85話 勇者危機一髪
東京で暮らしていると忘れがちだが、街灯のない夜道は暗い。
自然の畏怖を感じる。
けど、雄大さも備えていた。
頭上で瞬く、数多の星がそうだ。
「みんな、上を見てごらん」
そう言われたのは、中学のときだった。
中学の学習旅行で行われたきもだめしを前に、理科の担当教師が口にした言葉だ。
素直に見上げたおれの視界に飛び込んできたのは、いまと同じような満天の星空。
目を奪われる光景に、地球も異世界もない。
「本当は怖い話をしなきゃいけないんだけど、理科の教師としては、この星空を目に焼き付けてほしい」
二〇年以上のときを重ね、その言葉が息づいているのが確認できた。
「すばらしいね」
東京で生まれ育ったおれは、外灯のない道を知らない。
それはいいことでもあるが、東京にいるかぎり、あの光景を目にすることは二度となかっただろう。
「そう考えると、この世界に来た甲斐はあったな」
天の川は異世界も地球も変わらず、どちらも幻想的だ。
「んん!?」
よく覚えていないが、後日その教師から、星は表面温度によって色が変わるんだと教わった気がする。
ネットで検索すれば一発なのだろうが、手元にはPCもスマホもない。
あったとしても、圏外だ。
つまりなにが言いたいのかというと、おれの視界には赤い光が映っている。
(場所は……夜空ほど高くないな)
方角と街道が伸びている先であることから、光源は魔導皇国トゥーンだ。
そして、光源が炎であることも、疑いようがなかった。
原因はわからないが、大規模火災が発生している。
いますぐ行けば、避難や消火の手伝いもできるだろう。
けど、無用の混乱を招く恐れもあった。
「どうしたもんかな」
行くべきか行かざるべきか。
「行けばわかるさ。迷わず行けよ。バカヤロー!」
脳内に響き渡る燃える闘魂に触発され、おれの魂に火が点いた。
「いくぞ~! 一、二、三」
ダァ~ッ、と走り出した。
すぐに魔導皇国が見える場所まで戻ってきた。
やはり、火の手はトゥーンから上がっている。
(これはヤベェな)
距離があるのに、熱さを感じる。
火の勢いが強い証拠だ。
閉じているはずの正門も開け放たれ、多くの人が避難してきている。
その人垣を掻き分けて進むのは無理だし、二次災害を引き起こす可能性が高い。
(いっそ、塀を飛び越えるか)
問題は出来るかどうかだが、ダメでもぶち当たるだけだ。
(まあ、そうなったらそうなったで、壁をよじ登ればいいだけだよな)
大事なのは、突入ルートに人がいないこと、である。
「よし。それでいこう」
全力で加速し、踏み切った。
高さも飛距離も十分で、なんなく壁を超えられた。
後は、着地を成功させるだけだ
「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」
脳内で再生される名実況。
現状おれの姿勢は伸身ではなく屈伸なのだが、それでも気分は上がる。
着地もビタッと成功した。
(完璧だ)
なにもしていないが、おれの心中は達成感で満たされた。
「元気ですか~!」
拳を突き上げる代わりに、お決まりの挨拶をかました。
…………
返事がない。
理由は簡単だ。
おれが降り立った場所が、出火元だったからだ。
西の砦と同じように、バラック小屋が盛大に煙りと炎を立ち昇らせている。
(住民は逃げたんだろうけど、消火作業に当たる人間すらいないのはなんでだ?)
放っておけば燃え広がるだけで、一般市民やエリートたちの住む区画まで被災するだろう。
「犯人発見!」
(なるほど)
消火班がいなかったのは、犯人を追いかけていたからだ。
「ったく、悪いヤツもいたもんだ」
「包囲しろ!」
嘆息するおれの周りで、足音が聞こえる。
……オチが読めた。
「おれが犯人なのか」
「自白しました。これより確保に移ります」
『ホーリーライト』
重なる詠唱に併せ、多くの光源が点る。
まぶしくて直視出来ないが、声は女性のものであり、なおかつ服装にも見覚えがあった。
「神の御遣いを騙る極悪人セイセイ。我ら聖法母団が裁きを与える」
一団の指揮を執っているマリアナが、高らかにそう宣言した。
(やっぱそうだよな)
色々と納得は出来ないが、やるしかない。
「かかれ!」
彼女たちは、殺る気なのだから。
「容赦はしません」
「そうしてくれたことが、一度でもあったか?」
甚だ疑問である。
『ブースト!』
シスターたちは、初手から本気だ。
身体能力向上の魔法を施し、恐ろしい速度で距離が詰まっている。
「天誅!」
巨大なハンマーが振り下ろされた。
その動きは目で追えたし、一撃を避けることも可能である。
現におれは、それをした。
けど、背中に冷たい汗が流れる。
(マズイな)
ギリギリだった。
数の暴力を考慮すれば、勝ちはない。
(逃げるか……って、無理だな)
全員がこのレベルならワンチャンあるが、おれの手に負えない人物が混じっている。
その筆頭が、マリアナだ。
拳を合わせなくとも、彼女の強さがビシバシ伝わってくる。
そのほかにも数人、けた違いの猛者がいるようだ。
詰んだかもしれない。
この包囲網を抜けるのは、無理ゲーだ。
奇跡的に出来たとしても、すぐに追いつかれるだろう。
戦って殲滅するのは、それ以上に困難だ。
救国魔団とツベル・クリンには悪いが、投資は無駄になってしまった。
「ホーリーショット」
腹に激痛が走る。
見れば、綺麗な穴が開いていた。
「あれ? ホーリーショットは効かないはずだよな!?」
「聖法衣を纏わぬ偽物に、裁きの矢が通じぬはずがありません」
首をひねるおれに、マリアナが説明してくれた。
(いやいや、胸当てもサラフィネの加護を授かってるだろ)
反論したいが、声が出ない。
視界が急速に霞んでいく。
「ホーリーショット」
今度は右ふくらはぎだ。
筋肉にも穴が開き、素早い動きは不可能になった。
「トドメは私がやりましょう。ホーリーショット」
マリアナが撃った光線は、おれの心臓めがけて真っすぐに飛んできている。
「わりぃ、サラフィネ。ダメだった」
おれは天にむかって謝罪した。
「させません!」
『えっ!?』
おれを含めた全員が驚いた。
「サンダーショット!」
突如降り注いだ雷撃が、マリアナの光線を破壊した。