再履修地獄
ここは地獄だ。
……といっても、誰も叫ばないし、針も刺さらないし、炎も燃え上がらない。
代わりにあるのは、真っ白な教室と、整然と並んだ机、そして毎日の講義だけ。
俺は死んだ。その事実は、ここに来てからじわじわと実感した。
痛みも衝撃も覚えていない。ただ気づけば、目の前に役所みたいなカウンターがあり、無表情の職員がこう言ったのだ。
「前世での“誤学習項目”の再履修が必要となります」
誤学習つまり、人生で間違って覚えてしまったこと。愛情の受け取り方、怒りの扱い方、人との関わり方、自分の価値の信じ方……
前世でできなかったこと、気づけなかったことをすべて学び直す。
それがここでの“罰”であり、“救済”でもあるらしい。拷問も炎も無い。代わりに、毎日教室で講義を受ける。
たとえば「感情処理基礎I」では怒りについて学ぶ。押し殺すと腐って傷になる爆発させれば誰かを傷つける。
正しく扱うには「怒りの根っこ」を言語化し、環境と距離を取る訓練が必要らしい。俺は毎日ワークシートを書かされ、ひたすら自分の感情を分解した。
俺がこの世界に来て1番受講してよかった講義は、「愛情受容と自己価値回復」だ。
タイトル通り、他者からの好意に気づき、自分を大切にする方法を学ぶ講義。
前世で気づけなかった好意や思いやりを可視化した小箱を渡され、ひとつひとつ確認する。
缶コーヒーやメモ、言葉のひとつひとつが、小さな光になって胸に届いた。
その瞬間、俺は理解してしまった。
孤独だったわけじゃない。ただ、見えていなかっただけだ。
涙が止まらなかった。
もちろん、この講義だけではない。感情の扱い方を学ぶ科目、助けを求める勇気を身につける科目、怒りや悲しみの整理方法を徹底的に訓練する科目。
ここでは、人生で誤解していたあらゆることをひたすら学び直した。
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何年経ったのだろうか。自分の感情に泣き、迷い、やっと少しずつ理解できるようになった日々の積み重ねが、今ここにある。
今日はついに再履修のテスト。噂によれば、このテストで合格点を取れると“転生”出来るらしい。白い教室に机が並び、鉛筆と問題冊子が用意されていた。
何年もかけて学び直してきた知識を、今こそ試すときだ。俺は心の中で強く願った。
「このテストで合格したい。次の人生は、意味のある、少しでもより良いものにしたい」
震える手で鉛筆を握り直す。教室の静寂の中、深呼吸をして、俺はページをめくった。
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──終わった。
鉛筆を置くと、静かな教室にカチッと音が響いた。
数年間の再履修の集大成であるテストが、ようやく終わったのだ。
頭は空っぽで、胸だけが熱くなる。合格できただろうか。努力は伝わっただろうか。そして、静かな希望が胸に芽生える。
教室の外では、職員たちが次のステップに向けて準備をしている。俺も立ち上がり、期待と不安を抱えながら、カウンターの方へ歩み出した。
「テストの結果はこちらです」
淡々とした声とともに、職員が紙を差し出す。
結果は……総合評価ギリギリ合格!思わず体の力が抜け、体全体にあたたかな痺れが広がった。
長い間、涙をこらえ、何度も挫けそうになった努力が、ちゃんと認められたのだ。
喜びと安堵が入り混じり、思わず笑みがこぼれた。
——やっと、やっとここまで来たんだ。
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しかし、その次の瞬間、目の前の光景に息が止まった。
カウンターの奥には、巨大なガラガラ抽選機が鎮座している。商店街の年末抽選の三十倍はありそうな大きさだ。
「では、次の人生ランクはこちらで決めますね〜」
軽い調子の女性職員が満面の笑みで言った。
——意味がわからない。
「ま、待ってください。さっきのテストの点数で決まるんじゃないんですか?」
思わず声が震える。せっかくの努力も、涙も、全部……。
「あ、いえいえ。点数はガラガラを回す権利があるかどうかだけに関係します。不合格の方は回せません。そのまま雑草に強制転生です」
俺は口をぱくぱくさせた。
「じゃあ……合格しても運次第?」
「そうです! 人生って運も大事ですから、平等に抽選です♪」
彼女は楽しそうに言うが、その笑顔が逆に俺の心を締め付ける。必死に学んだのに……努力も涙も、全部、抽選の条件に過ぎないのか。絶望が胸を押し潰す。
何も言えなかった。何も考えられなかった。
震える手でレバーを握るしかなかった。喜びの余韻は、あっという間に絶望に変わった。
カラララララ……巨大な抽選機の中で玉が転がる音が、部屋中に響き渡る。お願い、せめて普通で……。少しでも幸せな人生を……。
ガコンッ。
玉が落ちた瞬間、心臓が止まりそうになる。
「結果は……」
「ハズレ〜〜〜!」
明るい声が、逆に虚しく響いた。
「おめでとうございます! 次の人生は“ミジンコ”です!」
……ミジンコ。
それはもう、“人生”と呼んでいいのかすら怪しい。
頭の中が真っ白になり、膝から崩れ落ちそうになる。再履修で必死に学んだ知識も、涙も、悟りもすべて、抽選機の前では無力だった。
それでも、最後に心の奥で小さな願いをつぶやく。
——せめて、綺麗な水の中にいたい。
光に包まれ、次の瞬間、世界が反転する。
水の中でふわりと揺れる俺は、何も考えられず、ただ光を反射していた。
芥川龍之介が好きなので近い世界観でかいてます。
三人称にした方が良かったかなと思ったり思わなかったり……




