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お妃教育開始

「怒涛の一日だった……」


 ミシェル王子が忘れていった上着を胸に抱いて私はベッドに倒れながら呟いた。

 あれからミシェル王子が「ではまた、明るい時間にお会いしましょう!」とすぐさま帰って行ってしまったため、ぽつんと残された私は一部始終を見ていただろう護衛兵にどう思われているのか気まずく思いながら一人部屋に戻っていた。


(結局、どうして王子が私を妃に望んだのかも聞けなかった。十二から恋焦がれてたって言ってたけど、一体どうして……)


 彼が十二の時に私は十六でこの国にやってきた。犬猿の仲に発展するシナリオが発動しないように、手合わせをしたときもボッコボコにしないよう手加減して当たり障りなく接したが、恋をする要素などなかったように思う。


「前はもっと、子どもだったのにな」


 私よりも小さな身体で無邪気に手合わせをしていた姿を思い出しながら、私は眠りについていった。


☆ 


「ユーリン様」

「はい……?」


 次の日の朝、侍女が部屋にやってきて私に告げる。


「本日よりユーリン様のお妃教育を担当しますイレーネと申します。これからよろしくお願いいたします」

「お妃教育?」

「はい。第二王子妃として必要なマナーや教育を学んでいただくようにとのことで、ご婚礼までに講義を受けていただくことになっております」

「ええ?」


 お妃教育もなにも、私、既に妃として五年やってきてるけど?そう思った心を見透かすように侍女イレーネは続ける。


「ユーリン様はこれまで側妃としても特別で公の場に出て内外の方と交流をすることもなかったと思いますし、そういったことを知らなくても問題はありませんでしたが、今後はそうはいきませんので」

「うっ……」


 確かに私は社交が苦手だ。パーティーがあっても壁の花と化していたし、王の末端側妃をダンスに誘う者など誰もいなかったため、私はダンスが踊れない。それに自身の国が滅びたこと以外は諸外国との交流も軋轢もそこまで気にしたことがなかったのだった。(つまり、おバカさんかもしれない)

 今後王位を継ぐかもしれない王子の妃ともなればこのままではいかないのだろう。それが理解できただけに、今後の自由時間の激減を考えると気が滅入った。


「ユーリン様、ダンスは武術ではありません!もっとエレガントに」

「はいぃ」


「ユーリン様、ネロヴォルオ国との戦争の終結条約は十ではなく十二か条です」

「そうだっけ?」

「内容も全て言えるようにしてくださいね?」

「え、それはちょっと……」

「ご自分のご婚約者であるミシェル様が終わらせた戦争なんですから、それくらい覚えてください!」

「ひいぃ涙」



「ああぁ……久しぶりに頭使った……疲れた……勉強ってこんなに難しかったっけ?」


 午前中にダンス、午後からの座学を終えて自室に戻った私は久しぶりに味わう感覚に疲労困憊となっていた。

 月鈴になって十六まではそれなりの教育を受けたけれどその時に知っていた各国の情勢などとっくに変化しているし、慶西チンシィ国の歴史なんて今は必要もない。ダンスは踊ることなんてなかったし、知っているのは剣舞と筝と二胡のような楽器の弾き方。

 あとは……日本人OL時代の記憶の中に残っている義務教育程度の各教科の知識……あとピアノも弾けるかもしれない?月鈴になって見たことないけど。

 記憶するということをほとんどしていなかったこの脳みそにはとにかく今日は大変な時間だった。

 外はもう日が傾き始めている。まるで日本人だった頃の下校時間だ。


「月鈴妃、いますか?」


 コンコン、と部屋の扉がノックされる。ミシェル王子の声だ。


「はい」


 そういえば昨夜は次は明るい時間に、と言っていたから、その通りに暗くなる前に会いに来てくれたのだろう。


「今日から妃教育が始まったと聞きました。お疲れだと思いますが……」

「そうなんです、ほんっと、疲れたぁ」


 今までの時間を思い出し、げんなりしながら言うとミシェル王子は一瞬きょとん、としたあと、横を向いて笑いを堪えている。


「笑い事じゃありませんよ、本当に慣れないことばかりで大変だったんですから!」

「そうなんですね。でもそんな風に感情を表に出している姿を拝見することがあまりなかったもので、ふふ」

「あ……」


 いつも王子たちの前では隙を見せないよう、間違っても敵認識されないよう気を張っていたから。


「気を許してもらえたようで嬉しいです」

「……っ、そ、それで、どうされましたか?」


 ふわっと微笑んだ顔が眩しくて、私はごまかすように要件を聞いた。


「疲れを癒してもらえたらと思って、一席設けてあります。こちらへいらしてください」



「わあ……」


 通された部屋にはスイーツと紅茶が用意されていて、私は思わず声をあげて顔を輝かせた。


「月鈴妃が喜ぶものが何かわからなかったのですが、侍女たちに聞いたところ甘いものがお好きだと知って」

「大好きです!ああ、今日の疲れはこれで飛びますね!ありがとうございます、いただきます!」


 満面の笑みで食べ始める。お飾りの妃という立場もあり贅沢はあまりしないようにしていたため、こういった自分だけのスイーツなど用意されたことはないので非常に嬉しい。


「喜んでいただけて何よりです」

「お気遣い、本当にありがとうございます」


(なんだか、婚約者としていい感じじゃない?これは安心安全な人生に向けていい再スタートきれたかもしれない!)


 私の打算的な考えを知らない王子は食べる私を満足そうに見ているが、食べている姿というのは一方的に見られると気になるものだということに気が付く。


「ミシェル王子は召しあがらないんですか?甘いものが苦手とか?」

「いえ、そういうわけではないのですが、……そうですね、自分の分も用意してもらえば良かったです」

「あら、それなら是非!少し召しあがってみて下さい!とっても美味しいですから」

「えっ!?」


 私はくるりとケーキとフォークの乗ったお皿をミシェル王子の方に向けて一口どうぞ?と促したのだが、王子がぎょっとしているのではっと気が付く。


(こ、これはマナー違反!昔の、日本人時代のくせでついやっちゃった……どうしよ……)


「あっすみません、いくらなんでもこれは失礼でしたね」

「いえ、いただきます」


 慌ててお皿を引こうとしたが、ミシェル王子はケーキを一口分切り取り、口に運ぶ。


「……美味しいですね」

「あ……良かった、です」

「はい、優しい甘みの中にオレンジと……紅茶の香りでしょうか?あとから香るのがいいですね」

「そうでしょう!?」


 表情を見る限り本心で美味しいと言ってくれているのだろう。そんな甘い表情に私も両手を合わせ満面の笑みを浮かべていて、ほわ……とほっこりした空気が漂う。


「申し訳ありません、新しいものを頼めばいいのに、こんな食べかけを……」

「いいえ、いいんです。それだけあなたとの距離が近づいたようで、嬉しかったです」


 そういって笑う様子を見た私は顔に血が上ってしまい、謎の言い訳をする。


「弟によく一口ねだられていたものですから、つい……あ、……」

弟君おとうとぎみ……?あなたのご兄弟は兄君だけではなかったのですか……!?」


(あ、ヤバ、月鈴には兄しかいないのに……!)


 弟というのは私が日本人OLだった頃の話である。私には十歳も年の離れた弟がいて、幼いころから何かを食べていると絶対に「いいな~ぼくにも一口ちょーだい!」とおねだりしてきていたのだ。それは私が召されたであろう二十七の頃でも健在で「ねーちゃん、そのアイス一口ちょーだい!」とおねだりしていたのだが、地味女だった私と違って非常に容姿に恵まれていたのでつい甘やかしてしまっていたのだった。ナオキ……元気かしら。

 ……と、話は逸れたけれど、月鈴に弟がいたことは決してないため、これは誤解を解かないと慶西チンシィ国王族の嫡男が残っていると見なされ、大きな問題と発展するに違いない。


「い、いえ、私には兄しかおりません。誤解を招くような発言をして申し訳ございません」

「ではどのような方だったのでしょうか……?」

「はい、私が、弟のように思っていた子がいたもので……」

「そうでしたか……」


 弟がいるのかとミシェル王子が豹変した様子、今の安堵したような複雑な表情はどこか私の胸にひっかかるものを残したのだった。


「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」

「はい」


 話を変えるために、私は話を切り出した。


「ミシェル王子が私を婚約者に選んだ理由ですが……」

「それは……」

「私はあなたに好意を持っていただけるような存在ではなかったと思います。もしかして、何か政治的な理由があったのでしょうか?」

「!」


 一瞬驚いた表情のあと、ミシェル王子はこう言った。


「そういうわけではなく……ただ、初めてお会いした時に見た剣舞が見事で、目を奪われたからです」


(嘘よ。服を切り裂いた臣下の人だけでなく王も、王妃も周りの人もみんな私を見て引いていたもの)


 あれを見て私に惹かれるのは虐げられたい願望があるとかとんでもないドMじゃないと有り得ないはずだ。


「あの姿を見て俺も剣を極めたいと思ったんです。あなたは目標であり、それはいつしか恋情に」

「そう、ですか……」


 確かにミシェル王子はこの国最強と言われるくらいの強さを誇る騎士だ。原作では私がコテンパンにのした屈辱が彼を強くしたのだが、今回は違う方向からの力が働いたのかもしれない。


「一度、手合わせをお願いしたことがありましたよね」

「そうですね。覚えています」


 私はあの時手加減した。原作通りに怪我をさせてしまっては、憎まれる原因になるからだ。


「あの時あなたは手加減をしてくださっていました。調子に乗ってあなたに挑んだ十二の子どもに、力の差をわからせてお灸を据えることもできたのに、あなたはそれをしなかった。最後に俺が勝手に転んで勝敗がついたとき、あなたは本気で心配してくれました。その時の優しさを忘れられなかったからです」

「あの時から……」

「それだけではありません。……兄上の母君と私の母はお互いに牽制しあって険悪です。私たちは仲が良いのに、嫌なものをたくさん見てきました。でも、あなたにはそれがなかった。子を産んで権力争いに参加することもなくどちらに味方するでもなく、私たち兄弟にも平等に接してくれました」

「それは……」


 この世界で平和に生きていくため、そうする必要があったからで……


「権力を欲するがあまりに我が子すら駒のように扱う母たちを、私を慕っていると言いながらも透けて見える、本心では権力を欲している令嬢たちを見てきた私には、あなたの純真さが魅力でした」



 ……嘘ではない。どんなに澄ました顔をしていても、本心では俺自身ではなく、その先に見える王子妃の座を欲している者たち。そんな中、父王の寵愛も欲しがらず、欲のない様子で本心が見えない月鈴妃の存在は気になった。

 そしてふとした時に見えた、人を慈しむことが出来るその気質。


『大丈夫!?怪我はない?』

『あ……』

『良かった、こんな綺麗な顔に傷がついたら大変だものね、何ともなくて本当に良かった!』


 手合わせで剣がすれすれに俺の額をかすめたとき、あなたは本気で心配して俺の額に触れて傷がないかを確認してくれた。

 あの優しい手を、本気で心配する心を、俺は知っている。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます!


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