89話 勇者とニナの内緒話
ニナが王女。
それは衝撃的なカミングアウトだった。
だからこそ……おれには確認しなければいけないことが二つある。
「ニナ……様。おれはこの世界に召喚されて間もなく、王妃様と謁見しています。その際、お姿は紗幕のようなもので遮られて拝見していませんが、声は別人だったように感じたのですが」
「それは当然でしょうね。私と清宮さんは、今が初対面です」
「じゃあ、あれは王妃様を騙る偽物だったのでしょうか?」
「断言はできません。可能性は皆無に等しいでしょうが、先代王妃に目通りしたのかもしれなせんからね」
理屈として、間違ったことは言っていない。
現王妃も元王妃も、王妃であることに偽りはないのだ。
「ではニナ様、もう一つよろしいですか?」
「質問はいくつしていただいてもかまいませんが、敬称は外してください」
「それはさすがに不敬ですよ。王女様を呼び捨てにはできません」
「アベル、ニコル」
『ニナ』
「いや、それは家族だから出来るのであって、おれには無理ですよ」
「意外と常識人なのですね」
失礼な評価だ。
フリーランスで働く以上、最低限のマナーを持ち合わせるのは当たり前である。
「ですが駄目ですよ。いままで普通に話していたじゃないですか」
「あれは王女様だと知らなかったからですよ」
「なるほど。清宮さんは相手に合わせるのですね。なら、尚更敬称は不要です。私の今の肩書は救国魔団の代表であって、王女ではありません」
どちらにせよ、身分や地位が高いのに変わりはない。
けど、そんなことを言っても無駄だ。
ニナ自身が敬られるのを望んでいないのだから、どうしようもない。
(でもフランクすぎるのもなぁ)
後々を考えると、ちょっと怖い。
「あいつです。王女にタメ口きいていたのは」
「すぐ極刑にしろ!」
そんな未来があるかもしれない。
けど、こんな妄想をしている時間も惜しいし、話が進まないのは問題だ。
ここはおれが折れたほうが、スムーズに進行するだろう。
「では、ニナさんと呼ばせてもらいます」
「……まあ、いいでしょう」
間が空いたのは気になるが、納得してくれたようでなによりだ。
「魔導皇国は世襲ですか?」
「実力主義ではありますが、勇者トゥの一族を上回る力の持ち主は、この国の歴史上現れていません」
「ということは、いま現在ニナさんが一番の実力者、ということですよね?」
「アベル、ニコル。夕飯の買い出しを頼めるかしら」
ニナの唐突すぎる申し出に、おれとアベル、ニコルは面食らった。
「話の途中だぜ、母ちゃん」
「そうなんだけど、話が終わるころには店が閉まっちゃうでしょ。ねっ、お願い」
気づけば、窓から差し込むのは夕日になっていた。
「だけど母ちゃん」
ぐぅぅぅぅ、とアベルの腹が鳴った。
「ちっ、仕方ねえな。行ってくるよ」
折れるのは、思いのほか早かった。
けど、それでいい。
よく食べてよく寝る。
子供の成長には、それが一番だ。
「お母さん、何を買ってくればいいの?」
「任せるわ。好きなものを見繕ってきて」
ニナがアベルたちに、硬貨の入った布袋を渡した。
『いってきます』
二人揃って買い物に出かけて行った。
「続きを話しましょうか」
玄関のドアが閉まったのを確認し、ニナがおれと向き合う。
「あの二人には聞かせられない話なんですか?」
「やはり気づきますよね。ふふっ、自分でも少し強引だな、と思ったんですけどね」
困ったような、悲しいような、なんとも複雑な表情を、ニナが浮かべている。
「子供を想ってのことならしかたないですよ。その想いが通じたからこそ、二人も素直に従ったんだと思いますよ」
「ありがとうございます。でも、あの子たちに隠すつもりはないんですよ? ただ、今はまだその時じゃない、と判断しただけです」
「わかりました。ここから先の話は他言しません」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げてから、ニナがとつとつとしゃべりだした。
「魔導皇国トゥーンには、唯一無二で絶対不変の不文律が存在します。それは、魔素の保有量が最高の男女が結婚すること。そうすることで、結果としてトゥの一族は繁栄してきたのです」
配合理論とでも呼べばいいのだろうか。
地球ではサラブレッドに当てはめられることはあるが、それだって確実ではない。
血統は秀でてなくとも、きら星のごとく活躍した稀代の名ホースが誕生することは、稀な話ではなかった。
「仰りたいことはわかります。けど、事をトゥ一族に限れば、それがまかり通ってしまいました」
よほど、おれは不満そうな顔をしているのだろう。
(イカン。イカンぞ)
深呼吸を繰り返す。
それだけで、気持ちが少し落ち着いた。
ただ、そうなったことで、恐ろしい話だと気づいた。
魔素の保有量が人の優劣を決めるのであれば、人類をコントロールすることだって可能なはずだ。
政敵や反逆者には魔素の保有量の少ない者をあてがい、側近や近親者には反対のことをすればいい。
「ある種それは、トゥ一族の呪い、のようなモノなのかもしれません」
実感の伴った言葉は重かった。
けど、ニナはそれに潰されていない。
その証拠が、
「私はその不文律を破り、生涯のパートナーにツベルを選んだのです」
この言葉である。
それは絶対に許されないことであり、軋轢も生んだはずだ。
けど、ニナから後悔は感じられない。
「ツベル自身魔素の保有量に突出したものはありませんでした。しかし、彼は私の世話係の息子さんで年が同じだったこともあり、多くの時間を共に過ごしました。良いことも悪いことも。その結果、私たちは結ばれ、アベルを授かったのです」
そこにいるのはアベルではないが、大きくなったお腹を愛おしそうに撫でる姿は、そのときから変わっていないはずだ。
「周囲は産むことに反対しましたが、私たちはアベルを生みました。ふふっ、可愛かったんですよ。まあ、今も可愛いですけどね」
親バカであるのだろうが、アベルたちの容姿を鑑みれば、間違いではない。
「ですが、アベルが生まれたことで、私は王宮に居れなくなりました。アベルが男の子だった。たったそれだけのことで、アベルは殺されそうになったのです」
行き過ぎた女尊男卑というやつだろうか。
だとしたら、悲しすぎる。
「アベルを守るために王宮から逃げた私は、この国を変えるために救国魔団を創設したのです」
(なるほど)
なんとなく理解できた。
一番強いはずのニナが、なぜ逃げなければいけなかったのか。
「地位や身分より、大事な子供があったのですね」
「ええ。ツベルとあの子たちがいれば、地位も名誉はいりません」
「ただいま」
宝物が帰ってきたようだ。
「おかえり」
玄関に目をむけると、そこにいたのはツベルだった。
アベルとニコルではない。
正確な時間はわからないが、二人がお使いに出かけてから、そこそこの時間は経過しているはずだ。
「遅くないか?」
窓から差し込む陽はなく、夜のとばりが下りている。
「まさか……子供たちがいない?」
ツベルの疑問に、ニナが震えながらうなずいた。
「探しに行ってくる」
「私も行きます!」
「ニナはここで待っていてくれ。子供たちも心配だが、身重の君に万が一があっては困る」
「……わかりました」
断腸の思いなのだろう。
唇を噛むニナは、必死に感情を押しとどめている。
「少しの間、留守を頼めるかな?」
「任せてください」
「ありがとう」
ツベルが玄関を出て行った。
おれたちは帰りを待った。
けど、彼らが帰ってくることはなかった。