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夕方、仕事が落ち着いた頃を見計らって両親に電話を掛けたが、どちらも留守番電話になっていた。
エレンさんの記憶によると、父親は海外、母親は東北に出張中のはずだった。
多忙な人たちだ。
だが、こうまで連絡がつかないものだろうか?
「……どうせ明日から夏休みだしね?」
流石に海外は難しいが、国内であれば何とかなるだろう。
一日分の着替えをバッグに詰め込んだエレンは、母親の宿泊先へと向かうことにした。最寄り駅で在来線に乗り、途中で新幹線に乗り換える。窓の外は昏くなり始めており、景色は楽しめそうになかった。代わりに、シートに伝わる僅かな振動がエレンを眠りへといざなって行く。
心地のよい睡眠だった。
夢を見ることもなく、目を覚ますと目的の駅まであと一駅となっていた。
エレンは、すぐ近くまで来たから一緒に食事をしたいという文面のメールを母に送った。
……本当はもっと早くメールをするつもりだったのに。
睡魔には勝てなかったよと、自嘲しているとスマホにメールが届いた。
『駅の入口で待っていて。迎えに行きます』
簡素な文面だった。
本当にあのカレンとエレンさんの母親なのだろうかと疑わしく思えた。
だが、彼女にあった瞬間、そんな疑いは一瞬で霧散することになった。
メールの指示に従い、エレンが駅の入口で待機していると、駅前の停車スペースに一台のタクシーが停まった。そこから現れたのは、すらりと背の高いロングヘアの女性で、近くを歩いていた男性は皆、彼女に目を奪われていた。
あれで二児(一児?)の母かと、エレンは口中で呟く。
とても高校生の子供がいるとは思えないプロポーション、今世でも恵まれなかった自身の胸元に視線を落としたエレンが深く溜息を吐いていると、「エレーン!」と馬鹿でかい声で母が言った。
長い手を振りながらこちらに駆け寄って来る母親に、エレンは一歩、二歩と後退る。
周りの視線が痛い。
出来れば他人のふりをして、この場から立ち去りたかった。
「どうしたの、エレン!? こんな所までやって来るなんて?」エレンを抱き締めながら母が言う。
欧米人か!
「ちょ、ちょっと離れて、お母さん!」
エレンが思わずそう言うと、母親は目を丸くしてこちらを見つめた。
「ごめんなさい。そんなに嫌だった?」
「べ、べつに嫌ってわけじゃないけど……」
「でも、あなた、いま、お母さんって……。いつもだったら、ママって呼んでくれるのに」
少し寂しそうな母親の顔に罪悪感を覚える。
確かにエレンさんは、この人のことをママと呼んでいたようだ。
エレンさんの記憶をほじくり返しながら、どう答えるべきか悩んでいると、先に母親が口を開く。
「まあ、あなたももう高校生だものね。いつまでもそんな呼び方じゃはずかしいか……」
「う、うん……」
エレンが視線を落としてそう言うと、母親がこちらの顔を覗き込んで来る。
「エレン。……あなた、何だか雰囲気が変わったわね」
「え?」
「前は、THE・陽キャって感じだったのに。今はなんて言うか、い……。そう! とても落ち着いた感じに見えるわ」
今、この人、陰キャって言おうとしなかった?
間違ってはないけれども。
慌てて別の言い回しにしたところが本音っぽくて、無性に心に突き刺さった。
「ま、まあ……、わ、私も、もう高校生だし。そろそろ落ち着かないとって、思って……」
ごめんなさい、嘘です。
本当は、純度100%の陰キャです。
後ろめたさから次第に萎んで行くエレンの返事に、母親が心配そうな表情を浮かべる。
「もしかして、何かあった?」
「え?」
「急にこんな所までやって来て。一緒に食事をしたいって言い出したことにも驚いたけれど……」母親はそこまで言うと、何かに気付いたように、はっと目を見開く。「あなた、まさか高校でいじめられてたりしてるんじゃ」
「ち、違うよ、そんなことないよ」
ぶっちゃけ、今世ではまだ学校にさえ行ったことがない。
従って、高校でいじめられる可能性はゼロなのだが、今の返答は余計に母親の不安を掻き立てたようだった。
「話し方も何だか変だし。前のあなたは、もっとハキハキとしゃべっていたでしょ?」
ごめんなさい。
これが私の素なんです。
「だだ、だから、それは……。い、いつまでも、ギャルっぽいしゃべり方だと良くない、かなって思って……」
「そんなことないわ。あのしゃべり方だって立派なあなたの個性でしょ? 今のあなたは何て言うか……、ナマズがしゃべっているみたいな?」
ちょ、ちょっとお母さん?
毒性強すぎませんか?
もちろん、そんな風に言えるはずもなく、「ごめんなさい……」とエレンは陳謝する。
「あっ、いえ、私の方こそ無神経だったわ。あなたにだって、色々と考えがあるのよね。うん、そうよね、きっと……」自分に言い聞かせるように母が言う。「そんなことより、食事に行きましょう。この近くに美味しい肉料理を出すお店を見つけたのよ。エレン、あなたお肉好きでしょ?」
「え、えっと……、出来ればあまり重くない料理のほうが……」
「あ、そう……。それじゃあ、お寿司でも食べに行きましょうか? 久しぶりの母娘水入らずだし。ママ、奮発しちゃうわよ!」
何だか、口を開くたび、母親に気を遣わせてしまっている気がする。
「だ、大丈夫よ。そんなに気を遣わなくても」
「いいのよ、私がお寿司食べたいだけだから!」
そういう訳でお寿司を食べに行くことになりました。




