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「ぶっ殺してやる!」
男がバカの一つ覚えのようにそう言うと、一斉に周囲のイレイザーズが動き出した。
悪夢の再現。レジャープールの入場客のすべてが虚ろな瞳をこちらに向けている。
これには流石のエレンも恐怖を感じた。
「――まあ、これも予想はしていたんだけど」
プールサイドでソウがつぶやく。
すると、千鳥足で近づいて来ていたイレイザーズの一部が、突然、近くの仲間を襲い始めた。
ソウの能力である――ザ・ブランダーの仕業だ。その力は、相手に誤った認識を持たせることが出来る。
ループの流れを変えようとしたとき、ほぼ確実と言ってい良いほどイレイザーズは現れる。
まるでこの世界の異物を除去しようとするように。
もっとも、それは突然、湧いて出て来るようなものではない。
その異物の周りに居る人たちが、一時だけ、イレイザーズに置き換わるのだ。
今回、事件の現場がこのレジャープールであることをソウたちに伝えた際、エレンたちが危惧したのは、入場客がイレイザーズになることだった。
また、ネットでこのプールの一日当たりの入場客数を調べてみたら、夏休みの平日でも千人を超えるらしいことが分かった。
そのすべてがイレイザーズになるとしたら、控えめに言っても悪夢だった。
圧倒的な力を誇るエレンでも、数の暴力を前には分が悪い。
だから、入場客がイレイザーズになった場合には、ソウの能力で彼らを無力化する手筈になっていた。
もっとも、これだけの数だ。その全てを操れるわけではない。現状、ソウはイレイザーズの一部だけを操り、同士討ちをさせていた。
その様子を見て、男が苛立った声を上げた。
「んだあ? 小賢しい真似しやがって!」
「メイ、日野森さん、頼む!」
ソウが声を聞き、メイが再び能力を使用する。
停まった時の中で、エレンは男に接近すると、先程よりも強い力で拳を突き立てた。
次の瞬間、停止した時間が動き出し、空気が爆ぜるような音が鳴り響いた。
しかし、今度は先程とは違い、男はその場に踏み止まっていた。
「痛ってえな!」怒鳴り声を上げた男は、エレンの腕を掴み上げると無造作に宙へと放り投げる。「死ねや、クソアマ!」
ほぼ一直線に投げ飛ばされたエレンは、ウォータースライダーの支柱にぶつかると、ずるりと地面に落下した。
「……嘘?」メイが声を漏らす。
「日野森さん?」
「エレーンっ!?」
大声を上げたマヤがエレンに駆け寄ろうとしたが、イレイザーズに前を阻まれる。
「兄さん、イレイザーズが!」
「分かってる!」
ソウはすぐに目の前のイレイザーズを操るが、その先から数が増えて行く。
「兄さん、時間を停めます!」
「ダメだ」
「どうして!?」
「お前は、今日もう二回も力を使っている。これ以上、無駄打ちすれば、逃げられなくなる」
エレンの敗北という事態に、ソウたちが浮足立っていると、楽しげに笑う男の声が聞こえて来た。
「おうおう。随分、余裕がなくなったじゃねえか、え? あんな女、一人、やられただけでだっせえな、おい。……まあ、それも仕方がねえか? この俺のチープ・ブランチに掛かれば、お前らみたいなただの能力者なんざゴミカス同然なんだからよお」
「チープ・ブランチ? その手がたくさん生える能力のことか?」
「ああ、そうさ。だが、それだけじゃねえぜ。俺の体は今、鉄みたいに硬くなってんだ。あの女も確かにパワーはあるみたいだったけどなあ。俺には到底及ばねえ」ソウの質問に、男は得意げになって答える。
「マ、マジかよ……」ソウが唖然とした表情を浮かべる。「その手は、まだ増やせるのか?」
「やろうと思えば、あと一、二対は出来るぜ。もっともお、お前らみたいな雑魚相手なら、この状態で十分だけどな!」
「そうか……。あと、一、二対か」ソウはそう呟くと、男の後ろに目を向ける。「だってさ、日野森さん」
「は?」
ソウの言葉に男が振り向くと、そこには何食わぬ顔で立ち上がろうとしているエレンの姿があった。
「痛たた」
「はあ!? な、何で、お前、無傷なんだ!?」
「無傷じゃありませんけど。肘、擦りむいちゃったし」
「擦りむ……。はあ? ふざけんな! 俺の拳を食らって、それくらいで済むはずがねえだろうが!」
「そんなことを言われても……。それより、あなた、鉄みたいに体が硬いって本当ですか?」
「ああ? それがどうした?」
「そうですか」エレンはそう答えると、近くに立っていた時計の支柱に手を掛ける。「……だったら、同じ鉄で叩いたら、少しはダメージがあるでしょうか?」
ミシリと音が鳴り、時計が支柱ごと引き抜かれる。
「な、なん……、はあ?」あほ面を晒したまま唖然としている男に向かって、エレンは時計の支柱を振り下ろす。「あびゃっ!」
脳天に直撃したその一撃に、男はプールサイドに盛大に叩きつけられると、泡を吹いて気絶した。




