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「おや? 君が一人で俺の足止めをするのかい?」一人その場に残ったエレンを見て、イレイザーズの青年が言った。
「そ、そう、です……」自信なさげにエレンが答える。
「そう。まあ、俺としてはそれで問題ないけどね。仲間からは、君が最重要危険人物だと報告を受けていたから。それにしても……」
「ななな、何ですか?」
「そんなに緊張していて大丈夫? それで本当にこの俺と戦えるのかな?」
格好良くみんなを送り出したまでは良かったが、敵と対峙した瞬間、エレンの緊張は最高潮に達していた。目は泳ぎ、言葉はつっかえ、自信の無さを露呈するように背中が徐々に丸まって行く。
相手が明確な敵なら緊張しない?
そんな風に高を括っていた自分を呪ってやりたい。
あの男の子の時は何とかなったのに、どうしてえ?
挙動不審になりながら、エレンは先日の自分を顧みる。
……あれ? もしかして、あの時は、相手が年下だからイキってただけ?
それを自覚した時には、エレンの中で微かに芽生え始めていた人並みの自信は完全に霧散していた。
「だいじょばない、です……」卑屈な笑みを浮かべてエレンが言う。
「あ、うん。そう……」気の毒そうに青年が答える。
「あの……」
「ん?」
「私、その、人と話すとか、ほんと、苦手で……。だから、こういうこと言うの、ほんと恐縮なんですけど、会話なしで相手をしていいただけると、助かるんですが……」
エレンはか細い声でそう言うと、ちらりとイレイザーズの青年の様子を見る。
すると、彼は非常に渋い表情を浮かべていた。
「んん、まあ、こういう時のセオリーって、多少なりとも相手と会話を挟みながら交戦するものだと思うけど……。ちょっとくらいどうにかならない?」
「ごめん、なさい……。ほんと言うと今も吐きそうで……」
「そう……」
顔を見ずとも分かる。
きっと彼はとても悲しそうな顔をしている。
「分かった。君の提案に乗る。俺も吐瀉物を撒き散らしながら戦われても迷惑だし。ただ、どうだろう? 絵面? 字面? 的にかなり地味な戦いになりそうな予感がするんだけど」
「ど、どうでもいいです、そんなの!」
ぶっちゃけそんなことに気を遣っている余裕はどこにもないのだ。
誰かと戦うということ自体に慣れていないのに、それを丁々発止を挟みながら行うなんて正気の沙汰じゃない。それこそ人格が二つに分かれてでも居なければ実現できるわけがない
かくしてイレイザーズはエレンの必死の訴えに、「まあ、それならそれで構わないか」とつまらなそうに頷いた。
「じゃあ、早速」
この時、エレンと青年の距離はまだ五十メートル以上離れていた。
その距離をイレイザーズの青年は一瞬で縮めて来た。
速い!?
これまでもイレイザーズの誰よりも。
エレンが驚愕に目を見開いた時には、青年は懐からナイフを取り出し、それを真横に振り抜いていた。
頸動脈を狙った一閃。一切の躊躇なく向けられた凶刃をエレンは首を傾けて回避する。直後、それを予期していたように、青年は空いたもう片方の手に握ったナイフをエレンの腹部目掛けて突き出した。
「……驚いた。今のを避けるのか?」はるか後方へ跳躍したエレンに向かって青年が言った。「人間とは思えない身体能力だ。それに、どうやら君には俺の力も通じないみたいだし。一体どういうカラクリなんだい?」
エレンの役割は時間稼ぎ。
本来なら、ここで相手の会話に乗るべきなのだが、たった数度の会話ですでに精神力をガリガリ削られていたエレンには、その疑問に返事をする気力はすでには残っていなかった。
「企業秘密という訳か? まあ、いいさ。俺の能力は、さっき君の仲間が言った通り振動を操るものでね。こうして離れた位置にいる相手に声を届けることも、相手の心拍や呼吸器系、果ては精神にまで影響を与えることが出来る」あくまで自分が優勢と疑わないイレイザーズは、得意げに自分の能力を口にする。「ただ、この能力にも欠点があってね」
「け、欠点?」
「そう。俺の能力はね、標準的な精神構造をした人間にしか作用しないんだ」
……え、それってつまり、私が普通の精神構造をしていないってこと?
何か遠回しに陰キャであることをディスられてない?
エレンが顔いっぱいに遺憾の意を表していると、青年が苦笑を浮かべる。
「ああ、すまない。君を悪く言うつもりはなかったんだ。つまり、俺が何を言いたかったかというと、君は俺にとっての天敵だったってことだ」
「天、敵?」
「そうさ。まあ、多少のハンデがあっても女の子の一人くらい、どうにでもなると思っていたんだけどね……」青年はそう言うと、自身のすぐそばに空いた陥没に目を向ける。
アスファルト舗装をブチ抜いたそれは、先ほどエレンが跳躍したことで出来たものだった。エレンとしては、少し距離を取るつもりで跳んだだけなのだが、思いの外、派手に壊れてしまっていた。余裕の笑みを浮かべる青年の頬を汗が伝う。
「まいったね、これは……」
イレイザーズはいずれも常人より高い身体能力を有しているが、中でも青年のように自我を持つ個体は人間の域を超えている。そんな青年を持ってしてもエレンの力は異質だった。
もしこの力が自分に向けられたとしたら、果たして無事で済むだろうか?
答えはNOだ。
「あの坊やめ。また、いい加減な報告を寄越して……」
「え?」
「何でもない。こちらのことさ」青年はそう言うと、それまで発していた殺気を解く。「いいだろう。今日の所は見逃して上げよう」
「え、いいんですか?」青年の唐突な翻意にエレンが怪訝そうに尋ねる。
「ああ。元々、今日は君たちと争うつもりはなかったからね」
そう言い残し、エレンに背を向けた青年はその場を去って行く。
思いがけず危機を回避したエレンはそれを黙って見送った。
――次に会う時は、せめてまともに会話くらいは出来るようになっていてくれ。
どこからか、そんな声が聞こえた。
「――出来ればもう、会いたくないんですけど」




