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逃げ場のない路地裏で挟み撃ちに遭ったエレンは、最初に接近して来た男性を、「えいっ!」と両手で押し出した。すると、人間から出てはいけない類の音を発して男性が吹っ飛び、後ろから迫って来た人の群れに突っ込んで行った。
「うわっ、何かボーリングみたいになってる……」唖然としながらマヤが言った。
その声を聞きながら、エレンは微かに違和感を覚える。
あれ、ちょっと早い?
エレンの身体能力と五感は常人のそれとはかけ離れている。集中していれば、迫り来る弾丸でさえ避けるのは容易いほどだ。そんなエレンがちょっと早いと感じた。それは明らかに人間の限界を超えた動きと言えた。実際、マヤには、先程の男性の動きを目で捕らえることが出来なかった。
ちょっとマズいかも……。
エレンの後ろにはマヤが居る。
いくらエレンでも視界を覆うほど大勢の人間からマヤを守るのは困難に思えた。
ならばすぐに逃げるべきだとエレンは頭上に目を向ける。前後から挟み撃ちにされている以上、逃げ場所になりそうなのは上だけだ。自分なら、マヤ一人くらい抱えてビルの上まで飛び上がることも不可能じゃない。
そう判断したのだが。
「嘘……」
見上げたビルの屋上で、数え切れないほどの人たちがこちらを見下ろしていた。虚ろな瞳から驟雨の様に注がれる視線に、エレンもマヤも声を失った。
私の感知を掻い潜った?
ここに来てエレンはようやく自分たちが完全に追い詰められていることを悟った。
前も後ろも上からも、感情のない殺意を向けられたエレンは、ぎゅっと右手を握り締める。
何故、こんなことになっているのかまったく理解出来なかったが、このまま行けば二人とも確実に殺される。
そう思った時だった。
「あなたたち、何をやってるの!?」
どこからかそんな声が聞こえた。
次の瞬間、誰かに手を引っ張られたかと思うと、エレンの視界が真っ暗に変わった。
◆
気が付けば、エレンは見覚えのない神社いた。
その隣にはマヤが居て、彼女もわけが分からないといった様子で辺りを見渡していた。
「あなたたち、馬鹿なの!?」
突然、後ろから飛んで来た怒声にエレンとマヤが振り向くと、小柄な少女が腕を組んでこちらを睨みつけていた。中学生くらいだろうか。サラサラの長い黒髪と気の強そうな切れ長の目が特徴的なその少女は、エレンと目が合うと何故か一瞬だけびくりと肩を震わせた。
「あの……、あなたが助けてくれたんですか?」
「ええ、そうです」
不本意だけどねと、少女が付け足す様に言う。
「え? 何か、うちらメッチャ嫌われてない?」マヤが小声でエレンに耳打ちをする。「エレン、あの子に何かしたん?」
「いえ、そんなことはないはずですけど……」
「何をコソコソ話をしているんですか?」
「あ、いえ。何でもないです」
「はあ……。それよりもあなたたち、私に何か言うことがあるんじゃないですか?」
「あ、そうですね……。助けてくれてありがとうございました」
「ほんと、マジ感謝! ありがとね」
マヤさん、軽い!
あの子の顔がもっと不機嫌そうなってる。
「……まあ、いいです。それより、イレイザーズに追われてたってことは、あなたたちもこの世界の仕組みに気付いたんでしょ?」
「イレイザーズって、さっきのヤバ谷園な人たちのこと?」
「ヤバ……。え、ええ、多分そうです」
あ、この子、理解を放棄したな。
「じゃあ、この世界の仕組みっていうのは?」
「言わなくても分かるでしょ?」少女はそう言ってエレンの方を見る。
「……この世界はループしている?」
「正解」
あっさりとそう答えた少女に、エレンは思わず彼女の肩を掴んだ。
「あなたも、そのことに気付いていたの!?」
だが、その質問に答えはなく、「きゃあっ!」という可愛らしい声が返って来た。
「ちょ、ちょっと、何するつもりよ!? ひ、人がせっかく助けて上げたっていうのに!」
「ええ、何、この子? エレンにめっちゃビビってるんだけど」
マヤはそう言って笑っていたが、エレンに肩を掴まれた少女の怯えようは尋常ではなかった。目には涙が浮かんでおり、膝は今にも崩れ落ちそうなほどガクガクと震えている。辛うじて持ちこたえているが、少しでも刺激をしたら、その瞬間に失禁してもおかしくない様子だった。
その有様を見て流石に気の毒に思ったのかマヤが口を開く。
「エレンさん。この子も反省してるみたいだし、許して上げてくれませんか?」
「何で私が脅してるみたいになってるんですか!?」
まったく身に覚えがないというのに、どうしてこの子は私を見てこんなに怯えているのだろう?
「で、エレン? ぶっちゃけ、この子に何したん?」
「何もしてませんよ。そもそも初対面ですし」
「いや、初対面でこうはならんでしょ? ほら、こっちおいで」マヤはそう言うと、エレンの手から少女を引き剥がす。「怖かったねえ。もう大丈夫だよ~」
よしよしと少女の頭をマヤが撫でる。
すると、余程怖かったのか、少女は逃げ込むようにマヤの胸に顔を埋めた。
先程までのつんけんした態度は嘘のように鳴りを潜めている。
美しい光景だ。
加害者(仮)が自分でさえなければ。
「何か、釈然としないんですが」
苛立ち混じりの声でエレンが呟くと、少女の肩がビクッと跳ねる。
「ちょっと、エレーン?」
「い、いえ、今のは別に怖がらせるつもりじゃ……」
「まあ、たしかにちょっとビビり過ぎではあるけどね」そう言って、マヤは人差し指で少女の顎をクイッと上げる。「ごめんだけど、少しだけ記憶見せてね」
「え?」
ぽかんとした表情を浮かべる少女の瞳をマヤが真っ直ぐ見つめる。その真剣な眼差しに数十秒間晒されていた少女の顔は、気が付けばゆでだこのように真っ赤になっていた。
……私、何を見せられているんだろう?
エレンがそんなことを考えていると、「え、マ? ああ、これはエレンにビビってもしゃあないわ」とマヤが一人で納得したように言った。
「マヤさん、どうしたんですか?」
「いや、この子さ?」
「はい」
「前回のループ? でエレンに殺されかけたっぽい」
「…………はい?」




