死神の囁き
モーガンは魔術師と対峙する
目の前に居る人型の術式。このようなタイプは傀儡術式と呼ばれる。術者は遠い場所から傀儡を使役することで対象の暗殺、及び諜報等を行うことが出来る。
「イギギギ……!」
モーガンが〈タールボウイ〉で傀儡を地面へと押し倒す。いくら力を込めても傀儡が潰れる素振りすら無い。不気味な金切り声を鳴らしながらモーガンを見つめている。
「……硬ぇ!! マジかコイツ!」
暗闇で蛇を踏みつけてしまったかの様な気分だ。ふとした拍子で抜け出される様な不安感。誰かの術式であるのなら、相応の性質を持っている筈である。
(……さっきの干からびた人間、コイツの術式特性による攻撃と考えるのが妥当か……ん?)
傀儡の右手が〈タールボウイ〉の小指に触れた。その瞬間に触れられた場所を起点に造形が崩れ落ちる。
(小指が飛ばされた……。 不味いな……抜け出されちまう……!)
〈タールボウイ〉の薬指に触れると同じ様に崩れ去った。 どうやら、この傀儡術式は手で触れた物を変化させる特性があるのだと仮定して最善の策を考える。
「避難を……! 長くは持ちません!」
「……わ。わかった!」
殿下と彼の婚約者を先に逃がそうと意識を後ろに向けた途端、拘束が緩む。タールボウイの指が全て崩れ落ち、抑えが効かなくなっている。
「不味い……!」
傀儡は数度の跳躍でハロルドへと距離を詰めた。触れられるだけで崩壊させてしまう術式特性。必殺の術式がハロルドの首を狙っている。
(……やむを得ない!)
「〈発気揚々〉」
呟くと共に傀儡の手首を掴み、地面へと投げ飛ばす。ハロルドの前へとモーガンが立ち、傀儡術式との間に割って入っている。
「……モーガン。君の左手……」
分厚い皮膚に深く刻まれたシワ。皮膚の黄疸に黒い染み。浮き上がった血管以外には弾力を感じられない腕。老化が急激に進んでいる。
「……大丈夫。 ……他に避難路は?」
避難路には人が押し寄せ、我先にと人々が流れ込んでいる。今すぐにでも避難をするということは出来ない。であるのならば警備が来るまで耐え忍ばねばならない。
「……老化させる魔術。いいや、劣化か……そんなにもこの若者が憎いのか? アンタ、人殺しは初めてだろ。 慣れてるなら、来賓を干からびさせる前にヤッてた筈だ。 全く、勿体ない術式だ。ウチの狩猟団で雇い入れたいくらいの大した術式だよ」
傀儡術式の厄介な事は術者の情報が少ない事、魔力残渣がほぼ残らない事、命令を予め吹き込んでおけば目的遂行に必要な事を全て行えることだ。
要する弱点が無い。多少、力比べで劣るとはいえ術式特性が相手を即死させるのであればデメリットの頭数に加わわらない。
とはいえ、引っ掛かる点が幾つか浮かんでくる。こんなにも強力で無敵とも見える術式を持ちながら、今までどう潜伏していたのか。過去10年間の変死事件に該当する事案は無い。リサーチ済みだ。
となると、近頃術式を開花させた。傀儡を意のままに操る様になるには数年掛かる。平均的な知能、才能の場合だ。非凡な知性と才能を持ち、社会からの孤立から犯行に……それはないだろうとモーガンは鼻で嗤った。仕掛け方が間抜けているのだから当然であろう。
「……お前……その術式。 誰から貰った?」
〈拒絶する中指〉を振るうと傀儡の腕が弾け飛んだ。腕が地面を転がり、モーガンは足元にある腕を蹴飛ばして遠ざける。
「つまらん。 借り物の術式は相手していて興が冷める。 あの死骸共も……お前もな。 傀儡術式。 単一の魔術師でそれが発現したのなら大当たり。 魔術師養成所でも花形、将来有用として有名狩猟団から引く手数多。 それがどうして、テロごっこに興じているのか……」
「……」
「……どうした。 腕が無ければ誰も殺せんか? ボディーガードすら殺せず、残念な奴だな。 さぞや……ふふふ。 惨めな術者なのだろうな」
「……黙れよ……グルド人め……」
返事が返ってきた事に対して、モーガンは喜ばしい表情を浮かべた。マニュアル操作に変わった合図である。本体は近場に居る事がこの行動で判る。
(傀儡を介して話しかけて来た。 お〜。 釣れた釣れた)
「……はて、安地から顔も出さずに戦う魔術師が何を言うか。 庭の石の下に棲む虫けらの分際で良く吠える……これが滑稽でなくして何と言う?」
※安地:安全地帯の略。 生命的、精神的安全を脅かされない場所。
傀儡の腕が再生し再び攻撃で繰り出される。脚を切り落とし、解体包丁を模した〈拒絶する中指〉を腹に突き刺し、床材である大理石ごと貫く。刀身を崩壊させようと握った指が削ぎ落とされて床へとばら撒かれる。
「無駄さ。術式を無効にする概念を込めてる。 まぁ、知らず知らずのうちに中指で連想したニュアンスが籠もっちまっただけなんだがな……」
(術式更新のインターバルは30秒毎程度か。傀儡のマニュアル操作に切り替わったってことは、本体は近くに居る)
「……なんでこんな事をする? カネにもならないのに、馬鹿な奴だな」
「……ははは。 馬鹿だとは思っているさ。 ただ、あの子の代わりにアレが息をしているのが許せないだけだ。 退いてくれよ狩人サン。 アンタを殺したくない」
「……そりゃ、親切にどうも。 どーやら、ハロルドを狙ってるわけじゃないな。 フィアンセの方か……」
モーガンが傀儡と次期王妃を見つめる。傀儡の側に半透明な少女のヴィジョンを見た。鈍い耳鳴りと背中側の腰が痛み出し、モーガンの表情が歪む。
「……そうか。 妹さん、腎臓が良くなかったのか……さしずめ、彼女の両親が臓器を買ったのか……精霊を見えるのはその影響か。 まぁ、どうでもいい話だ。 今すぐに術式を解除しろ。 殺してはいないんだろ?」
「……はっ」
「……これ以上、術式を行使するならば、残念だがお前を殺さなきゃならん。 本体は干からびた人間の山に潜んでるんだろう? それに……」
モーガンが通路へと目を向ける。人の渋滞は解消され数名の魔術師と武装した兵士が見えている。
「……終わりだな。 劣化の魔術師」
「……ククク、ははは……!」
兵士に取り囲まれるのは不味い筈であるのに、彼の傀儡は背を向けたままで通路を見ようともしない。まるで、隙だらけな状態を故意に醸し出しているかのようだった。
「……! 部屋に入って来るな!」
近場で対峙していれば、勘付く事が出来るが緊急で駆けつけた彼らはそうではない。
ドアを越えた瞬間、数名の兵士の肌に亀裂が走った。武具は酷く錆びついて、革は繊維がほつれ朽ちて行く。跨いで入った2人の体躯が砂粒となって崩れ落ちる。
「……結界の罠か。 出ることは出来るが、入る際に術式特性を強制する……恐ろしい」
干からびた人間の山が崩れ去ると、男が姿を現した。便所で会った男だ。人間由来の砂とボロ布をかき分けながらモーガンと対峙する。
「……クソが。 大して殺せなかったじゃないか……腐れグルド人が……〈古びた・偶像〉この男を塵に変えろ。 私も加勢する。 逃げても良いぞ?」
「……どうせ、結界の性質を変えてるっしょ? 外へと出る際に術式の影響を受けない保証はない。 アンタをぶちのめした方が安全だろう」
術者本体の瞳に魔力光が宿る。男が歩みを進める度に大理石の床に微細な孔と粉末が浮き出る。劣化による防護服を纏って近づいて来る。
魔術を無効化する〈拒絶する中指〉のブレードが劣化し始めている。奴が近づくに連れてモーガンの術式特性を上回る威力を発揮しつつある。
本体も劣化の術式を使い出した。魔力の流れから判断するに、傀儡の制御は自動操縦状態へと移行している。
(傀儡を抑えていられるのも、長く見積もって数分程度。 魔力量も相手の方が多い……長期戦は勝ち目が無い。 まったく……来るんじゃ無かったぜ……)
直に術式が破壊されるのは目に見えている。近づいて斬り掛かったとて、刃が肉を断つ前に崩れ去るのは明白な事だ。
それに、この場を動けば傀儡が次期王妃に襲いかかるだろう。多勢に無勢。無理な話だ。
「……殺される覚悟があると見た。 こちらも術式を開放しよう。 アンタは手を抜いて殺せる奴じゃない。 〈タールボウイ・制約の小指〉」
再び出現させた〈タールボウイ〉は痩せ細っていた。本人の腕のサイズと変わらない大きさまで萎んでいる。
モーガンが術式の小指を引き抜くと、腕を象った魔力が全て集約され、小指が万年筆へと姿を変えた。
「……これは賭けだ。 勝てるかどうか。 正直言えば自信ないぜ。 〈契約を遵守し、誠意ある対応を〉」
筆先から落ちる様に捨てると、傀儡へと突き刺さり傷口を作らずに沈んでいった。ただそれだけだ。〈拒絶する中指〉も消え去り、モーガンを守護する物は何1つ無くなった。
近頃の度重なる戦闘と無茶な術式の酷使で疲弊している。何かを繰り出す魔力ももう無い。出来たとしても相手の術式を身体に流した魔力で中和する程度の事しか出来ない。
「制約により、貴様の術式を修繕して返そう。古びた偶像よ。 主の元に帰るがいい」
平静を装い、弱っている事を悟られない様に表情を引き締めて戦った。彼にとっては、救助が来るまで時間を稼ぐ事が勝利条件だった。
(……借り物の術式で結界まで習得しているとは。 予め育った術式を貰ったのか……まぁ、どっちでも良い。 もう、俺は只のカカシだ。 相手の気を逸らす事しか出来ねぇ……ガス欠だ……闘えねぇ)
モーガンの左目から血液が漏れ出て行く。左手は痙攣を引き起こし、肩で息をしている。典型的な魔力切れの症状。 相手からすれば勝ち確定の好機。
術者の側へと瞬間移動した偶像の周囲には陽炎の様な魔力の歪みが浮かんでいる。
「……何のつもりだ?」
「……私と傀儡の制約だ。 術者は気にせず掛かって来いよ」
モーガンを殺す様に念じた瞬間だった。傀儡の太い指がモーガンの喉笛を掴み生気を掠め取っている。10メートル程の距離を1秒も掛からずに移動して、攻撃を済ませていた。術者が知る傀儡の動きではない。数段、いいや大幅にフィジカルが強化されている。
操っている術者が困惑する程だ。
「……間抜けだな。 相手にパワーを与えるだなんてな」
モーガンは全身に魔力を流して老化速度を中和しているが、次々とシワが浮かび、髭が際限無く伸びて行く。短かった髪が瞬く間に伸び切って抜け落ちる。
「そのままだ。じっくりと老衰せしめろ」
モーガンの身体が衰え地面へと落ちる。意識が残ってはいるが、足腰が衰えて尻もちをついたまま、迫りくる魔術師を睨んでいる。
「……随分と老化させた筈だが、まだ息があるとはな。嫌な奴ほど長生きする……さてと殿下。 女を渡せば、貴方は見逃そう」
「断る。 婚約者を捨てて逃げるなど言語道断。 そうなるくらいならここで足掻いて死ぬまでさ」
「……ふふふ。 そう言ってくれると思っておりましたよ。 期待通りだ……王子様を殺せ。 私は、この死に損ないを処分する」
モーガンの胸ぐらを掴み上げる。年寄りくさい体臭。土とカビに似た匂い。
「……言い残すことは?」
「くたばれクソ野郎」
「……そうか。 死ぬのはお前の方だ。 万全な状態なら苦戦しただろうな。」
モーガンの身体が干乾び落ちる。四肢の末端から崩壊して地面へと投げ捨てられた。確実に息の根を止めた。
「返すよ。 タオルありがとうな」
便所で受け取ったタオルをモーガンの顔に投げ捨てる。
「殿下も死んだ……娘。 こっちへ来い。 誰もお前を助け……」
彼の術式である傀儡がハロルドの前で立ち尽くしている。妙な光景だ。とっくに干乾び殺しているはずの王子様が生きているのだ。
「〈アンティーク・スタチュー〉何をしている? 早く殺せ!」
「……ギギギ……! ンギギ……! ウルサイナァ……! 貴サマガ、命レイシタ……今カラ、殺ッテヤル……!」
傀儡が平たい頭を掻きむしりながら息を荒くしている。呼吸が必要な訳では無い。混乱している様にも見えた。己の感情の制御が効かない子供のように。 殺意という言葉を知らない状態で殺意を抱いて混乱している様に。
「……わかっているのなら、何をぐずぐずして……っは?!」
傀儡の姿が揺らいだ瞬間だった。傀儡の残像が目の前に現れると共に、酷い痛みが喉に走った。傀儡の指が術者に食い込み、彼を締め殺そうとしている。
「っく! 何を……!」
「……違ウ! アンタガ、命レイシタ! 命レイシタコトダ!」
「馬鹿者が……! 術者を攻撃しろ等と……そんな事は1言たりとも……!」
「……ウルセェ! 確カニ、命レイシタダロ!」
「……モーガンの術式か?! 馬鹿な! 殺した筈……まさか生きているのか!」
木々が撓るかの様な音が首から鳴り響く。数度扱ったが、こんな力は無かった、モーガンが細工してから妙な馬鹿力を発揮している。
(……術式を解除すれば、兵士がなだれ込んで来る……、かと言って解除せねばこのまま首を折られてしまう! 仕方ない……術式を解除して近寄れば可能性はある、こっちのほうが間合いに居るのだ。 術式を解除!)
解除を命じたが、傀儡は止まらずに男を地面へと叩きつけた。衝撃で視界が揺らぎ、一瞬だけ痛覚を失った。
「……は? 何だ、ソレは!」
傀儡術式が呻き声を出す際に、チラッと見えた物がある。傀儡の口の中に紅く輝く文字。 達筆な字でモーガンのサインが記されている。
「……〈制約の小指〉の特性さ。 ほぉ~、傀儡を介しての会話とはこうするのか……やぁ、さっきぶり。あの肉体にはもう意識は無いな。 ……この傀儡、オート操作に切り替えたから乗っ取れたのさ、完全にとは言えないが、あと1分もあればお前を殺せる」
「3分間、傀儡術式を強化する代償として2分間。2分間制御する契約だ。〈制約の小指〉は破れない契約を強制する術式、それが瀕死で昏睡状態であっても契約は履行される……あと50秒」
「……そして、自身の術式である傀儡に、本体の術式は無意味。 だが、逆はそうではない。 毒蛇だとかは遺伝で毒を不活性化出来るが、人間はそんな進化をしていない。術式なんて後天的に生じる体質の様な物だ。 限度ってのがある」
掴んだ力を緩める。代わりに傀儡に残った魔力を指先へと集中させて行く。呼吸も心臓の高鳴りも無い体。妙な感覚だ、1つの事に全てを集中させられる。雑念が一切無い、完璧な肉体を手にしたかの様な感覚だ。
「自身の術式食らって干乾びな〈アンティーク・スタチュー〉!!」
男の衣服が先に風化し、数秒の時間差で男の肌から水分が抜けて行く。
「くぉあ……! かぁ……!」
「……さて、どれだけ耐えられるかな?」
両手でこめかみを挟み込むと、男の目が白く濁り、髪が抜け落ちた。その途端に傀儡の腕が崩れ落ち、地面に散らばった砂粒が水気を得て真っ赤に染まった。人間の内蔵に血液、脂肪が辺り一面にへばりついている。
術者本体の意識が消えた。この凄惨な光景はそういう事だろう。傀儡がゆっくりと立ち上がり、ハロルドへと近づく。
「……あぁ……」
「……おっと」
次期王妃には刺激の強すぎる光景だった様だ。失神する華奢な身体を抱きかかえたハロルドが傀儡を見つめる。
「……モーガンなのか」
「……ハロルド殿下。 ご無事で何よりです」
「……其奴は死んだのか?」
「……半殺しってやつです。 狩人協会に引き渡して蘇生させましょう。 情報が抜ければ万歳、死んだら、まぁ運がなかったってことで」
頭部と胸部に白い亀裂が広がる。太い亀裂から微細なクラックが立て続けて生じる。
「……君は助かるのか?」
「ははは。 無理じゃないですか? それより……ハロルド殿下、此奴の術式は誰かから譲渡されたものです。傀儡を乗っ取る際に記憶を覗きました。 本人のアクセスを遮断された記憶に、取引の記憶が残っていました。 酒場、ワイバーンソウルという店を調べるのが吉かと……おっと、脚が」
跪いた状態でも、モーガンが乗り移った傀儡は話を続けた。まるで、ここで情報を伝える事が自らの命よりも重要であるかの様に。
「……青い注射器。 それを投薬するように刷り込まれていますが、この男には決して投与してはいけません。 フードの女なら、何か仕込んでいる筈。 口封じの為の毒だとか……」
モーガンの肉体と暗殺者の肉体は老いたままで、他の者とは違って術式の影響が色濃く残っている。それを一切気に留めず、覗いた記憶を伝える傀儡の言葉を遮る様に彼の名を呼んだ。
「……モーガン」
「……?」
「……助けてくれた事、私は忘れない。 ありがとう。 伝えそびれたままお別れは嫌だからな……」
「……ははは。 そうですね……どういたしまして。 ……王族の方に頼むのは申し訳ないんですが……アリス支部長にお世話になったと。 ヘルメースにも同様にお伝え頂けますか?」
「任せてくれ」
その言葉を聴いた傀儡は優しいため息をついてから、崩れ去った。モーガンの四肢から多量の血液が漏れ出て一帯を赤く染めていく。
「殿下……!」
「私は大丈夫だ。 それよりも彼の手当を。 絶対に死なすでない……命令だ」
「仰せのままに……ハロルド殿下」
つづく




