紛れ込んだ異物
数時間ほど前の話
モーガンが連れて行かれるよりも数時間ほど前の話だ。その頃には雨脚が強く、それなりに風が吹いていた。
水滴が無数についた馬車の窓を開くと、慌てた様子で男が降りてくる。まだ目覚めてそれ程時間が経っていない顔つきである。
黒いタキシードに身を包んだその男性が警備員へと招待状を手渡す。
「……いやはや。どうも遅れてしまってな……名前があるはずで……」
「少々お待ちを」
オートマタが紙に刻印されているパターンを読みこんで該当するデータを検索にかけている。人間の目には見えない偽装防止用のIDを確認し終えると親指を立てて警備員へと知らせる。
「おまたせしました。お楽しみ下さい」
「あぁ……ありがとう。ちょっと……! 荷物は持っていく……持っておきたいんだ」
「……では危険物が無いかを確認させてもらいます」
探査犬と人間の目を使っての確認をしている最中、男は落ち着きの無い表情でその光景を眺めていた。
警備からしてみれば、焦っているのか、何か薬をやっているのか。調べられては不味い物を持ち込もうとしているのか。
「……何か薬を服用していますか?」
「……いいや。ただ、その……私は記者でね。なんとか掴んだ参加権なんだよ……遅れるだなんてな……馬鹿なデモ隊め……! 頼む。早くしてくれ。明日の朝刊に間に合う様に取材と記事作りしなきゃならないんだ」
「わかっていますので、少々お待ちを」
「……あぁ。頼むよ。頼む頼む頼む頼む……!」
「インク瓶に万年筆……万年筆は持ち込めません。羽ペンでしたらお貸ししますが」
「……おぉ。本当かい! ありがとう、恩に着るよ!」
「……どうぞ……待って。このインク瓶なんか冷たいぞ?」
「……暑がりなのさ。冷媒術式の上着の上に置いてたんだろう」
「……確かに。……でも、勿体ないですね。術式の寿命が減ってしまう。何か冷やす必要でも? インクならこちらで貸し出しますが……これが必要な理由は?」
「……なんでそんなに疑うんだ?」
「……誰か来てくれ。怪しい男を発見した」
「……開けて調べてくれても良いから……頼む行かせてくれ!」
「……それは検査の後で決めます。おーい!こっちだ。……受け答えが妙だ。薬物の可能性がある」
「……そんな……! あぁ〜……マジかよ」
オートマタが銃を構えて男を制している。続々と警備が集まって来る中、荷台からネズミが現れる。
人間の喧騒を避けるように荷台の影から草むらへと入り、排水溝の蓋を渡り、排気ダクトへ。どこの便所にもある鏡の前に立ち止まると、ネズミが呻き声を上げた。
「うぅ……!」
体毛が消えて衣服を纏った男が鏡の前に立つ。口髭の一本がネズミのモノに変異したままに残っている。
「……所構わずセンサーを。あれ全部1人で散らしてやがるのか? 化け物かよ。虫状の……油? 汎用術師じゃないな。 単一の魔術師か」
握られた赤いアンプル。それを眺めながら男はため息をつくのだった。鏡に写る男は歳を食った顔面へと睨みを利かせ、強く歯を食いしばった。
耳の奥から地鳴りの音が聞こえて来る。怒りか後悔、禍根。あるいは全部か。ほんの少しだけ、この男の過去を覗いてみよう。そんな大した話じゃない。
「……いざ、やるとなったら、震えるもんだな……」
鏡に写る男の顔。その隣に少女の姿を見た。満面の笑みを浮かべた顔。拗ねた顔。全てが愛らしい。彼の妹であり、家族の希望だった。
「……」
大した話じゃない。妹は病気だった。移植するドナー提供者も見つかっていた。
「……ふ〜」
既得権益層の誰かが妹と同じ病気になり、労働者階級の家庭に産まれた妹に移植されるはずだった臓器。
結論から言えば、その臓器は富裕者層の誰かに買われたのだ。誰かは判らない。正直、そんな話があるのかと耳を疑ったけれども、あり得ない話ではない。
崩れ落ちる両親の背中。昨日起こったことのように思い出せる。子供ながらに悟った事実が2つある。人生とは学びと苦しみの連続だということ。もう1つは……
(人間の命には優劣がある。他人の命だなんて、自分の家族以外の者は等しく無価値に等しい。親も死んだ……妹も死んだ……孤独な男の命に価値は無い。 なら、良いだろう? 俺の好きなように、価値をつけて使い潰してもな)
トイレへと誰かが入って来る。視界の縁で見た姿であるが、白髪の男で、パーティー服というより屋外活動に適した服装だった。
アンプルを胸ポケットに仕舞うと鏡を再び覗き込む。
「……冷えますね」
「……あぁ。そうですね」
小便器に用を足している男が声をかけてきた。中々の変人だとは思われるだろうが、鏡を覗く男の姿に違和感を感じた故の行動だった。
「……そんだけ濡れてると、風邪ひきますよ?」
用を足しながら声を掛けているのはモーガンだ。妙な点は幾つかある。鏡を覗く男の足元。床材は濡れていないのに、男の足跡状に濡れた染みがついている事。踏んだと思われる水たまりも無い。
続けて上着だ。数分雨を浴びた感じではない。外の雨はそこまで強いものではないし、腕の両袖と背中側が濡ているが、肩と前側は比較的に乾いている。
髪も水気を含んでいるのは襟袖の辺りから頭頂部背面方向寄りである。
「……ですかね」
顔色の悪い男へと、モーガンは巻いて整えたタオルをポーチから取って手渡す。
「……どうぞ。タオルです。エスコート相手が服を汚すかもと予め用意していた物です。換えは幾つもあるので、お使い下さい」
「……ありがとうございます。……どこか有名な家の警備ですか?」
「あぁ。いいえ。狩人の者でね。生憎、私も連れも普通の身分ですよ。労働者階級ってやつですね……そちらは?」
「……記者です」
顔を拭く手の爪は厚く平たい。爪の間にインクの残りが無い。物を書いた時に汚れる筈である小指球は綺麗なままだ。厚い皮膚。どう見ても肉体労働を長く続けた手である。
「……以前の職業は?」
タオルで顔を拭いていて、グルド人の表情は見えない。けれども、疑いを向けられているのは直感で判った。
「鉱夫を少し……いいや。正直言うとそっちのほうが長くてね。マナクリスタル採掘の期間工。身体には良くないけど、大金が稼げる……そういう点では狩人と似たものですよ」
タオルで服の背を拭う。その顔には長年の苦労で刻まれた皺が多く見て取れる。何度か咳をしているのを見るに、粉塵で肺を傷めている様だった。
隣へと並ぶとモーガンは蛇口を捻った。粉石鹸を泡立て手首まで洗っている。ただの警備ではない。治癒系の術者に多いが、衛生用品を常に持っている事が多い。
「……記者になって何年です?」
タオルを首に掛け、用を足した訳でもないのに手を流す。
「そうだな。 ……2年くらいですかね」
「……2年ですか。近頃のマスコミ業界は人手不足なんですね……こういう取材ってのは、歴の長い記者さんか、先輩について回る物だと思ったんですが……いいや。詳しくない人間が、とやかく言う話では無いですね」
「……ほんとは、どうでも良いような記事を書きたいんですけどね……テロ騒動の取材に、販売部数を増やす為の過激な記事。嫌になりますよ……」
「ボスには逆らえませんよね……。それに飯を食えるのも会社の看板あっての事ですし……辞めたくもなりますよねぇ……あぁ、そこまでではないか……」
「……そうですね。ふふ。まぁ、何れ死ぬんです。適当なタイミングで終わりにしますよ」
「賢明ですな」
「……ところで、狩人さん。お名前は?」
「モーガンと言います。記者さんの名前は?」
「ジェド。ただのジェドですね」
「ジェドさん。そのタオル差し上げますよ。不要になったら使用人に渡して貰えれば。では、女性を待たせてるので。良いパーティーを」
「えぇ。そちら様も"良いパーティー"を」
空かした扉の向こうから、話し声が聞こえて来る。
「大将。随分と遅かったな……デカい方か」
「やめなさい。下品だぞ。少し世間話をしてたんだよ。 ……本当に記者かは定かじゃないけど……まぁ、良いか。支部長は?」
「……大将。姉御のこと好きすぎない?」
「エルフの要人だぞ。危機感無さすぎだろ。トイレか?」
「そだよ」
「行ってきて。無事かを確認。ほら、早く」
「……あいあい。 大将。あんましさ、蝶よ花よと扱うと鬱陶しがられるぞ?」
「支部長殿が無事であるのならそれで良い。流石に婦人トイレに入れないのでな。こういう時に女性が居ると助かるよ」
「……はいはい。あくまでも仕事上の付き合いね……」
戸を開いて鏡の前に立つアリスへと声を掛ける。
「あれ。ヘルメース。どうしたの?」
「大将が様子を見てこいだとさ」
「すまないな。彼も心配しすぎだな……食事会の時は自由にしていてくれ。モーガンには適当に理由を作っておくよ」
「いいっすよ。言われずとも勝手にさせてもらいますので……。ありゃ、束縛強そうだよな〜。大将は」
「……何の話?」
「大将を彼氏にするとなると……って話しよ。 姉御、結構大将の事目で追ってるし」
「……追ってない」
「いやいやいや。追ってるよ。これマジな話。 ……まぁ、良いか。 でも、なんで大将は姉御の事を護衛すべきだと思ってんのかねぇ……」
「……一応、要人だしね……私」
「……それか、実力が無いって舐められてるのかも」
「……。 それはなんか腹立つな……」
つづく




