9話 勇者は不快感に襲われる
街に行くのはいいが、その前にはっきりさせておきたいことがある。
貨幣価値の確認だ。
おれは神官と露天商たちのやり取りから、銀貨は結構な価値がある物だと想像していた。
けど、実際はそうでもないかもしれない。
根拠は二つ。
一つは、神官が投げて寄こしたであろうカプセルに、大量の『銀貨』が入れられていること。
これに関しては神官が裕福であり、この程度の出費は痛くも痒くもない可能性がある。
よって保留。
問題は二つ目だ。
神官から施しを受けた露天商のだれ一人として、その場を動いていない。
他人の懐事情はわからないが、仮に『銀貨』の貨幣価値が高いのであれば、壁の内側に入るぐらいはするはずだ。
陽も沈みつつ、周囲は暗くなり始めている。
門の近くを照らす外灯は点っているが、露天商たちのいる場所には届いていない。
となれば、夜行性の魔物に襲われる可能性だって出てくるだろう。
それに怯えるぐらいなら、一晩だけでも壁の内部にいたほうが安全ではないだろうか?
どんなに金を持っていようが、死んだらそこで終わりなのだ。
これは身に染みて理解しているし、自分は死なない、襲われない、などと考えているのであれば、露天商たちは一生、壁の外で地べたに座っているしかない。
他人の人生だからとやかく言うつもりはないが、それによって貨幣価値が判断できないのは困る。
(まあ、最初に降ってきたのは銀貨一枚だからな。これで街に入ることはできるんだろうけど……)
もし違ったうえ、銀貨をすべて取られたら……おれは打ちひしがれて生きる気力を失う。
それだけは間違いない。
(やっぱ、行くのやめようかな?)
「殺しますよ。街の人間を」
どこからともなく女性の声がした。
キョロキョロとあたりを見回したが、声が聞こえたのはおれだけらしく、ほかのだれも反応していない。
「外の者も、おまけで殺して差し上げましょうか?」
聞いたことのない声だ。
少なくとも、さっきまでいた神官の声ではない。
(どちらさまですか?)
…………
無視だ。
(幻聴かな? 幻聴ってことでいいよね?)
…………
いくら待っても答えはない。
「うがっ」
露天商が倒れた。
喉を押さえ、苦しそうにもがいている。
「どうした!?」
「大丈夫か!?」
仲間たちが集まり介抱するが、すぐに首を横に振った。
仕草からして、息を引き取ったのだろう。
「信じていただけましたか? 駄目ならおまけを見せましょう」
おれはなにも言ってないし、思ってもいない。
けど、声の主は実行した。
バタバタバタと露天商たちが倒れていく。
「おい! なにを騒いでいるんだ!?」
さすがに門番も気づいたようだ。
歩み寄ってくる途中、ヒザから崩れるように地面に伏した。
「勇者が守るべき民を見捨てるのですか?」
見捨てるもなにも、街の人間や露天商を救うことは契約に含まれていない。
おれがサラフィネと結んだのは、自分の魂のカケラを回収することだけだ。
(まあ、そのついでに『大』魔王を倒すミッションがぶち込まれたけどな)
ただ、それはおまけに過ぎない。
「ふふっ、なら素通りはできませんね」
会話が成立しているのも不思議だが、いまの発言は無視できない。
「なら素通りできませんね」
声の主は、たしかにそう言った。
『なら』がなにを指しているのかは不明だが、直前におれが考えたことに対するものである可能性が高い。
(いるんだな。二号か大魔王が)
…………
肝心なところは無視だ。
(はあぁ)
これで、街に行かない、という選択肢は完全に無くなった。
このまま遺体を放置しておくのは気が引けるが、「はい」か「いいえ」しか発せられない現状、どうしてやることもできない。
(ごめんな)
手を合わせ、おれはその場を離れた。
アリバイ作りではないが、神官が使った門ではなく、少し離れた場所から街に入った。
ちなみに、入国料は銀貨一枚。
「んおっ!?」
壁の内側に足を踏み入れた瞬間、嫌な感覚が沸き上がってきた。
肌の上を虫が這うような不快さに襲われ、本能的に背筋が震える。
慌てて確認したが、服の上も中にも虫など存在しない。
物陰でパンツの中も確認したから、万が一にも間違いはない。
けど、たしかに不快感がある。
ナメクジやイモ虫が這うような感覚だ。
しかし、腕を触ってもそれらしい触感はない。
いたって普通の肌だ。
たぶん、視覚と触覚に問題はない。
空気には、工業地帯から流れてくる油や鉄臭さが含まれている。
微々たるものだが、たしかに感じる。
嗅覚も大丈夫そうだ。
(この際、味覚も試しておくか)
すぐ近くに立ち並んだ屋台スタイルの露店から立ち昇る、芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
それは不快とは程遠く、食欲を誘ういい匂いだ。
(うん。問題ないな)
試しに買った串焼きも美味しく、味覚も正常だ。
残すは聴覚だが、モスキート音のようなモノも聞こえていないし、大丈夫だと思う。
大した根拠はないが、五感は街の住人と大差がない……気がする。
(なら、この不快さはなんだ? おれだけが感じている……なんてことないよな?)
闊歩する全員が笑顔。
露店商も大きな声ではきはきと接客しているし、住宅の窓に映る子供もイキイキしている。
どこを見ても、活気に満ち溢れた素晴らしい光景が広がっている。
おれと同じ感覚なら、これはありえない。
無視して生活できる不快さではない。
絶対に!
だとすれば、おれだけがおかしいと結論付けるのが妥当だ。
(……腑に落ちねえな)
不快を通り越し、もはや悍ましさすら感じるモノを、自分以外のだれ一人として認識していない、などとは思い難いし、思いたくない。
おれは街に足を踏み入れた瞬間からこれなのだ。
(もし仮に新参者が狙われたのだとしたら、あんまりだよな)
可能性は大いにあるが、認めることはできない。
(隅々まで歩いてみるか)
そうすれば、一人くらい不快に感じている者と出会うだろう。