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紫草の宴  作者: 田中のべんべん
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母と娘

ごめんなさい。まだ終わりません。

草鹿よもぎと守山鉄司の攻防の始終を眺める者がいた。

今回の会合を計画した宿の支配人である茂きよ子──改め、彼女とすり代わって彼らを集めた、よもぎの言うところの「お母様」こと伊集院チヨであった。


「よくここまで、理想的に育ってくれたものです。何より私が命じずとも必要とあらば自ら判断し、なすべきことをなしてくれるというのが良い」


先ほどの守山鉄司の襲来だが無論、チヨも気が付いていたし何より、よもぎには自由にせよとの命令を出していたことから自身で対応するのも視野に入れていた。

しかし実際はどうだ。

よもぎは早々に動きを察知しただけでなく十分に引き付け逃亡の目を潰し、助力を乞う気を絶った上で詰ませにかかった。


「少しヒヤリとした部分はありますが、よい成長です」


最初から一撃で仕留める気で臨んでいたなら標的にほんの少しの希望も与えることなく終えられたのだろう。

ただそれも、結果まで見れば泳がせたとも取れるため些末な問題と言える。

相手の口が軽ければ調子に乗って余計なことを漏らしてくれたかもしれない。

自分が思っていた以上の成長だ。


「……まぁ、意図していたのかは不明ですが」


よもぎは普段無口で無表情、そして何より見た目が良い。

だから余計にしっかりしているように見えるのだが、実はそうでもない。

上手くやっているように見えるが、ほんのちょっと前には殺したあと始末で首だけ忘れるという特大クラスのミスがあった。

その時は「部屋のカギを拾ってたら忘れてきた」などと言っていたか。

単に手を抜いていたと言われても全く不思議ではない。

そういう娘なのだ。

可愛い、自慢の娘だ。


「……あぁ、いやですね。情なんてかけないつもりだったのに」


ただ今回に限っては計画ことの重要性をくどくどと説いたので、わざとだと信じたいところだ。

上手くやっているならそれで良い。

手を抜いて失敗したならそれまでの人間だったということだ。

元より計画を円滑に進めるために拾っただけで、ここまで進んでしまえば、もはや彼女の存在は重要ではないのだから。


「さあ、始めましょう」


伊集院チヨの計画、その最後のトリガーが引かれた瞬間だった。


───────


時間は少しだけ遡る。

件の現場を後にした よもぎは誰もいない廊下を小走りに進んでいた。音もたてず、ひたすらに走っていた。

ここには最上階のように気が狂いそうな絵が飾ってあるわけでも、重苦しい空気があるわけでもなく、特段の不安を煽るような要素は何も無い。

いつも通りの、普段から何気なく使っている廊下だ。

けれど今は真っ暗闇を進んでいるような気分だった。


普段通りで良い。

血を洗うためにシャワー室へ行くだけのこと。

だというのに、その確かに存在する目的地を彼女自身が自覚できないまま駆けていた。彼女は今それどころではなかったのだ。


「なんで……」


その表情はすぐにでも泣きだしそうだった。

よもぎの中には、何も感じないまま人を殺していた事実を嫌悪する自分と、一方でそれを当然のものと思っている自分がせめぎ合っている。


経験したことのない感情のぶつかり合いだ。


ここにもう一つの不安が加わって、彼女を何倍にも苦しめていた。

迷っても、すぐ元に戻れた。


それが、守山鉄司殺害の件だ。

未だにお母様からはこの件について何も言われていない。

自分の判断でやってしまって良かったのか、悪かったのか。

何も言わなかったのはお母様自身で対応するつもりだったからなのか。

自分が何か気付いていない失敗をしてしまって、それで失望させてしまったのか。


「こ、今回は上手くやった……よ?」


沈黙が、今の精神状態にはよく響いた。

不安が際限なく膨らみ、肥大し、ぶくぶくと心を蝕んでいく。

一言よくやったと言ってもらえたなら、それだけで救われたのだろう。

誰かに、何か。


「誰か」


誰か──馬鹿馬鹿しい。誰がいるものか。

自分の味方なんて。

他人を殺すために生きてきた。唯一いるとするならそうであるように育てたお母様くらいのものだ。

お母様は色々と教えてくれる。たまに怒ることもあれば褒めてくれることもある。

でもそれは自分が道具として使えるからだ。使えるうちは直そうとするし手入れもする。

当然のことだ。

……だとしても、自分に価値があると言ってもらえたならそれでも良いと思っていたのに。


「……何も無い」


血で汚れた両手は空っぽで──。

自分には何もない。


──ふと、ある言葉を思い出して立ち止まる。


昨日の夕方、ついさっきのことだ。脈絡もなく発せられた「優しい」という自分に向けられた羽場修二という人間の言葉だった。

昔お母様に教わった言葉だ。意味なら知っている。

けれどそれは、人殺しの自分には到底似合わないと思った。

必要のないものだと思って隅に追いやっていた。


思い返せば自分がおかしくなったのはここに彼が来て、会ってからのことだ。

彼は自分にとってあまりにも似つかわしくない言葉をかけたと思えば自分が強い殺意を向けた時も大して動じなかった。まるで自分がそのまま死ぬかもしれないなんて微塵も思っていないような様子だった。

不思議な人だと思ったし、少しだけ興味も湧いた。


「羽場…修二」


そう口にした一瞬、すぐ近くの物陰から気配を感じた。


「……出てきなさい。さもなくば、命は無い」


落ち着き払って言ったものの内心穏やかではなかった。

距離にして一歩分、こんなにも近付いてようやく気付くとは。それほどまでに取り乱していたという事実に冷や汗が止まらない。


「早く」

「すみませんお風呂帰りです別に変に探り入れようとしたとかそういうんじゃないんです」


気配の主は物凄い早口でそう言いながら姿を現した。

ただ内容など1ミリも頭に入ってこず、表情顕わに驚いた。


「あな、たは……羽場修二……!」


何の因果か、そこに居たのは羽場修二本人だったのである。

修二「え、いま名前呼んだよね?バレてたんじゃないの……?」

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