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ねこのきもち

作者: 増田

 箱の中がすっかり暗くなってしまってから、もう随分と時間が経ちました。

 入れられる以前に小耳に挟んだことなのですが、どうやらこの箱の中には猛毒の入った小瓶が置かれているそうです。小瓶は口を溶接されて密閉状態にあるものの、すぐ側には振り上げられたまま固定された金槌が設置されていて、その金槌はとある時間がきた途端に振り下ろされるのだそうです。

 そのとある時間なる時がいつを指すのか、私には全くわかりません。いまこの瞬間にもその時が来ているのかもしれないし、あるいはもっと先のことだったり、考えたくないことではありますが、もう過ぎてしまったことだったりするのかもしれません。金槌は誰の影響を受けるでもなく、独立した一つの事象として、完全な確率五十パーセントで振り下ろされることになっているのです。小瓶は割れてしまうのかもしれないし、割れないままなのかもしれない。私は死んでしまうかもしれないし、生きたままいられるのかもしれない。

 まったく、とんだ状況の中に押し込めてくれたものです。

 激しい憤りを覚えずにはいられません。私の生死という何よりもの重大事項が、私はもとより誰からの手も離れて、唯一、五十パーセントなどという無機質極まりない確率だけに委ねられているなんて。ほとほと酷いにも程があるのではないのでしょうか。

 加えて理不尽極まりないことに、この五十パーセントという確率をより厳密なものにするために、箱に入れられた私には様々な枷が与えられたのです。

 例えば視覚について。小瓶と装置が見つかっては壊されかねないとのことから、箱には完璧な遮光が施されることになりました。完璧な暗闇。暗黒と呼んでも差し支えのない暗さが用意されたのです。私には、少し先の様子はもちろんのこと、私自身の輪郭さえ視認することができません。そこに本当に私の身体があるのかどうか、馬鹿げた話ではありますが、疑いすら持ち得てしまえる暗さなのです。

 また聴覚についても、同様の理由からか、自ら発した声さえ聞きとれない程に徹底した遮断が施されてしまいました。どのような原理が働いているのかはわかりません。そもそもなにも見えないのですから、確認のしようがないのです。もしかしたらここに入れられる前に鼓膜を破られたのかもしれないし、あるいは箱を形成する外壁に特殊な吸音板が使用されているのかもしれません。情けないことに、想像する以外に講じる手立てが見つからないのです。

 兎にも角にも、防音吸音共に優れすぎた暗い箱の中で、私の視覚と聴覚は文字通り死んでしまっています。殲滅されていると表現したほうが適切かもしれません。外部からの情報と、尽く切り離されてしまったのです。

 また、極めつけとばかりに与えられた、全身を支配する身じろぎひとつ取れない虚脱感も、私を拘束する堅牢な枷のひとつでした。暴れないようにとの理由から、箱に入れられる際に何かしらの弛緩剤を投薬されたのです。半ば強制的に同じ姿勢のまま横たわらねばならなくなったので、次第に皮膚感覚が麻痺していきました。

 何も見えないし聞こえない。嗅覚も味覚もあてにならない上に、触覚までも機能不全に陥っている。つまるところ私は、五感を全て支配された木偶人形のような有様を晒してしまっているのです。非情極まりない状況です。これほどまでに不自由を徹底するくらいなら、睡眠薬を投与してくれたらよかったのにと思わずにはいられません。一つも外傷を与えられないまま生殺しにされている気分なのです。私という生命、存在について、これ以上ないほどに蔑ろにされているという屈辱感だけが、辛うじて私の精神を狂わせず律してくれているのです。

 私は、私の生命を、その生き死にを決定する何よりも重大な決定権があからさまに奪われてしまっていることが憎くて仕方ありません。生命の存続を決定づける要素というものが、たった一つ、誰からの意図からも独立した、純粋極まりない確率にだけ寄っているという事実が、悔しくて悔しくて堪らないのです。

 どうして私はこんな箱の中に入れられなければならなかったのでしょう。こんな馬鹿げた箱の中で、徹底して自由を奪われたまま生死の恐怖に怯えなければならないのでしょう。

 こんなに理不尽なことがあっていいのでしょうか。こんなに残酷なことがあってもいいのでしょうか。

 私はいま、とても孤独です。胸にぽっかり穴が開いたとか、むせび泣いてしまうとか、そんな孤独よりももっと深淵にある、一面の虚空とでも言うべき孤独感にやられてしまっているのです。すごくすごく、ものすごくさびしい。独りぼっちのまま、永劫の暗黒に投げ出されてしまったものですから、絶対零度にも等しい肌寒さに打ち震えることしかできないのです。

 箱の中からは一切の遠近感が失われています。暗黒だけが広がっていて、どこかにあるはずの小瓶と金槌は当然のごとく、箱の壁も底も天井も全て消えさってしまったかのようです。無論、実際にはそこにあるのでしょう。けれども、ありとあらゆる感覚器が閉ざされ麻痺してしまった私には、当然のようにそこにあるはずの(それ自体に何かしらの存在意義が与えられている)物どもが、あたかも存在していないも同然になってしまっているのです。

 正直に告白しましょう。私にはもう、箱の中に私がいるという前提にさえ自信が持てなくなってきています。確かに私というものは存在している。こうして取り留めもないことを考え、あるいは空想している私の自我ないし意識とか精神などと呼ばれている唯一性は確保されている。けれども、その唯一性が本当に箱の中に閉じ込められているのかどうか。本当はもっと違う、どこか異質な空間を漂っているのではないか。疑念を払拭し切ることができないのです。

 もしかしたら、いまこうしてここにある私は、どこか遠く宇宙の果てを漂っているのかもしれない。マリアナ海溝の水底に横たわっているのかもしれないし、キラウェア火山の火口からマントルの方向に向かって沈下しているのかもしれません。

 私には私自身を覆う箱がどうなっているのか知る術がないし、五感が死んだままではここが箱の中なのかどうか判別がつかないのです。

 加えて、いまここにある私が本当に生きているのかどうか。そんなことさえも私には確認する方法が与えられていません。ともすれば私は、二分の一の確率をすでに通り過ぎてしまっているのかもしれないのですから。私はもう死んでしまっているのかもしれませんし、運良く生き残っているかもしれません。弛緩剤を打たれた身体で浅い呼吸と僅かな拍動を続けているのかもしれないし、その全てが停止したままだらんと横たわった肉塊になっているのかもしれません。

 私は私自身の肉体を自由にできるだけの力を奪われてしまっているのです。私という思考が生命活動を続ける健全な肉体に宿っているなどと、一体誰が認めてくれるのでしょう。完璧な暗闇に毒された五感は、すでに感覚器としての意義を失くしています。私にはもう本当を確かめるだけの機会さえ与えられていないのです。ありとあらゆる想定は、もしかしたら私自身が作り出した捏造なのかもしれない。私を巡る様々な状況や、そもそもの私という唯一性についても、プログラムされたロールプレイにすぎないのかもしれない。

 私という存在について、口惜しいことに、ゆらぎの只中にある私には振る舞い方を決めることができないのです。

 叶うことなら、誰かに私を見つけ出してほしいくらいです。私を閉じ込めた狭い箱をこじ開けて、私がどうなっているのかを観測して、私の有り様を決定して欲しい。私にはもうそれだけの力が残されていませんから。身動きも取れないまま、孤独に身を震わせ続けることしかできないのですから。

 全能の神であれば、『光あれ』と呟くこともできることでしょう。無茶な願いだと承知のうえですが、そう告げることができたのならどんなによかっただろうと感じずにはいられません。

 自身を巡るありとあらゆる不確定なゆらぎを自らの意思で確定できるなんて!

 憧れは、しかし一方で臆病な陰影を生み出すものです。箱が開かれ、私が見つけられて観測され、結果的に私の有り様が決まることについて、嘘偽りなく告白すると、確定されるいまに感じてしまう不安から目を逸らすことができなくなるのです。

 生きているのか死んでいるのかさえも自分自身では確かめようのない私ではありますが、それでもやっぱり死ぬことは怖い。死んでいると決定してしまうことが生理的に恐ろしいのです。どうしても受け付けられない。それはきっと私がまだ具体的な死という現象を体感することも想像することもできていないからなのでしょう。

 いいえ、なにも私に限った話ではないのでしょう。人徳有望な仁君名君であっても、極悪非道な殺戮者であっても、遍く存在する人畜無害な一般人であっても、誰だってそうだろうと思うのです。年老いた人や、病床に伏せた難病患者であるのならば、もしかしたら限りなく近しい想像を働かせることが可能かもしれません。が、それでもやはり具体的な体験については一生不明なままだと思うのです。

 死とはゆるがせにできない圧倒的な意味合いを有した終着点であるのです。時間というもの、あるいは意識というものが絶望的なまでの不可逆性を有しているように、たとえそれが儀礼的な通過点や他に類を見ない印象深いイベントであったとしても、決して覆すことのできない絶対的な事柄に違いないのです。

 私は、いまここにある私という思考は、私を巡る様々な有り様が決まった瞬間にここから存在しなくなります。頭までどっぷりと浸かった、熱くも冷たくもない、温度を感じることのできない完璧なぬるま湯を抜かれてしまって、否応なしに外気に触れざるを得なくなってしまうからです。

 そんな取り返しの付かない変化が恐ろしい。死んでいると決定づけられるだけに限らないのです。私にはもう、生きていると決まってしまうことさえ不安で不安でたまらないことなのです。

 きっといまここにある私は、永遠とも感ぜられる点に留まった小さな小さな幻想のようなものなのでしょう。それ以上広がることもなければ縮まることもない、伸びることもなければ短くなることもない。拡散することも閉塞することもない、数学的に正しい唯一点に留まったまま自己の同一性を勘違いしてしまった幽霊のような存在なのでしょう。

 その点は、座標平面上の至る所に存在し、同時にとある一箇所には存在していないのです。一心同体も同然となった私のことなんて気にも留めないで、ある特定の事象が起こった瞬間に、その事象が起こったありとあらゆる時空間の中のたった一つに、まるで行く当のないバスから降ろすかのようにして私を収束させるのでしょう。

 そんな点に留まってしまった幻は、実物になる可能性も、霞となって消え去る可能性も平等に有している。

 私はいま、どんな時空間にも存在し、ありとあらゆる性質を有していながら、同時にどんな性質からも見放された孤独に苛まされています。誰かに見つけて欲しいと願う一方で、その時一体私がどこにいるのか、どのような姿になっているのかが不安でならないのです。

 因果の理から放たれてしまった私は、何時迄経っても不確定なままなのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 内容の深遠さと題名の可愛らしさのギャップが良いと思いました。 [一言] ここまで哲学する猫を私は初めて見ました。 後半からだんだんと私の理解力が追っつかなくなって何が何だかよく分からなく…
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