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狩人の生活  作者: 青海苔
第一章 血塗れの天使編
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光芒の差す道

 アリスが目を覚ました時、カーテンからは青白い光が漏れていた。夕暮れまで眠っていた様だ。それにしても昼過ぎに迎えを呼んだ筈だが、まだ来ていないらしい。


 「あ……呼ぶの忘れてた……ダメだ〜頭回ってない……」


 扉の下から光の帯が内側へと伸びている。戸を開き廊下へと出る。肌寒く感じるほどに冷えた空気が足元を過ぎ去るのを感じると共に、今現在が夕暮れ時ではないと気が付いたのだ。


 (やらかした……)


 付け焼き刃とは百も承知であるのだが、寝汗で湿った髪を手櫛で撫でつけると人気ひとけのある部屋へと姿を現した。


 寝起きで腫れた顔と瞼。モーガンが朝早くからオートマタと並んで料理をしている。彼はカジュアルな服装で野菜の処理を。犬の刺繍が入ったエプロンはオートマタが着用している。


 「おっは〜! 良く眠れたかい?」


 膝の辺りから声が聴こえる。リジェの声だ。


 「……すまない。眠ってしまったようでな……仕事の途中だったのだが」


 「あぁ。怪しい転移先に関してですが。……これが資料です。調査官の権限で昨日の夜からクラス3の狩人を配備してます。ネズミとカラス共を使って監視をさせてますが、人の出入りは無く、転移門の接続も制限済み。既にもぬけの殻でしょうね」


 「……どうして」


 「タイムテーブルで考えてみましょう。旦那を襲撃後1時間経たずにガルフ邸へと放火。段取りが良い連中です。主要な人物は今頃遠くにいるでしょう。ネズミが妙な事を言ってましてね」


 「それは?」


 「美味しそうな匂いがすると」


 小型のげっ歯類が好むもの。なんでも口にする彼らにとっての、いいニオイというのはリラックス用のフレグランスではないだろう。


 軽い冗談を吐こうとしたが、リジェの雰囲気は何処となく真剣だ。表情は判断しにくいが、冗談を聞くような気分ではない事は明らかだった。


 「死骸とか?」


 「あるいは……誰かの死体かも。旦那〜。卵多めで〜」


 朝は冷えてイケねぇ。そう言いつつ、リジェは尻尾を下腹部に押しあてながらカウンター席へと進んで行った。


 彼を追い抜かない程度のまったりとした歩幅で追随する。カウンター席近くの暖炉には火が入り、冷気の境界を跨ぐと、机に突っ伏して二度寝が出来るくらいには心地良い温度だ。


 「あいあい。……支部長殿。お早いお目覚めで。……トランク。風呂に火は入ってるか? ……頼む」


 トランクの軋む足音聞きながら、カウンター席へと腰を下ろす。革製の椅子が暖かい。誰かが座っていた熱ではなく、全体が程よく暖かいのだ。1時間くらい前にはモーガンが支度を始めていたのは想像に難くない。


 (両親が生きてた頃はこんなだったかな……。朝起きると、こうやって……ご飯があって。……最後に暖炉に火を入れたのっていつだっけ?)


 何もかも全て乗り越えてきた。勉学、仕事。自分に忙しいと言い聞かせることで、多少の苦悩や苦痛は感じない様になっていた。そう思い込めば心が楽だった。


 (弟にもそれを強要してしまったのかもな。ああなったのは、私にも原因がある)


 幼い男の子の声が聴こえてきた。それに対して、女の子は、仕方が無い。無理を言わないで。忙しい。そう言って、頼みを断っている。幼い声はやがて、自身の声と弟の声へと移り変わった。


 (……流石に聴こえてないか)


 モーガンの方へと視線を移す。紐を解いたベーコンを分厚くスライスして、軽く塩を振っている。何かに気付いた様子はない。昨日のアレは偶然だったのかもしれない。


 「……何から何まですまないな。何か手伝おうか? ……すまない。顔を洗ってくるよ」


 「えぇ。しばらく掛かるので、ごゆるりと」


 酷い寝方をしていたらしい。声を出すと自分でもわかるくらいの……においがしたのだ。


 脱衣所の流し台にはトランクが居る。畳んだ茶色いバスタオルと衣服をテーブルへと置くと彼女に気が付いた様だ。


 「支部長殿。早速ですね〜。モーガンは朝風呂なんて滅多に……おっと失礼。歯ブラシと研磨剤。モーガンが買ったまま忘れた哀しき消耗品達です。モーガンの口内細菌に汚染されていないので安心を」


 この家の中で1番冗談を言うのはこのオートマタだろうか。多分そうだ。笑えない冗談を言う事が度々ある。


 「……いちいち言うな。ったく」


 「ふふふ。モーガンのブラシは鏡の裏の上から2段目の……」


 「ええい。はよ出ていけ!」


 トランクが軽く会釈をしながらその場を去る。


 (何を怒ってるんだ……子供じゃあるまいし。……しかし、オートマタか。私も買おうかな……無口なタイプのをだな)


 ヘアゴムで髪を纏め、歯を磨く。無意識に鏡を開き、中段にあるモーガンの歯ブラシを確認する。味気のない棚だ。軽い傷を処置できる医療品に抗生物質。


 予備まで置いてある睡眠導入剤。蓋についた塵を見るに近頃の服用はしていない様である。


 (……他人事だ。 気にする必要はない。仕事上の付き合いなだけだ……ご丁寧に、男物の下着に……胸当て用の布)


 「……トランク! 由々しき問題だ!」


 「……どうされましたか!? モーガンの縮れ毛は全て酸で溶かしたはず……」


 「下着は誰がっ……!?」


 「あー。はい。安心なさい。そこらへんに関しては、モーガンに指一本触れさせずに処理しますし。ご所望とあらば……」


 左手を開くと火の玉をフワフワさせている。誰にも触れられぬように塵にすることも出来ると示している。


 「……お気に入りなので」


 「承知。他言はいたしません。洗濯籠に入れていただければ、可及的速やかに対処させていただきます」


 モーガンがコーヒー片手に寛いでいると、奥からアリスが歩いてきた。血色の良くなった頬の白い肌が桜色に染ま

っている。潤んだ瞳に長いまつ毛。頬よりも少し紅色に艶めく唇。


 厚手のシャツにズボン。体のラインが隠れる様な衣服。男のさがには逆らえない。いいや、生物の本能というものだ。はっと目を引くもの。興味を引くもの。それを目にした生き物は瞼が少し大きく開き、瞳孔が開くのだ。


 (……っと。いかん。こんな視線を向けられては、彼女も良い心地では無いだろうに……)


 「ええですなぁっ! 旦那っ! 美人の風呂あが……がりりががががが……!」


 リジェの脇腹の肉をつねる。耐え難い痛みで表情が歪んだ。


 「言われた側の気持ちを考えな〜」


 熱気に混じり、脳の奥がくすぐったくなる芳しい香りが近づいてくる。


 「いい湯でした。……なに?」


 緩んだ甘い声。本能を誤魔化すかのようにモーガンは舌を奥歯で噛み締めた。ほんの少し、血の味とヌメリが口に混じる。


 「……アレルギーとかは無かったですよね。モーニングコーヒーを……。卵とベーコン。今から火を通しますね」


 「卵は2つで」


 油が小さい粒子状に踊り立っているフライパンにベーコンを1枚並べた。水気が飛ぶ音から、チリチリと油の膜に揚げられる音に変わってから裏返す。肉の筋と収縮した皺に気泡が浮かぶ。


 落とした卵のうす黄色い卵白がパッと白く染まる。2つともが白く染まり、熱された空気が端をはためかせて少しすると縁が焦げついて行く。


 「黄身に火を通します?」


 「いいや。体に悪いかもしれないが」


 「狩人協会の検品済みの卵なので、腹を下すことはないでしょう」


 さっと水を差し、蓋をする。数十秒後に開くと水気を飛ばしてから皿へと盛って差し出した。


 「……どうぞ。スープとバゲット。大した物は作れませんが……」


 「君は食べないのか?」


 「あぁ。そんなに腹減ってませんし。バゲットをコーヒーでふやかすだけで充分に足ります……狩りの前に豪華な物を食べると死んでしまうっていうジンクスがあってですね」


 「なにそれ。ゲン担ぎってやつ?」


 「えぇ。運は当てにしませんけど、あっても損はしませんし」


 そういった何気ない会話の途中だった。アリスは少し驚いた顔と共に声を漏らした。背筋を何かが走り抜けて行くかのような感触と寒気を感じた。


 「精霊も久々の家だから寛ぎたいとソイツも思ってるんでしょうな……疲れもだいぶ取れたでしょう」


 「あぁ。……にしても、妙な話だな。精霊を祖に持つ我々が精霊を見えんとは。皮肉な話だな」


 「見える者も居ますよ。種族は関係無いのです。……便利なもので。あちこちを渡り歩く身としては。家に住むとなると物の置き場所に困りますがね」


 モーガンが蝿を払う仕草をしている。手に動きだけでは無い。見えぬ何かを目で追っていた。その目は害虫を追う目でなく、慎ましく優しいものであった。


 「火を起こしたりも出来るの?」


 「乾いた草木を好む精霊を集めると発火させられたりしますが、マッチの方が早くて良いです。お願いを聴いてくれる相手じゃないんですよ。ただそこに居て、自分の都合でひっそり蠢く。有害な種類が集まれば、神隠しに山火事。実際に精霊側に傾いちまう人だっている」


 「精霊使いだとか居るでしょう? 召喚士……という狩人が居ますが。あれは魔術で変質させられた精霊を調整して使っているんです。魔術の気が強すぎるから形ある実態として顕現する。本当の精霊なんて、か弱い存在で無数の有象無象の集団とでも言いましょうか」


 「夜泣きの多い幼児はそれらを目にしていると、言われていますがね……それに、精霊を加工さえすれば……」


 先日死にかけた際に見た少女の姿と声が浮かぶ。一瞬で過ぎ去ったその光景を鑑みてモーガンは口を閉じた。


 「すれば?」


 「いいえ。人様に触れてまわる話ではありません。お忘れください」


 そう言うと彼は眉間に皺を寄せて固まった。そんな彼の視界に綺麗に片づいた皿が滑り込んでくる。ナイフで切ったベーコンで黄身を拭った筋が入った白い皿。


 「旦那〜。おかわり!」


 新たに食材を準備し手早く火を通す。水を差して蓋をする頃には、アリスがマグカップを差し出して来た。


 「……私もコーヒーのおかわりを貰えるかな?」


 「えぇ。もちろん」


 暫くの後、狩人が集められた。以前より随分と頭数が減っている。空席など無かった部屋だが、今では好きに座ることが出来る。


 「以上でブリーフィングを終わる。何か質問は?」


 以前通りの勢いは無い。殺されるのは相手の方。我々は追い回す側だという雰囲気など元より無かったかの様である。


 「先程説明したように、これは命令ではない。自らの命を天秤に賭けろとも言わない。先日の襲撃で狩人を多く失った。君たちには死んでもらいたくはない。だからこそ、君たちは二番手に回ってもらう。火口を切り、先に向かうのは……紹介しよう。彼が適任であると判断した」


 以前であれば、モーガンが立っただけで罵詈雑言が聴こえて来ただろう。あの罵詈雑言を言っていた彼らの姿が見えないのはそういう事だろうか。


 (復興作業に精を出していると切に願う……)


 「そして彼の友人。リジェ殿。彼はモーガンの戦術バックアップを担当する。通信班。彼の席を用意しておいてくれ」


 車輪が石を跳ね飛ばした揺れで、モーガンが目を開く。夢の中で今日の出来事を追体験する夢を見ていた様だ。


 「旦那。起きてます?」


 耳に付けた通信端末からリジェの声が流れる。


 「あぁ。いま起きた」


 馬車が旋回を始める。その景色を眺めると雨は上がり、雲の隙間から撓んだ光の帯が降り注ぐ。眠っている間に肌寒い程度の気温から過ごしやすい温度になっていた。


 人の話し声が聴こえてくる。警備に応っている狩人達だろう。


 「ネズミの話では地下3階にまで構造物が続いているようで。地下2階までに人の気配、魔力の気配は無いと言ってます」


 「うん。それで?」


 グシャリと音のなる地面を踏みしめ馬車から降り立つ。建屋の側には、猫の大きさ程のドブネズミが整列していた。耳にはモーガンと同じ機能を持つ端末が固定されている。器用に鞄を掛けており、中には飢えない為の餌が詰まっていた。


 「3階からは未知ですな。行きたくないと言い出しまして。本能的にヤバいと感じてるんでしょう。ネズミの機器察知能力は我々の比にならんでしょう……。そうだ。馬車に狩人協会に卸す予定だった道具を積んでます。使ってください。木材クレートに入ってます」


 武器の刃を挿し込んでクレートの蓋を剥がすと敷き詰められた藁の上に金属筒のはまった革ベルトが入っていた。


 「……閃光手榴弾か。着服か?」


 「っは。アホ言わんでください。買い取ったんですよ。今回の件ですが、あくまで調査。何か知ってる奴が居ればとっ捕まえるのが目的です。この様子じゃ誰も居ないでしょうがね……夕飯には帰れる仕事でしょうな。……素材が旧いんで普通に失明する威力が出ます。使い所に注意でさぁ」


 「捕虜は口が動けば良いってことかね。極力使わない方向で行きたいがね……」


 「それと、安全を確保したら中継機を設置してくだせぇ」


 太い延長ケーブルの巻かれたコードリールと中継機材を背負って正門へと歩を進める。


 「それじゃ、行ってくる」


 「了解。……全回線へ。モーガンが現場入りしました。引き続き周囲の警戒をお願いします。……これ一回言ってみたかったんっすよねぇ……旦那ぁ〜!」


 「あっはは。これで、悔いなく死ねるじゃん。やったな」


 「言えてらぁ。あっはは!」


 モーガンが地下へと足を進め、建屋の床を踏みしめる。その瞬間、誰かがじっと見ているかの様な気配がした。少し声を漏らすと気配は消え、沈黙する地下への階段があるだけだった。


 「どうも冷えるね……」


 モーガンにはその階段がどうも不気味に感じる。餌を待ち望む大蛇の口へと、自ら飲まれに行くかの様だった。


 つづく

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