う機会はないだろうけど。
「それじゃあ、夜頃連絡するわ」店員が来たのを見計らって早急に話を切った。「またね」ボクは別れ際に手を振った。彼女もまたねと返事し、解散した。
3
S山にて
昨日、弥月からの連絡が来たのは八時ぐらいだった。ボクは風呂上りで、自分の部屋へ戻ったら携帯が光っていたのを発見した。メールの内容は簡潔で、『明日、朝八時頃に家へ来て』だった。ボクも『了解』と弥月より短い文を打った。
明日は何を着ていこうかと迷った。一様、学校はあるわけだし、念のために制服を着て行った方が良いのではないか。しかし、それではやはり目立つ。サボったのがバレてしまうのはいたたまれない。かといって私服にしても、もしも弥月が制服で行く気だったら彼女が浮いてしまうに違いない。別に、弥月の家へ行くから着替えてもらえば良いのだが、いささか手間が掛かる。それに弥月の事だ、気にせずその格好のままで行くだろう。じゃあやっぱり制服か、しかしそれでもしも逆のパターンだったら? 同じ展開になってしまう。ではボクは明日何を着ていけば良いのだろうか。弥月に何を着ていくかとメールを打つのも億劫だ。じゃあ、何を着ていこうか……。一時間にもわたる試行錯誤の末、選んだ服装は制服だった。そして彼女も制服だった。非常に安堵している。
とまあ、どうでもいい前置きは置いといて、ボクは弥月が提案した「被害者のお墓参りに行きたい」という要望に付き添う事にした。
しかし、ボクが想像していたお墓参りとは意味が違っていた。弥月の言うお墓参りとは殺害現場へ出向く事らしい。弔いがしたいらしい。
ボクは花束を持たされ、バスに乗せられた。まず始めに向かったのは最初の被害者、上山碧海さんの殺害現場であるS山の廃屋だ。バスに乗っている時、周りの人から見ればボク達は制服を着ている。そして花束。お葬式にでも行くのかという目で見られていたかもしれない。なんとも奇妙な光景だろうね。行こうとしている場所も場所だし。
バスから降りてボク達は登山するハメになった。登山経験が小学校の時ぐらいだし、中学校では帰宅部に所属しているため運動不足がたたる。それは弥月にもいえることだった。入退院を繰り返す彼女にはボクより体力の値が少ないのは登るのを始めてから数分で気付いた。
息を切らして、汗を大量に流す。所々休みながら、持参してきた水筒で水分補給。そして再び登る。それを何度か繰り返し、何とか迷わず目的地へ着いた。
まずボク達がしたのは合掌だ。花束を無人の廃屋へ手向け、それからしゃがんで目を瞑って十数秒ジッと黙祷。こういう場合って何というべきなのだったかな……確か、お悔やみ申し上げます、だったか。
行こうか。立ち上がったのも、声を発したのも何もかもボクが先だった。弥月はずっと、拝んでいた。ボクは彼女が動くまで待った。彼女の表情を覗き見るような無粋の真似もしなかった。風がなびき草木が鳴いた。
「行きましょう」彼女はようやく動いたかと思うと早足でその場を去ろうとする。急いでその後ろを追いかける。小屋の中は見ないの? と訊くと、見る気はない。振り返らずに言った。ボクは彼女を追いかけているときに振り向き廃屋を見つめた。被害者の断末魔が鼓膜へ訴えかけてきた気がした。
U山にて
どうしてこんな事をするのか。U山に向かうバスの中で訊いた。また買い渡された花束をがさがさと動かす。彼女はやりたいからやるのだと単純な言葉を淡々という。
そういえば、過去にもこんな感じに付き合わされたなと今更ながら思い出す。そして同じことを訊いて、同じことを返された。理由なんかないのだろうか。言葉通りにやりたいからやっているのだろうか。それとも、言葉とは裏腹に彼女にしか分からない事情でもあるのか。彼女から口にしようとしなければ、真実は解らない。
バスから降り、バス停で佇み場所を地図で確認する。分からない所は通りすがりの人に尋ねながらU山へ到着する。そして登り始める。U山はS山に比べれば険しくはなかった。
整備がままならぬ山道を事前に調べた情報と勘を頼りに足をひたすら動かし続ける。朝から二度目の登山の為疲労が際たつ。明日は筋肉痛だなと嘆息する。空腹も目立っていき力が抜けていくのも確かだ。
弱音をつい吐きそうになるボクだが、弥月はボクなんかが遥か下だと思えるぐらい弱音を吐かず、息を激しく乱しながらもひたむきな黒い目を変えることなど一切しなかった。その姿に感服しながら、二番目の目的地へついた。
U山は四番目の被害者である片山涼子さんの殺害現場だ。そこのまた無人の廃れた小さな小屋へ花を手向けて合掌する。弥月は今回も長く黙祷していた。ボクも弥月に合わせて長く黙祷を捧げた。
今回もそうだろうなと感づいていたが、弥月は黙祷だけ捧げてその場を早急に立ち去る。顔は伏せてあり自分の足元を眺めながらスタスタと歩く。狭い一本道だったのでボクは弥月の後ろをピッタリとついていった。
――「購いよ」唐突に彼女がポツリと呟いた。ボクは思わず聞き返すがそれからは何もなかった。お互い無言のまま下山していった。
I町にて
昼食を取ったのはこの町だった。しかし優先順位はこの町の林の奥で殺害された久井恭子の弔いだった。今までの二件は小屋で行なわれており実際その小屋へは入っていないため惨状は把握していなかったが今回だけは違った。
悲惨にも、辺りに久井恭子のものと思われるおびただしい数の血痕の後が散乱していた。拭き取られたり雨で流されて薄まったりしていたにもかかわらず、木々にしっかりと血しぶきが付着していた。
ここでようやくボクはここで殺されたんだと実感がわいた。不謹慎かもしれない。前の二人にも失礼かもしれない。しかしボクは安堵したんだ。殺害現場という存在を誤認していた事に気付いたから。
ボクは想像してしまう。彼女がここでどのようにして殺害されたか。無念の断末魔の悲鳴が耳へリアルに届く。
ボクは彼女から誕生日プレゼントとして貰ったあのビーズのストラップを取り出した。彼女との思い出が一丸となって甦る。ボクは自然とストラップを強く握っていた。犯人に対する怒りが込み上げてきたのだった。
弥月が買った花束を手向けた。ボクはこの黙祷で初めて被害者に誓った。四人にも、久井恭子に向けて、ボクの決意を表した。そして約束した。必ず捕まえると。そうして、この場を立ち去った。
あれを見てしまった後では気が気ではなかったが人間の生理的欲求には敵わず、近くの喫茶店で遅れた昼食を取る。ボクはカルボナーラで弥月はミートソーススパゲッティを注文した。
お互い麺類が好きなんだなと冗談を言った。弥月の反応はいまいち、そのようであった。このような事を言わなければ気持ちが晴れなかった。
ボク達は不味い食事をしてから次の目的地へと移動する。
T町にて
この町に存在する人影のない廃屋で三番目の被害者である小中海さんが殺害された。いったいいくら持って来たんだろうか再び弥月のポケットマネーで購入した花束を手向けて合掌。そして黙祷。一連の行動にズレはなかった。四回目の今回は最初と比べるといささか手際が良い気がした。とはいっても、単純な行動しかないわけだけど。
さすがに日はもう傾き始め夕暮れ時に近づいてきてしまっているため、ボク達を焦燥させた。
日が落ちる前には全てを回りたいので、急がなければなとバスに乗り込んだ。次で最後だ。ボクはふうと大きく息を吐いた。眠そうな目を擦る。欠伸も自然と漏れる。
やってから気付く。弥月の横だと。弥月は気品に姿勢を保ち大きく深呼吸していただけだった。ここで男の意地というものが出てしまった。弥月も辛さは同じなのだから我慢しなければと。ボクは姿勢を正した。
ざわざわと小うるさくなっている車内でボクらは比較的静かだった。喜怒哀楽の感情がない無表情な中学生の男女が肩を並べて同じ席に座っているとなると、シュールだ。
何かを話さなければと思い至り、ボクは楽しくはならないであろう話題を彼女に振った。それは、なぜ犯人を捕まえたいのか、ボクが一番気になっている部分だ。
彼女はふっと息を吐き、目線を泳がせてしばらくの沈黙の後に口を開く。
「私は……」しかしここで言いよどむ。口を噤む。唇を一の字にして黙り込んだ。ボクらの間に距離が空いた気がした。
N町にて
最後にボク達が言ったのは二番目の被害者の菊野泉美さん。未だに取り壊されていない外科専門の病院の跡地であった。ボク達は一連の動きをして菊野泉美さんを弔った。当然だが、病院内には入っていない。玄関先で花束を手向けただけだった。
どうして中に入りたくないの? 最初のS山で訊いた事をもう一度ここで繰り返した。するとあの時とは違う答が返ってきた。
「死者は眠らせてあげなけきゃ。踏み荒らすのは死者の尊厳を踏み躙る冒涜と同じよ」
弥月は微笑みながら言う。しかしその表情からはどこか哀しさが篭められている様な気がした。追求するのもはばかれ、タイミングを失った。
お互いに会話が失ってから数分が経つ。その沈黙を打ち破ったのはその空気を作った弥月だった。
「さっきなんで犯人を捕まえたいのかって訊いたわよね」
うん。いや、正しくはそうではないかもしれない。言葉は不明だが相槌を打ったのは記憶に残っている。
弥月は続けた。「人殺しは贖罪しなければならないのよ。罪を償わずのうのうと暮らそうとするのが許せない。何らかの形で罰さなければいけないの。そう――何でもいいから、どんな形でもいいから、罰さなければ……。それが罪を犯した者の定め」
腕を組んでギュッと腕を強く握り締めていた。下唇を僅かに噛み、感情に震えていた。弥月が抱える深い感情を黙って見ていることしか出来なかった。
ボクは弱った彼女にごめんねと一言だけ謝り、帰ろうか。と弥月の肩を優しく叩いてから先に歩き出した。嗚咽が弥月から漏れたような気がした。ボクは何も無かったようにそこには触れず、ひとり先にバス停へ歩いた。
4-1
橋里町へ着いたのは日が落ちてからだ。長旅というほどでもないが体の疲労上、そんな気がしてならなかった。橋里町は少し田舎だ。暗くなっていくに連れて人の数が減少する。狙ったつもりはないけど気がつけば人通りの少ない場所を二人きりで重い足取りを引きずるようにして帰路へ沿って歩いた。節々が痛む。やってられないと心の中でぼやく。
「ねえ、弥月」
ボクは彼女に話しかけた。とりとめないどうでもいい話。心身ともに疲弊している弥月に閑談してあげようとボクからの心意気だった。「何?」暗い調子で聞く。ボクは口を開こうとするのだが、その刹那に思いがけない所から口封じをされるのだった。
口封じと一言で言っても多少違いは出てくる。ボクは別に口元を布か何かで覆われ喋らなくされたわけではなく、頭を殴打されたのだ。硬いものでゴツンとあっけなく叩かれ、そのまま地に伏した。意識が朦朧としだす。何が起きたのかを判別しようと試みる気は無く、睡魔に身を投じようとしていた。
薄れゆく意識の中で弥月が暴れている声を聞いた。ボクを殴った誰かと格闘しているようだ。ポトリと何かが落ちた。格闘している際に誤って落としてしまったのだろうか。ちょうどそれは虚ろな瞳に映るラインだった。その落し物は弥月の物かと最初は思った。どうして弥月は一輪の白い菊の花を持っていたんだろうな。もう意識が混濁して考える暇を与えなかった。
ボクがその花の持ち主が弥月ではないとしっかりと認識するのはもう少し後のことである。
本当は、図をつけて説明したかったですけど、面倒くさくなったのでやめました。
とにかく、春と弥月の二人を良く思ってくださればいいと思います。
ではまた。




