ジガのあらわれ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーむ、いまや「ケータイ」というのは死語なんだろうかね。
最近のシェアは「スマホ」が占めているだろう? 以前のガラケーを使っている人もいるかもしれないが、たいていの場では少数派。
しかし、私にとってはいずれも「携帯」電話としての機能を持っているのに違いないんで、「ケータイ」で構わないと思っているんだよねえ。
「メール」とかも最近はLINEなどのSNSにとって代わられている印象が強いな。やっていることはそうそう変わらないけれど、いざ口にすると歳がばれるだの、なんのかんの意識される。
名は体をあらわす、とは昔からいわれている言葉だ。
そのものの本当の姿は、名前にあらわれているという。しかし、私たちが勝手につけた名前が、実は正体をしっかりととらえていないケースもあるのではないだろうか。
私の昔の話なのだけど、聞いてみないかい?
あれは風の強い日だった。
ひっきりなしに強風が吹くのではなく、吹いたりやんだりを不意に繰り返す。いうなればゲリラ突風とでもいうべき気象だったと思っている。
学校に通っていた私も、およそ10分前後の通学路で何度もバランスを崩しかけた。
警戒を緩めずにいても、いきなり来てはかなわない。アルマジロみたいに全方位防御体勢がとれないものかなあ、と身体を丸めながら歩いていたところに。
がさりと、足元でざわつきが。
ふと見下ろすと、顔面いっぱいに飛び上がって張り付いてくるものが。
蜘蛛の巣を突然かぶせられた驚きに近い。ぱっと手で振り払うと、引っかかってきたものは、さして抗うことなく背後へ飛んだ。
振り返る。
やや黄ばんだ紙、細かい文字の羅列、四角く囲った色濃い枠……。
新聞かよ、と毒づいて、空へのぼりながらすっ飛んでいく一枚を見送り、その場を後にしたのだけど。
「なあ、お前背中になに貼り付けてんの?」
校舎に入るや、同じタイミングで昇降口に来た友達に見とがめられた。
なにをって? と背中へ手を回し、がさりと音を立てたものだからぎょっとする。
手につかみ、顔の前へ持ってくる。
その黄ばみぐあい、間違いない。来る途中で飛びつかれ、引きはがしたあの紙面だ。
全然気づかなかった。背後に飛んでいったあの紙が、再びしがみついてこられるような追い風は、あれから一度も吹いていなかったはずなのに。
二人して、新聞紙を眺めたのだけど……すぐに渋い顔をすることになったよ。
全然読めないんだ。
字がつぶれているとか、細かすぎるとかでもなく、まるで判読ができない。
アルファベッドに似ている気もしたが、英語であってもローマ字であっても、どこかしら読めそうな単語などは出てきそうなもの。
それが二人して、まったくないのだから。
これはAか? Bか? などと似たような記号の肩の寄せ合いから、満足に方向性も見いだせない。
けれども、ただ分かるのが、縦書きに並ぶ文字たちに囲まれた四角い枠。新聞ならば、写真などが載せられている箇所だ。
枠のおよそ上半分は真っ黒いが、下半分には正反対の白い色をした、山なりの形をしたものが写っている。
山かと思ってよくよく見ると、かすかにずれて影になっているところに、逆向きの谷間が見えて、私はクエスチョンマークを頭に貼り付けるも、友達の指摘がある。
「これ、肩じゃね?」と。
いわれてみると、これは腕をほぼ正面にとらえた構図。谷間に思えた影は、この肩の持ち主のひじにあたる部分。ほぼ接写といっていい、ドアップだったんだ。
ますます気味悪い新聞もあったもんだ。
私はこれをくしゃくしゃに丸めて、昇降口隅にあるくずかごへと放り込んだ。
先の、背中へ張り付けられていた例もある。
私は昇降口を後にするまで、くずかごを凝視。誰も手を出さないのを確認する。教室へ行き、授業が始まってからも常に背後は気にかけるようにし、紙をくっつけようとしてくる誰かがいないかを見張り続けた。
そう、確かに接近されることは防ぐことができていたよ。
問題は午後。体育の時間で着替えるときだった。
男子たちが体操着になるべく、廊下で服を脱いでいく際、私は気づいてしまう。
自分の左肩が、いつの間にかどす黒く汚れてしまっているのを。しかも、ぶつけてできたアザなどとは異なり、よくよく見ると細かい字の羅列が浮かんでいるんだ。
そう、あの新聞紙に載っていた字と、そっくりなものが……。
「こいつは『ジガ』だね。珍しい」
逃げるように飛び込んだ保健室。そこの養護教諭の先生は、私の肩を見て目を丸くした。
ジガ、というのは「字蛾」の当て字を振られることもあるが、生物の蛾というわけでもなく、この現象についての名づけであるとされる。
あらゆる文化から読み取ったものを混ぜ込みながら、その姿を何かに刻み込まんとする。
濫読家ならぬ濫学家。そのぶん、放っておけばどいつもジガのものにされる恐れがあるのだと。
今朝に見た奇妙な新聞と思しきもの。あれも厳密にはそう見えるだけの、ジガの痕跡だったとか。
先生の処置は手慣れていた。
消毒したピンで、文字の浮かんだ私の肩を一突き。その下へ余っているわら半紙をあてがったんだ。
字は流れ出る私の体液を真っ黒に染めながら、どんどんとわら半紙へ移っていく。
これもまた無造作に広がるのではなく、字の羅列や四角い枠を形づくっていき……ものの十数秒程度で、あの新聞らしきものの姿と相成った。
私の肩からすっかり字の黒は抜けたが、代わりにあの四角い枠のうちに肩が浮かんでいる。
そこへ映るほくろや発疹の痕などは、まぎれもなく私の肩のもの。ジガは確かに、私の肩を知っていたのだ。
たとえ放り捨てたくなる新聞のようであっても、ジガかもしれないから、機嫌を損ねないよう優しく触れてあげな、とは先生の談だったよ。