ユリウス様、私そんなつもりじゃございません
「もうすぐ旦那様と奥様が起床されるわ!そろそろコーヒーの準備を!」
「スコーンはまだ焼き上がらないの!?」
「スープは奥様だけ豆を抜くのを忘れないでね!」
「エッグベネディクト出来ました!盛り付けます」
「シャティ!配膳の準備をお願い出来る?」
「はい。料理長」
アヴェリス公爵家の使用人たちの朝は早い。公爵家での朝食の時間は九時と決められている。その為使用人たちは皆七時には起床し、主人たちが起きる前に掃除やら朝食の準備を済ませておく。毎朝毎朝、アヴェリス家のキッチンは大忙しだ。現に今、私は調理担当の使用人ではないのに朝食の準備に駆り出されている。仕事仲間のメイドや執事は毎朝管轄外の仕事までさせられて疲れる、と愚痴をこぼしている。もちろん私もそれに同意見————。
————なわけない。めちゃくちゃ良い職場である。
ここだけの話、私、シャティは転生者だ。前世を思い出す頃にはこのアヴェリス公爵家で働いており、十歳の頃から勤めているのでもう六年間もここでメイドとして雇われている。
話は戻るが、この公爵家での仕事内容に私は一切不満がない。前世で勤めていた会社は所謂ブラック企業というやつで、膨大な仕事量と深刻な人手不足。朝四時頃にシャワーを浴びに一旦帰る程度はしていたが、ほぼ休みなどは一切なく、会社のデスクに縛り付けられていた。そんな生活を三年続けていたら、ついに過労死してしまった。
そんな労働を経験した私だからこそ言える。このアヴェリス公爵家は素晴らしい。三食寝床付きで、給料もしっかり貰えて、上司からの理不尽な暴力や叱責もない。素晴らしすぎる。もう一生ここで働いてそして死ぬ。
……と、言いたいところだが、このままではこのアヴェリス公爵家は三年後には没落して公爵邸は綺麗さっぱり無くなってしまうのだ。
————それは何故かと言うと。
「おはよう、シャティ。良い朝だね」
「……おはようございます。ユリウス様」
そう。今、何故か使用人以外立ち入り禁止のこの場所にいるこの男。
ユリウス・アヴェリスが原因である。
雪のように白く滑らかな肌に、まるでサファイアの宝石の如く輝く美しい碧眼。アヴェリス家の者を象徴する銀糸の髪は、窓から差し込む陽光の光に照らされてキラキラと輝いている。
何故、ユリウスの所為でこの家が没落してしまうのかと言うと。
ここは乙女ゲームの世界で、ユリウスは最終的にヒロインや攻略キャラに断罪される悪役令息だから。
……何を言っているのか分からないと思うが、とりあえず聞いて欲しい。
どうやらここは、私が労働の合間を縫ってプレイしていた大人気乙女ゲーム、〝煌めきの園に〟の世界らしい。魔法を学ぶ学園に入学した底辺貴族出身のヒロインが、イケメンたちを攻略していくゲームであるのだが。
そのヒロインに異様に執着し、しつこく付き纏い、最終的に攻略キャラたちの手によって処刑の運命を辿る悪役令息。
それがユリウスなのだ。
ゲームのシナリオを思い出し、目の前にいるユリウスをジッと見つめていると彼はニコリとこちらに向かって微笑んだ。それにしてもユリウスはめちゃくちゃ顔が良い。ヒロインに執着する前は社交界の注目の的で彼に求婚して玉砕した令嬢は数知れず。
「またぼーっとしているね、シャティ。僕を前にして上の空になれる女性は君ぐらいだよ」
「……申し訳ありません。どうしてユリウス様がこちらにいらっしゃるのかが理解出来ず、固まってしまっていただけでございます」
とにかく、彼がヒロインと出会ってしまえば、途端に粘着質なストーカーへと変貌してしまいゲームと同じ運命を辿るに決まっている。そこで私は、前世を思い出してからの六年間、必死にユリウスを更生させた。
ユリウスがヒロインに惚れてしまったのは、初めて〝アヴェリス公爵家の令息〟ではなく〝ユリウス〟として接してもらえたからだ。アヴェリス公爵家は貴族界では一、二を争うほどの権力の持ち主であるし、ユリウスは王国で三本の指に入る程の魔力の持ち主。そしてその整った容姿。世の女性がそんなユリウスを放っておくはずもなく、なんとかアヴェリス家に嫁入りしようと様々な令嬢がユリウスにアプローチを仕掛けた。
幼い頃から、顔見知りの令嬢や名前すら知らない令嬢が言い寄ってくるのが当たり前の環境だったユリウスは、成長するにつれて女性そのものが苦手になってしまう。だが、ゲーム開始時、つまり学園の入学式でユリウスはヒロインである〝リリアン〟と出会う。彼女は貧乏故にパーティーやお茶会に参加した事がなく、ユリウス・アヴェリスが有名人ということは知っていても顔までは知らなかった。
リリアンはユリウスと出会い、彼がアヴェリス公爵令息という事を知らないまま、彼と仲を深めていく。彼女を知る内、その女神のような優しさに惹かれて、ユリウスはリリアンに執着するように……
「シャティ?まだお眠さんなのかな?」
「ふみまふぇん」
また意識をトリップさせてしまっていたらしい。ユリウスに頰を左右に引っ張られてから、ようやく我に帰る。
「うーん、どうしたらシャティは僕を意識してくれるのかな」
「さあ、どうすればいいのでしょうね」
「つれないねシャティ。そんなところも魅力的だけど」
再びニコリと笑うユリウスの笑顔が眩しくて思わず目を細める。世の令嬢が見れば卒倒してしまうような笑顔を、当たり前のようにこちらに向けてくるのが嫌だ。眩しい。サングラスが欲しい。
「それよりユリウス様、何か御用があれば周りの使用人にお申し付けください。ここはユリウス様が来るようなところでは……」
「シャティに会いに行くという用事があったんだよ。君はいつもここで仕事をしているからね」
サラリとそんな事を言ってしまうユリウスに、私は頰を引き攣らせる。
(ちょっと……やり過ぎたかも……)
あいにく私は少女漫画の主人公みたく鈍感ではないので分かってしまう。
悪役令息ユリウス・アヴェリスは、どういうわけか私に惚れてしまっている。
非常にまずい。何がまずいって、ユリウスは側から見たら、高貴な貴族にも関わらず平民の使用人に惚れているヤバい奴なのである。ユリウスは次期アヴェリス公爵の身だし、このままでは別の意味でアヴェリス家が危ないのでは……?
貴族の美しい令嬢たちを一目見れば目も覚めるだろうと、パーティーなどに参加することを勧めても「参加したくない」と一言言われてしまえばそれで終わりである。主人のしたくない事を従者が強要するわけにはいかないのだ。
「ユリウス御坊ちゃま」
突然、聞き覚えのある声が聞こえて私は肩を震わせ、ユリウスは声のする方へ視線を向けた。
そこには、鋭い目つきで私を睨み付けるメイド長のポーラの姿があった。
「朝食のお時間でございます。閣下と奥様が御坊ちゃまをお待ちですよ」
「……はあ、分かった」
ユリウスは面倒そうに返事をすると、私の横を通って行ってしまった。私もそれに乗っかって、ポーラに小言を言われる前に退散しようとしたのだが。
「シャティ、待ちなさい」
そうは問屋がおろさない。シャティは足を止めて、ポーラに向き直った。
「はい。メイド長」
「ユリウス御坊ちゃまと何をしていたの?」
「ユリウス様がお話し相手をお探しのようでしたので、少々お相手を」
「本当に?」
「えぇ」
ポーラの視線が体に突き刺さる。彼女の言いたい事も分かるのだ。使用人以外立ち入り禁止の場所に入る名門貴族の息子の話など聞いたことがない。ユリウスは異常だ。私とユリウスが何か良くない関係なのではと疑っているポーラは、私とユリウスが二人で話していると、その都度目を光らせてこちらにやってくる。
「……まあいいでしょう。来なさい。朝食の場に立ち会わねば」
「はい」
今回は小言が少なくて済んだとこっそり安堵する。私だって、ユリウスと距離を取りたいのは山々なのだ。だからいつも使用人以外立ち入り禁止の場所に入り浸って仕事をしているのに、ついにユリウスはここにも侵入し始めた。逃げても逃げ続けても、ユリウスは追いかけてくる。この所為でメイド仲間たちから疎まれているのだが、まぁ仕方ないかと受け入れている。
アヴェリス公爵家の食卓は、いつも静かだ。奥様も公爵も、ユリウスも、あまりお喋りなタイプではないから当然ではある。カチャカチャとカトラリーが鳴る音をBGMに、どうすれば今後ユリウスから逃げ切る事ができるかをあれやこれやと試行錯誤する。
「ユリウス、レペグリア王立魔法学園から推薦状が届いた」
すると突然、公爵が喋り始めた。
レペグリア王立魔法学園は、乙女ゲームの舞台だ。大多数の人間が魔力を持つこの世界では、魔法の使い方を親や家庭教師に教わるのが基本だ。それより更に上の高度な魔法を学ぶのを目的として設立されたのがレペグリア学園である。入学方法は推薦か、試験を受けるかのどちらか。しかし、殆どの生徒が試験を受けて入学するという形で、推薦入学は余程優秀な者でなければ出来ないのである。
「週末、制服の採寸にブティックを公爵邸に呼ぶから準備を————」
「僕、入学はしません」
公爵の言葉を遮って、笑顔でそう告げたユリウスに皆ピシリと固まった。最初に正気に戻ったのは公爵だった。ユリウスの発言に怒り、机を拳で叩く。フォークが床に落下し、カランと音を立てた。
「何を言っているユリウス!高度な魔法を学ぶ為には学園にッ————」
「独学ですが高度な魔法も大体は使えますから」
ユリウスはそう言うと、公爵から視線を外さずひょいと指先を動かす。そうすると、先程床に落ちたフォークが勝手に宙を舞い、フォークを拾おうとしていたメイドの手の中に収まった。
「資格が必要と仰るのなら取ってみせますよ。でも学園には行きません」
「何故そこまでして学園に行かないのだ?」
「公爵邸を離れたくないのです」
ユリウスの言葉に、今度は室内全員の視線が私に集まる。居心地が悪くなって、私は何も言わず視線を床に落として冷や汗を流した。皆、察しているのだ。ユリウス・アヴェリスがただの一端の使用人にお熱な事を。公爵とユリウスの睨み合いはしばらく続いたが、先に折れたのは公爵だった。大きく溜息を吐き出し、この話は終わりだと言わんばかりに食事に戻った。
ユリウスはそんな父を見てニコリと笑い、子牛のステーキにナイフを通した。
✳︎
「シャティ」
今日の業務も終了し、さて寮に戻ろうかと歩いていた矢先、メイド長のポーラに呼び止められる。「来なさい」とこちらに背中を向けて歩き出すポーラの背中を見つめながらまた小言を言われる事を覚悟する。「ハイ」と返事をし、彼女の後ろを黙って着いて歩く。
連れて来られた場所は公爵閣下の執務室だった。〝クビ〟の二文字が頭をよぎり思わず青ざめる。働き場所を失わない為に頑張ってきたのに、それが裏目に出てまさか追い出される事になってしまうとは……!
「入りなさい」
ノックをすれば公爵の返事が返ってきて、ポーラの後に続いて部屋に入る。
「ポーラ、この侍女だな?シャティというのは」
「左様でございます。閣下」
公爵の鋭い碧眼にギロリと睨まれ、一瞬たじろぐ。
「……単刀直入に問おう。気付いているな?ユリウスがお前をどんな目で見ているか」
「えぇ」
もちろん、気付いていないはずもない。嘘をつく必要がないので素直に肯定する。公爵は私の返事を聞いて溜め息を吐き出す。
「お前は平民出身の使用人、ユリウスは由緒正しきアヴェリス公爵家の次期主だ」
「……私はユリウス様と主人とメイド以上の関係を望んだことはありません」
「そうか。それを聞いて安心した。まあ、お前がなんと喚こうと結果を変えるつもりはないが」
公爵はそう言うと、手触りの良さそうな封筒をポーラに手渡す。あ、あれはもしや解雇通知書…!?私は身震いをする。解雇されてしまったらどうやって次の働き口を見つければ良いのだろう。この世界に長年いるから分かる。再就職をするというのは前世の世界のように簡単ではないのだ。
「受け取りなさい」
「こ、これは……」
「推薦状よ」
「え?」
予想外の単語が飛び出し、思わず固まる。解雇だけはなんとか免れた……?
「その推薦状に書いてある場所へ勤めるといい。馬車はこちらが出す」
ポーラが視線で封筒を開けるよう合図したので、恐る恐る開封する。そこに書いてある場所を見て私は思わず目を見開いた。
「今夜出発しろ。ユリウスが寝静まった頃に馬車を用意させる」
公爵の言葉に、私は首を縦に振るしかなかった。
✳︎
アヴェリス公爵家を出てから、数ヶ月が経過した。
私の次の就職先はなんと。
レペグリア王立学園であった。
推薦状を見て、なるほど公爵も考えたなあと感心した。この学園は王立という事もあって警備が厳しく、自由に出入り出来るのは生徒か教師陣か学園に勤める使用人のみ。生徒の保護者などでさえ余程特別な理由がなければ入る事は出来ない。部外者が学園に立ち入るには、理事長に正当な理由を記した手紙を差し出し、それが受理されて初めて門前を通れるのだ。
よって、学園に入学しないと言っていたユリウスはまずここに来ないし、なんらかの方法で私がここにいると知って立ち入ろうとしても、正式な許可が降りなければ門前払いされてしまう。まあ、公爵の事だから、私がここに転職した事実はユリウスに知られないよう徹底しているだろう。
「シャティ、キッチンの人手が足りないみたいで!手伝ってくれる!?」
「はい」
先輩のメイドに声をかけられ、私は学園のキッチンへと急いだ。
「本当ごめんねぇ。配膳係の使用人が倒れちゃってさ」
「いえ。これも仕事のうちですから」
「ふふ、ありがとう。シャティって本当に優秀よね。確か前勤めてたのは、あのアヴェリス公爵家だったけ?なんで辞めちゃったの?」
「っ、ま、まあ、その、色々ありまして」
令息とのいざこざがありまして……なんて言えるか。
「でもこの時期に人手が増えるのは助かるわぁ。入学式のシーズンって特に忙しいから」
先輩はそう言ってへらりと笑う。
そう。今現在、レペグリア王立学園の入学式の真っ只中である。つまり、ヒロインであるリリアンや攻略対象たちも入学式に参加しているはずだ。まあ、入学式と言っても、堅苦しい感じのやつではなく、普通にカクテルパーティーみたいなものを想像してもらったらいい。リリアンたちが入学してくるこの時期に転職出来たのはすごくラッキーである。
ふふ……使用人は学園内の掃除も任されているので、運が良ければヒロインや攻略対象とのイチャラブを目撃出来るかもしれない。そんな淡い期待を持ちつつ、厨房へと歩を進めた。
「カナッペとカクテルなくなってるから!早く運んじゃって!」
「グラスはきちんと綺麗に拭くんだぞ!さっきエリザベス伯爵家の令嬢からクレームきてたんだから」
「この盛り付けじゃダメだ!やり直し!もっと綺麗に!じゃないと首が飛ぶぞ!」
「おい!カタラーナまだ出来ないのか!?」
使用人たちの叫び声が飛び交っている。なんだかアヴェリス家の朝の様子を思い出して、少し懐かしい気持ちになった。
「あぁ、君がヘルプの子?じゃあ早速これ、会場に運んで!迅速に!」
「はい」
そんな気持ちに耽っていると、早速仕事が与えられた。色とりどりのカクテルが綺麗に陳列されたトレーを押し付けられ、それを入学式の会場へと運ぶ。
今、入学式の真っ只中という事は、もしかしなくてもヒロインや攻略対象をこの目で見る事が出来るのでは?
思わず足取りが軽くなる。
煌びやかな装飾が光り輝くダンスホールに、色とりどりのドレスが花々のように広がり、会場を彩っている。私は気配を殺してカクテルを指定の場所へ慎重に置く。使用人は決して目立ってはならない。
さりげなくパーティー会場を見渡せば、ゲーム通り、桃色のドレスを身に付け、もの珍しそうに辺りを見渡すヒロインのリリアンや、攻略対象の令息たちが居て一人でテンションを上げた。リリアンはやはり可愛いし、攻略対象のキャラクターたちは相変わらずイケメンだ。
これからどのようなストーリーが繰り広げられるのか、今から非常に楽しみだ。ユリウスという悪役令息ポジションの人物がいないが……そこはどうなるのだろう。
「ねえ、あのお方は……」
「とてもハンサムね……長らく公のパーティーにはお見えにならなかったけれど」
「流石は〝ユリウス・アヴェリス〟様ですわ。まるで彫刻のように美しい」
(ん?)
令嬢たちの囁きが聞こえて思わず足を止める。
恐る恐るパーティー会場を見渡してみれば、そこに、居たのだ。
シャンデリアに照らされ美しく光る銀糸の髪に、サファイアの如く美しい碧眼を持った男〝ユリウス・アヴェリス〟が。
何故、彼がここに。入学はしないんじゃなかったのか。というか公爵は何をやってるんだ。私がいるこの場所にユリウスを来させるなんて公爵が許さないんじゃ……
ぐるぐるとそんな事を考えていると、ユリウスの長い睫毛が一瞬伏せられたかと思いきや、ギョロリとサファイアの瞳が動いて、こちらを捕らえた。途端に、ユリウスはズンズンとこちらに近寄ってくる。
「あっ、いらっしゃったわ!」
私の前にいた令嬢たちが近付いてくるユリウスに頰を染める。そ、そうよね。ユリウスが私に気付いたはずはないわよね。そう、きっとこの令嬢たちとおしゃべりがしたいだけなのよね?そうなのよね?
「ユリウス様————ッ、きゃっ」
しかし、ユリウスは令嬢たちを押し除ける。
「シャティ————」
ユリウスの形のいい唇から発せられた自分の名前が鼓膜に届いたその瞬間。
私は脱兎の如く逃げ出した。やばい、やばいやばいやばいやばい。バレた。どうしよう。どうすれば————。
「わっ」
曲がり角を曲がったところで、誰かにぶつかってしまい後ろに転びそうになる。が、その人物は私の腰を抱えて、やけに力強く手首を掴んだ。
「酷いじゃないかシャティ。僕の顔を見るなり逃げ出すだなんて」
「ヒェッ」
ぶつかったのは、ユリウスだった。先程まで私の後ろに居たはずなのに、どうやって先回りを!?まさか瞬間移動の魔法……いやいやそんなはず。あの魔法はすごく高度な魔法で、ゲーム内のユリウスも習得したのは三年生の時だったんだから……
そう頭では否定しているが、ユリウスが一瞬にして私の目の前に移動してきたという現象は、瞬間移動の魔法を使っていなければ説明がつかない。
「久しぶり。やっぱり学園に居たんだ」
「あの……どうしてここが?」
「簡単だよ。ちょおっとポーラの奴を強請っ……ン゛ン゛ッ、お話したら、すぐに話してくれたから」
今、とても物騒な単語が聞こえたが。
「シャティ、僕がどうしてここまでして君に会いに来るか……僕の気持ち、とっくに気付いているんだろう?」
ユリウスは熱っぽい視線でこちらを見つめ、私の手首を握りしめている手に力を込めた。
「ユリウス様、いけません……私は……」
私はなんとかユリウスの手を振り解こうと力を込めるが、逆にユリウスの手に力が入ってしまう。ミシ、と嫌な音がして恐る恐るユリウスの顔を見上げる。
「あぁ……どうして?僕に何が足りないんだシャティ。教えておくれ」
「ゆ、ユリウス様に足りないところなどございません」
「なら、どうして……」
「世間体の問題です。由緒正しきアヴェリス公爵家の次期当主が一端のメイドなんかに……」
「世間体……世間体、か。皆、それを気にするんだな」
カタカタと窓ガラスが揺れる。
「ユリウス様?」
「そんなくだらないものの所為で僕とシャティは結ばれる事が許されない……ただ一人の女性を好きになっただけなのにどうして周りから非難されなきゃならないんだ……?」
ユリウスの虚な目からはサファイアの輝きは失われており、どろりと濁っていた。やがて地面が小さく揺れ始め、思わず血の気が引いた。この現象を知っている。
ヒロインに拒絶されたユリウスは、このように虚な目でぶつぶつと独り言を言い始め、魔力を暴走させて学園を破壊し、そのまま————。
「もういっそ、僕たちの身分差なんかを気にする邪魔な奴を全員殺してやれば、そうすれば————」
「ユリウス様ッ!」
ゲームでのシナリオを思い出し、今にも暴走し始めそうなユリウスの頰を両手で包む。そうすると、大きな揺れはピタリと止まる。
「あ、あの、ユリウス様はまだ未成年ですし、まだ決断を下すのは早いのではないかな、と」
何も考えずユリウスの名を呼んだので、私は適当に言葉を並べる事しか出来ない。
「わ、私より美しく気品のある女性は星の数ほどいるわけですし————」
「君以上に綺麗な女性を僕は知らないけれど」
「あぁ、いや……ゆ、ユリウス様は社交界やパーティーにほとんど出ていらっしゃらないでしょう?ですから、その……色々な女性と交流をしてから、それでも!それでもユリウス様が納得いかないというのであれば……わ、私も少しは考えますから…」
しどろもどろになりながら説明すれば、ユリウスはパチリと大きく瞬きをした。
「考える?シャティ、今、確かに君はそう言ったね?」
「え、えぇ」
「それは……僕が学園生活の中で、君以外の女性に心を奪われる事さえなければ、結婚して、僕の側にずうっと居てくれると?」
「え?いや、まあ……考えるってだけですよ?ですから、令嬢とも交流を深めていって、それでも尚、今の考えが変わらなければという話で……」
「本当に!?」
ユリウスは先程の暗い表情は何処へやら、ぱぁっと表情を明るくし、今まで見たこともないぐらいの笑顔を浮かべた。
「嬉しいよシャティ……つまり三年間、君を想い続けていれば、僕たちは結ばれるんだね?」
「大体……そんな感じになるかと……」
「そっか。あと三年……三年だね。長いけれど、待っていてくれるかい?」
「あの、他に好きな令嬢が現れたら、遠慮なく仰ってくださいね。私は全力で応援致しますので」
「……ふふ、馬鹿だなシャティ。今更、他の女性に目移り出来るわけがないよ」
ユリウスはニヤリと口角を上げて笑うと、私の頰を愛おしそうにスルリと撫でた。
「君が言ったんだからね。三年後だ、って……」
そのまま顔をこちらに寄せてきたかと思うと、ユリウスは形のいい唇を、なんと私の頰に押し付けた。吃驚して思わずぴゃっと飛び上がる。
「必ず、結婚しよう」
「……」
ユリウスの瞳は、再びサファイアの輝きを失い、濁っていた。私はふと思い出してしまった。ユリウスがヒロインのリリアンに重い重い愛を囁く際のスチルを。
ユリウスは、その時のスチルそのまんまの表情をしていた。
(……なんか、やばいか?これ)
確実によくない方向へ進んでいる気がする。
ま、まぁ!あと三年あるわけで!ユリウスは他の令嬢とも交流することを約束してくれたし、もちろんヒロインのリリアンとも出会うわけで!リリアンと出会っちゃったら私の事なんて綺麗さっぱり忘れてくれるよね!うん!
……もちろん、そんなはずあるわけがないのだが、当時の私はそんな事知る由もなかった。
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