17話
ガクは、部屋に戻り、武器を取る。
チユキとの、約束の時間が迫っていた。祭りが始まり、皆が酒を片手に広場に出ていく。それらを尻目に、ガクは路地裏を進む。
『祭りの日になれば、全てが変わるから』
子供の声が聞こえた気がした。
「違う」 ガクは一人、呟く。
変わるのではない、変えるのだ。
ベルタの死、チユキの変貌。それらは全て、間違った選択肢が生んだ惨劇。
「違う」 ガクは、もう一度、呟く。自分に言い聞かせるように。
アイメルト家に行ったのは、間違いなんかじゃない。僕は、その過去を受け止める。そして、その一部を糧として、これからを生きていくのだ。
新しい世界を―
路地裏を進み、約束の場所に来る。そこには、猫と戯れる、チユキ。
「やぁ! 待ってたよ~」
闇の中、ソプラノの朗らかな声が響く。飴玉を舐めているような、甘ったるい響き。
「チユキ……僕、考えたんだけど―」 途中まで言うものの言葉が続かない。
「……僕は、ここに残る。アイメルト家騎士団の残党にはなれない」
「そっ……か」 チユキは、ガクの顔を見て、すぐに分かったようだった。
「チユキこそ、ここで一緒に暮らそう」
ガクは精いっぱい声を張り上げる。
ふっ、とチユキが小さく笑う。
「それはできないよ」
「なんで……異能騎士団の残党に参加しても、何も意味がない。終わった戦いじゃないか!」
チユキはため息をつき、
「それじゃあ、ベルタが……死んで行った皆が救われない」
「違う!」 ガクは拳を握り、声を荒げる。
チユキは、一瞬、目を痙攣させる。
「過去の時点では、それを選ぶしかなかった。だから、僕らの選択は間違いじゃない」
「なら、今から見れば間違いってこと?」
チユキが泣き笑いのような表情をし、甲高い声を発する。
ガクの脳裏に様々な映像が浮かび、消える。
「過去の選択から学ぶべきことはたくさんあるし、学んだ結果、これからは別の道を選ぶかもしれない。それでも、過去の選択が間違いと言う訳じゃない」
チユキは、引きつった笑みを浮かべ、
「じゃぁ……どうするの」
「僕は行かない。チユキ、君とここで生きていく」
「なんでよ……」
チユキは頭を垂れる。そして、無造作に羽織っていたマントを脱ぎ捨てる。
ガクは持ってきた武器を取り出す。取り回しの良い、練習用の鉄棒。非殺傷ではあるが、当たり所が悪ければ、昏倒は避けられない。
チユキは、深紅の鎧を身に着けていたが、二の腕と太ももは露で、細かい網目のチェーンメイルが付けられているだけだ。その手首と脹脛は、指の先まで複雑な形の鉄と黒革が絡み合った物で覆われている。
鎧の胸元は大胆に開けられ、ふくよかな乳房が闇の中で白く輝き、チェーンメイルによって網目状に押しつぶされている。
露出の多さは視線誘導か? 手足の覆いの機構は用途がまるで分からない。ガクは歯噛みする。何をしてくるか分からない敵ほど、怖いものはない。
ガクは呼吸を整え、チユキの動きに神経を集中させる。祭りの騒ぎ声が、急速に遠ざかっていく。
互いが互いの殺傷範囲内に居た。ひとたび武器が抜かれれば、どちらかが死ぬまで武器を振るい、肉を削り合い、血をほとばしらせる距離。
鉄の冷たく鋭い感触と、肉が千切れる感触、生暖かい血の感触―それらを思い出し、ガクは怖気づきそうになる。
「ここから帰さない……つもりか?」 ガクが聞く。
チユキは、哀しげに微笑む。そして、ぞっとする程に目から光が消える。
「一緒に来れないなら……」
チユキは最後まで言わなかった。素早い動作で、腰辺りに鞘を移動/鞘を左手で掴み、引き出す/剣の柄に右手を掛ける―手首が柄より下に来るような奇妙な構え。
闇の中、青白い光が閃く―チユキの斬撃/視認は不可能/ガクは、咄嗟に後退―加速の世界に慣れたせいか、わずかだが剣筋が見える―白い刃の恐ろしい軌道。
ガクの鼻先を冷たい感触が撫でる/全身から冷たい汗が流れる/それでも恐怖を押し殺し、思考―妙な違和感がガクの脳裏にかすめる。
ガクは、瞬時にチユキを見る―全く動いていない。瞬時に分析する。
動かずに、一撃を放ったのか? それとも、見えない斬撃か? 何にせよ、不味い―何か裏がある。距離を取らないと。
空気が甲高い音をたてる/斬撃の風圧―一瞬の間。
ガクの唇が細かく痙攣する。指が震え、吐き気がした。本当の殺し合いになってしまった。もう、やるしかないのだ。
ガクは《加速》を発動。さらに後退する。周囲の音が消える。
チユキが前方に跳ぶ。そして、滑らかな動作で、剣を抜く。ぼんやりと青白く光る「何か」が見えただけで、その武器の形は見えない。だが、何かが高速で振り上げられたのだけは分かった。
まさか、さっきの白い刃は、刃に見せかけた、氷の塊なのか? 嫌な予感がした。チユキが、居合を放ったと思い、それを避け、隙ができた瞬間、本当の斬撃を食らわす。狡猾な技だった。
ガクは、水を掻くように、重い空気を引っ張り、後退する。
加速する世界の中、ガクは歯噛みする。ここでは、加速が最大限に利用できない。広い場所でなら、移動範囲が大きいので、加速によって勝負の流れを変えやすい。しかし、ここではできることは、後退か先に進むか、だ。しかも、持ってきた剣は、この狭い場所では取り回しが悪い。必然的に、振り下ろすか、振り上げるしかできない。
ガクが後ろに倒れこもうとする/青白くギラギラと光る「何か」が、ガクの胸元を掠っていくのが見える。すんでのところで、それを避ける。
空気が切り裂かれる甲高い音がする。ガクは倒れそうになるのを堪え、壁に寄りかかる。自分の荒い息が聞こえ、全身から汗が流れ落ちる。筋肉が軋み、高熱を発していた。
ガクは喘ぐように呼吸する。喉に乾いた空気が貼りつき、息苦しい。
《加速》は心臓や筋肉をフルパワーで動かす必要がある。おそらく。使えるのは、あと一回だろう。
「ありゃりゃ……」
チユキは、ふにゃふにゃとした表情をする。その手に握られているのは、普通の曲刀ではなかった。細く、歪曲した片刃の剣。東洋の戦士が使用したと言われる―刀と呼ばれる武器。その刀身は鏡のように磨き上げられ、怪しげに輝いている。
ガクは、自分の胸元を探る。焼けるような、痺れるような痛み。胴当てがざっくりと切り裂かれ、自分の白い肌が見えていた。そして、その肌も、皮膚が切れ、真赤な傷口が、ぱっくりと開いている。傷口に触れた指には、冷たい感触。瞬時に見ると、血の混じった雪。
三回斬られたのか? いや、違う―
ガクは、瞬時に、チユキの能力を分析する。チユキは《異能》を使い、鋭い氷を発生させているのだ。鋭い氷を射出し、目くらましをしながら、鎧を傷つける。その上で、本当の居合を食らわせるのだ。
なるほど、とガクは感心してしまう。鞘から刀を抜く、と言う動作自体は非常にシンプルで動きも読みやすい。だが、鋭い氷によるブラフと組み合わせれば、読み筋は、かなり多くなる。
小さな氷の生成という、全く使い物にならない異能。しかし、それは、居合の技術と組み合わされ、完全に使いこなされていた。もしかすると、まだ他に隠し玉があるかもしれない。
ガクは剣を構え、チユキを見る。その眼は、ガクから一瞬も離れない。居合を躱したからだろうか、チユキは、ガクを観察していた。
チユキは、視線をガクに固定/ぱっちりとした瞳―瞳孔に光がない。チユキは、滑らかな動きで後退/瞬時に納刀/最初の位置に戻る。
また、居合を放ってくるつもりか? ガクは震える。もう一度、あの攻撃を受ければ、耐えられない。
瞬時にガクの脳が回転―植物の知覚を使えば、氷の生成を感知できるかもしれない。そうすれば、ブラフ(氷の射出)の攻撃を避けられる。それに、チユキの居合が、どんなに高速だとしても、刀を抜く技でしかない。つまり、刀を抜くのを阻止することができれば、勝機はある。
ガクは呼吸を整え、全身の神経を張り詰めさせる。居合を放ってきた瞬間、攻撃を繰り出される前に加速して、一気に距離を詰めるしかない。
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