63話 勇者の心に天使はいない……かもしれない
一〇分~一五分ぐらい歩いて連れてこられたのは、洞穴の入り口だった。
「お前たちは中で待機していなさい」
タローの指示には従うようだが、アニキを含んだ数人は、おれの横を通り過ぎる際にメンチを切っていく。
「中に戻った者たちに、傘を持ってくるように伝えなさい」
タローは最後の一人にそう命令した。
(傘って、雨でも降るのか?)
空を見上げると、たしかに曇っている。
全体的には日差しを遮るほど分厚くはないが、ところどころ厚い。
「ふぅふぅ。お待たせしました」
戻ってきた男は、肩で息をしている。
急いだのも原因だろうが、主な理由は、デカめのビーチパラソルを担いでいるからだ。
「ここに設置しなさい」
「へい」
タローが入口付近につま先で丸を書くと、男は寸分たがわず目印に柄を突き刺し、傘を広げた。
「おっ」
計ったように、ポツポツと雨粒が落ちてきた。
「良いタイミングでしたね。どうぞ、こちらへお越しください」
タローに招かれ、おれは傘の下に入った。
設置した男を含めて大人三人がいるわけだが、狭さは感じない。
なんなら、もう一人二人は入れる余裕がある。
「他に入用の物はありますか?」
タローの問いに、おれはかぶりを振った。
「そうですか。では、我々は中に戻ります。御用の際はお声掛けください」
二人は洞穴に入っていった。
状況からして、おれが立つべき場所は、ここなのだろう。
「もう少し説明があってもいいんじゃねえか」
不満を口にしても、だれにも届かない。
ザアアアアアア
急に雨が激しくなってきた。
「これ大丈夫なのか?」
雨を受ける傘は、柄を地面に刺しただけだ。
土が濡れて緩くなっていけば、風や雨の影響で倒れる可能性だってある。
「お~い。ちょっといいか」
「へい。なんでしょう」
傘を持ってきた男が、おれの世話役らしい。
「これって倒れないよね?」
「へい。災害クラスの大雨にも耐えられやす」
「マジかよ!?」
にわかには信じられないが、胸を張る男からは自信しかうかがえない。
これほどのものを見せられれば、信じるしかなかった。
「ありがとう。それと、おれはここに立っていればいいのかな?」
あれほど自信満々だった男の表情が曇った。
「訊いてきやす」
自己判断せず、報告連絡相談を行う姿勢は好感が持てる。
(素直でいいやつそうなのに、なんで盗賊なんかやってんだ?)
働き口ならほかにもありそうなものだが、それを指摘したり詮索するのは無粋だ。
他人に言えない、言いたくない事情など、だれしも一つや二つ持っている。
「ここでいいそうでやす」
「ありがとう。休んでくれていいよ」
「へい」
男が引っ込んだのを確認し、おれは再度空を見上げた。
雨の勢いはすごいが、空は比較的明るかった。
この感じからすると、いま降っているのは、天気雨やゲリラ豪雨といった類のモノだろう。
ピシャァァンと稲光が走った。
「おおっ」
予期せぬ轟音に、ビクッとした
(あれ? でもさっきの稲妻……横に動いてなかったか?)
運間放電なら珍しいことでもないが、下に落ちていた雷が、急に斜め横に進路を変えたように見えた。
(避雷針……なんてねえよな?)
林のど真ん中にそんなものは見当たらないし、ひと際高い樹も見受けられない。
(でも、たしかにそう見えたよな)
ゴロゴロ鳴っている個所をしばらく見ていたが、落ちなかった。
(う~ん、わからん)
雷の性質にそこまで詳しくないし、知識もない。
そんなおれが頭を悩ませたことで、わかることなどないだろう。
そしてなにより、いま一番注意しなければいけないのは、火事だ。
森林火災となれば、ここにも被害が及ぶはずだ。
(どれっ)
注意深く目を凝らした。
…………
心配はなさそうだ。
煙りも上がっていないし、雷のゴロゴロ音も消えている。
(んん!? なんか揺れてないか?)
落雷があった近くの樹がゆさゆさしている……ような気がする。
(んん~、気になるな)
あそこでなにかが起こっているのだとしても、おれには関係ない……のだが、好奇心が刺激されてしまった。
林の中で動植物を見かけなかったのも、理由の一つだと思う。
行って確認したいが、それは許されないことだった。
(おれが約束を反故にすれば、ダライマス盗賊団もそうするだろうしな)
結果、あの姉妹が狙われる。
因果応報だから、文句も言えない。
(そりゃ、ダメだよなぁ)
本末転倒では意味がない。
(でもな~ぁ)
好奇心と良心がせめぎ合う。
(……あきらめよう)
良心が勝ったことに、おれは安堵した。
(でも気になるなぁ)
好奇心は負けを認めず、再度ファイティングポーズをとったようだ。
タイミングがいいのか悪いのか微妙だが、小雨になった。
傘に当たる雨音と、水たまりに波紋を描く回数が減っている。
どんなに長くとも、あと数分で雨はあがる。
(いっちゃえよ)
ベタだが、心の悪魔が誘惑してきた。
(いまの成生なら、往復に一分もかかんねえよ)
その通りだと思う。
(ピャパッと行動すればバレねえよ。それに、立ってろとは言われたけど、動くな、とは言われてねえんだしよ)
悪魔の言う通りだ。
ここで行動に移しても、言い訳は可能である。
(そうだそうだ! イケッ! いまだ!)
おれは走り出す……ことはしなかった。
(なんでだよ!?)
不満そうな悪魔を無視して、おれは自らの心に語りかける。
(なんで天使が出てこねえんだよ?)
こういった場合、悪魔と天使はワンセットである。
なのに、いくら待っても、天使が出てこない。
よもや、おれの心に天使はいない、とでものたまうつもりだろうか。
(おい。出てこいよ)
…………
影も形も感じさせない。
(おれってそんなにイヤなやつじゃないよね?)
…………
返答がない。
(ヤベッ、かなり落ち込むな)
(ドンマイ)
あげく悪魔に励まされてしまった。
(なんかもう、林の様子とかどうでもよくなってきたな)
それよりも、ここを一歩でも動いたら負けのような気がしてきた。
数時間が経過し、明るかった空も暗くなり始めている。
「食事をお持ちしました」
世話役の男が持ってきたのはカレーだ。
「ありがとう」
「よければ、これもお使いください」
小さな木の椅子を置いてくれた。
(もうちょっと早く欲しかったな)
内心そう思うが、声には出さない。
それぐらいの分別はあるのだ。
「うん。天使はいるな」
「へっ!? なんのことでやしょう」
「いや、なんでもない。食事と椅子、ありがとう」
ペコペコしながら、男は洞穴に帰っていった。
おれは椅子に座り、カレーを一口食べた。
スパイスの香りとコクが薄く、非常に物足りない。
マズくはないが、最低限食べられるレベルだ。
調味料がないのか、ここではこれが当たり前なのか。
どちらにせよ、寂しい食事である。
(ああ、サラフィネのとこで食った食事は美味かったな)
思い出しただけで、幸せになる味だ。
それをスパイスに、おれは味気ないカレーを完食した。
「もう、お帰りくださって構いませんよ」
皿を返そうと男を呼んだのだが、来たのはタローだった。
取引は終了らしい。
「んじゃ、さようなら」
ここに留まる理由もないので、おれは早々に立ち去ることにした。
「最後に一つだけ。そこを右に進めば、元いた場所に戻れます」
ウソか誠かは知れないが、どうせ行く当てもない。
だから、素直に従った。
「マジかよ!?」
ほんのちょっと歩いただけで林を抜け、たどり着いたのはベッドの前だった。
(眠いな)
何時間も立っていた疲労と満腹感が合わさり、急速にまぶたが重くなる。
「大丈夫か?」
見た感じ濡れてはいないが、スコールに降られた可能性は非常に高い。
「おおっ!」
湿ってすらいなかった。
「おやすみなさい」
ベッドに横になり、おれはまぶたを閉じた。