97話 勇者対屍
「グルルルルルル」
唸る大魔王からは、知性や教養は感じない。
姿形はかろうじて人間を保っているが、本質は理性を失った獣以外のなにものでもなかった。
「ガアアアア」
「せりゃ!」
噛みつくように大口を開け飛びかかってきた大魔王を、おれはハイキックで蹴り飛ばした。
ゴロゴロと転がり、止まったところでむくりと起きる。
「グガアアアア」
顔を真っ赤にして地団太を踏んでいる。
癇癪を起しているのは理解できるが、意思の疎通は望めない。
(前言撤回だな)
大魔王は獣じゃない。
獣にも劣る、動く屍だ。
「おれはこの世界に来る前、一つのルールを決めたんだ。次の異世界では敵味方に関係なく、出会った人たちと可能なかぎり会話をしよう。そして、行動を決めるのは最後の最後、ってな。もちろん、それが面倒臭いときもあったし、問答無用で殺されかけたときもあったよ」
「グアアアアア!!」
だれにともなくごちるおれとの間合いを一瞬で詰め、大魔王が半円を描くように腕を振り回した。
身を捻って躱した拳が地面に突き刺さり、舗装された石畳に大きな窪みを穿つ。
「そりゃ、理不尽に感じるときだってあったよ。なにせ、出会うやつのほとんどが説明してくんねえんだからな。わかるか? ほぼ全員が、だぜ?」
聖法母団の連中に関しては、一〇〇パーセントがそうだった。
救国魔団にしても、隠し事は多かった気がする。
「そのくせ、おれを利用しようとしていることは隠しもしないんだよ。無茶苦茶だろ!?」
「ガアアアアア!!!」
「お前が怒るのも理解できるよ。おれも似たような気持ちのときがあったからな」
大魔王が繰り出してくる乱打を、おれは最小の動きで避け続ける。
「いっそ、話を聞くのなんかやめちまおうかな? って思ったときもあったよ。いままで通り、力技でどうにかなるんじゃねえか!? なんて考えも消えなかったな。けど、おれはそれをしなかった。なんでかわかるか?」
「グルアアアアア!!!!」
大魔王が大きく開いた口の内部で、魔素の集約がおこなわれている。
「わかんねえか。まあ、当然だよな。お前はおれじゃねえし、考えるのもやめたんだもんな」
「グアア」
「フォールシールド」
大魔王が光線を放つ直前、おれはその口をマスクで覆うように、盾を顕現させた。
結果、魔法は口内で炸裂する。
ダメージを負ったのは大魔王だけで、街への被害は一切なかった。
「おれがそうしなかった理由は……このままではいずれ行き詰まる。そうサラフィネに言われたことを、おれ自身も痛切に感じていたからだよ。だから、魔法を覚えるというスキルアップだけじゃなく、異世界の知識や教養も知ろうと決めたんだ」
正気を保つためか、おれの言葉を否定するためか。
理由は知れないが、大魔王が大きくかぶりを振った。
「お前の姿は、まるで以前の異世界でのおれだよな。行き当たりばったりの力技。唯一違ったのは、おれはそれでどうにかなったけど、お前はならなかった。それだけだ」
「グルアアアアアアアアアアアア!!!!」
これまでで一番の咆哮をあげ、大魔王がおれをにらんだまま突進してくる。
「だれだって否定されればムカつくよな。けど、世の中にはどうにもならねえこともあるんだよ!」
魔素を集約させ、グローブのように拳を覆う。
「んで、初めに言ったよな!? お前らの企みもろとも、粉砕するってよ!」
おれは大魔王の顔面を打ち抜いた。
たしかな手ごたえとともに、大魔王は動きを止めた。
終わった。
神官によって与えられたかりそめの命が、消えたのだ。
「お見事です」
賛辞と拍手が降り注ぐ。
消えたはずの神官が、いつのまにか顕現していた。
驚きはない。
どこかにいるのは、織り込み済みだ。
「ファイヤーショット」
「なっ!?」
おれが大魔王の亡骸を燃やすと、神官は目を見開き驚いた。
「二度とこいつを、おもちゃにはさせねえよ」
「……ふふっ、意外とセンチなことを仰るのですね」
「お前がどう思ってるかは知らねえけど、こいつの回収も企みの一つだろ? なら、それはさせねえ、ってだけだよ」
「ファイヤーアロウ」
神官が上級魔法で、おれの炎と大魔王を消し炭にした。
「気は済んだか?」
「まさか。正直、はらわたが煮えくり返っています」
神官の顔には笑みが張り付いているが、まなじりは逆立っていた。
「なら、決着をつけるか?」
「ご遠慮します。これ以上争ったところで、得るものはありません」
「おれの命と魔導皇国トゥーンがあるだろ」
「ふふっ。勇者様の命を刈り取れるなら僥倖ですが、それをするには相応の覚悟を決めなければなりません。残念ながら、今の私にその覚悟はございません」
裏を返せば、覚悟さえ整えば、いつでも死闘を演じる腹積もりがある、ということだ。
「この国はいらねえのか?」
「いりません。私が欲しかったのは、女尊男卑に歪み、男を繁殖動物か下僕としか見ていない魔導皇国ですから」
「まだ間に合うだろ。おれを殺せば、歪んだ価値観に逆戻りだ」
「確かにそうなるでしょうね。ですが、先ほども伝えました通り、勇者様を殺すには覚悟と準備が足りません。今無理に行えば、返り討ちにあってしまいます」
神官はあくまで自分が不利だと言い続けるが、おれはそうは思わない。
神官には現状でも二重三重の奥の手があり、実際にやりあえば勝敗はどっちに転ぶかわからないだろう。
「なら、どうして戻ってきたんだよ」
「確認です。まずありえないとは思っていましたが、万が一ということも起こり得ますからね。ですが、それも無駄足でしたので、今度こそ帰ります」
「逃がすと思うか?」
「護るべき者がいるのは大変ですね」
神官がおれの左斜め後ろを狙うように、指先をむけた。
確認しているヒマはない。
「フォールシールド」
そこにいるであろうだれかのために、おれは盾を展開した。
神官が光線を放つ。
次いで、ドンッ! という衝撃音と地響きが轟いた。
「残念……ですね」
振り返った先には、アベルとニコルがいた。
二人とも面食らったようだが、無事そうだ。
「手土産は諦めます。では、ごきげんよう……ああそうだ。近いうちに決着をつけましょうね。勇者様」
今度こそ、神官は姿を消した。
企みは潰せたのかもしれないが、しこりの残る結末だ。