第一話:事故-An uncertain accident-
何もかもが不自然な島で研究を始める安楽希と、大抵無口な研究者、霧生。研究は始まったばかりだったが、その島の誕生を基点として様々なものが狂い始める。
これは、とある非日常のワンシーン。
「おい、撤収だ! 準備してるやつはビニールシートをかけて戻って来い!」
蒸し暑い午後、おせっかいにも冷気を与えようとしてか、グラウンドは一瞬で夕立の餌食となった。
青ジャージ姿の体育教師が大声で撤収の指示を出す中、志乃原那緒は隈ができた目を擦りながら集団に交じって校舎の中に引き返そうと走っていた。
学園祭。
夏休み直後に毎年恒例で開催される、いわば文化祭。
志乃原を始めとするクラスの面々は、残すところ一週間となったその行事に向けて寸暇を惜しんで、というか睡眠時間すら削って夏休み最後の準備を進めていた。
泊まり込みなのだ。
(まったく、何もこんな時に降ってこなくても)
軽い悪態をつきながら教室に引き上げる志乃原。髪に着いた水分を落とそうとバッグからハンドタオルを取り出す。
「あー、くそ。全身濡れちまったぜ」
「しょうがねーだろ、あの雨じゃ」
教室の中心部では、さっきまで作業に勤しんでいた男子たちが自分以上に悪態をついている。
引き続いて集団で現れる女子。
瞬間、
(……おい、来たぞ)
(了解)
無言の了解が男子の大半の間で交わされた。
そしてそのあとに取る行動といったら、
「もう着替えちまおーぜ」
これだった。
一人の生徒の言葉を引き金に、教室にいる大半の男子が同時に体操着を脱ぎ出す。
このときの女子の反応はシンプルで、悲鳴を上げながら逃げていく者や顔を赤らめて固まる者が続出した。
「ほ、ほら、志乃原さんも逃げようよ」
教室の入り口辺りで、隈の上を擦りながら呆れていた志乃原は、逃げる集団のほうに捕まってしまった。
「え、や、ちょ、ちが……っ!」
別の意味で呆気にとられて行動不能になる。
激しい眠気も加担してかろくな反抗ができないまま、廊下を引きずられていった。
「え、ちょっと、ここは―――!?」
「やっぱり私たちも着替えたほうがいーよね」
女子更衣室
引きずられていった先は、男子にとっての楽園であり地獄だった。
「ほらほら、志乃原さんも入って」
訳が解らないまま連行。
もとい、拉致。
………
……
…
10秒後
地獄の底から悲鳴が上がった。
◆
「で、逃げたというより叩き出された、と」
「う゛……ぅん」
「でも顔が女子っぽくて勿体ないから殴られたり蹴られたり引き裂かれたり潰されたりといった暴行は受けなかった、と」
「ぅう………ぅん」
「この、」
「「「幸せ者があああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」」」
全男子が泣いた。ハリウッドで賞でも取れそうな勢いだ。
机を2個重ねた向こう側で志乃原の尋問官をやっているのは、当人の友人でありよく恋人と勘違いされる日下部雅佳という、至って普通としか表現しようのない普通の男子生徒である。
言っておくが、志乃原那緒(男)にそっちの趣味はない。
周りを取り囲んでむせび泣いている男子集団の団結した姿は某異端審問会を彷彿させる勢いだった。ただし死神フードや鎌のオプションは付いていない。半ば呆れていると、日下部がおもむろにこちらを指差してきた。
「よし、お前はいつもそんな調子で女子にすら女子と勘違いされ、今日はあろうことか楽園を垣間見てしまったわけだが」
「楽園じゃなかったと」
「「「るっさい黙れ!!」」」
「……んん。そういうわけだからペナルティが必要だと思うわけだよ。おk?」
逆らえない問いを発する日下部。オーラがどす黒かった。
「「「ペナルティより血の報復を……っ!!」」」
周りはもはや問い以前に殺気立っている。ここで断ったら死ぬのは確定だ。
「……分かったよ。で、何をすればいい?」
渋々と答えると、連中が「ああん?」といった目で睨んできたが気にしない。いつもは穏やかな日下部も「いい度胸だ……」と呟いて殺伐感ばりばりである。
どんな無理難題を押し付けに来るかと身構えた志乃原だったが、
「そうだな、手始めに俺達の食糧を調達しに行ってくれ」
「な、なんだって!?それはこの学校の成立以来誰も成し得たことが無いっていうあの……はぃ?」
ノリツッコミすら出来ないほどあっけなかった。
本人達曰く、「だって、お前男子のくせに重労働押し付けると何故か女子連中がキレるんだもん」だそうだ。
コンプレックスが長所になった瞬間だった。
「まあ、何はともあれ―――」
日下部が黒いオーラのままで呟く。
「達成できなかったら、色んな意味で、コロス」
で、うまく言いくるめられて雨の中をパシられた。
「うっわ、最悪だ」
志乃原那緒、本日2度目の悪態。
リクエスト表とそれぞれの金を入れた袋がやけに重い。
小銭をじゃらじゃら言わせて渡された後の注文。
「焼きそばパン」「焼きそばパン」「焼きそばパン」「ジャンプ」「焼きそばパン」……
パシりの定番がずらっと並んだ紙を広げて、憂鬱な気分になる。
途中で、着替え終わった女子も便乗してくる始末だったからだ。
ここだけで言えば全額自費負担にならなかっただけでもせめての救いだ。
しかもデザートくらいおごれと言われてためしに聞いてみたら、全員ハーゲンダッツで一致して宥めるのが大変だった。
これは余談だ。
そして最悪の意味は、もうひとつ。
「絶対、抜け出せない………」
正規の出入り口である正門は、堅く閉じられていた。
高さも相当なもので1メートルそこらの比ではなく、3人で肩車しても届くかと届かないかくらいの巨大さだ(しかも有刺鉄線付き)。
だからこそ、脱出用思考が空回りする前に、非正規の脱出口を使うことにした。
要はどこにでもある裏口である。
…………(移動中)……………
「よっ、とぉっ、ぅゎ、いて」
木の枝がチキン攻撃を全身にかましてくる。身長自体が低いせいもあってかそこまで気にならなかったが、低埴木を潜り抜けた後に背中に着きまくった水滴のせいで、着替えの体操着は効果を失っていた。
それでも目指すコンビニの位置だけは何度も行っているから間違えようがない。
そして焼きそばパンを大人買いした時に店員が向けてきた痛々しげな視線は忘れられそうにない。
なにはともあれ、任務は遂行した。
問題はその後だった。
「お、こんなところにイイ女っ」
真夏のサンタクロースと化して帰路についた志乃原に吟味するような視線を向けてきたのは、不良やってます感全開の3人の男。最初に声を発したのは三連ピアスの男だった。
「ぎゃははは、まじか、おう、マジだぜ、ぎゃははは、ツいてんなァ俺達よぉ」
やけにハイテンションなピンキーアゴヒゲが下品な笑い声で言う。
「おうおうおう、重そうな荷物なんか抱えちゃってぇ。俺が持ってあげっからウチまで来ない~?なんてな。ぎひひ」
最後のモヒカンも含めて揃いも揃って時代の遺物だった。
「おっ、強気だね?ぎゃははは」
「ヤっちまうの?お?」
「ぎひひ。まあ、大人しく観念しな」
にじり寄る社会のゴミ。寄り方まで全てが古臭かった。
ただ皮肉にも逃げ道が確保できなかった。
沸々とした怒りを抑えるのに精一杯だったからだ。
がし、と左肩を掴まれる。
「オトナのお遊びってモンを教えてやるよ」
モヒカンがそう言って、周りがげらげらと下品な笑い声を発する。
流石にここまで気付かれないのはもう限界だった。
「お」
「「「あァ?」」」
「俺はっ! 男だあああああああああああっ!」
叫びながら空いた右手をモヒカン目掛けて突き出す。モヒカンの顔面にストレートが決まった。普段も同じように扱われてたから相当溜まってたのかもしれない、と思った。その証拠にうまく決まったからかモヒカンは鼻血を垂らしながら伸びていた。
しかし殴ったことで状況はむしろ悪くなった。
「チッ、男かコイツ!」と叫んで後ろの二人組の表情が豹変し、金属パイプと小型の瓶をそれぞれ取り出した。
「おう、ヤル気か?ァあ?」
「カマすぞ、ッルァ!?」
人外語を吐き散らしながら突っ込んでくる二人。急に頭が冷める。思考回復。状況、死亡フラグ。
「うわやっちゃった!!」
叫んでも遅かった。
避けることができないと脳が悟ったのか、状況確認をしてしまう。
腕時計は12時17分を指していた。
(って関係ね―――――!?)
そしてその隙が命取りになった。
金属パイプが頭皮を抉る。
一瞬にして痛みが爆発する。
大声で叫ぶ暇は与えられなかった。
「がァっ…………!」
倒れた直後に鋭い蹴りが脇腹に食い込む。意識が一瞬遠のいた。
「ヘッ、刃向ったことを後悔させてやるぜェ」
赤に染まる視界に見えたのは、後ろに控えていた三連ピアスが布きれに瓶の中身を染み込ませているところだった。
そのまま有無を言わせずに布を顔に押し付けてくる三連ピアス。
酢のような何とも言えない臭いが鼻孔を逆撫でした。
怒りだけが空回りして、
意識が、落ちた。
◆
教室。
「なあ、さすがに遅くないか?」
切り出したのは、日下部。
「店から出たのは監視班から報告があったぞ」
日下部の後ろでツンツンヘアのギョロ目がそう言って、窓に張り付いている男女数人に目くばせする。
「一二〇三に標的がローソンを出発したのは確認済みです。巨大な袋、水で若干透けて肌色がかったこの学園の体操着。 間違いありません、志乃原です」
答えたのは双眼鏡に張り付いている微ロンゲ。周りの男女はただの野次馬らしい。
時計の文字盤は12時11分を指していた。
「単に見逃してるだけじゃないのか?」
と、日下部。
「いいえ。裏口に続く通路に入ってから出て来ていませんし、戻ってもいません」
「そうか……」
この学園はそこそこ広いといっても、裏口からは普通に歩いて5分もかからない。
「逃げたんじゃないの?」
野次馬の中から呟き。
「いや、そんな度胸のある奴じゃない。しかも監視班の貞松がいる。地下にでも潜らない限り無理だな」
しれっと友人をけなす日下部。
「学園周辺は熟知していますが、マンホールは専用オープナーを使っても相当力が要ります。しかも裏口への通路にマンホールは下水処理用のくっっさいものしかありません」
と、淡々と言う貞松。くっっさいの所だけ何か嫌なことを思い出したかのように顔を歪めていた。
「要は、その間に何かあったってことなのか?」
また野次馬。今度は男子だ。
「判らん。単に貞松の所為かも知れんがな」
ツンツンギョロ目が言う。言うだけ言って何もしようとしない彼に向って、日下部が、
「おい、そんなに気になるんなら確かめに行って来いよ」
そう言った瞬間、クラスの空気が一変した。
一瞬で、確認に行かなかったツンツン(以下略)が悪いような雰囲気が出来上がる。
「お、俺か!?俺が悪いのか!?」
うろたえるツンツン(以下略)。
「サイッテー」
「つーか言い訳って……友人を迎えに行くことすら放棄するなんて、やっぱりお前はそういう奴だったんだな」
「見損なったぜ」
「つーかむしろはよ行け」
「むしろジャンプ買ってこい」
「お前ジャンプ派かよ俺は断然サンデーだねというわけでよろしく」
「私、ミルクティー飲みたくなったなぁ~」
「じゃ僕はペプシNEXを」
「おいおい皆駄目だろう、ちゃんとリストアップして渡さないと」
大人が見たら、思わず教育委員会に向けたナンバーを狂プッシュしそうな勢いで、クラスの敵意とパシり注文が一点に集まる。
「ぅ、ぉぁ」
激流の汗を出すツンツン(以下略)。一同が冷たい視線で見守る中、「うわああああああああああぁぁぁぁっ!!」と叫びながら飛び出していった。
発端の日下部率いるクラスメイトはというと、何でこんなことになったんだ?まあいいか。という風に事をしれっと受け流していた。
◆
「ったく、あいつら何なんだ!」
ツンツン目線で進行中。
下駄箱を出て裏口に向かうところである。
ふと上を向くと、空いた教室の窓からのぞく双眼鏡はスコープ付きのモデルガン(対戦車用ライフル版)に代わっていた。
「どうせ弾なんて出ないだろう」
そう言った瞬間、ピシュン、と小さい音がして目の前髪の毛が数本宙に舞った。
『ジジ……我々は銃器を持っています。でもただの22禁ガスガンですからご心配なく……ジ…』
とんでもなく心配だった。
しかもいつの間にか、カッターシャツの襟には紅い光が明滅する黒いクリップが付いている。
「このヤロ、ふざけるのも大概に―――」
『あ、言い忘れましたが』
クリップを外そうと触れた瞬間に発射される、白い霧。
『催涙ガスが含まれてますから。安心ください。2日間ほど痛みは引きませんが死にはしませんので』
安心できるか!
強烈な痛みを発する目元を抑えてから、前進再開。
人の背丈ほどの植木の山もどうにか越えて、志乃原が失踪したという裏口に、
「なんだ、あれは?」
涙で潤んだ目でも何となく判った。志乃原だ。
ただし、金属バットで頭を殴られて仰向けに倒れていく本人だったが。
(ちょ、おま……!?)
鼻水を啜って目元を拭い、後ろ向きに走ってから襟元に囁く。
(こちら青木。志乃原を発見。応答せよ、貞松―――)
『こちら貞松。――――えーと、誰ですか?』
「俺だよ、青木だ」
(青木って誰ですか?)(ちょっと名簿見てくる―――あ、あのツンツンギョロ目だ)(マジか、あいつ青木っていう名前だったのか)
『…………繰り返します。こちら貞松。志乃原さんと焼きそばパンを持って早急に引き上げてください』
「今俺のこと忘れてただろ」
『………………………とにかく、急いでください。撃ちますよ』
反論しようと思ったツンツン(=青木)だが、目の前の光景はそれを待ってくれなかった。
脇腹を蹴られた志乃原那緒が横に2メートルほど転がっていく。いくら男子とはいえ身体は華奢なのだ。ダメージも相当なものだろう。
なぜそんな光景に至るのか、その経緯は青木にも解らなかったが、いかんせん同級生のピンチだ。助けないわけにはいかないと、ジャンプの多読で培われた友情の精神に燈が灯る。
(待ってろよ、今――――っておい、急展開にも程が―――!?)
目の前では、ピンク色のアゴヒゲの男が志乃原の口に布を宛てているところだった。
必死に抵抗しようとしていた志乃原の手が、支えを失ったようにぐったりと崩れ落ちる。毒のはずは多分ないから、おそらく、睡眠薬系。
「お」
頭のどこかで警鐘が鳴り響く。
そして、短絡的といわれる青木の頭は突撃司令を出した。
「おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」
走る。
金属パイプを振り上げていた三連ピアスが「んあ?」と間抜けな声を出して青木のほうを見る。
ここで――
『おりゃあっ!』
右手を突き出す青木。
『ぐああっ』
吹き飛ぶ不良二人。
『参ったか、この不良共め!』
『ぐ、覚えてろよぉ…ッ!』
逃げていく不良。
『志乃原さん』
そっと介抱する青木。
『あ…ありがとう』
赤くなる志乃原。
しかし志乃原は男だった。
「台無しじゃ―――――――!?」
現実に還ってきた青木。さっきの妄想は絶対に人には言うまいと心に誓った。
しかしそこで、青木は武器らしいものを何も持っていないことに気付いた。
(…っヤバ!?)
冷汗が頬を高速で流れ落ちる。不良がこちらに向かって金属パイプを振り上げるモーションも見える。
距離はおよそ10メートル弱。
脚は止まりそうにない。
(これは、やられ―――――――――――――――)
そこで、異変が起こった。
不良二人――正確には伸びている一人も加えた三人の中心に、突然光が見えた。
それは青木が気付いた時にはすでに目の前まで迫っていた。
小型無線で貞松か日下部に連絡しようと思った刹那。
その考えは、爆音と共に消えていった。
◆
再び、教室。
「おい、そのモデルライフルってどこで手に入れたんだ?」
貞松の後ろで物色する日下部。
「さすがにこれだけは言えませんね。入手元はわかってもエアをガスに変えたりとか、バネ連動を最強にしたりという改造をしなきゃここまで強くならないんですが」
日下部にとってさっぱり分らない回答を寄越す貞松。
「へえ、どれくらいだ?」
「大声じゃ言えませんが」声をひそめる貞松。日下部の耳元に手を当てて、(うまく撃てば人が殺せます)
「ほう。しかもドッキング式でいつも通学鞄で持ち歩いてるんだろう?」
「これくらいどうってことないですよ」
ふふふ、と互いに黒い笑みを漏らして周囲を軽く引かせる日下部と貞松。
その時、下に出て行ったツンツンからの「どうせ弾なんて出ないだろう」という呟きが聞こえた。
「あれ、無線が聞こえてないみたいですよ」
「おっと、電源電源、っと」
それからちょっとした脅しと、すこし強気な脅しと、最終的に脅しなんかもしてみた。
「人を弄るのって楽しい」
満足げに言う日下部。「ドSですね」という貞松の呟きはもちろん届いていない。さすがにその時だけは無線を切っていた。
「それにしても」貞松が言う「遅いですね。そろそろ裏口から出てきてもおかしくないのに」。
実際そうだった。発見したという無線を聞いてからもう1分は経ちそうだ。そろそろ
「おい、あれ――――」
クラスの誰かが叫んだ。言われなくても窓際に張り付いている日下部や貞松にはわかった。
あれは、爆――――
光。そして音。
ズバァアン!!という大音量。電源を入れたアンプからエレキのコネクタを引き抜いた時よりも壮絶な音が響き、教室の空気をビリビリと震わせる。何枚かの窓が、衝撃で砕け散った。
「っ爆発だ!」
床にいち早く伏せた日下部が叫ぶ。
教室の誰もが、言われなくても分かっていた。
爆心地は、裏口の近くだった。
文が堅いといわれたので直そうとしたらむしろ稚拙にOTZ
道は険しいですね。