モーガン 黒油の狩人
渓流の音に混じって鳥のさえずりが聞こえる。
「……うう」
呻き声を鳴らしながら身体を引き起こすと状況がよく把握できた。モーガンの服が紐で吊るされ、自身の体には包帯、腕に添え木。人攫いにあったわけでは無いようであった。
日光で透けたテントに狩人協会のマークが浮かび上がっている。
「災難でしたな。にしても、嘆きの滝から落ちて死なないとは。頑丈ですな。旦那は」
ヴォルネ族の男が彼のそばに腰を下ろした。低い声に黄色の瞳。長い鼻に緑色の体毛。欠けた耳。モーガンの目線ほどの身長。
別名、グリーンスキニーと呼ばれる狐に似た人種である。
「あぁ。リジェ。あの連絡は届いてたのか。良かった」
「じゃねぇと、今頃は獣の巣でランチにされてますぜ。にしても、エルフって村社会過ぎじゃないですかい?」
「慎重なんだよ。彼らは。」
「慎重にしちゃあ、随分と派手に手を下したようで。てっきり、お得意の魔術でジメジメと呪い殺すだとかすると思ったが、嫌ってるグルドの銃で殺ろうとするとは。まあ、旦那の肋骨が頑強で良かった。金属でも入れてんのかい?」
「どこもイジってないけど。あそこって有名な場所なのか……嘆きの滝だって?」
「出るって話ですよ? エルフの中じゃ行かないほうが良いってもっぱらの噂で……」
「まぁ、出たな。女性が。ビックリしたよ」
「旦那は普段から視えてるんですし、ビックリするもないと思いますがねぇ」
「突然出られたら流石に驚くよ。死んでないのは安弾入れてたおかげかもね」
リジェは首をかしげて腕を組んでいる。安い弾丸とはいえ、肋骨程度で防げるとは到底思えないといった表情だ。
「……うーん。そっか。まぁ良いや。半年間アウェーで過ごしてたんだ。そろそろ、ホームに帰ってのプレーもどうだい?」
乾ききった衣服を纏いながら、モーガンは返事を返した。腕の添え木を外して武具を装着しているのを見るに今すぐにここを離れる気はないようだ。
「……あぁ。そうする予定だけど。エルフ達の狩りは上手く行ったのかな?」
「んな事気にしても、仕方無いでっせ。銃口を向けたんでさぁ。同じ狩人協会とはいえ、義理は無いでしょう」
リジェは左手を下顎へと当てた。この話題についてはあまり口を開きたくは無いようだ。
「何かあったのか?」
「……さぁ。ネズミ共に聴いた話じゃ、もう住めないって話で。カラスを飛ばして見たんですが、コレが酷い有様でね」
「……というと?」
「眠れる獅子を怒らせた。この表現でピンと来るでしょう?」
それでは判らないと促すと嫌々話を続けた。なんとはなく、悪い方向に物事が進んでいるのだろうとは踏んではいたが、彼がここまで口数を減らすと言うことは相当不味い状況なのだろう。
「あの集落。バケモンに制圧されちまってますよ。植物系の怪物で。一般的に通じる名で言えば、ドライアドって奴ですか。剣だろうが銃だろうが、効かねぇ相手でしょうな。エルフの若者も苗床にされてますよ。生きながらね。意識は無いでしょうけど、酷いったらありゃしねぇ。旦那も、ああなりたく無いならズラかりましょうよ」
「炎術くらいは使える筈じゃ……」
「どーも。そこが引っかかるんです。ただのドライアドとは違うとしか。まぁ、旦那を爪弾きにしてなけりゃ、結果は違ったでしょうな。自業自得って奴ですかな……心配せんで下さい。本部には連絡通してますよ」
「いつ来るんだ?」
「あっちも忙しいんでしょう。来る頃にはエルフの方々は肥やしになってるでしょうな。それに、長距離ポータルを断ってたそうですし。その立ち振舞がテメェらの首を絞めてた事に気がつかねぇ、愚かな末路を迎えたって事でしょうな」
「……悪口か? 好きじゃないねぇ。そういうのは」
予備のリボルバーをホルスターへと入れて、鉈を腰に吊るす。穴あきの防具を少し崩した感じで着込んでいる。防具が分厚かろうが薄かろうが大して違わないだろうと踏んでのことだった。
「旦那。行くってんなら止めませんが。俺たちは手伝いませんぜ? そりゃ、旗揚げしたときからの付き合いですが、今回の相手は相当手強い。それに、エルフの魔力を吸って元気イッパイビンビンモードっす。旦那でも無事に勝てるって確証はない。今なら、一緒にホームに帰れます。送りますよ」
「荷物を取りに帰って来るよ。送ってくれるなら世話になる」
「……自分の命と家財道具どっちが大事なんですかね?」
「……わからない。まぁ、怪物に追いやられて素寒貧で逃げて来たとなれば看板に泥を塗ったようなものじゃないか。それに、子供殺しのご尊顔を見ずに去るのは癪だしさ……明日の6時まで戻らなければ出発しちゃってください」
「……わかった。そうするよ」
「サービスで手伝ってくれれば、色付きで報酬を出すけど」
「勘弁してくださいよ。旦那」
「はは。じゃ、世話になったね。……小切手を渡しておくよ。それじゃあ、お世話になりました。お元気で」
強固な防壁に阻まれた集落へと近づく。最後に遺体を回収した経路を再び歩み、高台へと降り立った。
数日前に見下ろしていた集落とは雰囲気が違った。外壁からは太い蔦が這い出て付近の地面へと突き刺さっている。小さ過ぎる鉢に植えた植物の根が他の土壌を求めるかのような伸び方だ。
通信機の周波を前哨基地の受信機と合わせる。先日設営された基地の周波数だ。えらくボロい無線機だなと目を引いた1台を憶えていた。張り紙されていた周波数も一緒に。
「……聴こえますか? モーガンと言います。生存者は居ますか?」
低いノイズだけが鳴り続けている。さっきからこの調子だ。同じ事を時折繰り返すも返事はない。返事がないまま外壁門へとたどり着いてしまった。
あの湿気た入り口の土は乾き切り、時折砂埃が舞うほどだった。この風の中に色々な匂いが混じっている。どれもこれも火を付けたかの様な臭いだ。植物に加工品。文明が燃えたニオイ。抗争の残り香だ。
狩人達が怪物に挑んだ痕跡とも言うのだろうか。いいや、狩人だけではない。住民達も含めて挑んだのだろう。辺りには包丁だの手斧だのが散乱し、植物に貫かれた遺体が転がっている。
「何を憐れむ必要がある。良く見てきた光景じゃないか……」
魔力を抜かれた骸は例外なく干からびている。女子供、老人。これだけ亡くなったのに霊の姿すらない。未練を残す間もなく死んだか、身体が死ぬ前に中身を吸いつくされて自我など無くなっていたのか。
それはこの一人を見れば判った。全身に根が張り、石壁と癒合しているエルフの若者だ。目は光沢を失い、耳は腐り落ちている。首に巻き付いた根をかき分けて動脈の走る箇所へと指を置く。
不定期なリズム。不均一な血圧。服を剥がして損傷を確認する。抉り取られた心臓が膝上で干からびている。大静脈弁の中からは蝿が顔を覗かせ、不気味に色付いた複眼がモーガンの顔を写し込む。
その目が見つめる先。若者の剥き出しとなった肺の裏側に木の瘤がはめ込まれ、辛うじて若者を生かし続けていた。身体は生きている。大脳の機能は果たされてはいない。
「……やり手だな。化け物にしては。だが、人間由来の魔力を吸うか。自前の魔力とは使い勝手が違うのに吸う意味はどこにある?」
頭を上げて中央道を俯瞰して見通す。同じような屍が並び、根が街の中央へと伸びていた。普段なら奥の教会まで見える距離だが、粉塵のせいか輪郭すら確認出来ない。
「花粉か……?」
「……聞こえるか?……繋がってんのかコレ?」
胸の通信機を取り返事を返すと感嘆の声が聞こえてきた。
「モーガンか?」
「えぇ。そちらは?」
「イーライだ」
「また声が聴けて嬉しいよ。イーライ。人間を撃ち殺すってのはどんな気分だ?」
「……あぁ…。本当にすまなかった」
「ふっ。いーさ。気にしてない。そっちはどんな感じだ?」
「支部長は無事だ」
「あっそう。で、住民は?」
「半分以下に減ったが、それでも生存者は居る」
「戦闘に参加したか? 相手の情報が欲しい」
「魔術が通らない。飛ばしてくる種子は絶対に食らうな。茨も強度が高い。高すぎる。斬れたもんじゃない。ドライアドは初めて見たが、挿絵とはだいぶ印象が違ったよ」
「他は?」
「……すまない。これくらいだ」
「了解。……多分その部屋に他の連中が居ると思う。聴いて欲しい。イーライに胸を3発撃たれたが、気にしてないし罰を与えて欲しいとも思わない。普段通りに接して欲しい。お願いだ。増援も向かってるが、しばらくかかると言っていた」
「……ありがとう。しばらくというのは?」
「わからん。来るかも怪しい。あと、暗殺されかけた件だが、組織ぐるみで画策とかしてたりする?」
「いいや」
「ふふ。どーだか。ま、戦えるだけ戦ってみるよ。ここで潰さなきゃ増えるだろうし。それじゃあ、お元気で」
花粉溜まりに臆することなく飛び込む。つま先の石畳を視認するのが限界だ。それに進むほどに気温が上がり湿気も酷くなる一方である。
「いいや。もっと良い手がある」
花粉溜まりの外へと歩き、建物の陰へと体を潜めた。ライターに火をつけて花粉溜まりに投げつける。轟音と衝撃波で付近のガラス窓が一斉に割れ、聴覚がおかしくなる程の爆発を引き起こす。
煙が晴れた後には多くの家屋が倒壊していた。教会の重たい鐘が音を響かせる中、ほぼ無傷の教会の建屋を見つめる。
「ドライアド?」
茨の怪物と称されるには、動物的な体躯をしている。二足歩行で肉付きの良い……ほぼ人間と言って良いだろう。右腕と胸部に茨が生い茂っている点を除けばだが。
「……君は?」
「……モーガン。アンタは?」
「……わからない」
男性的な体つきに低い声。爆風で穴だらけになったズボンから血塗れの破片が吐き出されてくる。傷が癒えているのだろう。
「……君が、殺したのか? ぼ、僕の子どもたちを……」
「子どもたち?」
「あぁ……愛しい我が子。自然と一体となるあの子達は……」
「花粉か? あぁ……さっき吹き飛ばしてやったよ」
「死んだの……か?」
「あぁ。俺がぶち殺してやった。お前はどうだ? どういう手品か知らないが、何で人間の体内で増殖してる? お前みたいな種類は初めてだよ。人間に化けるドライアドなんてな」
「ドライアド……違う。僕はサルーン。人間だ……」
「両手に掴んでるのは何だ? えぇ? 言ってみろよ」
「友達……だ……よ」
人間の頭部。鈍い刃物で切断された生首を右手に携えている。友達と言うにはあまりにも変わり果てた姿だ。まるで子供がぬいぐるみを友達として扱うような眼差しを向けて乾いた髪を撫でている。
「……名前は? トモダチとやらの」
「えへへ……わからない。へへっ。かわいいから僕のトモダチ。でも、お喋りなのはキライ。オマエもトモダチにナッテくれる?」
「前哨基地聴こえるか。未知の魔物と遭遇。コイツはドライアドじゃない。おそらく新種だ。ここで叩いて増殖を防ぐ」
伸びた茨が通信機を貫く。モーガンを殺そうとして放った攻撃か、はたまた通信機に興味があっただけだろうか。サルーンと自称した魔物はモーガンの動きを真似しだした。
「ゼンショウキチ。きこえるか?」
「気色の悪い……!」
茨の刺突は目に見えて殺傷力が高いことが判る。掠めただけで服が破れ、皮膚が裂ける。茨のトゲが釣り針のかえしのように作用しているのだ。
耳元を過ぎ去るたびに細かな破裂音がなっている。衝撃波だ。銃弾が耳元を過ぎ去るかのようだ。
「あ、おしい……!」
「クソッ!」
肩の肉が抉れ飛ぶ。それほどの速度と質量。骨を抜かれれば腕ごと千切り飛ばされることは容易に想像出来る。鉈で受け止めた切っ先が熱を持ち、陽炎を昇らせ紅色を呈している。
「イタイ……」
茨を矢継ぎ早に放った右腕はボロボロになり、肉が崩れ落ちていた。肘から上は骨と茨だけしか残っていない。だが、それも一瞬だけの光景だった。
「治った。……次は」
「まいったな。コイツは勝てねぇ。茨で遊ぶのが好きなんだねぇ……サルーンは。俺もあるモノで遊ぶのが得意でねぇ」
「ホント?」
「あぁ。だけど、環境に悪影響が出るからさ。日の目を見る事は無いんだが……見ての通り辺りは瓦礫だらけで……っておいおい! まだ話してるだろう?」
「うるさいのキライ。早くトモダチに……!」
「はぁ……。防げ。タールボウイ」
モーガンの傍ら。右側の空中に真っ黒い腕が出現する。黒く巨大なナメクジが寄せ集まって出来たかの様な造形の腕だ。ソイツが茨を掴み、サルーンの腕を肩の根本から引き剥がして絡め取った。
「なんだソレ?」
「言ったろう。あるモノで遊ぶのが得意ってな。魔術だよ。お前の茨と同じさ。お前は植物。茨に干渉することができる魔術を使う。俺は黒油を操る事ができる。厳密に言えば黒油に似た魔力の塊だよ。これでフェアな戦いが出来るな……術式更新。タールボウイ・レッドラム」
黒油の腕からふつふつと気泡が浮かび弾けだす。腐った生卵のような硫黄臭が立ち込めると握られた茨から火の手があがった。
「かき揚げにするぞ。化け物が。人間様舐めんじゃねぇぞ?」
モーガンの跳躍は人間離れしていた。数メートルの距離を助走無しで詰めたのだ。サルーンは寄生果実を数十発飛ばしたが、黒油の腕が全てを弾き飛ばした。超高温の油の腕に弾かれた果実は燃えながら地面に落ち、タールに塗れている。
左脚を爪先で切断し、念入りに黒油で揚げる。外気に触れた途端に火柱が昇り、燃える左脚を踏みつけると脆く崩れ去った。
モーガンがタールボウイを発動させてからというもの、暴れた場所には大量の黒油が撒き散らされ、環境が酷く汚染されている。彼がこの魔術を使わないのはこのためだ。森や河川の近くで使えば除染が困難なのだ。
「や、ヤダ……ヤダ!」
「やめない。何の罪もない方々を殺したんだ。人間の真似して同情誘おうとしても無駄だ。俺は親切だ。いい事教えてやろう。人間はな。腕をもぎ取られて、命取られる状況ではな……そんな風には笑わないんだよ。化け物が」
「そうなの……そっか。ありがとお……。みんなこうやってトモダチになったんだ。残念……だよ」
「……畜生が。潰せ。タールボウイ」
黒油の腕が重くのしかかる。咄嗟に茨で体を包んだが、腕は茨をすり抜けて怪物を飲み込んだ。黒い腕の中からは細い泡で溢れ返った。
死にものぐるいで唯一突き出した怪物の左腕が焼き切れて地面に落ちると、爪の裏から茨を伸ばして逃げようとしている。本体は左腕の中に潜んでいるのだろうか。
「ふ〜。疲れた。本部に送って解剖してもらうか。そこで炭になりかけてる揚げ物も含めて……」
子供の霊が視える。彼らはモーガンに深々と頭を下げると輪郭が崩れて行った。
その奥。教会の入口辺り。喪服姿の誰かが居た。この距離では、生きているのか、そうでは無いかの違いは判別出来ない。
「おい。アンタ!」
「ふふ。また会いましょう? 狩人サン♡」
「なっ……!」
人間だ。いいや、サルーンの件もある。知性型の怪物かもしれないが喋ったのだ。間違いなく生きている。それにも関わらず、まるで最初から何もなかったかのように忽然と姿を消した。
「クソ! どこへ行った!?」
掴んだサルーンの左腕を握りしめ、女の立っていた場所で周囲を見回す。近くの遺体の胸から無線機を取り前哨基地へと繋ぐ。
「こちらモーガン。新種の敵性生物を狩猟した。回収班を要請する。不可能なら、ここで数日待つ。サンプルを確保しているから、急ぎで頼みたい」
つづく