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狩人の生活  作者: 青海苔
第一章 血塗れの天使編
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エルフの街から

 深い森の中。分厚い革製の雨具から鼻を出した男が山道を全速で駆け抜けていく。枝で頬を切り裂きながらも一切止まらず雨粒を横殴りで受けながら。


 荒い呼吸に皮脂と雨水が混じった飛沫を乗せた男は随分と重たそうな背荷物を担ぎながらも軽々と倒木を乗り越え、滑る幹を尻で滑り越えた。


 「ええい。まだ着かないか。」


 腰に吊るされた光源だけが夜道を照らしている。チラチラと後ろを警戒しながら上り坂へと差し掛かった。


 鼻先を頂上方向へと向ける。ものの数歩で登り切ることのできる頂を目指した。


 その傍に弱々しく育った樹木の枝に何かが座っていた。暗闇がその縁をくっきりと浮かび上がらせる。


 人間の様で6歳時くらいの背丈、腰ほどに伸びた頭髪は手入れを怠って酷く曲がり絡まっている。白いカーテンの裏から漏れ出る日差しの様な輝きを放っている。


 それが彼に微笑みかけると彼は進路を左に変え倒木に背中を預けた。


 息を殺して身をひそめていると、背中の後ろから荒々しい呼吸が通り過ぎて行く。ほっと胸を撫で下ろし、ホルスターにリボルバーを仕舞う。


 脇腹の服をめくると痛々しい裂傷が顔を覗かせた。やつれた顔で向かいの苔むした岩の上で先程の子供が座っていた。


 「助けてくれたのかい。今の」


 彼が問いかけても一切の返事はなく、ぶら下げた両足をパタパタとさせ続けているだけだった。優しく微笑んでいるが、どこか無機質で気味悪い雰囲気を纏わせている。


 「待ってろ。すぐに返してやるから」


 彼の髪の毛が真っ白く染まる。ものの数秒間の間、苦悶の表情を浮かべた。大きく荒い鼻息を吐き出すと、彼は立ち上がり、再び歩み始めた。


 光量を再び大きくした灯りが捲れた裾を照らす。先程の深い傷は擦り傷程度の浅いものへと変わっていた。


 「…日の入りか。…コーヒーが恋しいな」


 そう言った頃にはすっかり雨雲は消え、紫色の朝焼けに照らされる集落を崖から眺めていた。雨水で濡れた髪から発せられる獣臭い湿気がこもる雨具を取り払うと、ロープを掴み垂直な崖を下った。


 「おおっと…。危ない」


 疲労が溜まった手足は少しでも気を緩めると、意志とは関係ない脱力を起こしてしまう。外れた両足を岩肌に乗せ、次の行動をしっかりとイメージする。


 数秒間息を止めた彼は断崖を素早く移動し、瞬く間に安定した地面へと足を預けた。


 ロープを回収しながら帰路を辿る。そこから20分程度歩くと、先程まで眼下に広がっていた集落の入り口が目前に迫った。


 胸に吊るした通信機のトリガーを指で引き込み、静かな声で話し出す。


 「こちら、モーガンです。聴こえますか。エレベーターの動力を起こして頂けますか。どうぞ。」


 「こちらオペレーターです。モーガンさん。おかえりなさい。動力起動了解しました。少々お待ち下さい。」


 古く打ち捨てられた様に錆びついているエレベーターの側に寄ると、高くそびえ立つ壁にもたれかかった。


 格子状の鳥籠の様な搭乗台に弛んでかかっていた鎖のワイヤーが低く重たい音と共に上がってゆく。


 「ありがとう」


 「いいえ。お疲れ様でした」


 搭乗したエレベーターの中からは少しずつ離れていく地面が見える。靴に付いた湖畔の砂が隙間からポロポロ落ちていく様を眺め終わると、強烈に吹き上がる風を避けるように前を見つめる。


 「また、帰ってこられたな。我ながら強運の持ち主だと思うよ。


 青紫色の朝焼けの空、頂きに雪を被る切り立つ山々。濃淡の濃い水面に走る川の流線。誰に言った言葉ではないが、彼の安堵感の混じった言葉はたちまち耳を鳴らす程の風に消されていった。


 足元に下ろした木箱を右手中指と人差し指の背で撫でると今度は悲しそうに彼は呟いた。


 「おかえり。帰って来られたよ…」


 ガタっと視界が揺れると共に戸を開き、荷物を担いだ。力を失ったエレベーターは微かな金属音を鳴らしながら静かに沈んで消えて行く。


 木製のと階段を下り正門裏に降り立った。籠もった湿気を放つこの門は日が昇ったあとに開き、日が暮れると閉ざされる。住民や商人が扱う主要な通路への入り口だ。


 轍が刻まれた石造りの道を進んでいると、鍛冶場から心地よいリズムの金属音が耳に入った。店の奥で鈍い光が灯り、店の準備を始める者の姿があった。


 彼がそれを見つめていると、ふと女と目があった。軽く会釈で返すが、とても接客係とは思えぬ表情を浮かべてそそくさと奥に消えてしまった。


 度し難いな。そう彼は小さくつぶやき、続けて声をかけた。彼の目は仏頂面の女に先程運ばれてきた箱の上を向いている。


 「遊んでないで行くよ。ほら。」


 煌めくルーン文字の入った槍や鉈を上から眺める輪郭の透けた白い子供は、気づいた途端に彼の側へ舞い寄り、後頭部にしがみついた。


 頭に手を置き、その子のボサボサの頭を撫でてから何も言わずに石畳を進みつづけた。


 朝にも関わらず灯りが灯っている大きめの建物の戸を開く。狩人協会と呼ばれる組織の建物だ。国営で、現場に出る彼のような個人契約者、民間組織への仕事の斡旋を行う場所である。


 毎年毎年決まった時期に建物の修繕工事が行われるところを見るに、相当の金余りが起こっていると噂されることが多い。支部のトップが見栄えだけは良くしたいと語っていたため、彼女のモットーか何かが反映されているのだろう。発言権が大きい故か、何故か構内に酒場が隣接している。


 コンパスと石鎚のシンボルが施されたエムブレムの下に受付カウンターが備え付けられている。交代勤務を終えた従業員数名とすれ違う。会釈も無い事は常だ。無論、この男に対してはだが。


 (まぁ。疲れてるだろうし、仕方ねぇか。しかも何日か風呂に入れてないなら息止めて素通り安定のニオイだろうしな)


 「おはようございます」


 「はい。おはよう。床汚してしまってますけど、緊急でね。3日前から出ててね。ようやくさ」


 偉そうな返事を彼は返し、荷物をテーブルにそっと載せた。それから隣のボードに貼られた版画の依頼書の様な紙切れを眺めた。


 何枚もある中から、最新の張り紙に埋もれかけたモノを手に取った。長くそこに止められていたためか、鋲を抜くのに力が必要だった。


 それほどに他の仕事の紙が多く、触れた際になにかの拍子に外れ無い様にだろう。一般に流す依頼の多さは枠が紙で隠れてしまっているこの掲示板を見れば明らかだ。


 「あった。これだな。ん? 何やってる」


 彼の荷物に肘を置き青年がニヤつきながら見ていた。若く奢った態度。


 「よう。今まで仕事だったのか? 随分と…クセェし、汚ねぇ格好してんな、モーガン」


 「うるさいな。手を退けろ」


 「この荷物が大事か。何が入ってるんだろうな。まさか、また死体か? 皆怪物退治で忙しい中、死体を回収して帰ってきたのか。」


 「用がないなら退いてくれ。早く済ませたい」


 「さっさと消えろ。お前が来てから良く人が死ぬんだ。頼むからこの街から出ていってくれよ」


 手早く書類と荷物を受付へと引き渡すと、受付が強めの口調で男を下がらせた。荷を届けた彼を贔屓したものでは無く、事務仕事の邪魔をされた苛立ちをぶつけたようなものだった。


 「すまない。助かったよ」


 「他に要件が無いなら、帰ってください」


 「……ったく。エルフってのは……あぁ。帰るよ。……それじゃあね」


 最後に別れの挨拶を口にした際の口調は穏やかであり、生きている人たちに向けたものでないのは確かだった。それ故に気味悪がられ、誤解されるのだが彼としてはどうだって良いことだと思っている。


 異物が居なくなった後に荷物を開く。そこにはあの少女の亡骸が入っており、運搬者が雑に走り回っても遺体が損壊しない様に工夫が凝らされている。


 遺体の失った部位には、絞り固めた清潔な布で失った手足を再現しており、野ざらしだったであろう遺体にしては汚れが少ない。あの男がやったのだろう。


 それがエルフ達には、より不気味に感じられる。なぜ、行方位不明者の遺体を確実に回収できるのか。そして、なぜ毎回遺体を美しくして届けるのだろう。


 朝露が庭の草木を濡らし、陽の光が水滴のレンズに蓄えられ輝きを放っている。モーガンは白い吐息を吐きながらポケットの鍵を探った。


 「……ん?」


 軒先と背中を暖かく照らす中、小さく丸みを帯びた腕が回されている。右肩に顎がのせられ、優しくまぶたを下ろした少女の霊が力強く抱擁している。


 その姿は、振り返るとともに消えて、なんであったのかは彼の目には入らなかった。ただ冷え切った頬と対照的にじんわりと温まった首に手を当て、太陽を見つめた。


 「今のは?……いいや。まさかな」


 家に帰ってすぐに暖炉に火を入れスクリーンを下ろした。汚くなった服を脱ぎ捨て、風呂を済ませた。


 暖炉前のソファーで腹の傷を手当していると、背中側から人の影が現れて衣服を側に優しく置いた。金属の軋む音と若干の機械油の香り。


 角張った金属フレーム。ライトブラウンの革製の外装。1つ目玉の頭部。オートマタと言われる人形である。人間に寄せすぎるオートマタも多いが、この型は古いもので、人気がない種類だ。


 名をトランクと言う。そう、旅行カバンと同じ呼び名だ。身の回りの世話を任せているオートマタは平坦な男性的な声で声をかけた。


 「やぁ、モーガン。数日分の手紙が溜まっていたようなので書斎の方へ置いておきましたよ。あぁ。そうそう。コーヒーを入れましょうか。お好きでしたでしょう?」


 「あぁ。頼むよトランク。洗濯物も頼めるかい。怪物の血やら何やらで酷くてね」


 「安いものですので、捨ててはいかがですか? それとも“思い入れ”というモノがあるのでしょうか」


 さっきまで着ていた衣服と全く同じ寸法と同じ柄の衣服をまといながら冷え始めた指を火にかざす。


 「いいや。無いさ。捨てておくよ。留守の間、メッセージはあった?」


 「先程、支部長の方から連絡が。お早いお目覚めで。女性というのは朝が早いのでしょうか?」


 「多忙な方だ。朝っぱらから仕事をしてないと、終わらないんだろう。」


 「なぜ?」


 「多忙だからだよ。んで、すぐにでも来るのか?」


 「いえ。昼過ぎに来るとの事です。もう眠った方が良いですよ。生物には起きているとパフォーマンスが落ちると言われますしね。まぁ、私はオートマタですので、どういったものかは解らないのですが。」


 汚くなった衣服を掴んでソファーから立ち上がろうとしたが、トランクが衣服を掴み、モーガンを制した。


 「動かないでください。私がやっておきます。それに、女性が家に来るんですよ。少しは顔の窶れは取って置くべきです。下の毛も剃るべきかと。交尾は肌に良いと聴いたことがありますから。」


 「アレに手を出すと、他のエルフに皮膚を剥がれて川に捨てられるだろうが。滅多な事言うんじゃねぇ……コーヒー頼めるかい? 久々に熱い飲み物がほしい」


 「これは失敬。では、少々お待ちを」


 小さい声で悪態をついたあと、少し目を休めた。横に食器が置かれる音に手を伸ばす。口に含み。味わうことなく飲み込むと体を起こし目を擦った。


 「おい…紅茶は頼んでない。あぁ……芳香剤みたいな味だ。」


 「うわ。ひどいわね。結構良いやつ持ってきたのに、なんか傷つくわ〜。」


 女の声だ。男寄りの声のトランクのものではない。開いていても像がボヤける目を擦り眉間にシワを寄せた。


 「昼過ぎに来るって……」


 部屋の掛け時計を見ると既に17時だった。外の薄暗さからして夕暮れ時。


 「モーガン。よく寝てたね」


 「ふぅ……。はぁ、何の用事で? 支部長」


 「まぁ、食事でもしながら話しましょう。トランク。できたかしら?」


 「もちろんですとも。まぁ、味は知らないですが。」


 クッションを膝に抱え顔をうずめながら意識を失うモーガンの肩を数度叩く。


 「寝るな」


 「あぁ。先座っててください」


 腹のガーゼを剥がすと古く乾いた血がついていた。縫合糸を抜き、小さい球状の新鮮な血を何度か押し当てる様に拭うと、蓋付きのゴミ箱へと投げ捨てる


 先日怪物に抉られた腹の傷は既に閉じてゴツゴツしたカサブタに覆われている。


 「いつの傷よそれ? 2週間前くらい?」


 「昨日か一昨日。赤目狼に爪でガッツリやられてね。まか、んなことは良いから腹が減った。ここ数日シダの根っこと蛆虫のソテーしか食って無い」


 「あれ本当。非常食は?」


 「火にかけてたら狼が食いに来てね。俺も餌になるとこだった。……ところで、弟のことだけど。酒飲みの。」


 「あぁ。また絡んだのか。すまないね」


 「……いや。そうじゃなくて。奴の酒代どこから湧いて出てるんですか?」


 「……はは。聴かないで」


 「了解……本題に入りましょう」

 

 「了解。ひとまず、行方位不明の遺体の回収ご苦労でした。元より依頼していた案件に付きましても、対応ありがとうございました」


 「いいえ」


 「では、本題。依頼を受ける受けないの判断は任せるけど。前々から対応しているんだけど中々進んでいない仕事があってね」


 そう言って、差し出された二つ折りの茶色い紙封筒。食器を退けて目の前で広げると内容に見覚えがあった。それも当然で、内容された報告書がモーガン自身が書いて上に提出したものである。遺体の回収座標に状態を記した報告書が薄く束になっていた。


 「君の資料を読んでいた職員がまとめてくれたものさ。遺体の回収現場をマッピングして見るとパターンがあることに気づいた。回収現場を赤点で記しているけど、同心円状になっている様に見えないかい?」


 「……確かに。そう言われればそう見えます。この真ん中くらいに犯人でも住んでるって事ですか。」


 「人間ならもうカタが着いて、拘束しているさ。そして断頭台で処されている頃合いだよ。この間つい4日前に我々お抱えの狩人集団を8人送り込んだんだが、未だに誰一人として帰ってこない。クラス4、君と同じ実力帯の8人が行方知れず。昼間に現場に調査員を送ったが残っていたのは、これだけ」


 指さされたファイルの8枚の写真には似通った足跡が写っている。指を立てながら顔を潜り込ませ、上目遣いで聴いてきた。


 「我々の目には見えない何かが写っていないかい?」


 彼女は彼の目の性質について知っている。彼から話した事だ。何がはっきり見えて、どういう造形かなどは一切知らないが、皆とは別のものまで見えてしまうという事実は伝えてある。


 その他の写真の中から目を通して一枚を差し出した。像の映る面を彼自身から見えないように指で挟んで目の前へと付き出す。


 「何が写ってるか。セーの。で答えて下さい。私が見たもの、支部長が見ているもの。全く違うものなので、他人の視点と比較しないと、コレが普通に見えるものである判別が付きませんので」


 「では、いいですね。セーの。」


 二人の声が同時に発せられる。


 「霧中の林」

 「喪服の人影」


 「何も無かったとのことですけど、ご遺族を呼んではいませんよね。」


 「……そもそも、この事を知ってる人は限られてる。死体は見当たってないんだけど。……死んでるのか?」


 そう問うた彼女の顔は怯えているように見えた。彼女はエルフの魔術で視界を共有する術があると言い、彼の額に手を伸ばした。


 「見えない人が好奇心で見るものじゃないですよ。さぁ……送り出した8人の格好では無いでしょう。コイツは」


 彼は軽くその手を払い、カップに口をつけた。霧で白飛びしかかった写真にしか見えないのだから、証拠を欲するのは当然だろう。


 ただ、その他数枚の写真に写る喪服の人物の写真は先程のものより気味が悪かった。正面から被写体として写っているかのように薄気味悪く笑いかけていた。


 見つめていると、この人物の目が写真を通して彼の目を見つめ返しているように感じられる。


 「……入ってくるな。それとも、こっちにおいでとでも言ってるのかね」


 斜めに傾け動かして見ると、実際に写真の中の目が彼を睨んでいる。彼の顔がある方へ瞳が傾き、白目の比率が変化している。


 写真を裏返して机に乗せる。集めた写真を手で掴んで暖炉のスクリーンを上げた。


 「燃やしても良いかな。この写真。」


 「大事な資料よ。ダメに決まってるじゃない。」


 「それじゃあ……この写真はコレに入れて持ち運んでください。」


 軽く薄い木箱を棚から取り出し手渡した。開くと中にはルーン刻印が施されており、魔除けの類の効果を帯びていた。


 「何も厳重すぎやしないかい?」


 「念の為です。万が一があっては困るでしょうし。あと、原因が排除されるまで、開けてはいけませんよ」


 「絶対に?」


 「えぇ。絶対に。身の回りの人間に不幸があってもいいのなら別ですが。個人でなく、狩人としてのお願いです。……フリじゃないですからね」


 「わかった。……それで、どうだ? 受けてくれるか」


 「えぇ。受けましょう」


 「そっか。受けてもらえると思ってたよ。君の立場的にね」


 「と言いますと?」


 紅茶を横に置きながら神妙な面持ちで口を開く。


 「君に対する偏見さ。遺体を持ち帰って来るたびに、その……」


 「あぁ。犯人は私だという噂ですか。実際に調査を主導したのは、貴方だった」


 「まぁ、うん。立場上、仕方が無くてさ。疑念を晴らせたと思ったんだけど」


 彼は、気にしないでくださいと言い、トランクにコーヒーを持ってこさせた。やっぱし、コレだよコレ。そう微笑みながら一口つけると、仕切り直した様に話しだした。


 「ま〜、火のないところに煙は立たぬ。ってやつですよ。捜査が入れば余計に怪しいと疑われ、普段は仕事を一人でこなしてるから、立証が難しい。無罪であってほしいと願う人が無罪なら、それは受け入れられる。怪しい奴が無罪でも疑念は残るでしょうな」


 木皿の上の乾燥させた菓子を摘んでこう続けた。


 「ペドフィリアの殺人鬼とでも思われてるんでしょうな。弟さんの気持もわかる。実の姉が怪しい犯罪者とつるんでるなんて気が立っても仕方がないでしょうよ」


 そう言って静かにコーヒーを飲む彼は、目を少し細めて膝とテーブルの間に目線を落としていた。


 「前から気になってたんだけど、何で何時も一人で狩りに出るの? 狩猟団を持ってるんだから、新人でも入れれば良いんじゃない?」


 彼のベルトに吊るされたバッジを指差す。濡髪の美女の横顔が彫られ、手を組み祈りを捧げている。祈りを捧げる精霊を象ったバッジである。


 過去に所属した狩猟団の名残と彼は言うが、実際は最後の生き残りであるから自ずと団長になった経緯がある。周囲から良く思われていない事で、あらぬ誹謗中傷を受けたが反論せず、ただ耐えたことを知っている。


 「面倒見られないですよ。舵取りは向いてませんし、そんなに強い狩人では無い。さらには絶望的に人望が無い。第一にこんな閑古鳥の鳴く狩猟団、入るメリットも若い子等にはないでしょう?」


 イタズラに笑いながら、冗談っぽく、分前が減ると言うと、彼女は感心しないと不快感をあらわにしながら、見つめてくる。


 「ま。気楽でいいですよ。一人で好き勝手できて、変なオートマタと暮らしてね。人間……どんな種族の方でも死んでるのを見るのは堪えるんですよね、割と」


 喋りだしはユーモラスな口調であったが、後半には静かで通った声で彼は言った。何度も見てしまってウンザリしているのか、何かトラウマを抱えるほどの後悔があるのかは判らなかった。


 「そう。それじゃ、明後日の午前8時キッカリに支部の方へ」


 「えぇ。了解しました。ところで、支部長。最近首が張ってる感覚無いですかね。冷えるとか、背中の痛みがあるとか。」


 「え。何で知ってるの。こわ」


 「まぁ、キモがられるのは慣れてますが。お貸ししますよ」


 そのまま彼は足元から何かを拾い上げる動作を行い彼女の肩へと何かを置いた。


 「お〜。すげぇ。何か温かいんだけど〜!」


 「ウチで飼ってる精霊です。しばらく貴方の側で働いて貰うとしましょう。何か悪いモノがついているかもしれませんしね。一週間はそこに居てくれるはずです」


 「お風呂とか大丈夫なの?」


 「大丈夫ですよ。見えない人には触れませんし、動かせませんので。床で這ってる蛇の精霊ですから、触れる人間からすれば少し邪魔で」


 「厄介払いかい?」


 「いえ。かなり精霊の気を強く帯びてるので、疲れに効くかと。触ってみますか?」


 「え。触れるの?」


 「何時も世話になってるので、お返しです。あとは貴方が言いふらすタイプでないと思うので」


 彼は観葉植物の細い枝を折ってそれを彼女の首に寄せた。先端がぐにゃりと曲ったが、先端は首の手前で見えない何かに遮られている。


 「枝の先で押してる辺を触ってみてください。」


 指で何度か触り驚く彼女を見て楽しげに笑ったあと、枝を引っ込めると彼女の手が空振って鎖骨を撫でた。


 「ザラザラしてた……」


 「いやぁ、普通は気味悪がるんですけどね。話も終わったのでお開きにしますか。直接送った方が良いですよね。……トランク、転移門でお送りして」


 「いいよ。歩いて帰るし」


 「支部長殿。トランクからも転移門でお帰りになった方が良いかと……理由は言いかねますが」


 トランクがそばを通りながら転移門に手を添えた。壁に焼き付いた一文字書きのルーン刻印の文章でかたどられたアーチ。


 「遠慮なさらず使ってください。モーガンは魔術を全く使えません。気を遣うなら私の方ですよ。アリス支部長」


 「あら、冗談を言えるのね。ホント妙なオートマタだこと。じゃ……ご厚意に甘えて」


 「えぇ。反応炉からマナを供給開始……完了。術式読み込み中……完了。展開中……少しお待ちください」


 轟音とともに文字列のアーチに沿った転移門が姿を現した。光が飲み込まれ、人間の目には完全な黒にしか映らない空間に向って風が吸い込まれている。


 「それじゃあ、バイバイ。モーガン。トランクおやすみなさい。ふふっ」


 「私は眠りませんが、はい。おやすみなさい。アリス支部長」


 指先が触れた途端、短い破裂音とともに門が消えた。支部長が帰った途端にモーガンは姿勢を崩しシャツのボタンを一つ外した。彼なりに緊張していたのだろう。


 「お疲れ様です。モーガン。まさかお受けになられるとは思いませんでした」


 「……不本意だけどね。支部長自ら持ってきた依頼だよ。よほど急を要する案件なのさ。それに、この幽鬼だが行方不明者を出すだけの存在以上かもしれない」


 「魔術による人間の支配だとか、致死性の高い流行病を起こすことがあるのが、幽鬼は多くてね。それに、この幽鬼は人を模してるからその典型かもしれない」


 「それに、半端な情報では特に動かない支部長が動いた。つまりは……」


 「その状況になりつつあるという証拠を掴んでいるということですか」


 写真を一枚つまみ出し、ため息混じりに見つめた。


 「だと思うよ。それに、写真だけでこの威圧感だよ。相当強い幽鬼だろうさ……果たして死人の成れの果てであるのかもわからないけど」


 「盗んだのですか? 盗人は腕を落とされても仕方無いと貴方が言っていたではありませんか」


 トランクが写真へと手を伸ばした途端に彼の腕が脱力し膝を打つ。落ちた火花を目で追うと写真を机に置くのだった。


 「呪いの類だよ。 膨大な魔力がこもってる。反応炉から手に送られる魔力が押し散らされたんだ。人間同士で使ってるところで言うサージと言われる魔力干渉だ。互いの魔力で互いの術式をボロボロにする現象で腕が使えなくなったんだろう。人間が無意識に浴びてると、どこかしら身体の不調が出てくるのよな」


 「それ程に強い幽鬼ですか?」


 「じゃ無いと、この家を護る精霊を貸したりしないさ。生きてるヤツかもしれないけどね」


 そう言った瞬間だった、誰も居ない二階から何かが走り抜ける様な音が鳴り、入り口の柱に薄く亀裂が入った。窓ガラスから軋む様な音が鳴り出し、暖炉の火が少し小さく縮んだ。


 「ほら来た。言わんこっちゃない。賃貸なのに容赦無いな。あ~あ」


 窓を覗き込むと薄紅い月光に照らされた、真っ黒な手形がいくつか貼り付いている。


 ライターの火を指でつまんだ写真に当てる。黒い煤が立ち昇るだけで火が付く様子は無さそうだ。天井についた煤は湿り気を帯び始め、黒々としたタールの液溜まりの様に変化する。


 「手の混んだ呪いだこと。邪魔してきたエルフの親玉殺しを狙ってたんだろうな」


 天井のタール溜りが床へと落ち、中から人の形をした何かが這い出てくる。


 モーガンはリボルバーの銃口に唾を吐き入れ、撃鉄を起こす。その音につられて異形が頭を上げた。


 「親玉の家だと思ったか? ……まぁ、コイツはタダにしておくよ。支部長殿」


 マズルフラッシュが部屋を一瞬照らすと、目の前の異形は衝撃で暖炉に体躯を半分入れるように吹き飛びピクリとも動かなくなった。


 家鳴りが収まり、暖炉の火が再び煌めき出す。それの体から水分が抜け、亀裂が頭からタール溜りまで走りぬけた。


 異形の体は空気に消えるように薄くなり、最後に残ったのは黒茶色の染みだけだった。


 それとともに写真もじわりじわりと燃え、客人用の灰皿へと捨てられた。


 「……反応炉落ちてる。……お。トランク視えてるか?」


 「……えぇ。一体何が?」


 「タダ働きだよ……床材張り替えておくか。天井で呪いに消えられると掃除ができないからな……壁の穴も埋めておこ」


 「勝手に修理するのはどうかと……」


 「……そうだねぇ。……うーん。まぁ、バレねぇだろ。へーきへーき。別種族の借りてた家だ。どーせ引っ越したらエルフ的には心理的瑕疵物件扱いされるだろうに。知ったこっちゃねーっつの」


 「さて。明日の朝仕事だから。今晩中に直さないとな~」


 「死ぬかもしれないと?」


 「それもあるけど、なんか汚くてキモいじゃん。人の形した床の染みなんてよ。その後に油注してやるから手伝ってくれ」


 つづく

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