75話 勇者と聖法母団の間に火種が生まれる
確認の結果……支払いは無事済んでいた。
正確にはまだだが、後日怪人マントがするので、いまは不要だそうだ。
(よかった)
無銭飲食をまぬがれ、ほっと胸をなでおろした。
「ご利用ありがとうございました」
満面の笑みで見送られ、おれも笑顔になる。
気持ちよく別れることができ、爽快な気分だ。
けど、残念に思うこともある。
今回の別れが、今生の別れであることだ。
悲しいことだが、こればかりはしかたない。
(思い出があるぶんだけ、マシだよな)
そう気持ちを切り替え、就職先を探そう。
(とりあえず、あっちにいってみるか)
騒ぎのあった方角には、マリアナと待ち合わせした塔もある。
とぼとぼ歩き始めてほどなく、遠くで叫ぶような声が聞こえるようになった。
現場はまだ先だが、だいぶ騒然としているようだ。
(怪人マントたちも大慌てだったしな)
けど、いまいる通りは平穏そのものだ。
取り乱している者は一人もいない。
隣を歩くご婦人なんて、見たこともない高そうな犬を優雅に散歩させている。
目が合ったのでペコッと会釈をすると、嫌そうに表情を歪め、そそくさと立ち去っていった。
理由はわかっている。
おれの身なりと、通りの雰囲気が合っていないからだ。
最上級のレストランがあったように、この通りは位が高い。
日本でいうなら、銀座や神楽坂のように、値段や格式の高い店が揃っているエリアなのだ。
建ち並ぶ住宅も、松濤を連想させる。
そこに、みすぼらしい格好の男はお呼びではなかった。
(大丈夫。理解している)
足早に去るから、少しだけ大目に見てほしい。
「この貧乏人が!」
「ば~か。ば~か」
ダメだった。
肥えた性悪そうなガキどもにカラまれた。
「やめろ! 石を投げるんじゃない!」
「うるせえ! ばぁ~かっ」
「男の分際で冒険者気取ってんじゃねえぞ!」
聞く耳は持ち合わせていないようだ。
教育的指導もかねてぶん殴ってやろうかと思うが、それはさすがに大人げない。
石は躱せばいいし、暴言も無視すればいい。
「この貧乏人! 生意気だぞ」
「ああ、反抗的だ」
(いや、反抗してねえよ)
反論を心中に圧しとどめ、おれは道を進む。
少しずつだが、人の気配と声が大きくなってきた。
「お前みたいな反逆者には、サラフィーネ様の天罰が下るからな」
後ろから投げられた石を、振り返らずに避けた。
「くそっ」
(ざまあみろ)
悔しそうな声にほくそ笑んだ。
ガシャン
ガラスの割れる音がした。
「誰ですの! 家の窓を割ったのわ」
スタンバっていたとしか思えない速さで、おばさんが顔を覗かせた。
逆三角形の形をした眼鏡と原色を組み合わせたド派手な衣装は、目によくない。
『こいつです』
ガキどもが、示し合わせたようにおれを指さした。
「ウソつくな!」
咄嗟にげんこつを落としてしまった。
「うああああああああああ」
「ぎゃああああああああああああああ!!! うあああああああああん!!!」
火が点いたように泣き叫ぶガキども。
図らずも殴ってしまった子なら理解できるが、一緒にいたガキのほうが大号泣するのはいかがなものか。
「きゃああああ! 暴漢よ! だれか来て!」
原色おばさんまで騒ぎ出した。
『うああああんんん』
泣きたいのはこっちである。
「何事だ!?」
「どうされました!? マダム」
(張り込みでもしていたのかな?)
そう指摘したくなるほど、聖法母団のシスターたちが電光石火で現れた。
「子供が襲われ、わたくしの家も襲撃されました。早くあの暴漢を捕まえなさい」
ガキが泣き、窓が割れている。
状況証拠はバッチリだ。
「待て。誤解だ。話せばわかる」
「問答無用。神の裁きを受けなさい」
どこから出したのか、シスターの手には巨大なハンマーが握られていた。
「天誅!」
振り下ろされたハンマーを、大慌てで避けた。
ドンッ
「おいおい」
地面が陥没している。
「運のいい男だな」
「うん」
バカにしたわけではない。
ちょっとした遊び心だ。
けど、それは通じなかった。
「殺すっ!」
シスターの表情が鬼と化した。
(そんなに怒ることはないだろうよ)
おれはただうなずいただけなのだ。
「ブースト!」
魔法……だと思う。
地面を蹴ったシスターの動きが加速されている。
振り下ろすハンマーも段違いだ。
(ヤベェ。ギリギリだ)
いや、もしかしたら躱せないかもしれない。
おれは全力で横に跳んだ。
「ちっ」
シスターが舌打ちをする。
間一髪だったが、おれが無事なのがお気に召さないようだ。
「男のくせにやりますね。益々目障りです! マルチ・ブースト!」
二重掛けも可能らしい。
(こりゃダメだな)
正面から戦っても勝ち目は薄い。
なら、逃げの一手だ。
「逃がしませんよ」
ほかのシスターたちが通りを塞ぐ。
彼女たちも身体強化していると考えるべきだろう。
(さて、どうしたものかな)
正攻法では無理だ。
(しかたねえ)
やりたくはないが、これしか方法はない。
「ふううううう」
深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「くらえ!」
走りながら、おれは石を蹴った。
「そんなもの当たりません」
シスターが避けるのは、計算通りだ。
「けど、スカートはどうかな?」
翻った裾に命中し、布を貫通した。
「痛くも痒くもありません」
当然、気にも留めない。
「覚えておくんだな。穴が開いた生地は、簡単に裂けるんだぞ」
距離を詰めながらスカートの裾を掴み、思いっきり引っ張った。
ビリビリビリッと破壊の音がする。
「もう一声!」
さらに引くと、スカートが完全に破けた。
シスターたちが身につけているのは、ワンピースタイプの修道服。
それがいま、上下に分断された。
「最後だ!」
「きゃあっ」
スカートに足を刈られる格好になったシスターが、ひっくり返った。
「さらばだ」
おれはスピードを緩めず、上空に跳んだ。
「追えっ!」
「下着を隠すほうが先だろ」
パンツ丸出しシスターの命令に数人が反応したが、仲間意識の強い彼女たちはそっちを優先する。
これも計算通りだ。
というより、仲間が男に辱められたまま、というのは許容できないことのはずだ。
たとえこの場は逃がしたとしても、仲間の名誉を守ることを優先するだろう。
「この屈辱は忘れません!」
スカートをはぎ取られたシスターの言だが、全員が同じ表情を浮かべている。
(なら、二度と会わないようにしよう!)
おれは心の中でそう誓い、脱兎のごとく走り去った。