零れ落ちた砂粒
フェレスドレア外壁。大通りにある酒場にて
都市国家フェレスドレア。内外を隔てる防壁のすぐそばに寂れた酒場が営まれている。
「……ほんと。汚い場所ね……」
路地裏には吐瀉物の液溜まりに、生ゴミの山。げっ歯類が蔓延り、歩くだけでも病気を貰いそうな場所だ。
「……まぁ、こうしたのは私なんだけどね」
以前の様な華やかさは一切無い。そこら中で魔術師反対を叫ぶデモ隊を嬉しそうに眺めつつ、酒場へと足を踏み入れた。
掃除に手を抜いている様で空気が埃っぽい。置いてる酒も少量で直ぐに酔える物ばかりだ。
「いらっしゃい。お嬢さん1人かい?」
グラスを拭きながら店主が尋ねると、女はカウンターへと腰掛けて後ろの酒を眺めている。
「……なに? 女が1人で酒を飲むのが珍しい? スモーキン・ビーをおねがい」
「いいや。そうじゃない。出歩くのはやめた方が良いってだけさ。暗くなる前には家に帰って、眠る方がいい。うかうか遅くまでいると……」
「……レイプされて、望まぬ妊娠でもさせられると?」
「……それか、魔術師だと因縁をつけられて殺されるかもな」
「へぇ……べグラムの宝。魔術師の都と謳われたこの土地がねぇ……。随分と昔の話だけども」
透き通った琥珀色の酒を口にふくむ。安酒の中でも中々良いものである。唾液腺を締め付ける程の強いアルコール分に、炙った樽の匂い。目が冴えるかの様な辛口が癖になる。
「……外の人かい? そう言われたのも随分と前の話さ。俺がガキだった頃の話さ。40年前くらいかね」
「……長いの?」
「……あぁ。親父の店を継いでな。あの写真。お袋と親父だ」
客目につきにくい場所に飾られた写真。若い男女が肩を組んでいる写真である。視線が下るに連れ、子供が抱かれ、男女は年をとっていた。
仲良く収まる写真に、他にも情報が入り込んでいる。目に見えぬ、人生の侘び寂びだ。
「……仲の良さそうに写ってるけど……当てましょうか? 両親は離婚したんでしょ?」
「あぁ。そうさ。そっちは?」
店主から悲壮感だとか苦悩だとかは一切無い様子だ。これもまた人生。起こった事は変えられないから受け入れて自分の一部にし終わった面構えである。
「……結婚? そうね……まだお一人様ってとこ」
「へぇ……美人なのに。お眼鏡にかなう相手が居ないのかね……」
「そうとも言える。貴方みたいに枯れてしまった若い男が居ないもの」
「歳を重ねにゃ、こうは枯れないものさ。若い奴には出せねぇ色気ってやつよ」
「……そうなのよね~。残念ながら……。まぁ、いいや。にしても、デモ隊がうるさいよね。嫌になんないの?」
「……血の気が多くて仕方がない連中。元気があるのは良いことだ。狩人協会からの離脱を叫んでガス抜き中なのさ。……お嬢さんも知らない訳じゃないだろう。あのテロ騒動」
「えぇ。よく知ってる。貴方が思うよりもずっとね」
「……そうか。あそこに住んでたのか。悪かった」
「ふふ。気にしてない。知りたくない? あの結界の中ではどんな景色が広がっていたか」
「聴いた話じゃ、この世の地獄ってやつかね。次から次へ死体が歩き出す。1人の魔術師が引き起こした騒動らしいが……おっかない話だよ」
「……魔術師は悪魔と契約してるからじゃない?」
「ふふ。古い考え方だな。ペストの流行時に力を失った聖職者の戯言さ」
笑い飛ばす店主と一緒に大笑いをした。息を整える沈黙の後に、女が話を続けた。
「その代わりに狩人協会が力を得た。適切な隔離に予防。火葬。下水道の見直し……微生物理論の確立。凄まじい功績ね」
別の客が酒場を訪れる。その男はカウンターに座る女を見ている。待ち合わせの相手だろうと、店主が女へと声を掛けると奥の席を使わせるように頼んできた。
どう見ても厄介事を抱えていそうな風体の男。表情が険しい。しかしどういう訳か目の奥に生気が見られない。
「おい。店主の旦那よ。ひと目につかない席があるだろう? 頼むよ……」
男がカウンターに多額の金を入れた袋を静かに置く。二月ほどの食費程度のカネだ。
「……良いだろ。好きに使ってくれ」
本業では大した利益が出ない。マトモな商売で金を稼ぐより、ほんの少し汚れた事に目を瞑るだけでカネが手に入る。
「……ごゆっくり」
通された部屋は異様な程に快適な部屋だった。表の店をあばら家と称するのであれば、こっちは金持ちの邸宅と言えよう。高級な家具に、空調設備。壁には音が漏れないように気密の高い設計。
「……さてと。はじめまして。かしら? カネは持って来た?」
「あぁ。もちろん」
刻印がされた金属製のカードが差し出される。魔術師協会、狩人協会などの組織の息がかからない中立国家、ティルスの私的銀行の引き渡しカードである。
金払いさえ良ければ、犯罪者同士の送金も知らぬ存ぜぬ。取引の記録も残さない。そういったビジネススタイルの国だ。
「確かに。じゃ、こっちも要望にお応えしよう」
軽く握った手を開く。開いた瞬間には何も無かった手の上に小さなアタッシュケースが出現し、慣れた様に男の前へと差し出すのだ。
「ふふ♡ 自信作よ。普通の人間が用いてもデメリットはほぼ無し」
男が薬に手を伸ばすと、ケースを遠ざける様にして制する。いい話は済んだ。この先からは悪い話だ。そう伝えているような雰囲気を醸し出している。
「肉体の変異が始まる前に……この青色の薬を服用すること。全部で2人前、計4アンプル。どっちを使うかは自由」
「……どんな術式が顕現するんだ?」
「……それは秘密。どっちに転んでも確実な力が手に入るのは保証する。……気分で選んでね♡」
ケースを優しく閉じて、男へと手渡す。短い沈黙が男にとっては何分にも感じられた。蛇に睨まれた蛙。まさしくその様な心地であった。
暑くもないのに、不思議と喉が乾く。掠れて弱々しい声をどうにか絞り出す。
「……この後は」
どんな言葉を吐くのか楽しみだ。そんな意図を含んだ女の瞳の奥から興味の熱が消え去ると、退屈そうな目をして優しく語り出した。
「……そうね。互いに違う道を歩む。そして、気が付いたら、ここに居た記憶は何も残って無い。貴方は右手に携えたアタッシュケースの重みと胸ポケットから消えたトークンキーが無くなってる事に不思議な気持になるはず」
女の声には不思議な雰囲気がまとわりついていた。気だるげではあるが、艶っぽい声。不思議と瞼が重たくなる様な……。
「けれど、その瞬間安心するの。あぁ。俺は無事に取引を終えられたんだって」
男は急に襲われた眠気に耐えかね、瞼を下ろした。ほんの、瞬き程の刹那。
「……あれ?」
喧騒に包まれた大通り。普段から見ていた光景である。デモ隊が居るのは知らなかったが……。どういう訳か知っている様な気がする。少し前にも見た様な気がするのだ。
これからこの酒場で取引があるのだ。しかしそれも、ずっと昔に遭遇した光景なのだという既視感に苛まれる。
店は開いている筈だが、閉店の札が垂れている。
右手にアタッシュケースを持ち、デモ隊の行進を眺めている。眺めていた。そこに立っているのだから、眺めていた筈だと自問自答を繰り返す。
妙な話だ。さっき隠れ家の鍵を閉めて階段を登ってきた筈なのに、気が付いたら外壁近くの大通りに立ち尽くしていたのだから。
「……トークンが無い。盗まれ……」
右手に無かった筈の重みに意識が引っ張られる。トークンが無くなった事に対して、底しれぬ焦燥感を抱いているのに、アタッシュケースを開かなければいけない様に仕向けられているかのようだった。
自分の意志でなく、何かの意図に従わされているかのように。思考ではなく、生物としての本能を擽られてしまっているかの様に。
アタッシュケースを開くと2対の液体が充填された注射器が収められていた。4本のアンプル。誰から教わったわけでもないのに、これだけは知っている。昔から知っていたかのように。
(変異が始まる前に青い注射を……死ぬのは怖くない。あの王家に知らせてやるんだ……お前たちが踏みにじった底辺の苦しみからは、こんな化け物を産んでしまうんだと)
「……はは。そうか。やったんだな……」
絶望の淵から掴んだ一縷の望み。手にした充足感に満たされた男の顔を隠れて眺めている女も幸福そうな笑みを浮かべていた。
つづく




