93話 勇者の前に死神が現れた
大気が震え、熱風が吹き下ろしてきた。
「あちっ」
空気に触れる肌が熱い。
呼吸した喉も、ちょっと痛かった。
上空なのか、大気圏を越えた宇宙でなのかは知れないが、これがファイヤーボールが炸裂した影響なのだとしたら……ヤバイ。
それ以外の感想は、なにも浮かばなかった。
広場にいる全員が、同じように感じているはずだ。
なら、この空気を利用しない手はない。
「まだやるか?」
マリアナやラジ、フジだけではない。
おれは広場にいる全員に対して、訊いた。
「ひっ!」
「きゃあああああ」
「わああああああ」
見物人や下っ端シスターたちは、蜘蛛の子を散らすように姿を消した。
残ったのはツベル、アベル、ニコルの三人と、マリアナとラジだけだ。
フジは、いまだに姿を見せていない。
「あんたみたいな男がいるとはね。嫌になるよ」
「なら、もうやめようぜ」
「そうもいかないさ。この国は建国以来、女が一番強くなきゃ駄目なんだ!」
ラジが突進してくる。
その表情には、覚悟と使命感が張り付いていた。
多様性だなんだと叫んだところで、選ぶのは個人だ。
折り合いのつくモノとつかないモノは、必ず存在する。
ラジにとって、『男に負ける』ということは、死んでも許容できないのだろう。
「狭い考えだな」
それこそ、つまらない意地の代表だと思う。
「狭かろうが何だろうが、国の根っこは変わっちゃ駄目なんだ!」
ラジが魂をぶつけるように、拳を振るってくる。
「それには賛成だよ」
時代や文化が変わろうと、それに影響を受けるべきでないモノはある。
だから、おれはラジの拳と想いを掌で受け止めた。
「わかったようだね。あんたはあたしに倒されるべきなんだ!」
拳に想いと体重が加わり、押し込まれる。
けど、押し切られることはなかった。
おれの心と体。
双方ともに、踏ん張る土台が揺らぐことはなかった。
「否定はしねえよ」
考えは人それぞれだ。
「けど、その先にあるのが選民思想の女尊男卑なら、おれは認めねえ! 男だ、ってだけであいつらが虐げられるのは、我慢ならねえんだよ!」
「うるさい! トゥ一族が築いてきた歴史は、絶対だ!」
「なら、おれが否定してやるよ! 男のおれが勝てば、歴史は覆るだろ」
覚悟を持って振るったおれの拳が、ラジの顎を捉えた。
「がっ」
覚悟と使命感を宿していた瞳は白目をむき、ラジは糸の切れた人形のようにひざからくず折れる。
脳震盪で意識を失ったのだ。
これでしばらく、戦線復帰はできない。
「お前も負けを認めるよな?」
歯噛みして、マリアナはなにも言わなかった。
「この処刑はお終い。無かったことにしていいな?」
「駄目に決まってるだろ」
フジが姿を見せた。
「遅いではありませんか」
非難めいた口調ではあるが、マリアナの表情には安堵の色が濃く現れている。
「準備は整ったのですか?」
「たった今な」
「では、やってしまいましょう」
マリアナとフジが、魔素を集約させていく。
「余裕を見せた事、あの世で後悔なさい!」
『ダークネスカッター!』
呪文からして、闇属性のかまいたちのようなモノを推察したが、違うようだ。
マリアナたちの詠唱に呼応するように、おれの足元に魔方陣が生まれた。
「出でよ死神! 汝の鎌を振るい、セイセイを地獄に誘え!」
魔方陣が紫に輝き、煙をあげだした。
禍々しい。
「供物ヲ捧ゲヨ」
足元から響く声には、根源的な恐怖が内包されていた。
あわてて、魔方陣から飛び退いた。
「魔力は充分に注いだはずです。さっさと出てきなさい」
「我ガ足リヌト直言シテオルノダ。ヨモヤ、コノ意味ガ通ジヌワケデハアルマイ」
声の主のほうが、立場は上らしい。
「仕方ない。ほらよ」
フジが魔方陣に魔素の塊を放り投げた。
「クックックッ。イイダロウ。契約成立ダ」
タロットカードに描かれている死神が、魔法陣から出てきた。
漫画やアニメで見慣れた姿ではあるものの、二メートル近い大きさには圧倒される。
担いでいる鎌にいたっては、三メートルはくだらない。
「セイセイの魂を刈れ」
フジの命を受け、死神がおれを見た。
「ソレハ出来ナイ」
「なぜだ!?」
「コノ場ニ、セイセイナル者ガイナイカラダ」
「馬鹿を言うな! お前の目の前にいる男がそうだ」
「チガウ。コヤツノ名ハ、セイセイデハナイ」
フジはいきり立っているが、死神は冷静そのものであり、間違ってもいない。
おれの名前は清宮成生で、この場にセイセイという者は存在しない。
「貴様! 契約を無視し、謀るつもりか!?」
「口ヲ慎メ! 我ハ真実シカ語ッテオラン」
「まさか、偽名!?」
マリアナが気づいたようだ。
「そんな馬鹿な! 奴は王妃に虚言を吐いたのか!?」
フジの表情も歪んでいる。
「クックック。ドウヤラ一杯食ワサレタヨウダナ」
おれにそんなつもりはない。
けど、そんな言い分は通らないだろう。
「数々の非礼、許せませんね」
「ああ。命で償わせてやるさ」
マリアナとフジが強くにらむ。
「あたしも……手を……貸すぞ」
ろれつも回っていないし、ヒザも震えているが、意識を取り戻したラジも殺る気だ。
三対一でも渡り合うことは可能だろう。
けど、死神の存在が気になる。
「クックック。安心シロ。我ハ契約外ノ事ハセン」
死神が鎌を手放すと、底なし沼に落ちるように魔方陣に吸い込まれていった。
「ホーリーショット」
マリアナが不意を衝いて放ってきた光弾を、手のひらサイズの魔素の盾で弾いた。
「オット。危ナイデハナイカ」
言葉とは裏腹に、死神に焦る様子はなかった。
避ける必要すらないらしい。
おれが弾いた光弾も、死神に着弾することなく消滅している。
「一度ハ許スガ、二度ハナイゾ」
死神が本当に動かないのか試そうとしたおれの魂胆は、丸わかりのようだ。
「オッケー。疑って悪かったよ」
『あたしたちを無視するな!』
当然、向かい来るラジとフジには気づいている。
ただ、死神のほうが厄介な気がしているだけだ。
『だりゃりゃりゃりゃ!』
ラジとフジの乱打を捌きながら、マリアナにも注意する。
実行こそしていないが、いつでも魔法を撃てる姿勢をとっているだからだ。
(結構厳しいな)
ツベルたちを守りながらラジたちの相手をし、マリアナと死神にも注意を払わなければならない。
気を抜けば、一瞬で形勢が逆転するだろう。
「んじゃ、一気に行くか! ブースト!」
まずはラジとフジを無力化しよう。
「死神よ。ツベル、アベル、ニコルの三名の魂を刈りなさい」
「イイダロウ」
マリアナの命を受け、死神が動いた。
しかも、その手には鎌が握られている。
一瞬で三人の元へと移動した死神が、鎌を振るった。
パキン
飴細工が割れるような音とともに、おれが張り巡らせたフォールシールドが破壊された。
「クックック、ハッハッハッ」
心からの愉悦を伴った一撃が、三人の命を刈ろうとしていた。
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