56話 勇者は鞭で叩かれる
「はあぁ~」
大きな湯船に浸かり、おれは四肢を伸ばした。
温度は少し高めだが、熱めが好きなおれとしては、ちょうどいい。
「極楽だぁ~」
筋肉が弛緩し、疲れも抜けていく。
「最高だ~ぁ」
冷酒でチビチビやれればさらに最高だが、残念ながら用意する伝手がない。
頼めば持ってきてくれるかもしれないが……
(……諦めよう)
十人以上が楽に入れる湯船の中で、酔うのは危険だ。
酔った末に溺死、など洒落にもならない。
いまはこの空間を独り占めできる幸運にだけ、酔いしれよう。
(心の泥酔なら、し放題だしな)
呑まれることもないし、我を無くすこともない。
(おっ、奥には打たせ湯もあるんだな。よし、後で行こう)
子供のころの定番、滝修行だ。
……修行で思い出した。
「新たな必殺技が欲しいな」
ベイルの協力もあって竜の堅い鱗を叩き割れたが、理想は単体での破壊であり、撃破だ。
そのためには、飛翔系の風波斬とは真逆の、直接攻撃による必殺技が必須である。
漫画やゲームを参考に案はあるが、体現できるかはやってみなければわからない。
「それっ」
湯船の中で拳を突き出した。
お湯が左右に割れ、小さな波を立てる。
これでも充分すぎる力だ。
けど、これをものともしない強者がいることも知った。
「ふぃぃ~」
意識的に息を吐き、脱力した。
(いまは身体を休めるときだったな)
張り詰めてもいいことはない。
今後や必殺技に関しては、追々サラフィネと相談すればいいだろう。
「よし。そうと決まればリラックスだ」
力を抜いて浮き上がる。
下半身の息子が元気なら、「潜水艦」などと言ってみるところだが、生憎といまは平常運転中である。
よって、潜望鏡のマネは出来ない。
「アホらしい」
自分に呆れてしまった。
気持ちを切り替えるためにも、一旦上がろう。
洗い場も広いし、シャンプー、コンディショナー、石鹸など、各種用意されている。
その豪華さは、スーパー銭湯や立派な湯宿の大浴場にも引けを取らない。
「ババンバ、バンバンバン」
陽気な歌を口ずさみながら、おれは風呂を堪能した。
「ふうぅぅぅぅ。いいお湯だった」
タオルを首にかけ、脱衣所に用意されていたオシャレな貫頭衣に身を包み、おれは浴室を後にした。
本当ならその横にある寝室で仮眠したいところだが、サラフィネのところに戻ろう。
感謝を言葉にしようというのが建前で、本音は湯上りで一杯やりたいから、軽い食事と一緒に用意してもらおうと考えたのだ。
「お~い。サラフィネ~」
通路を抜けた瞬間。
「遅い!」
「イデェ!」
叱責と共に飛んできた鞭を受け、おれは飛び上がった。
「この駄馬が!」
罵倒しながら、サラフィネが再度鞭を振るう。
競馬の騎手が使う短鞭が、ピシャン! とおれの太ももを叩いた。
「ああああ!!!!」
あまりの痛さに、体から力が抜ける。
(ダメだ。立っていられない)
おれは両手と両ひざを地面についた。
「土下座ですか……一応、謝罪の気持ちはあるようですね……ですが、わたしは許しません!」
三度目の殴打。
「ぎゃあああああ!!!!」
痛みが全身を駆け抜ける。
(おれは土下座なんかしてねえし、謝ってもいねえよ。もっと言えば、お前の許しを乞うてすらいねえ!)
言いたいことは山ほどあるが、ダメだ。
「ぎゃあああああ!!!!」
四度振るわれた鞭の影響で、おれの口からは悲鳴しかあがらない。
(ふざけんなよ! こんな仕打ちをされる意味がわからねえ)
わかるのは……これに耐えうるサラブレッドたちはハンパない、ということだけだ。
「勇者ともあろう者が情けない! 恥を知りなさい!」
ピシャン! ピシャン! と鞭で打たれるたび、おれの身体がビクビクッと反射する。
マジで勘弁してほしい。
「ちょっと待て! なにがそんなに不服なんだよ」
「それを理解していないことが、不服なのです」
「倦怠期のカップルみたいなことを言うな! ああああああ! やめて! ぶたないで」
強気に出てみたものの、痛みには勝てなかった。
鞭を振り上げられただけで、白旗を上げてしまう。
「では、チャンスをあげましょう」
「女神様」
理不尽極まりないが、サラフィネが鞭を下げただけで、ものすごい慈悲を賜ったような気がしてしまった。
御免被りたいが、こうして人は洗脳されていくのかもしれない。
「あなたの犯した罪を懺悔しなさい」
「えっ!? 罪?」
ピシャン! と鞭が振るわれた。
「イデェエエ。お前、これ虐待だぞ!」
ビュン! ビュン! と鞭をしならせるサラフィネ。
扱いに慣れてきたのか、鋭さが増している。
(ダメだ)
これを受けたら、心が粉砕される。
「女神様。罪を理解できない私に、自らが犯した過ちをお教えください」
意地やプライドは大事だ。
しかし、それに固執してはいけない。
歩み寄れるところは、歩み寄るべきだ。
「お願いします」
おれは平伏した。
「よろしい。では講義を始めます。セットチェンジ!」
サラフィネが鞭を振り上げると、一瞬にして内装が変化した。
顔を上げ、キョロキョロとあたりを見回す。
出入口は前後に2つ。床は板張りで、前と後ろの壁には大小異なるサイズの黒板が掛けられている。
「教室だな」
「雰囲気は大事ですからね」
(なるほど)
学校とは学ぶための舎であるから、納得だ。
唯一納得がいかないとすれば、サラフィネの格好だ。
いつ着替えたのかは謎だが、いまは神官着ではなく、タイトミニのスーツ姿である。
しかも、黒ぶちメガネのおまけ付きだ。
こんな教師は、漫画かスケベDVDでしか見たことがない。
こいつはいったい、なにから知識を得たのだろう。
「下劣な視線を向けるんじゃありません!」
「アホか! これは怪訝と表するんだよ!」
間一髪。
サラフィネが振り下ろした鞭を、おれは横に転がって避けた。
羞恥があるのだろう。
あれほど鋭かった鞭が、その冴えを失っている。
「うるさい! 早く席に付きなさい」
鞭で指し示す場所には、椅子と机のワンセットが置かれていた。
後の事を考えれば、ここは従ったほうが無難だ。
「今日の講義内容は……これです」
教壇に立ったサラフィネが、鞭で黒板を叩いた。
すると……
しくじり勇者。こうしておれは間違えた! と浮かび上がった。