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狩人の生活  作者: 青海苔
第一章 血塗れの天使編
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雨の足音

 湿気と雨の香りが窓枠から流れ込む。誰かが部屋に入って来たようだ。


 「容態は?」


 「安定していますよ。ただし、右肺の機能は著しく低下。視力は戻らないでしょう」


 横たわったまま脂汗を滲ませるモーガンを見下ろしながら支部長と医者が言葉を交わす。


 「そうか。……彼のことを受け入れる事は出来ると思うか?」


 「……わかりません。彼を擁護する人も増えつつありますが、主に若者の意見です。老人達は相変わらず否定的でしょう。目の見えない狩人など命を取られたと同義です。雇うにしても何ができましょうか」


 「……だよね」


 どうということはない。床に付したまま死んで行った狩人は多い。しかし、彼には同情せざるを得なかった。2度も人の手で殺されかけたのだ。


 「医者としては、助かって良かったと思います。ですが、死んでいた方が苦悩は少なかったのではないかとも思う部分もあります。……胸に詰まっていた油。魔術でしょうか?」


 「……えぇ。おそらくね」


 「あの油。斥力のような性質を持っていまして。何度も医療魔術を試しましたが、効果はほぼ無いに等しい状態で。それにも関わらず傷の修復が早いんです。早すぎると言っても良い。支部長。何かご存知無いでしょうか?」


 「いいえ」


 何度か取り替えたガーゼに汚らしい膿と油が浮かんでいる。


 医者が部屋を後にすると支部長がベッドの脇に腰掛けた。


 先日の襲来騒ぎから日も浅いにも関わらず立派な建屋での休養を取れているのは彼女のお陰だ。評判はどうであれ今回の件においては立役者である彼を無下には出来ぬという判断だろう。


 「……まったく。死んでいた方が苦悩は少ないってのは薄情過ぎないかい」


 彼女が彼の胸に手を置いた。ゆっくりと力強い拍動が伝わってくる。


 「薄情なんてもんじゃないですよね〜」


 「……起きてたのか。性格悪くないか?」


 痛む素振りも見せずに体を起すと、マットレスが沈んだ方へと顔を向けている。


 「えぇ。そう思います。ですが、いつ寝首をかかれるかわかったもんじゃないですし。可能性は低いとは思いまして、あの日ガルフ隊と組むようにしたのは支部長殿の指示でもありましたでしょう?」


 「あぁ……そうだな。疑われるのは訳ない事だよ。 それに、今回の件でここの狩人支部に監査が入ることになった。 今は停職中でね。支部長の肩書は無いよ」


 「ふふ。それじゃあ、プライベートで見舞いに来てくれたってことですか。嬉しいですなぁ。綺麗な女性に見舞ってもらえるなんて」


 「……目はもう見えないとの見立てだというのは聞いたか?」


 「そうでしたか。そこではまだ目が覚めて無かったので……」


 包帯をするりと落とす。光の入らない様にテーピングされたガーゼを落とすと、その裏にはクレンジングオイルでアイシャドウを落としたかの様な染みが浮かんでいる。


 「……うそ」


 削ぎ落とされた瞳と虹彩も原型を留めている。少し歪んではいるが右目の方は完治していると言っても良い。


 「……良かった。ちゃんと治りつつある」


 「モーガン。現場にあった黒い液体にせよその超人的な再生力にせよ。どうして黙っていたのかな?」


 先程までの丸みのある声色は消えていつもの毅然とした声へと切り替わる。内心穏やかではないのだろう。少し歪んで見える彼女の表情も険しい様に見える。


 「管理者責任ってやつですか? 使う駒の特性と弱点を握るのは、どこの国の管理職も同じってことで。……黒い液体は、私がタールボウイと呼ぶ単一の魔術です。タールとは呼んでますが、実際は石油ですね。特性としては。温度、性質、粘度、発火、ガス化。それらを操る魔術です」


 「……体質については?」


 「これに関しては、生まれつき。理由も無いですよ」


 そう言った彼の視線は下を向いていた。彼女は、どことなく正直に話してはいないような印象を受けた。


 「隠し事かい?」


 「……えぇ。もちろん。それに、職務上の相手に出自まで握られるのは気持ちの良いもんじゃない。そう思いませんか?」


 「……だな」


 「……それに、今回の件はまだ終わっていない。私を暗殺しに来たのは喪服の女。奴だった。艶っぽく湿り気のある声だった。早々聞き間違えたりしない。それにガルフさんは自殺じゃない」


 つらつらと語られた内容に驚いた様だった。彼の言っていた人物が直接対峙してきたのだという。


 「ガルフが何かを盗んだ事に気付き、在り処を伝えるであろう人物をマークしていたと見るのが妥当かな。ついでに、始末しようとしたと。証言として使えるの?」


 「彼のゴーストの証言です。使えませんよ。頭がイカれてると思われるが関の山ってやつです。喪服の女が妄想の産物であると踏んで調査してる。2度もエルフに殺されかけたっていうシナリオで終わらせようとしているでしょう。彼らの仕事は新種に関する調査が主で、殺しだとかは二の次。学者寄りの考えの人達なんでね」


 「……どうする」


 「まずは、インチキ霊能者をやりましょう。死んだガルフが喪服の女に関する情報を残している。それを見つけるんです」


 「それでは仕込みを疑われるのでは?」


 「死人が出てからは封鎖されてるでしょう。一度も彼の家に訪れたことは無い事は、エルフの住民が証人になります。彼らの目は厳しいですから、そこが利用できる」


 「……私は何をすれば」


 「調査許可を貰えれば良いのですが。正式な文書として調査結果が残れば調査官も無下には出来なくなる。捜査がやりやすくなるでしょう」


 「そうか」


 彼女の表情は真剣そのものだった。まるで、目下最優先の仕事を片付けている最中の様な……。


 「……支部長殿。本当にプライベートでいらしたのですか? 仕事ではなく?」


 「あぁ。そうだが?」


 少し目を逸してから、モーガンの方を見る。彼の瞳は一切動かずに、支部長の目を見ていた。彼の視線は何かを見透かそうとする強い意志がこもっていた。


 「……普段と違う上着ですね。冬服ですし、暑くないですか? それに、タバコのニオイがしますよ。貴方の持ち物じゃない。医者が権力を失った貴方を特例として面会させること自体が妙だ」


 支部長が胸元へ手を差し込もうとする動きを見せた。何か仕込んでいる。そう思い至る前にモーガンは彼女の手首を掴み、ベッドへと押し倒した。


 「少し失礼しますよ……!」


 無我夢中だった。弱り切った状態で銃を撃たれれば死にかねないからだ。タールボウイも先の戦闘で負った胸の傷を癒しており、闘える程の余力はない。


 「っ……離しなさい!」


 両腕をクロスさせて頭の上へと押さえつける。モーガンの表情は酷く曇っており、押さえつけている自分自身を酷く嫌悪した。


 モーガンが所持品を確認すると硬い手応えがあった。マイクだ。音声を子機へと飛ばす種類だろう。


 「……なるほどね。女を餌に情報を抜こうという魂胆か。古典的だな」


 集音器を床に投げ捨てベッドへと腰掛ける。脳裏に浮かんだ調査官達の顔が忌々しく思える。


 「……銃かと思いました。申し訳ございませんでした」


 身体を起こし手首をさする彼女は、嫌悪した視線を彼に向けていた。彼の入院着の胸元にじわじわと広がる鮮血の模様を見るまでは。


 (彼も不安なんだ……。警戒されても、仕方が無いじゃないか……不機嫌な顔をするのは君の方だろうにな)


 「いいや……気にしてない。騙す様な方法を取った私に非がある」


 咳き込んで口から血を吐き出す。手近にある布を手に取り吐血を受け止める。厚い布の上に血溜まりが出来た。血が沈み消えるとともに、指先に温かく湿った感触が伝わってくる。


 血溜まりに沈んだ黒い粒が姿を現した。光沢があるビーズ。タールボウイの残留物だ。


 「大丈夫か?」


 「……大丈夫です。……少しスッキリしました。見ないでください。きたならしいですから……」


 何度か血を受け止めると、咳も落ち着いた。折りたたまれた布の四隅以外は鮮やかな赤色を呈している。


 「ほ、ほ、本当に大丈夫!?」


 こんな状況で思うのもどうかと思うが、彼女の慌てる顔が可愛く思えたのは秘密だ。


 「……君が死にかけていた時に助けてくれた人物。誰だったと思う?」


 「いえ。男女二人組だったことしか」


 「最後に連れ帰った子のご両親。……それで、声がしたんですって。喫茶店の裏へ来てって。それで行ってみたら君が」


 胸を貫かれた。その状態が生者と死人の間にある溝を埋めたのかもしれない。今まで声を聴けたことなど滅多に無かったのだから。


 「……そうか。あの子は。あのときの……支部長。この会話聞いてるんですよね。その……調査官達が」


 「あぁ。すまない。君の隠し事を他所様へと漏らすつもりはなかった。しかし、隠すことで私の立場まで失うことは出来ない」


 彼女の立場ではそうせざるを得ないことは明らかである。支部長の肩書を捨てなければならない事だって何らおかしくはないのだ。


 重たい足音が扉から聞こえてくる。案の定、顔を出したのは調査官の1人であった。気難しい表情をいつも浮かべている人だったが、このとき限りは少し穏やかな表情だった。諦めきった様な表情が正しいだろう。


 「……ガルフの家のことだが、何も残っていないだろう」


 「……それはどういう意味ですか?」


 「彼の家、燃やされたんだよ。全てね。君の言う喪服の女が居ると仮定するならば、奴はやり手だ。今あの家に残っているのは灰と炭だけ……人相が分からなければ捕まえようも無い。それに、この街にはもう居ないのかもしれんがね」


 夜の地平線から新しい太陽が顔を覗かせると病室が赤く染まった。心地よい冷たさの風の中照らされた頬が温かい。手がかりらしいものを一つとして得られない状況の中、モーガンだけは少し嬉しそうな顔をしていた。


 「……モーガン?」


 「手がかりはあります。私を焼跡へ連れて行ってください。大蛇の尻尾を必ずや掴んで見せましょう」


 つづく

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