8話 勇者と神官と露天商
幸いなことに、いまのおれに追いつける者はいなかった。
二割に満たない力でも、余裕で警備兵を振り切れた。
「ここまでくれば大丈夫だろう」
壁沿いに結構走ったが、おれは息一つ切れていない。
あらためて、自分のスペック向上と壁の巨大さを実感する。
「……にしても、多いよな」
先ほどの露天商みたいなのは、たくさんいるようだ。
服装や風貌に大差はなく、皆一様にガラクタを売っている。
買っている者はおろか、品物を眺めている者もいないのだから、掘り出し物も扱ってなさそうだ。
(それに、どう見ても貧困層だよな)
露天商たちからは物乞いの雰囲気が漂っていて、暗く沈んだ瞳の者も少なくない。
まるで、人生をあきらめたような気配すらある。
(セカンドチャンスも無さそうなんだよな)
壁の外には元手になりそうなモノがない。
おれが転移した草原や森まで行けば、木材や石材などは入手できるが、遠いうえに稼ぎになるかは微妙だ。
けど、伐採や採掘は簡単じゃないし、その過程で角の生えたウサギや狼に襲われたらアウトなのは間違いない。
鶏ガラのような露天商たちでは勝ち目がないうえ、治療費でマイナス計上もありうる。
「人生においても、デカく厚い壁なのかもしれねえな」
内にいるか外にいるかで、人生を大きく隔てる存在だ。
(……気に入らねえな)
壁はもちろんだが、ここでうずくまるように座り、死んだらそれまでという露天商の心持ち。
それがなにより腹立たしい。
自分の命を賭して働け! とは思わないが、行動はするべきだ。
微力でもなんでも、動いたことで仲間が集まることは往々にある。
結局のところ、旗を振らないやつのところにはだれも来ないのだ。
「んん!?」
漆黒の神官着に身を包んだ美女が門から出てきて、露天商に話しかけた。
会話は聞こえないが、神官は乱雑に並んだ品物をつぶさに見ている。
その真剣な表情は、冷やかしだとは思えなかった。
客とみて間違いない。
もしかしたら、露天商たちは価値ある物を用意していたのかもしれない。
おれが振っていないと決め付けただけで、露天商は旗を振っていたようだ。
「申し訳ない」
露天商たちに頭を下げた。
本来ならなにか買うのが一番の謝罪なのだろうが、無一文のおれにはできない相談だ。
(と、待てよ!? これは物価を知るチャンスだよな?)
おれは足音を消し、そっと近づいた。
(盗み見は嫌がられるからな)
自分の行動が良くないことは自覚している。
が、やらないという選択肢はない。
おれは木の陰から耳を澄ませた。
「これとこれをください」
品物をさす神官の声はちゃんと聞こえる。
「ありがとうございます」
露天商の声もバッチリだ。
「代金はこれで足りますか?」
神官が懐から取り出した巾着袋から、数枚の銀貨を渡した。
やはり買い物で間違いない……はずだが、なぜか露天商が慌てている。
「これはそのような大金が支払われるものではありません。銅貨一枚で十分です」
(なるほど。渡された金額が大きいのか)
銀貨の価値はわからないが、少なくとも銅貨数枚の価値はあるようだ。
「申し訳ありませんが、あいにくと銅貨の持ち合わせがありません。これでお願いします」
「お釣りのご用意ができませんので、商品をお売りすることは出来ません」
神官は銀貨を一枚渡そうとしたが、露天商が取引を拒否する。
好機を逃した露天商が肩を落とすのは理解できるが、断られた神官が慈悲深い笑みを浮かべる意味がわからない。
「では、こうしましょう。これをおまけしてください」
茶目っ気のある笑顔で手に取ったのは、並べられた商品の中で一番薄汚れている品物だった。
素人目にも、一生売れることはない物だろうな、と推測できる皿だ。
「それでは何も変わりません」
「いいえ。価値ある物をありがとうございます」
銀貨を一枚置き、買った商品を手に神官はその場を離れていった。
「うううううう。あ……あ……ありがとう……ございまず」
涙ながらに感謝し、露天商は土下座で見送る。
その姿から察するに、神官の行為は破格なモノのようだ。
(銀貨と銅貨の価値が、いまいちわかんねえんだよな)
はっきりと理解できないのがもったいない。
くわえて損をしたような気持ちになるということは、人間ができていない証拠である。
ただ、反省するより先に、神官を観察することで、貨幣価値と同時にこの国の一端を知ることができるかもしれない、と思った。
(クズと言うなら言えばいい)
開き直ったおれは、神官の後をつける。
重ねて言うが、やらないという選択肢はない。
神官はその後も居並ぶ露天商から次々とガラクタを買って回った。
やり取りは最初の露天商と同じで、数品を相場より高い額で支払い、お釣りの代わりにおまけをもらう。
それを二、三人飛ばしで行っていく。
何人目かで、神官のそれが施しなのだと気づいた。
不満が溜まりそうな方法だが、不思議とだれも文句を言わない。
それどころか、買われなかった者を含む全員が神官に頭を下げ、感謝の祈りを捧げている。
理解できたのは、最後の最後だった。
神官は買った品物のほとんどをごみ捨て場に捨てた。
ひでえことするな、と思ったが、神官がゴミ捨て場を離れると、先ほど買われなかった露天商たちがそれを拾っていく。
(なるほど)
あの神官は、買う→捨てる→べつのだれかが拾う→再度買う→捨てる→べつのだれかが拾う、を永遠に繰り返しているのだ。
買う物が最初から決まっているのなら、だれに施しがあるのか理解できるし、露天商たちが協力することで、だれか一人が儲けるということもなくなる。
(上手くできたシステムだな)
感心し、心の中で拍手した。
お役目を果たした神官は、街に戻るための入国審査の列に並んだ。
街への出入り口はいくつかあるようで、そこはおれが問題を起こした出入り口の近くではなかった。
だからおれは、神官を見送ることにした。
「んん!?」
振り返った神官と目が合った。
偶然だと思うが、そうと言い切れない部分もある。
神官は笑っていたのだ。
口の端をほんの少し持ち上げただけだが、あれは笑みだと思う。
確信が持てないのは、それが慈悲深いモノではなく、冷笑と表するのが妥当なものだったから。
たぶん、彼女はおれが覗いていたことに気づいていたのだろう。
街に戻る直前、ウインクを送ってきたのがその証拠だ。
(どうしたものか……)
美女からの誘いである。
本来なら断る理由はない。
しかし、入国税を払えないのだから、断念せざるをえない。
「残念だ。心底残念だ」
痛恨の極みである。
「……本当だよ。悪女にカラまれなくてラッキー! なんて思ってないからね」
言い訳がましいが、言わずにはいられなかった。
「さあ、べつの街に行こうかな」
入れない街に固執していてもしかたがない。
それに、情報収集はどこでもできる。
歩き出そうとしたおれの手のひらに、空から金属片が落ちてきた。
銀貨だった。
「いやっほ~。天の恵みだ」
銀貨を握りしめ、おれは次の街に行くことにした。
「イテッ!」
歩き出すと同時に、後頭部に固いなにかがヒットした。
振り返れば、丸いカプセルのような物が転がっていた。
(これが当たったわけか)
中身は大量の銀貨とメモ。
『あなたの熱い視線で火照りました。鎮めに来てください』
神官は聖女ではなく、性女だったらしい。
そして、『行かない』という選択肢はない選べないようだ。
仮にそれを選んだとしても、向こうからやってくるのだろう。
「なんかおれ、死んでから女運悪すぎないか?」
ため息とともに、おれは自分の運命をなげいた。