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母親と呼べる人と最後に食事をしたのは、いつだっただろうか?
たしか家族で年の離れた姉の大学卒業祝いをした時だから、自分は中学生だったはずだ。
その時、家族がどんな会話をしてのかはまったく思い出せない。
ただ、早くこの時間が終わればいいなと思っていたことと、姉が時折こちらに向ける申し訳なさそうな表情だけは覚えていた。
「――あなた、味覚が変わった?」とある寿司屋のカウンターで、エレンの隣に座っていた母親が首を傾げてそう言った。「前は光物が全然ダメだったじゃない?」
「う、うん、そうだったね。でも、やっぱり好き嫌いは良くないから……」
「そう。それは良い心がけだわ。……ほら、遠慮しないでもっと注文しなさい」
「うん、ありがとう」エレンはそう答えると、あじとあなごを注文する。
「このお店、出張中に一度は来てみたかったから、あなたが誘ってくれてちょうど良かったわ」
「突然、迷惑じゃなかった?」
「全然、そんなことないわよ」母親は上品な手つきで寿司を口に運んだ後、静かに箸を置く。「……それで、今日は一体どうしたの?」
「ちょっと、確かめたいことがあって」
「確かめたいこと?」
「うん……。私のお姉ちゃんのことなんだけど」
「お姉ちゃん?」母親はきょとんとした表情を浮かべると、小さく笑い声を上げた。「おかしなことを言うのね。あなたは一人っ子のはずでしょ?」
「そう、だね……」
やはり、母親もカレンのことは覚えていないようだ。想定していたことだったが、それでも落胆は大きい。
「どうしたの? なんだか顔色が悪いようだけど?」
母親にそう言われ、エレンは自分の頬に触れる。
「そ、そうかな?」
「ええ」
「最近、急に暑くなったから。ちょっと夏バテ気味なのかも……」
得意の愛想笑いを浮かべたエレンに母親が首を傾げる。
「あなた……」母親は訝しげにそう呟くと、何かを探るようにエレンの瞳をじっと見つめた。「そんな変な笑い方をする子だったかしら?」
どうやら私は愛想笑いもまともに作れていなかったらしい。
◆
その後のことはよく覚えていない。
気が付けば翌日、始発の電車に乗っていた。
自宅に着いたエレンは扉を開けると、「ただいま」と言った。
返事なんてあるはずないのに……。
「あ、エレン、お帰り」
エレンが靴を脱ごうとしていると、玄関の外からそんな声が聞こえて来た。
まさか、お姉ちゃん!?
慌ててエレンが振り向くと、なぜかそこにはマヤの姿があった。
「マヤさん? どうしてここに?」
「いや、昨日のことがあったから気になって様子を見に来たんじゃん」
「そうですか。……すみません、気を遣わせてしまったみたいで。でも、それなら一言、連絡をくれたら……」
「したよ? でも、あんた全然電話に出ないんだもん」
「え?」エレンが鞄からスマホを取り出すと、その画面にはたしかにマヤの着信履歴が表示されていた。「本当だ。どうして気付かなかったんだろう? 20回以上も着信があったのに……」
……いや、ちょっと待って。
冷静に考えると、結構怖いのでは?
20回以上、電話を掛け続けるって、ヤンデレな彼女みたいだ。
もっとも、それだけ着信があって気付かない私も私なのだが。
「マジ、それ」こちらの思考を読んだみたいにマヤが言う。「ぶっちゃけ、あんまり返事がないから無視されてんのかと思ったし」
「ごめんなさい」
「まあ、いいけど。……それで、何か収穫はあった? お母さんに会って来たんでしょ?」
「はい。でも、やっぱりお姉ちゃんのことは覚えていないみたいでした」
「本当に? お母さんが嘘ついている可能性は?」
「それはないと思いますけど……。そもそも母が嘘を吐く理由がありませんし」
「いや、隠し子だったら言えないでしょ?」
「その説、まだ生きてたんですか?」
「当然でしょ。っていうか、何ならうちが調べて上げようか?」
「え? どうやって?」
「こうやって」マヤはそう答えると、エレンの目をじっと見つめる。
すると、マヤの瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた。
おそらくエレンの記憶を読んでいるのだろう。
だが、いくらマヤの能力でも、母親が嘘を吐いていたかどうかまでは分かるはずがない。
そう思っていたのだが……。
「ああ、本当だ。エレンのお母さんは嘘は吐いていないみたい」
「は? え? ど、どうしてそんなことが分かるんですか?」
「どうしてって、エレンの記憶の中で、エレンのお母さんの記憶を読んだからだけど?」
「はあ!? いや、ちょっと待って下さい。何で、そんなことが出来る様になってるんですか?」
「この前、エレンの記憶を読ませてもらったじゃん?」
「ええ」
「で、エレンの記憶の中のうちを見て、何となく、この能力の使い方? みたいのが分かったんよね」
「はあ?」
「それでさ、他人の記憶の中で、もう一回、誰かの記憶が読めないかなって思って。やってみたら何か出来た、イエイ!」
雑っ!
能力覚醒の仕方が雑過ぎる!
もっと、何かしら試練とかあってもいいはずなのに。
こういう人を天才というのだろうか?
「まあ、これでカレン姉隠し子説は完全に消えたわけだけれども……」
何か強いこだわりがあったのか。
そう言ったマヤの顔は甚だ不服そうだった。




