夜空が照らす湖面
「……やば、資料が抜けて……! ……土曜日か……はぁ」
アリスがベッドに腹を預けモーガンの胸の上に顎を乗せる。まったく、久しぶりに帰ってきたというのに悪びれる素振りもない奴で腹が立つ。
まぁ、それはどうでも良いと、とりあえずモーガン首元の匂いを存分に吸う。
「……ふぃ〜。 堪らん」
ベッドを抜け出て服を着て、化粧台の前で髪を整える。腑抜けた表情が少しはマシになったと鏡の中の自分へと言い聞かせ、寝息を立てるモーガンを置いて部屋を出る。
(夢の中で仕事とは……相変わらずワーカホリックだなぁ……)
雨が降る中テーブルの上に食事が並べられた。そんな光景を探し物をするかのようにヘルメースが眺めている。
(大将は普段より眠そう……して、姉御は……)
「いやぁ。 我ながら美味しそうだ。 モーガンさんコーヒーだよね」
「……えぇ。 お願いします……」
(姉御は普段より輝いてるな……。 なんか歩き方も違うし……肌も調子が良い……。 あぁ〜そういう事ぉ。 まぁ、遅いくらいだよなぁ)
「……ヘルメース」
「ん〜。 どした大将」
寝癖のついてる後頭部を指で掻きながらヘルメースを眺める。先日の騒動で時の人となったと言えば違うだろうが、新聞で名前が載っているにしては間抜けな顔をしている。
「見ない間に背伸びたな」
「前もそんな事言われたと思うんだけど。 そんなにか〜? まぁ、朝昼晩しっかり食べてりゃデカくもなるか……てか大将老けた顔してんぞ〜? 姉御と何かあったのか〜?」
その意地悪に過剰反応を示したのはアリスの方だった。モーガンは両目を左上へと向けてシラを切る。
「っちょ?! ヘルメース!」
何かあった。 何かあったと言えば。そう言ってコーヒーを飲みパンにバターを塗りたくる。
「……そういえば歳を1つ取ったな。 いま21? まぁ正確な年齢はわかんないけど」
「そういえば、誕生日知らねぇや。 いつよ誕生日」
「1月1日」
「新年……! あははは! へぇ、年の変わり目に歳をとるのか。 誕生日と新年祝いが被るとは少し損な感じするよな」
「いや。 正確な生年月日が判らないからそうしてるだけ。 昏睡してる間に歳を取った感じで、実感無いけどね。 最近の狩猟はどうよ、儲かってる?」
帳簿にくらい目を通せよとため息を吐く。とは言え、先日出た狩人を3人屠った放骨獣という化け物を討伐した後に、会計の仕事をやれと言うのは気が引けるのだが。
「団長が把握してないのはだいぶ不味いと思うんだけど……。 まぁまぁ、普通に利益は出てるよ。 あ、てか取り分の話だ」
「取り分……9割が君の分で1割が団の資金になるって話だっけ。 いいよ。 10割持って行っても」
「……いや、いやいや? そうじゃなくてさ、大将が行方不明? だった時に帳簿だとか会計を見たんだけどさ、全額運用に回してるって話に関してなんだ。 いや使えよって。 食費にも使わずに運用って」
「あぁ、あれね。 ヘルメースが出ていく時に現金化して渡そうかと思ってたんだよ。 でもさ〜子供の労働から1割中抜きして飯を食うってだいぶ世間から叩かれない?」
ヘルメースがあんぐりと口を開け一瞬言葉を失った。パシパシと目を開閉した後に呆れたように額を掻く。
「いや、普通もっと取られるんだよ。 3割くらいさ、建物の改修費だとかさ、食費だとか。 団の金で運用って」
「……団のお金としての1割分は、団の運用費に充てろってこと?」
「そうそう。 じゃないとただの居候だろ?」
モーガンが腕を組むと頭の中で理屈を転がす。正直どうでもいいなと顎を撫でた。
「……いんじゃね。 現状、私の収入で団が回せてるんだし。 居候すりゃあ良いよ。 こっちの頼みで入団してもらったんだし……それに、セシリーの面倒も見てもらってるんだ。 好待遇は当然、現場の手柄を多く貰えるのは当然でしょ」
この緩さが団としての雰囲気を生んでいるのだとは理解している。しかし、しっかりとして欲しい。 ヘルメースの目からして、適当過ぎる様に見えるのだう。
「……はぁ。 ま〜そうだけどさ」
「なんだ〜? 甘えるのに抵抗があるのか〜? 普段は気にせず飯食ってソファーでよだれ垂らして寝てるクセに」
「たらしてない!」
「うっそ〜? まぁぶっちゃけ、生活に困らないお金があれば十分だし、んな若い内から無理しなくて良いんですわ。 ちゃんと貯金して、自分が家庭を持ったりする時の為に備えときな。 言わば、私が生きている内は蓄財を仕放題ってことよ。 好きな男とか居ないの?」
「……居ないね。 そりゃあ、自分よりも強い魔術師で」
「……身長が15センチ高くて、頭が良いだろ。 ヘルメースよりも強い魔術師か……中々居ないと思うんだけど」
「うっせ〜なぁ。 居るかも知んないだろ〜。 姉御はどうして大将を好きになったん? ぶっちゃけ顔じゃ無いだろ」
「おい。 本人が目の前に居るんだけど。 なんで好きになったんですかね。 アリスさん」
「……え〜。 なんとなく。 そうだなぁ……生活力がありそうで……お酒で悪酔いしなさそうで……。 後は意外性? まぁ、なんとなく」
「なんとなく。 大将、決め手はなんとなく。 だそうです」
「そっか。 お眼鏡にかかって嬉しい限りだよ。 セシリーがまだ起きて来ないけど、どうしたんだろ。 見て来る」
「……今の絶対に凹んでた。 どう思う姉御?」
「……そうかな? 嬉しそうだったけど」
「で、本音は?」
「ん〜。 骨格?」
「………………こ……っかく? え、体つきとかそーいう?」
「エルフって男も女も中性的な感じでね。 ああいう渋い感じの……」
「あぁ、外人好きってやつか。 把握。 確かに、エルフでムキムキなんて見ないな。 あと……結構、俺ってイケてるだろ感が」
「わかる〜! それだよそれ!」
「……大将。 味付けが違う珍味枠だったか」
「いや。 それは違う。 なんか良いんだ。 こう、総合的にプラスなだけなんだ。 言語化するのが難しいけど、結論なんか良い」
「なんか良い……ほぉ」
モーガンが寝室の扉の前に立って扉をノックする。当然の話だが、自分自身がいない間にも色々な事が家の中で起きているのだと扉に吊るされた名札に描かれたイラストが教えてくれる。
「お〜い。 セシリーさん。 起きてる?」
「……おはようございます」
寝起きにしては目元を腫らしたセシリーが鼻を詰まらせながら姿を現した。
「どうした? 嫌なことあった?」
「いえ、ただ少し親の事を思い出して」
「……そっか。 ご飯持ってこようか?」
「大丈夫です」
「親しい人を亡くすと、ふとした拍子に頭を掠めるよな。 よく分かる」
「……無理じゃ無ければ良いんですが……お願いがあります」
「お願い?」
雲1つ無い碧空の下。草花の茂る地面をグリフィンの影が通り過ぎていく。防寒具に身を包んだ騎手が手綱を握り、その腕の内側にはセシリーの姿があった。
「……誰もいませんね」
セシリーが下の光景を眺めて呟く。かつては多くの人の往来が見られた街道には草木が生い茂り、その姿の面影すら消えかけている。
「……」
「大丈夫ですよ兄貴。 もう自分のせいで大勢死んだなんて思っていませんから」
「それなら良かった」
甲高い風斬り音が耳元で鳴り続ける中、青く霞んだ前方に人工物の影が見える。直線に直角、整った傾斜を持つ自然界には無い輪郭を持つ、かつての故郷へと飛び続けていると、次第に姿が大きく明瞭な姿を現すのだ。
「……これじゃ、人は住めませんね」
着陸場所を探す周回飛行を行いつつ視線を落とすと、既に大型雑食獣の群れを確認する事が出来た。中には魔術を使う種類の怪物も散見される。
崩れた民家の採光窓のフレー厶からは人面鳥が顔を覗かせ、グリフィンの姿を見た途端に廃屋へと姿を消す。
人間の建築物は、獣達にとっても用価値のあるものだ。所々に穴があり、捕食者から逃る事、隠れる事も出来る。
壁が壊された場合でも大体は修理をするものだ。しかし、この場所に限っては再興するための人間は全て死に絶え、防壁も基礎から壊れている。新しく造った方が安上がりで、住む人間がいないとなれば当然の結果だ。
(難民が出ないとすれば、まぁ当然の結果だな)
冷酷な考えだが、避難民も生じる心配が無いとすれば修繕費を出す周辺国も無い。難民による治安悪化はどの国であれ真っ先に憂慮するものだ。世の中綺麗事で回るほど甘くは無い。
「あそこに降りよう」
かつては衛兵が巡視をしていた防壁上のコンクリへと四肢を預ける。何度かの爪が擦れる音と共に巨大な体躯が地面に降り立った。
「……よしっと」
セシリーの両脇に手を差し込み、降りるのを手助けする。側の停留杭へと手綱を結び、奥の壁へと近寄る。
「慰霊碑って何処にあるの?」
それは、ほら。 そう言って指差した先。 胸壁の前に座るには不便そうな切り出し方をされたツヤのある石が置かれている。
モーガンが手向けの花を両手で持ち、慰霊碑の前で膝を落とす。
セシリーも膝を落として黙祷を捧げる。
「喜んでくれてるかな……」
瞼を下ろしたままのセシリーが俯いたままにそう問いかけた。モーガンはこっそりと片目を開き、穏やかな声で呟くのだ。
「あぁ。 絶対にそうさ」
穏やかな光を宿した煙の塊が胸壁の上に腰掛けている。腰まで髪の毛が伸びた女性に短髪の男性。両親の生前の姿だろう。モーガンへと姿を見せた途端にその姿は風に乗ってどこかへと去って行く。
「兄貴……少しワガママ言っていいかな?」
「良いよ。 術式使って」
「……ありがと」
無名の傀儡術式が姿を現し、防壁に指先を這わせ火花を散らしつつ地表へと降り立つ。
「随分と慣れたもんだね」
「ヘルメース姉ちゃんにも鍛えられてますから」
モーガンが慰霊碑に酒を供える。大勢が亡くなったといえ流石にボトルを3本持って来るのはどうかとヘルメースが言っていたが、まぁ気持ちの問題だ。
「お供えも済んだし、お昼でも食べようか」
「い、いや。 いま操作中なんですが……」
「もう任せちゃって大丈夫だと思うよ。 視覚の共有だけしてれば、後は意図を汲んで動いてくれる。 やってみ?」
「……あれ、本当だ。 勝手に動いてる。 兄貴の術式って傀儡なの?」
「いいや。 傀儡の真似事はできなくは無いけど。 所詮猿真似。 たぶん5メートルも離れたらぐずぐずに崩れちゃうと思う。 甲冑を象っただけの人形なら気を散らす案山子には使えるかな。 一回だけ傀儡の内側に入った事があるから何となく」
「……へぇ。 その、兄貴の術式って何か語りかけて来ること無い?」
「無いねぇ。 そう言えば……死にかけた時に見たな。 山羊の頭がついた筋肉質な奴だったよ。 まぁ、傀儡だとか区別してるけど、有形の術式なんて遠くでも動けるか動けないかのザックリしたモンだったり……サンドイッチどれ食べたい?」
「鶏肉の甘辛いやつ」
「おっけ。 やっぱり肉だよな〜。 はい。 あとスープもあるぞ。 温め直す必要はあるだろうけど」
「焚火しても良いの?」
「コンロも持ってきたから地面は汚れない。 大丈夫さ」
「……両親の遺品を持ち帰りたいんですけど。 大丈夫ですかね?」
「大丈夫でしょ。 遠慮なさんな、誰も君を恨んでいないよ。 多分、むしろお参りしてくれて喜んでるだろうさ。 大人の顔色なんて気にすんなよ」
白い歯を見せて笑うモーガンを見つめるセシリーが目元を緩めて微笑んだ。サンドイッチを掴んだ手元に視線を落とすと、何も握っていない右手に見覚えのある煙がまとわりついている。
顔を上げて煙の先に目を向けると、夢にまで見た愛おしい横顔達がそこに居たのだ。華奢で小さな手を包むゴツゴツとした手に、ささくれた手。
「(お母さん……お父さん)」
潤んだ目を擦ると、その姿は消えていた。荒涼とした風が肌を撫でるだけで、あの温かな光は何処にも居なくなっていた。
「兄貴……今何か居なかった?!」
「……いいや。 何も。 ただ、見えたんだろ? それじゃ、最期の挨拶に来たのさ。 まだじんわり温かいでしょ?」
セシリーが右手を胸に抱えるように引き寄せて、左手で愛おしそうに包むのだった。あぁ、今のは夢じゃ無かったんだ。その熱がその確信を手助けしてくれる。
「……うん」
「……来て良かったね」
涙ぐむセシリーの頭をくしゃくしゃと撫でる。そんなモーガンの目元にも少しばかり水気を帯びていた。
「なんで兄貴が泣くのさ……」
「泣いてねぇよ。 少し涙腺に来ただけだ。 セシリーさんを家族として迎えられた、ご両親は幸せ者だったろうなぁ……」
それからお互いに何も言わず、モーガンはセシリーの頭を撫で続けるのだった。
つづく




