血塗れの鉄塊
黒い雨雲が空を覆い、大粒の雨が大地を鳴らした。その一滴を口火に、次々と後続の雨粒たちが地面を濡らして行く。
「……はぁ……、クソ……」
土砂降りの中、フードを被った旅人が腰を曲げながらヨタヨタと歩いて行く。老年の顔ではなく、むしろ若い女だ。端正な顔に似合わない言葉を吐きながら下り坂を進む。
その女の歩いて来た道には赤い斑点が残っている。今もなお押さえた脇腹から赤黒い血液が広がり続ける。
「……」
ここで死ぬ。地面へと伏して遠のく意識の中、この考えだけが響いている。この荷物だけは届けなくては。それ程に貴重な品であるのだと。
「……いやぁ〜、旦那ぁ〜いい天気っすねぇ……」
すっかり汚れが流れ落ちた空を笑顔で眺めるリジェ。清々しい気分であるのは隣に座るモーガンも同じだった。
「それな〜。 さっきまで土砂降りだったけど、急に晴れたねぇ……他所行きの用事がある時は晴れが一番よねぇ」
狩人協会の武器物品を積荷にした馬車。普段通りの仕事だ。少し違うのは、積み荷の他に小汚い衣服を纏った男が後ろに座って居ることだろう。
「おい、賊。 妙な気は起こすんじゃねぇぞ」
「……わ、わかってるって」
手足を縛られた賊は心底怯えた表情を浮かべ、モーガンが睨むと咄嗟に手を前に出している。咄嗟に体を守る仕草をする程に赤目の男が恐ろしいのだろうが、仰々しい程の怯えっぷりで何か企んでそうに見えるのがモーガンの気分を逆撫でするのだ。
「まぁまぁ、旦那。 お仲間を全員コロコロされてナーバスになってんのさ、気にしてやるなって」
「警告はした。 それを聴かなかった連中だ、用心に越したことはない」
「だははは! そりゃ、たった一人が大勢を前に、"止めないと全員殺す"と言っても信じないでしょうよ。 まさか、魔術師が居るとは思ってなかったんでしょうな。 弓矢と言えど火器に劣るとは限りませんからな。 やっぱ旦那に頼んで正解でしたわ」
「……そいつはどうも。 報酬上乗せしてもらっても良いんだよ?」
「じゃあ、今晩の飯は奢るよ。 やっぱり肉が食いたいよね〜」
「そうそう、分厚くてカッチカチのステーキ肉と芋、酒に…………」
楽しみな事を考えながら話し出したモーガンの表情が再び引き締まる。違和感を感じ取った表情だ。拳銃に再び弾薬を装填し、狩猟鉈をベルトに吊るし直すと手綱をリジェへと引き渡した。
「旦那?」
「血の匂いがする」
「えぇ……うそ〜? 後ろに座ってる奴の汚い服のニオイじゃ?」
「だいぶ薄い血の匂いだから、返り血だとかじゃない。 風上があっちだから、少し見て来るよ。 そうだな、5分から10分。 時間貰って良い?」
「あいよ……よ〜しお前ら、少し休憩にしよう! 旦那が死体の気配を気取ったらしい。 各員、銃を携帯して、警戒をしつつな! 化け物が出るかも知れん!」
「旦那! コイツ連れて行け!」
リジェがそういうと彼の術式下にあるカラスがモーガンの肩へと飛び乗る。
モーガンが馬車から飛び降り、匂いのする丘の上へと歩く。何人も踏みしめたであろう未舗装道路。無数の足跡に車輪の跡、馬の蹄。そんな中、車輪にしては浅く、動線の定まらない細い轍が彼の興味を引いた。
(何かを引きずった……いや、片足を負傷したかのような……)
魔力を見ることの出来る目を頼ってみたが、特段得られる情報は無い。拳銃の撃鉄を引き起こすと細い轍を追跡し始める。
倒れ込んだであろう痕跡の側。腰下ほどの草むらがなぎ倒されている。何かが這った跡。それを恐る恐る追っていくと、針葉樹の若木に誰かが背を預けていた。
(……死体か……?)
厚手の防寒着に、割れた保護ゴーグル。獣臭さの無い新しい遺体だ。賊を生業にした人間では無いとぱっと見で判断し、拳銃を仕舞って側へと屈む。
「……かわいそうに。 獣にやられたか」
「(……そこに、誰か居るのか……)」
息があることに驚き、直ぐに処置をするために無線でリジェを呼ぶ。 内容を言う前に"見てる。 直ぐに向かう"と音が鳴ると無線機を横に捨てて、ウェストバッグをベルトから外して医薬品を取り出す。
「……喋るな。 血を失うぞ……! 直ぐに処置をするから……」
体を横にさせて上着を頭の下へと差し込むと、血圧計を腕に巻く。
「……すまない。 もう、声も聴こえないんだ……処置は良い……」
そう言われたところで手を止める男ではないが、掠れた声を聞き逃さない様に静かに手を動かしている。どういう負傷であるか、意識のある間にポロッと話してくれれば、その後の処置の予定が立てやすい。
モーガンの身なりを見るや、狩人協会の人間であると気がついたらしい。ベルトに吊るしているエンブレムの下に狩人協会の刻印が入っているのが目に入ったからだ
「……ふふ。 狩人協会の人か」
「へぇ。 君も? できれば、カフェでゆっくり話をしよう、こんなとこで死ぬ必要もないだろ……」
「……僥倖だな……あの荷物を……ラッドウィンに住む、アレキウスという人物に届けてくれ……招待状は私の荷物の中に……」
そう言うと共に腹の傷周りに赤色が濃色を呈した。なりふり構ってられないと、彼女の上着やバッグへと手を突っ込み、身分証を探す。
血圧計の針が指す数値がスッと落ちると共に意識が遠のいた。グッタリとした状態、冷水の様に冷たい体温。
「リジェ! 見えてるか! そっちのトラウマバッグに輸血液が入ってる! 持って来い!」
身分証を拾い上げて、血液型を確認し終えると、服をハサミで切り患部を露出させ、清潔なガーゼで圧迫止血を試みる。
「わかってる! 直ぐに届く! 20秒待て!」
馬車の方へと目をやると黒い影が空に見えた。鳥で荷物を配送しようとしているのだろうが、1分はかかりそうだ。
血圧計の針がどんどん下がっていく。体の治癒本能に任せたのでは間違いなく命はない。素人判断だがそう感じた。
「……ええい、訴訟が怖くて死なせられるか。 〈タール・ボウイ〉!」
自然界には無い特有なニオイを放つ右腕を象った術式が側へと顕現すると共に、傍の茂みから動物が逃げる音が鳴った。
「……良いですか?! かなり痛みますよ?! ……仕方ない……〈医療探針〉」
タールボウイの細針が傷口へと這い入って行く。モーガンは目を閉じて裂けた組織を術式で撫で回し、血流によって脂が押し避けられる場所を探していると、いくつかの異物を飲み込んだ感触があった。
「……なんだ? 散弾のペレットか? にしては……鋭く直線的な傷口だが……」
異物を取り込んだ場所を重点的に探ると直ぐに損傷箇所が見当たった。かなりの数だが、油をその箇所へととどまらせて、熱処理を施すと血圧の改善が見られたのだ。
なんだか拍子抜けだと言うと術式を回収し地面へと捨て、傷口を洗浄液で流し、清潔なガーゼで流し切れなかった石油を優しく拭い取る。傷口の中にガーゼと指を入れて、焼き止められた繊細な血管を傷つけない様に掃除する。
泥まみれの戦場、湿地沼地の環境で感染症を予防出来る程に強力な茶色い消毒薬を傷の内側まで塗り、傷口をガーゼで押さえる。
微かに血がついてはいるが、命に関わる出血ではないと自分自身に言い聞かせ、包帯で固定する。
「ふ〜。 傷の縫合は医者に頼もう……しかし何だったんだ? 散弾のペレットでもないし……」
「……まじかよ」
モーガンが濡れた衣服を馬車から投げ捨てる。その馬車に積まれた木材クレートの上には寝袋に詰められた裸の女が弱々しい息をしている。彼女の入った寝袋には妙な出っ張りが6箇所あり、その全て布を噛ませた懐炉を入れてある。
一仕事やりきったモーガンが前の席へと腰掛けると長いため息をついた。肉体的な疲労ではなく精神的な負荷による疲労の為だろう。
「……アリスにどう説明しようかね……」
「言わんで良い。 不可抗力でしょうよ。 低体温症になってる奴に濡れた服着せたままにするなんて考えられんでしょうが」
「だよなぁ……はぁ、まぁ良いや。 後ろの馬車に賊を移したけど、問題無いか?」
「大丈夫っしょ。 にしても、売れ残った懐炉が役立つとは意外でしたがね。 こう言うときの為に常備するかねぇ」
「そーしてくれ」
「ははは。 売り物じゃない積み荷ばかり増えて行くよ。 そのうち、非常用荷物専用の荷馬車を用意する羽目になりそう」
「ふ。 そんでアレでしょ? その馬車に医者を乗せてだな……」
「あはは! 無茶言うな! あ〜あ……んで、その箱って何入ってるの? 旦那」
「ん〜? ……悩みのタネ」
しばらく後。随分と暗くなった部屋の中、女が目を覚ました。病院という感じではなく、どこかの宿泊施設の一室という感じだった。
「……ここは」
そう呟くと男の狂乱した歓声が近くから聞こえて来る。
「いいぇぇえ! また俺の勝ちぃ! いやぁ〜人生ゲーム楽しいぃぃ! 旦那弱すぎて笑えるっすわぁ!」
「くっっそ! なんで毎回休みを踏むんだよ!」
「いやぁ? まぁまぁまぁ? 怠けてた人生なんだから? そりゃあ、ゴールは遠いですわなぁ! おっほっほ〜ん。 はいザコ〜!」
「は〜……すぅ~……。 あ〜クソゲ。 やっぱりボードゲームは苦手だな。 スポーツで決着つけようや」
「いいやぁ? 旦那ぁ! 俺は勝ち逃げさせてもらいますわぁ〜! 悔しいのぉ?! 悔しいのぉ?! えぇ?!」
「ぐぅぅ! ……マジで……よぉ! ふっふ! マジで煽って来るなぁ、おい! あっはっはっは!」
「いや〜、愉快愉快。 あ〜寝よ。 遊んだ遊んだ、満足満足」
「はぁ……次覚えてろよ」
「お〜……お。 いつでも相手になるぜ、旦那ぁ」
空いた酒瓶とデリバリーフード。 随分と出来上がった二人を見ながら、声を掛ける事を躊躇ったが酒瓶片手に振り返ったモーガンと目が合う。
「あ。 起きてる」
「あ……えっと」
「……こんばんは。 モーガンと言います。 配達経路上でぶっ倒れてたんで、医者に見せときました。 入院費を払う余裕無いんで、野郎二人の宿で申し訳ないが……荷物は入口に」
「……そうでしたか。 ありがとうございました」
立ち上がろうとする女が傷口を庇って呻き声を上げる。
「傷自体は大事無いですが、かなり血を失ったようですから、数日は安静に。 と医者が言ってました」
「旦那ぁ、俺は寝るぜ。 数日間は観光だぜ〜それじゃ、おやすみ」
リジェがモーガンの荷物をベッドから下ろし、寝床へと潜り込む。
「ベッドは自分が使う約束じゃ?」
「人生ゲームの勝者はこの世界の頂点。 故にベッドは俺の物でさぁ」
「ん〜ん。 じゃ、ソファーで寝るか」
「あの……ということは、ここって」
「……ラッドウィン。 の宿泊施設です。 アレキウスという人物を探してみましたが、如何せん名前だけでは探せる範囲に限りがありまして。 それにここに運び込んで、動ける時間も2時間程度でしたから……無事に仕事を終えられた祝杯を上げてたところです……」
「……そうでしたか」
「負傷していた時の装備から邪推するに、グリフィン空輸を主にしてる配達人とお見受けします。 乗り物はどこに?」
「……」
「……安全な空路で襲われただとか。 だとすると、その骨董品はかなりの値打ちの物だと……すみません、悪い癖で。 それに、傷にめり込んでいた破片ですが……」
モーガンが取り出した小瓶の中には針金で組んだ粒状の何かが入っている。よく見ると虫のよう、蝿のような姿だった。
「……魔術の類だとは思いますが。 自分の文化圏では見ないタイプ、それか単一の魔術師。 しばらく魔力溶液に浸してたら、完全に機能を停止して今のとおりです。 名札をつけて入院させた場合、危険だと勝手に判断して……同じ宿に連れてきましたが……危ない橋を渡ってるみたいですね」
「狩人さん……ですよね。 区分は?」
「クラス7。 しがない狩猟団の団長やってるクソザコ経営者です。 名前はモーガン。 貴方は?」
「ハンス。 グリフィン空輸を個人でやってます」
「おぉ、お互いフリーランス仲間ですか。 …………この前まではですけど……そうだ、食欲があればですけど、冷めたテイクアウトが……食べます?」
「えぇ。 いただきます。 あの……ところで、着てた服は……?」
「低体温症の兆候が見られたので、脱がせた後に捨てました。 乾いた血なら問題無いでしょうが、ずっと湿った血まみれの服を持って運ぶのはコチラの身も危なく……」
「……ぬ、脱がされた……? 貴方に……?」
「…………そういう事になりますね。 必要な事でした。 他意は一切ありません」
「……あぁ……えっと! 仕方が無い事ですから! 気にせず!」
「……申し訳ございません。 本当に……」
鎮痛剤を服用した彼女が眠りにつき、モーガンが部屋から出る。
明るい月明かりの中、まとめられたテイクアウトのゴミを片手に人の居なくなった通路を通る。それなりに良い宿だ。 中庭を通る通路まであり、随分と鼠が入り込みやすい設計である。
(……)
鋭い風切り音が聞こえると、視界の端に光が見えた。釣り針に掛かった魚が暴れる時に見える日光の反射光の様だった。
モーガンが左手を薙ぎ払うと共に血飛沫が舞う。浅く刺さったナイフの刃を鮮血が伝って漏れ出ている。
「……妙な気配がすると思っていたが、こんな夜更けに何事かね? 女1人を殺し損じたのがそれ程に……恥ずかしいか? 仕事の失敗は恥じるモンじゃない、反省すりゃあ良いだけよ」
「……妙な結界が張られてると思ったら、魔術師ぃ……だよなぁ、アンタ」
「魔除けの類いだよ。 遠隔操作系の術式、小型サイズの系列はあれで防げるからね。 蚊帳と私が呼んでる奴だが、アンタのにも効果あったか。 良かった良かった」
モーガンがゴミを側に置き、腕に刺さったナイフを右手で握る。
「不意打ちついでに、姿を見せたってことは。 勝ち筋があるって事だよな。 毒だとかかね……それなら、私にとって薬の様なものだ」
「強がってろよ」
「それで、体内に金属細工の呪いを打ち込むか。 毒とは……ものは言いようだな」
傷口から石油が漏れ落ち、粘着剤に捕らえられた虫を象った術式が地面で蠢く。
「これで、お互いにフェアな状態だ。 とりあえず、教えてくれ。 何故あの荷物を狙う?」
「言うと思ってんのか?」
「あの女は骨董品言っていたが、アレは遺物という物の類だろう。 昔の魔術師が力を込めたとされる物品。 人智を超えた存在が授けた道具。 色々と説があるが、人類が生き延びるための祈りだった物だよ。 人類が己が力で立つまでの補助具。 だが、強力すぎる補助具は自立を妨げる。 いつまで経っても自立しない金持ちの子供みたいにな」
「……」
「……そこまで考えてる設計者が作った遺物はデメリットがある。 使用者に代償を強いる。 寿命、近縁者の寿命を減らす。 生涯片目の光を失う。 子供を作れなくなる……腕が腐り落ちる……エトセトラエトセトラ。 賊まで雇って奪おうとするのであれば、いい奴が作った……つまり、デメリット無しの遺物って事だ。 それでもお前はアレが欲しいのか?」
「……お見通しか。 俺は誰かに雇われた訳では無い。 あぁ、欲しいさ」
「……そっか」
その瞬間、真っ赤な光が強く光ったと思えば、屋根上に構えていた刺客の直ぐ側に彼の姿があった。
「っな!?」
頬を掠めた掌底が耳たぶを千切り飛ばすと、2発目が胸を大きく凹ませて刺客の背中が煙突へとぶち当てるのだ。
「……!」
崩れた煙突の破片と共に屋根を転がり、小粒がパラパラと音を立て終わっても、男は腹部を押さえて屋根に膝を預けていた。
「地獄への道は善意で舗装されている。 代償無く力を与えられる事ほど罪深いことは無い。 自分が扱っているモノがどれほど危険であるかの意識が薄れるんだ。 代償無き事こそ代償。 作ったやつがそれを知ってか知らなかったかは今となっては判らんがね」
「……はは、見てきたような事を……言う奴だ。 よっこいしょ……今のは効いたよ」
「だろうな。 魔術師なら、あの程度で死んでくれないとは思ってたよ。 さっきの回答は嘘っぽいし、やっぱり雇われてんだろ。 言えば逃がしてやる」
「……ははは。 まったく、おめでたい奴だ。 大勢だよ。 この先、アレを狙ってるのが俺だけだと?」
「……それ程に有名な遺物ということか。 お前、親切だな。 わざわざ教えてくれるなんて。 実はいい奴なのでは?」
「じゃあ、見逃してくれるのか?」
「面白い冗談だね。 それとこれとは話が別だ。 ボコボコにして衛兵に引き渡す。 反省は檻の中でやりな。 それかこの腰に吊るした遺物が入った鞄を、殺して奪うか。 だらしない顔面になるまで殴られるか」
「……どこからその自信が湧いて出るんだろうな……既に術を食らってる奴が……ナメめられたもんだ」
モーガンの左腕の中からピアノ線のような何かが飛び出し、手首から肘までをバッサリ切り裂く。
「……こっからが本番だぞ色男。 我が術式〈血栓蟲〉をしっかり味わうが良い。 と言っても……」
首筋に違和感を感じた瞬間に出現させた解体包丁を首筋へと突き立てる。〈拒絶する中指〉、術式特性、構成を破壊するモーガンの拡張術式だ。
「……今のはビビッた。 タマが縮み上がったよ」
「……お前、随分と戦い慣れて……何者だ」
「……名乗るほどの奴じゃない。 ただのお節介焼きさ」
つづく




