表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

大事な大事な忘れもの

作者: 天國みはこ
掲載日:2026/04/21

 この街の人間は名前は大事なのだと、散々大人から聞かされていた。名前は魂に結びついているから、神様に名前を取られないように、人に名前を簡単に教えてはいけないのだと、小さな頃からずっと聞いている。



「あ、」

 水の音にかき消されるほど小さな声がクロの口からこぼれ出した。わたしはひとつため息をついてどうしたの?と彼女に視線をやった。どこか遠いところを見るように、何かを思い出そうとするように空を見ていた。凛とした意志を宿した瞳はこちらを見ることはなくぼやりとどこかを見ている。

「忘れ物、してしまったみたい」

「今気づいてもおそいんだよ?それで、何を忘れたの?」

彼女は視線をうろうろと彷徨わせてから水面に視線を落とす。キラキラと反射した水面に映るクロの表情は曇っていた。

「それが、思い出せないの。忘れたことだけがきちんと覚えていてそれが何かは全く」

「まったく、クロっておっちょこちょいなんだから。わすれものをわすれていたらいみがないでしょ!」


 わたしはしょうがない彼女のために足を止めて、それから立っているクロを引っ張って水面に座らせる。彼女の服が水を含んだ色へと変わっていくのは面白いけれど、今はそんな暇ではない。わたしも同じように水面に座りあぐらをかく。静かな水面を彼女を真似て覗きつつ、そんな面白いものはないと見切りをつけて、今一番面白いものへと目線を合わせる。

「さて、クロがわすれたものを思いだそう!たとえばかみかざりとか、くまさんのぬいぐるみとか、ええと、きみはちがうと思うけどスケッチブックをわすれた人もいたかな」

「ごめんね、あなたが上げてくれたものの中にはないみたい。ピンとこないの」

「それじゃあきれいなほう石や友だちからもらったおそろいのキーホルダー?」

クロは首を横に振った。サラサラの烏色が月に照らされて美しく光る。

「もっと、もっと大事なものなの。無くしては行けなくて、どうしても抱えていかなければいかないものなの」

 硬く手を握ってゆらゆらと瞳を揺らすクロは苦しそうで悲しそうでこんな表情をさせたいわけじゃなかったのだとわたしは思った。さまざまなものを天秤にかけて唸って頷く。そんなに大事なものならば犠牲にしたっていいだろう。

「わかったよ、クロ。しょうがないから一回だけとりにかえってもいいよ。何かわからないんでしょう?だから少しだけおうちにかえろう。ただしけっして見つかってはいけないよ」




 こっそりとクロの家へと忍び込んで忘れ物を探す。自室は綺麗に残っていて、彼女がこの家を後にした時と何一つ変わらなかった。

「クロ、いい?見つかっちゃダメだからね」

「見つかったところで連れ戻されないと思うけれど。わたしの意思でここを離れたんだから」

「それでもだよ、クロ」

「五回も念を押さなくたっていいけれど、わかった」

こくりと頷いた彼女に安堵のため息を吐いて早くこの場所を離れるためにもクロの部屋を見て回る。

 彼女の性格通りに整頓された室内と、よく好んで読んでいたのであろう小説たち。使用感がある布団やもう直ぐ使えなくなりそうな消しゴム。この場所にはクロがいたということがよく分かるものしかなかった。彼女にあてがわれた部屋なのだから当たり前なのだが。

「そう考えたらあなたの部屋はあまりものがなかったね」

唐突に言葉を投げかけてくるクロに手にしていた教科書類を取り落としそうになって慌てて抱え直す。本棚の奥へと仕舞い込みながらそうだったかな、と自室を思い返す。

「うーんそうかなあ」

「この間入った時は布団とお菓子ぐらいしかなかった気がするんだけれど」

「たしかにそうだったかな。あまり自分のへやにかえることがないからね」

「リビングにずっといるんだ」

「ええと、うん、そういうこと!」

そんな会話をする間にもクロは部屋を探し、わたしは彼女に見つけたものを見せたりしていたが、彼女は首を振るばかり。手早く済ませたいというのに、忘れ物が何かも忘れてしまった彼女はイマイチピンとこないものばかりなようで心残りを残して欲しくないけれどタイムリミットが存在するわたしは焦るばかりだ。手当たり次第に大事そうなものを見せてもいい反応は返ってこなくて、窓の方を見やる。日は沈みかけていて、いよいよ期限が近い。

「ねえ、クロ。本当にわすれものなんてあるの?」

「ご、ごめんね。これほど見つからないとは思わなくて。忘れ物はあるような気がしているの。それは本当なのだけど......それでももう時間がないんだよね」

「そう、もう時間がないんだ」

「そっか。なら、もう大丈夫。迷惑かけてごめんね」

「ううん、クロのためならいいよ!」


 わたしはほっと胸を撫で下ろしてそれじゃあ、とクロの手を取ろうと手を伸ばしたその時。

「ま、しろ......?」

呆然とした女性の声が聞こえた。気づかなかったのだ、このわたしが。わたしはクロの手を取ってその場を飛び出す。

「クロ!!!逃げるよ!!!」

クロの意識が女性に向かっているのを知っていてもわたしは歩みを止められない。逃げなくてはならない。一刻も早くこの場から離れなければならない。だって、だって、そうしないと。

「お、母さん......?」


クロの記憶が戻ってしまう。


「帰らなきゃ。ね、ねえ、あなたは誰なの?手を離してほしい、わ、私、クロなんかじゃない」

「ちがうよ、きみはクロだ。そうだろう」

 だから帰りたくなかったのだ。この場所には欠片が多かった。名前を呼ばれない限りわたしからの祝福は解けないから油断していたのだけれど。振り払おうとする小さな抵抗を可愛がりながらわたしは彼女の手を引く。人間の干渉で彼女が怯えてしまったらいけないのできちんと呪いをかけ直してクロの母親から身を隠しわたしはヤシロへと辿り着いた。

「クロ、そろそろいこう」

「やめて、離して、わたしを家へと返して......!」

「どうして?いっしょに行ってくれるってきみが言ったんだよ?」

「そんなこと、言ってない。あなたが勝手に勘違いしているだけでしょう......!」

クロの足が水に浸る。わたしは怖がっている彼女の手を優しく引いて歩き出す。ばしゃり、と彼女が足を進めるたびにあたりの雰囲気は変わっていって、月が水面に映るようになる。わたしの領域へと入ったのだ。もう彼女は人間社会に縛られることはない。

「ずっといっしょにいようね、クロ!」

 嬉しそうにはずむわたしの声に初めて見るような瞳の色をしたクロはこくりと頷いてくれた。

 これからずっと、クロとわたしはいられるのだ。ずっと、ずっとこうなればいいと夢を見ていたからわたしは夢見心地でクロに与える最初の食事を考えるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ