蝿の主
「どうしようかなぁ! 頭取ってみようか……!」
タールボウイの巨腕がモーガンを目掛けて薙ぎ払われる。 少し驚いた表情と共に術式に弾き飛ばされ地面を抉る。
「やっば……!」
針葉樹が折れると共に酷い土煙が舞う。 爆発でも起きたんじゃねぇかと思う程のサイズだ。
「術式の乗っ取り。 肉体の強制操作。 イカれた術式だこと。 ……重機にぶん殴られたみたいだ」
タールボウイの巨腕を再出現させ握りしめるがモーガンを襲う気配は無い。
「……術式適用の条件は目で見ている事かな。 引き撃ちされると厄介だ」
首を鳴らすと不安になるくらいに大きな音が鳴る。
「厄介ってもんじゃないわよ〜? 頑丈ねぇ……内臓まで筋肉で出来てるんじゃない?」
「一部は海綿体だ。 良い術式持ってるじゃない。 今食らって判った。 それ、そう。 その糸……演出だろ。 体から糸が伸びている様に見えるけど関係無い」
「……バレてるか。 無形の概念術式。 自由を奪うのが術式特性さ。 アンタのはなんだ?」
「特に無いねぇ……広く浅く。 それが私の術式さ。 ところで大丈夫? そこ脂塗れで危ないよ?」
傷付いた針葉樹から漏れ出す白い樹液が外気に触れる真っ黒な脂へと変化する。 1つや2つではない。モーガンが薙ぎ倒した植物すべてにその傾向が見られる。
「〈魔術師の鞭〉」
黒色の鎖が魔族を捉え、四肢を引き千切らん力強さで捉える。
「なにこれ……お前さぁ……ナメめてるよな?」
「なにがさ。 結構本気よ? 近付いたら全身潰されて肉団子にされそうだからさ。 本当に自由を奪うだけにしては殺意高いから観察してるんだよ」
「ったく。 間抜けだよなぁ……! 肉体も術式もアタシの物なんだよぉお! 〈魔術師の鞭〉!」
モーガンの全身に黒い鎖が巻き付き、右腕が根元から外れ飛ぶ。 引き千切られるかのようなものでなく、軽く引かれた拍子に取れたという感じだ。
「やっば……!」
「次はぁ……あぁ゛?」
橙色の半円と共に鎖が焼き切られた。 地面に着地するモーガンの腕は既に義手で補修されており、背を向けて森へと消えて行った。
「逃げんじゃねぇよ……! 術式範囲外に逃げようたって……」
暗闇から鈍い月光を宿した何かが飛んでくる。 槍だ。 短いクセにズッシリとした槍。 胸を突き破って後ろの木の幹へと突き刺さり、脊髄混じりの脊椎骨が割れて転がっているが彼女は立ったままだ。
「おいおい。 見えるんじゃ無かったのか? 核の場所が見えると聴いていたんだけどなぁ」
「……さぁな。 それが見えるなら楽だったんだけど。 神秘性無しでこんな戦い方出来るぶっ壊れ術式に正面から戦うわけ無いだろ。 死にたくねぇしな」
赤黒い魔力の弧が魔族に向かって放たれる。 咄嗟の障壁で弾いたが、直撃すれば体がバラされる威力であるのは後ろの岩に刻まれた傷を見るに明らかだ。
「森って邪魔だよね……最初からこうすりゃ良かった」
魔族の指揮に従った魔術師の遺体が凝集。 巨大な消失光の束が薙ぎ払われるように放たれると瞬く間に森が拓かれる。
「コレで隠れられないでしょ? 狩人の好きな戦い方は待ち伏せだけど……残念ねぇ。 お得意の狩猟スキルを見せられなくて」
「たかだか腕取った程度でイキリ散らすなよ」
鈍い月光が切り株の平野を照らすと黒い何かが立っていた。 炭素の粉塵を纏うかの様な人影からはモーガンの声が響いて来る。
「……どれ、お得意の術式で操ってみろ。 術式の応用しただけのショボい術式だ〈脂虫〉と勝手に呼んでいるがね。 どうみても蝿だがな」
「…………ははは。 少なめの脳味噌でよく考えたじゃないか。 確かに姿が見えないと操れない。 でも……すべて剥がせば……次は頭を捩じ切れる」
「そりゃ怖いな。 それに、触れれば体を乗っ取られるんだ。 一瞬なら大丈夫そうだけど……ばっちいし触りたくねぇな……〈落日の横刀〉」
「お前のクソみたいな術式な奴には言われたかねぇよ。 悪臭術者め」
蝿を纏ったモーガンの影が目の前に現れる。 赤熱した横刀が握られ、魔族は持ち前の魔力の壁で受け止めている。
「クソが……デクスター以上だな……」
「若いからね♡」
「嘘つけ」
モーガンの腹に蹴りが入り大きく飛ばされる。 切り株の根っこを引き千切って仲良く地面を転がるが、全体像を滲ませる脂虫が途切れる事はなく集り続けている。
「……まったく、タフな……」
モーガンを蹴飛ばした脚がずるりと流れ落ちる。 華奢で死んだ色をしている脚が地面を転がり始めると共に組織が再生する。
「直接術式を流し込んだのになぁ。 どういう理屈だ?」
「はて、聞く前に少し考えたらどうかね」
蝿溜まりの幕に包まれたモーガンがその奥で魔力光を滾らせ再び距離を詰める。 一瞬の内に3度の殴打音。 武器でぶっ叩かれた障壁には荒い亀裂が生じ、亀裂同士が連結して崩れ落ちる。
崩れ落ちる破片が頭に被る。小さい破片だが目の前に舞う破片で魔族の体躯が隠れる。 その時だ。 突如として黒い塊が見えるようになったのは。 理屈は判らないが奴等の核構造体が格納されている弱点の場所だ
(取った!)
目にも留まらぬ速さで残像を引く勢いで振りかかった武器が思惑通りの軌跡を描き始めた。 確実に入ったと思った途端、再び現れた魔族の姿は別の姿へと変わっていた。
「ふふふ……!」
そこにはアリスの姿があった。 幻覚によって見せられている姿であるのは頭では判っていた。 入り始めた刃が勢いを失って肋骨に食い込む。
(……所詮はタダの人間。 直接触れて手駒に加えてあげるわ……!)
蝿の集るモーガンの顔に手を這わせ、優しい吐息混じりの声を吐こうと息を吸う。
「……舞踏人」
次の瞬間、魔族の体は宙を舞った。 蝿溜まりを解除したモーガンの表情は苦虫を噛み潰して飲み込まずに味わうかの如く歪み、鬼面の如き怒りを宿している。
「全然似てない上に中身まで腐ってやがる。 敬意の無い模造品がしたり顔してんじゃねぇ。 クソッタレが……!」
核構造体まで切り裂かれた死骸を見下ろし陰鬱な溜息を洩らす。 本当に軽蔑した目で眺めていると、空の結界が歪み始めるのだった。
つづく