96話 勇者の前に黒幕が現れる
「はっ、まだあんな死神に頼る気なのかい?」
「正気の沙汰とは思えないね」
「マリアナ、どういうことか説明なさい」
ラジ、フジ、アキネの反応にも、マリアナは関心を示さなかった。
まるで、彼女らが存在していないかのようだ。
「本当はそこの三人も捧げたいところですが……あなたがいる限り、無理でしょうね」
マリアナは嘆息するが、冷たい視線はツベルたちを捉えている。
「残念ですが、諦めましょう。幸い、供物は足りています」
「ええ。充分ね」
聞き覚えのある声が耳に届いた。
「お久しぶりね。勇者様」
空中に点った小さな黒点が形を変え、漆黒の神官着に身を包んだ美女が姿を現した。
スタイル抜群で見目麗しい。
唯一の難点は顔に張り付いた冷笑だが、見る者によってはそれもプラスに変わるだろう。
「おまえかよ……」
マイナスがプラスにならないおれは、顔をしかめた。
「ふふふっ、覚えてくださったようですね」
忘れるわけがない。
というか、忘れるにはインパクトが強すぎる。
最初の異世界で大魔王を生んだ神官。
出来ることなら、二度と再会したくなかった。
「王妃様!? なぜここに」
「危険です。お下がりください」
神官を守るように、フジとアキネが前に出た。
「王妃?」
眉をひそめるおれを見て、神官が相好を崩した。
「流石に聡明な勇者様でも理解できませんか。でも、彼女たちは嘘は吐いていませんよ。正真正銘、私が魔導皇国トゥーンの『現』王妃です」
現を強調するぐらいだから、よほど自信があるのだろう。
「じゃあ、謁見したとき会ってるのか?」
「いいえ、あの時は影武者に対応させていました」
「王妃様!」
叱責するようなフジの口調に、神官は不快そうに渋面を浮かべた。
「やれやれ。この状況において、あなたたちはまだ体裁を気にしているのですか? 本当に、この国の人間は度し難いですね」
「お前がそのトップだろ?」
「本気で仰っています?」
返ってきたのは、懐疑の目線。
おれは首を左右に振った。
「ですよね。ふふっ、安心しました。これでも少しだけ心配したのですよ。勇者様もこの国の民同様、馬鹿なのか……と」
「王妃様! 口を慎んでください!」
「い・や・よ。だって本当だもの。この国が、どうしようもなく愚かなのは」
「王妃様!」
アキネの叫びは、懇願に近かった。
言いたいことは多々あるが、言葉にならないのだろう。
「キャンキャンうるさいわね。鳴くのはベッドの上だけにしなさい」
「黙るのは貴様だ!」
我慢の限界を超えたのか、ラジが憤怒の表情で神官をにらんでいる。
「国を侮辱することは絶対に許さんぞ! たとえそれが、王妃であろうともだ!」
「素晴らしい忠誠心ね。でもそれが本当なら、部外者である私に国が乗っ取られたことに気づかない時点で、愚か者としか言いようがないわ」
!!
「ってことは、ニナを暗殺しようとしたのは、お前なのか?」
「流石勇者様。理解が速い。ですが、犯人は私ではありません。マリアナです」
『なっ、なんだと!?』
おれはそれほどでもなかったが、ラジとフジは相当驚いている。
アキネにいたっては、声すら発すことができないようだ。
仲間や部下に裏切られていたわけだから、わからないでもない。
けど、冷静でいれば、気づけたはずだ。
付き合いの短いおれですら、違和感を抱くことがあったのだから。
「その節はご迷惑をおかけしました」
マリアナが神官にひざまずく。
「失敗はありましたが、計画自体は順調でしたからね。なんの問題もありません。けど、あの勇者を放置したのはいただけませんね」
「申し訳ございません」
「許します。彼の勇者に気づかなかったのは、私も同じですから」
「話の途中だけど、訊いてもいいか?」
「なんです? 勇者様」
「お前らの目的……いや、お前らの上にいる神の目的を教えろ」
一瞬ではあるが、神官とマリアナの表情が強張った。
間違いない。
直接的か間接的かは不明だが、夢の中であった神様と、マリアナたちは繋がっている。
「僕の推しに殺される」
神様がそう言い残した時点で、次に殺されそうになったマリアナが神様の推しであることは理解していた。
ただ、マリアナ自身は聖法母団に属しサラフィーネを信仰していたので、神様との繋がりを信じきれなかったのだ。
「目的? はて? なんのことでしょう?」
「おれの予想が正しいなら、お前らがやろうとしていることは、救済でもなんでもねえはずだよな」
宗教による考えかたの統一は、ある意味で救いである。
教義を妄信的に信じることで、幸せになれるのだから。
ただ、どの世界においても、はみ出し者は存在する。
それを武力や弾圧で抑制することは可能だが、遺恨の種が芽生えることを阻止することは不可能だ。
それは地球の歴史が証明しているし、いまのおれのように反逆しうる力を持った者が必ず現れる。
だからこそ、わからなかった。
(夢の中の神様は、なんでおれを助けようとしたんだ?)
描くシナリオは各々違ったかもしれないが、最終的な着地点は変わらない。
どの時点で魔法を習得しようとも、おれがマリアナたちの味方になることは絶対にないし、計画の邪魔になるのも明白だ。
それを踏まえて問題ないと捉えたのかもしれないが、あの手の存在が余計な手間を増やすとは思えない。
「あたしたちを無視するな!」
ラジの怒声が、おれの思考を中断させた。
「まだいたのですか?」
「当たり前だ! お前ら全員、殺してやる!」
「いいでしょう。その願い、叶えて差し上げます」
神官がラジに指先をむけた。
「死なないでくださいね」
笑顔とともに放たれた光線が、ラジの腹を貫いた。
「ぎゃああああああ」
「きゃあああああああ」
痛みにのたうち回るラジの姿に、フジが悲鳴をあげた。
「うるさいですね。あなた……いえ、あなたたちも、ですね」
神官がフジとアキネの腹を撃ち抜いた。
「おいおい、そりゃあんまりだろ」
「勇者様ともあろう方が何を仰っているのですか。私は彼女たちの望みを叶えて差し上げるのですよ」
意味がわからない。
ラジが望んだのは自分の死ではなく、おれたちの死だ。
「ふふっ、勇者様、この子を覚えていますか?」
酷薄な笑みを浮かべた神官が顕現させたのは、おれが初めて倒した大魔王の死骸である。
「私のような若輩者では蘇らせることは出来ませんが、ほんの少しの間、かりそめの命を与えることぐらいは可能です。リライブ」
呪文と同時に、大魔王が起き上がった。
「ガアアアアアアア」
吠えた大魔王が、身近にいたフジとアキネの頭を掴む。
「痛い。痛い。痛い」
泣くフジと無反応なアキネを引きずり、大魔王はラジのもとに進んでいく。
(なにする気だ?)
「グアアアアアアア」
吠え、大魔王が三人を犯しだした。
見るに堪えない光景に、おれは地を蹴った。
「ホーリーブロウ!」
足元に魔法を放たれ、あわてて跳び退いた。
「てめえ!」
にらむが、マリアナは意に介さない。
すでに次の射撃体勢に入っている。
「アンロックシールド」
大魔王の周辺に、半円の魔力球が生み出された。
「これで手出しは出来ませんね」
「ファイヤーショット」
神官の言葉を証明するように、おれが放った炎の矢は、シールドにかき消された。
「一つアドバイスを差し上げましょう。あれをどうにかするには、先ほど放ったファイヤーボール以上の魔法が必要です。勇者様に撃てますか?」
正直、撃とうと思えば撃てる。
けど、コントロールに不安のあるおれでは、二次災害が起こるのは不可避だ。
それを許容するかどうか。
神官が問いているのは、そういった倫理観の話である。
「では、私たちは失礼します。彼女たちの願いである、全員、に含まれたくはありませんからね」
神官とマリアナが消えた。
「くそっ」
地団太を踏むが、それどころではない。
いまや大魔王はラジたちを犯しながら、その体を喰っている。
おれはツベルたちのもとに行き、三人の拘束を解いた。
「早く逃げろ!」
「だが」
「いいから! あんなもんを子供に見せるな!」
アベルたちの視線は体で隠しているが、十分ではない。
「わかった」
ツベルが二人を抱えて走り去った。
これで広場にはだれもいない。
残されたのは、おれと大魔王だけだ。
残念ながら、ラジ、フジ、アキネは助けられなかった。
「グアアアアアアアアア!!」
カギが解けたのか、中から大魔王が出てきた。
「あいつらは絶対許さねえ! 国盗りだろうがなんだろうが、お前もろとも粉砕してやるよ!」
大魔王の前に立ち、おれは硬く拳を握った。