69話 勇者の牢獄生活は意外と快適
牢屋に入れられ、一週間が経った。
「この役立たずの駄馬が!」
「お前みたいのに与えるのは、干し草で十分だ!」
「いや、干し草だってもったいない! 霞でも食んでいろ!」
みたいな暴言で罵られ、無下に扱われるものだと思っていたのだが、実際はそこまで酷くなかった。
牢の中は四畳半ぐらいの広さがあり、腕立てや腹筋などの簡単な運動もできる。
汗を流すシャワーはないが、トイレとベッドは完備されていた。
食事も朝と晩に支給され、今日は六分粥と冷奴と焼き鳥のねぎまっぽい串が三本だ。
味は……お世辞にも美味いとは言えないが、不味くもないので問題ない。
メニューも日替わりで、飽きることもなかった。
衛生面も最低限の配慮があり、大きなタライに汲まれたぬるま湯と体を拭く布が、一日一回支給される。
着替えも同様だ。
日がな一日寝て暮らしても文句は言われないし、取り調べのようなものも行われていない。
囚人にも優しい聖法母団、ではなく、おれの扱われかたが特別なんだと思う。
「あの、神の御遣い様、そろそろお召し物を洗われてはいかがでしょうか?」
そう思う理由がこれである。
一日に数回、シスターが食事の配膳や着替えを渡すために姿を見せるのだが、ほぼ毎回顔ぶれが違う。
けど、全員がもれなく、先程の言葉を発した。
「衛生的にも、着替えをしていただければ幸いです」
申し訳なさそうに言われても困る。
おれ自身着替えていないわけじゃないし、汚れた服を返還していないわけでもない。
行っていないのは、元々着ていた服を預けないこと。
それだけだ。
理由は明確で、渡したら、二度とおれのもとには返ってこないからだ。
そう言い切れる理由もある。
牢に入れられた初日の明けがた、看守と給仕のコソコソ話が耳に届く時間があった。
その話の中では、おれが召喚されたときに寝ていたベッドが大人気で、数秒横になるための順番争いが過熱し、小競り合いが発生しているらしい。
そうなれば当然、触れることすらできない者も多くいて、雑用係では視界に捉えることすらできないそうだ。
いまのところ大きな問題はないが、不満が爆発するのはそう遠くない。
その対応として、おれの着ている聖法着に白羽の矢が立った。
洗うという口実で手に入れてしまえば、後はどうとでもできる。
仲間内で使い回すも良し。
破砕して希望者に配るも良し。
「教会内の秩序を保つためにも、どうにかして聖法着を回収しろ!」
と、最後のほうは結構な音量で、恐ろしいことを口にしていた。
大事なのは聖法着で、おれ自身は二の次なのだ。
ただ、万が一の可能性として、おれが死んだら聖法着も消える可能性があるから、とりあえず生かしておけ、という話も聞こえた。
なにも知らずに渡していたら、放置されたに違いない。
二食出ているモノが、一食に減らされることも考えられる。
(ダメだ)
この状況でそんなことをされたら、発狂してしまう。
だから、この服は死守しなければいけないし、たまには袖を通す必要もあった。
ただ、着れば汚れる。
ということで、おれは今日も体を拭くために渡されたタライのぬるま湯を使い、聖法着を洗っていた。
「何をしているのですか?」
「洗濯だよ」
牢屋の外から見下ろすマリアナに、おれはタライから持ち上げた聖法着を広げてみせた。
「なぜあなたが、そんなことをしているのですか?」
「最低限自分のことは自分でしようと思ってね」
これは半分本音である。
認めたくはないが、前世でワーカーホリックだったことも加味され、寝ているだけというのは気持ちが悪かった。
こんな生活を長く続けていたら、健全な心と体のバランスが崩れてしまう。
(……こんなはずじゃなかったんだけどな)
もっと悠々自適に暮らす予定だったのに……なぜ、こんな動いてないと死ぬマグロみたいな精神と肉体になってしまったのだろう。
「聞いていますか!」
「おおっと、ごめんなさい。聞いてませんでした」
マリアナに怒鳴られ、おれは頭を下げた。
「素直ですね」
意外そうな表情を浮かべている。
(まあ、聞いていたフリをするのは簡単だけどな)
これまでも何度かしてきた。
結果、毎度のように痛い目をみるのだ。
知ったかぶりやわかったフリをしたところで、結局は再確認することになり、イヤミや小言を言われることになる。
(いい年こいて、そんなのは御免だよ)
聞くは一時の恥。聞かざるは一生の恥。という言葉もあるではないか。
「もう一度お願いします」
「宗主アキネからお話があるそうです」
「姿は見えないが?」
「宗主はこんなところに足を運びません」
(なるほど)
だから、看守がカギを開けているのだ。
「言っておきますが、逃亡はお勧めしません」
マリアナの後ろには、武闘派らしきフル装備の従者がいる。
(一、二、三、四、五人)
倒せないことはないだろうが、無事に済むともかぎらない。
仮に勝ってここを抜けたとしても、外が安全だという保障もない。
運よく逃げおおせたとしても、指名手配犯になるのがオチだ。
(絶対にイヤだ! おれはまだ清い体でいたい)
それに、いまはまだ冒険するほど手詰まりでもない……ような気がする。
「わかってるよ。逃げる気なんて、カケラもないよ」
「そうですか。では、外に出なさい」
「は~い」
牢屋を出た瞬間、手錠をかけられたうえに腰縄が結ばれ、足首に輪っかをはめられた。
手錠と腰縄はわかるが、足首の輪っかは意味があるのだろうか?
「グラビ」
マリアナの一言で、急に足が重くなった。
(なるほど。この輪っかは、マジックアイテムなのか)
短い呪文を唱えただけで、とんでもない負荷がかかるようだ。
「歩けますか?」
試しに一歩踏み出してみた。
重いは重いが、無理ではない。
「なんとかイケるかな」
「そうですか。宗主アキネの見立ても、あながち間違いではないかもしれませんね。では、付いて来てください」
歩き出すマリアナの背を追うが、彼女が三歩進む間に、おれが進めるのは一歩だけ。
距離は広がる一方だ。
「急げ! この愚図が!」
従者に槍で小突かれた。
「これ以上は無理だよ」
一歩進むだけで、体力が激減している。
「あのぅ、すみませんけど、もう少しゆっくり歩いてくれませんかね」
チラッと振り返りはしたが、マリアナの歩く速度は変わらなかった。
「この駄馬が!」
「これだから男は駄目なんだ!」
「種馬としての価値しかないとは情けない!」
背後から浴びせられるあらゆる罵声に耐えながら、おれは宗主アキネのいる部屋まで歩くのだった。