(追記あり)「☆1」評価は「高評価」なのだから、それにケチ付ける人の言う事は聞かない方がいいと思った話。
「不正ポイント」の話題にかこつけて、
「☆1は低評価」
という内容のエッセイを見かけました。まだ、こんなことを言っているのかと私は呆れました。
「☆1」は「プラス評価」です。
ポイントを付ける欄には下記のように記載されています。
“ポイントを入れて作者を応援しましょう!”
「☆1」でも「☆5」でも「プラス評価」です。
その証明として、「☆1」はポイントが「2ポイント」加算されます。決してポイントが「マイナス」されるわけではありません。
また、この「2ポイント」は「ブックマーク」される際の付与ポイントと同じです。ここからも「一番低い評価」であるとするのはおかしいでしょう。
人によって「☆1」の価値観が違うことは理解できますが、システム上も建前上も「プラス評価」であることに変わりはありません。
にもかかわらず、「☆1」を「一番低い評価」と喧伝するのはどうなのでしょうか。「一番低い評価」は「☆評価を付けない」ことです。“小説家になろう”内において、「マイナスポイント」がない以上、これが「一番低い評価」となるわけです。
挙句の果てに、件のエッセイ主は「☆1」を付ける行為が表しているのは「(読者の)程度の低さ」とまで宣う始末です。
作品に対して「面白い」と思う感情は人それぞれで、そこに「1~5」の段階を付ける行為は普通のことではないでしょうか。
書き手の方々からすると「☆1」よりも「☆5」の方が嬉しいのは読み手である私でも理解できます。しかし、「読み手の面白いという感情」を否定して「☆5」を付けてもらって嬉しいものなのでしょうか。
私には理解できません。
また、件のエッセイ主は「何10話も読んでいるくせに、評価を付けない人がいる」と文句を言っているのですが、それは単純に「面白くなかった」からなのではないでしょうか。
にもかかわらず、「評価を付けろ」と言われても読み手側も困ります。そりゃあ「☆1」を付けざるを得ないでしょう。それも「オマケ」で付けたとしか思えません。そして、それにも件のエッセイ主は文句を言うのです。
つまり、件のエッセイ主の言いたいことを纏めると、下記のようになります。
・読んだら☆評価を付けろ。
・でも、☆1は付けるな。
「ジャ〇アンかよ」と思わずツッコんでしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
さて、では私が言いたいことは何かといえば、
「☆1も立派な“高評価”であり、それにケチを付ける行為はみっともない」
ということです。
「☆1」は「不誠実な評価」どころか、わざわざ「☆☆☆☆☆」にチェックを入れているのですから、「面白い」と思っても何も評価を付けないことよりもよっぽど「誠実」な行為なのではないでしょうか。
こういう「☆5」を強要するようなエッセイを見かける度に私はうんざりします。
「☆評価」そのものの利用を控えるユーザーが増えるかもしれないと考えてしまうからです。
そういった思惑もあり、このエッセイを投稿致しました。
皆様、気にせず「☆評価」を利用しましょう。
(追記)
あとがきに追記しようと思いましたが、本文に追記致します。
件のエッセイ主が新たにエッセイを投稿しました。
件のエッセイは「☆1」全体を否定したわけではないとのことです。なるほど、確かに、嫌がらせのような感覚で「☆1」を付ける人はいるのでしょう。
しかし、件のエッセイ(元のエッセイ)を読むと、件のエッセイ主の作品に「☆1を付けた読者の感想」についての記述もあります。その感想の内容はいい点と悪い点が書かれている「ちゃんとした感想」で、それを考慮して「☆1」を付けています。「感想まで書いてくれた上での☆1」だと私は思うのですが、件のエッセイ主はその☆1に対して文句を付けています。その言い様は私から見れば「まともな付け方をした☆1の読者の否定」です。
その読者に対して「少し考えたほうがいい」とも件のエッセイ主は言っています。これを例に挙げて「足を引っ張る行為」だとし「毒者」とまで言ってしまっています。
さて、件のエッセイ主は新たに投稿したエッセイで、私のエッセイに対して「エッセイの内容を曲解して批判する」と言っています。
どこが「曲解」になるのか教えてほしいものです。
そして蛇足ですが、このエッセイに頂戴した感想の返信をするため、再度件のエッセイを見て初めて気が付いたのですが、件のエッセイ主は以前に「読者を卑下するような内容」のエッセイを投稿していたユーザーでした。そのエッセイは現在は削除されています。
当時、私は件のエッセイ主の「読者に対しての言葉遣い」があまりにもひどいので指摘したのですが、全く聞く耳を持っていませんでした。
それ以外にも色々とあったユーザーであることを思い出しました。
結局、あの頃と何も変わっていないのだろうなというのが私の所感です。
定期的に「☆1は低評価」みたいなエッセイが投稿されますね。
自分の作品に「☆1」を付けられたことが気に食わないのかもしれませんが、それなら自分の作品を昇華させる方に注力した方が健全じゃないだろうかと読み手側ながら私は思います。
そして、件のエッセイ主は「承認欲求」を否定しているのに、なぜ「☆1」は嫌がるのかが私にはわかりません。
(補足)
上記の「承認欲求」の説明が不足していました。
件のエッセイはその冒頭で「読者に読まれたいという承認欲求による投稿作品」を「流行り物の二番煎じ」と揶揄しているので、「読者に読まれたいという承認欲求による投稿」を否定しています。しかし、一方で「☆1」を付けられることを嫌がっています。では、どうすれば件のエッセイ主は満足なのかと考えると「☆5」が欲しいのでしょう。
つまり、「他人の承認欲求(読者に読まれたい)は認めないが、自分の承認欲求(☆5が欲しい)は認められるべきだ」と件のエッセイ主は言っているわけなのです。
こういった背景があったので、“件のエッセイ主は「承認欲求」を否定しているのに、なぜ「☆1」は嫌がるのかが私にはわかりません。”と書かせて頂きました。